今ではすっかり、あたりまえのようにこの場所で暮らしているけれど、
東京にいた頃は「田舎で生活する」という想像はほとんどしたことがなかった。
親戚も遠くて神奈川県まで。
一度、神奈川から益子に移住した親戚のところへ遊びに行ったことがあって
カエルの大合唱とか、いつもの環境とあまりに違っておもしろかった。
自然がいっぱいの中で暮らすというイメージはもっぱら本の中で、
小学生の頃、よく読んだリンド・グレーンの「やかまし村のこどもたち」や、
TVで観た「大草原の小さな家」が原(疑似)体験だ。
だから、ここで「雑貨屋を!」と思いついた時も、まず浮かんだのが、
その記憶の中に残っているオルソン家営むオルソン商店。
19世紀のアメリカ開拓時代の村にあったグロッサリーストア。
そこへ行けば、穀物やパンやお菓子などの食料や生活雑貨やなんやら必要なものが揃って、
ないものはカタログを見て取り寄せてくれる、家族で営む個人商店。
それを現代の日本の田舎町に移したら、どんな店がいいか?と思ってできたのが
「おくなが屋」です。オルソン商店→オクナガ商店、笑。
いろいろな国を旅行した時にも、気がつけば必ずそういう田舎道にぽつんとある、
中は宝探し?みたいな雰囲気の食料&雑貨店は必ず入ってしまう。
ま、それが今、少しは役立っているのかな。
「好き」とか「どうしても気になる」ことって、自分の鉱脈を見つけるヒント。
ただ「好き」や「気になる」があちこちに多いので他にも興味のあることが
多すぎて寿命が足りるのか?というのが最近の心配、笑。
すべてが中途半端にならなきゃいいけどー。
よく「田舎暮らし大変じゃない?」と心配されたりしますが、先の心配と比べたらなんでもない。
那須時代の方がよほど不便な住んでいたし(でもSHOZO CAFE 那須店が近くて良かった)、
その前に住んでいたコネチカットの方が積雪も多くて冬が厳しかったし(でも近くに
PATAGONIAがあったり、食事もできるオーガニックマーケットがあったり良い環境だった)。
で、さあいよいよ限界集落とも言われる日本の田舎に実際に移住してみると少しずつ
現実的なモンダイや課題が見えてくる。また視点を変えれば実は「豊か」なんだともわかってくる。
それから地方をテーマにした本をあれこれ読んでみると、結局、地方の問題って
都会の問題でもあることがわかったり、政治のしくみや、人の営み、
仕事の仕方や農の問題にも行き着くことがわかる。
森まゆみさんのこの2冊はその中でもとても光を与えてくれた。
自分に縁のあった土地とのつながりを大事にして生きている人たちや、
国や農協に頼らず、農や酪農の営む道を切り開いてきた人たちを取材して書かれた本。

タイトルも「その通り!」という感じで好きだ。
都会にコンプレックスを持つ必要もなく、補助金にも頼らず、志をもって生きること。
自分の足でその土地に立っていることが、誇り(プライド)となっている
無名の人たちに希望を感じる。
最近では「里山資本主義」もおもしろかった。
「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の
経済システムの横に、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方。
すでにマネー資本主義(:これまでの自然を破壊しながら発展してきた経済)には限界が来ているので、
じゃ、そこに頼らず自分たちがまず経済状態が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、
ネットワークをあらかじめ用意しておこうではないか、という実践を案内している。
でも決して江戸時代の暮らしに戻ろう、という話ではない。
著者は「人のつながりという、金銭換算できない価値」や、実は世界でも有数の森林国である
日本に豊富にある自然エネルギーなんかを重視している。
田舎の農村に第二の人生をかける人たちに、必要以上に「自然好き」「田舎好き」のレッテルを
貼るのをやめるべきという指摘も、まったくその通りと思う。
「世界一の物質的な豊かさを手に入れた成熟社会の経験者が『薪のようにおいしく炊ける炊飯ジャー』
に飽きたらずエコストーブに挑戦したり、『高級スーパーの有機無農薬野菜』に飽きたらず自分で作り
始めたりするのは、そんなにふしぎなことではない。」というところ。
・・・そうなんですよ。
私たちもそうだったけど、今、住まいを田舎といわれるエリアへ移している人たちを見ても、
べつに牧歌的に生きたい、というのでもなく、自分たちが暮らしたい方向を考えたときに、
なんにでも「お金」のかかる場所だけっていうのもね、と、ある意味、未開拓地の可能性にワクワクして、
というケースが多いように思う。都会に嫌気がさして、というネガティブな感情よりは卒業という感じかな。
これだけ物流やインターネットが細かく行き渡っている日本で、
街じゃなきゃという必然性はむかしほど切実でないしね。
一生懸命働いてどんなにお給料もらっても、食事がコンビニや外食ばかりじゃ満足できない。
会社の都合で、本来プライベートな時間まで通勤時間や残業時間に変わってしまうのはかなわない。
そんな価値観に気づく人もどんどん増えそう。
街と田舎と2カ所の拠点を持って生活する人も増えている。
それも別荘、という感じではなく。
ずいぶん前に読んだ宮崎県の綾町(有機農家が多くて有名)に移住してぶどう農家になった人が
書いた本(タイトルは忘れました、)の中で、そこに住む人たちが自前のごちそうを持ち寄って、
愉しく語り合いながら夜を過ごすシーンが印象的で、こういうのがいいなぁ!と思っていたけど、
今ではそれと同じことがすぐにできるようになって本当にうれしい。
まわりには田畑を持っていたり、食関係にたずさわる友人が多いので、ファストフードの
デリバリーなんかとは違って、ちゃんとエネルギーのある食べ物が並ぶ。
これを天国と言わず、どこが天国じゃ。
「里山資本主義」を著者には「デフレの正体」という著書もあってこれもおすすめ。
お隣の市が、日本の地方によくある風景と同じようにシャッター通りが増えるのはよほど人口が減ったのか?
と思って調べてみると、実は40年前とほとんど変わってなく、年代別の人口分布が大きく変化しただけ、
という発見にもびっくりしたものですが、この本はそれをもっと大規模に詳しく分析して解決策もあげている。
もうホント、経済至上の考えが破綻しないと覚醒も起こらないみたいですしね。