言葉にして書くと何かが足りていないのか過剰なのか、どうしても正確に伝わっていない感が残る。
それでも書かないことには何も伝わらない。
語彙&教養不足の頭では後になって、もっと違う書き方の方が良かったかな、とグルグルしそうに
なるけど、キリがないしプロではないのでまあいいか、と思い直したり。
でも、いちばん大切なのは技術じゃ、ないよね。ね?
今日は祖母の命日で、そんな時期は自分の存在のたてのラインが気になる。
たて:祖先、祖父母、両親、子ども、孫、過去と未来
よこ:友だち、知り合い、地域、仕事つながり、現在
このタテとヨコが織り物みたいになって、その真ん中に自分がいるイメージ。
若い頃はヨコばかりが心を占めていた。
それが、たぶん子どもを産んでから変わってきた。
今は両方に想いがいく。
去年はなぜか、2人の祖父の人生があれこれ新しくわかった一年だった。
今まで意外に何も知らなかった、ということがわかった。
生きた時代背景もあまりに違うし、おじいちゃん、おばあちゃんが幼い孫に話してもむずかしいよね。
遠い親戚が何年か前に出版した本を初めて読んだ。
それで、なぜ家族で突然、那須に縁ができて住んだのかもわかった気がした。
だって祖父も、そのお父さんも那須の生まれだったのだ。
曾お爺ちゃんが手掛けた那珂川に掛かる橋を毎日のように通ってたのだ、偶然にも。
(偶然はない、とはよくいったもの!)
両親の新婚旅行も那須だったらしく、なんか時々呼ばれてるんじゃ?
あのあたりは私の旧姓の苗字もとても多い。
ジブリの映画でモデルになったことがきっかけでもう片方の祖父にまつわる情報も増えた。
祖父の長男である伯父と宮崎駿さんの文通の内容とか。
伯父の手紙は戦前・戦中・戦後の体験を甥や姪にも残そうとしてくれたもので、
あらためて知ったことばかりだった。まったく事実は小説より奇なり!である。
祖先よ、大変な時代を生き抜いてくれてありがとう・・・!
それがなかったら今の私は居ない、というのが具体的にわかった。
まったくタテのラインでさえ知らないことばっかりなんだな。
宮崎駿さんから直筆の手紙には祖父が最後に設計したグライダーのイラストも描いてあって、
そのマニアぶりと記憶力に驚いた。
私はといえば、その設計図のテレフォンカード(懐かしい響き!)捨てちゃってるし。
なのに「風立ちぬ」上映後、すごいお宝扱いされてるし。
遅ーい!
価値観、人それぞれ〜〜!
駿さんにとって、祖父は明晰、快活、ゆるぎない設計者魂、はっきりものを言う都会人、
合理的な思考、という人物像だそうで、本当に良い面をクローズアップしてくれたんだな、笑。
でも半藤さんとの対談で「堀越さんとはほんとうは仲良くなかったけど、映画では・・・」という
くだり、それはちょっと違うみたいです。だって当時は家も近所で家族で行き来していて
子供同士も仲良かったんだから。
ま、それはともかく、その2人の祖父のキャラクターが、今になって妙にリアルにわかるのだ。
血ってやっぱり何か記憶を伝える物質かエネルギーみたいなものが含まれているのかなぁ。
「わかる」というのは、自分の中にハッキリ「感じる」ことができるということで、
それを遺伝というのか。
わがまま、無鉄砲、楽天的、アイデアで生きていく、世間とずれていて、ひどい目にもあうけれど蘇る。
そして、どうも波乱万丈が嫌いじゃないみたい・・・。そんなDNAがかけ合わさっているんだから
この根本的な性格、私の責任じゃないじゃーん!と発表したくなる。
逆に未来の自分の孫や曾孫が自分を後年、どんなふうに思うか?という考えてみると
根本の性格は素数みたいなもので変えようがないけれど、行動としては
ある部族のインディアンのように7代先がむずかしくても、
せめて2、3代先が生きる世の中が今よりも良くなるよう、持続できるよう、考えたいなぁ、と思う。
目先の利益じゃなく、100年後に「ありがとっ!」と思われるようなバトンを渡したいよなぁ、
どうせなら、と。さすが、人生も後半に入ってくると心がけが変わりますね、笑。