オクナガ家有史以来、初めて全員、倒れるという事態に遭遇しました。
始まりは娘のクラスが学級閉鎖になったこと。
「学校、休みになっちゃったよ〜」と最初は時間を持て余して
元気にぴょんぴょん過ごしていた娘が実はすでに感染していたのか、
休み3日目に突然、高熱を出した。
「いま熱、計ったらこれ」といって差し出された体温計は39.4℃。
「良かったねー、これで体の悪い細胞が全部、死ぬんだよ。すばらしいね!」
と言って、ベッドに送り出しホメオパシーやフルーツや飲み物を与えて時が経つのを待った。
そうしたら翌々日、こんどは息子がやっぱり39.4℃になった。
毎日、一緒に遊んで、同じ部屋に寝ているからあり得る話で、これをきっかけに少し食を減らして
彼の内蔵を休ませるチャンスだと思った。ところが、ベッドの上で熱にうなされながらも
ヤツの考えることは食べ物のことだったようで「ママ、ゆうまのお熱が下がったらピザ食べに行こう!」
などと発言をしている。こんなに体力の落ちている時にピザを思い浮かべるってなんなんだ?
しかも「こんどはちゃんと飾ってあったのと同じの下さいって言おうね!」と、
以前、家族で行ったレストランのショーケースと実際に運ばれて来た実物のサイズの差に
未だ納得していなかったという事実まで判明。
「風邪のあとはさ、うどんとかさ、そういう方がいいんじゃない?」と言うと
「ゆうま、うどん、ちゅるちゅるするの、慣れてないもん」
慣れてない・・・?そーですか。
さらに、おばあちゃんが作ってくれたお粥についても「噛めん!」と苦情を訴えていた。
そんな時、移住して来て以来、すごく慕っていて、尊敬もしていて、あれこれ教えてもらっていた人が
突然、亡くなった。病気になったことを聞いてから2ヶ月、あまりにもあっけなく。
必ず治るよね、と思っていたから気持ちの準備も全然、出来ていなかった。
今でも現実感がない。
死ぬなんて、こっちの部屋からあっちの部屋にいくようなものだよ。
ちょっと服を着替えるのと一緒。
と臨死体験者の赤峰さんにいつも聞いていて、たぶんその通りなんだろうと思っていたけど
やっぱりまだ肉体を持っている身としては受け入れるのに体力も時間もかかる。
あー、こういう時って免疫力下がるよなぁ、と思った途端、子どもたちと同じように高熱の人になった。
と思ったら夫くんまで。
と思ったらおばあちゃんまで。
まるで家族みんなで将棋倒しのように全滅!
たまに風邪をひいたり、調子を崩しても、仕事が始まる日の朝には必ず治るのが私のスバラシイところで
(←誰も褒めてくれないから自分で言うよ)内心、私ってプロ!と自負していたのに、
今回は宇宙のどこかで別の力が働いていたのか?、仕事のスケジュールはあっさり無視された。
火曜日の朝になっても起きられす「臨時休業」の文字が頭をチラチラしている。
うそ、そんなことあってはならーん!と思ってみても熱はさらに上がって40℃を振り切っている。
よし、こうなったら半身浴でがーっと汗を出そう、とぼろぼろの状態でお風呂を掃除して
なんとかお湯に浸かった。が、温度調節がわからない。ぬるめのお湯に長ーく浸かるのがいいのだけど、
自分が40℃あるので感覚が狂って、たぶん相当、熱いお湯に30分以上入っていたんだと思う。
(みなさんも気をつけましょう、笑)その後、お風呂から上がってから記憶がなくなった!
幸い、38℃台でも日常生活が送れる(!)夫くんがお店に立ってくれて最悪の事態は免れた。
そうこうしているうち、子どもたちは回復してきた。
また、ひとまわりパワーアップしたようで、うるさい、うるさい。
ケンカしたり、お腹がすいたーっなどと大人の体調も顧みず好き勝手なことを言っている。
おばあちゃん(母)が体力を振り絞って食事の用意をしてくれて、それをパクパク平らげる子どもたち。
私もなんとか食器を洗ったり、洗濯したり。でも干すのがやっとで取り込む元気はなし。
そんなこんなで家の中も微妙にすることが溜まってきて、なにがなんだか。
そして、とうとう母がぽつりと言った。
「こんなことになるんなら、来年からは大人だけでも予防接種、受けた方がいいんじゃない?」
「意味、ないよ。逆に悪くなる。体も環境も。」と、この期に及んでも主義は曲げない頑固者の嫁。
すると母は「やっぱり、そうなん?今朝、進一郎にも言ったら『ワクチンに何が入っているのか
知ってるのか!』って、また怒られちゃった!」やっぱりウチではその案は採用されないね、
という表情をしてお茶を飲んでいた・・・・・そう、あり得ません。
そもそも、家族の誰も病院で診察を受けていないからインフルエンザなのか、風邪なのか、
気管支炎なのか、なんなのか、わからない。そしてわからなくて構わない、と思っているのだ。
母は孫のためなら何でもする。
多少、自分がワクチンで不自然な状態になっても孫の辛い状態が回避できるならそれでいい、
というようなフシがあり、今回も「だって、子どもがかわいそう」という主張だ。
でも親の方は本当にかわいそうなのは「本来の、内在する自然の力を潰してしまうこと」と考えている。
子どもから自然治癒力が備わっていることを知るチャンスを取り上げてしまうことの方がかわいそうじゃない?と。
母も本当はわかっているんだと思う。
ただ、今回は家族全員があまりにもひどかったから血迷った発言?になって息子に怒られただけー。
(この光景はたびたび我が家で見られます)
これ、最初のお産の時に助産院での自然分娩を選んだくせに、いざ陣痛が始まってみると、
あまりの痛さに圧倒されて「モルヒネとか、ないの〜?」と口走った私にはわかります。
ほんとうはわかってる、でも言うだけでも逃避したい気分なのよね。
今回も仕事はストップしてしまったけど、恩恵がいくつかあった。
ひとつは何年か前、癌があるよと言われた箇所が一日すごく痛んで翌日にはそれがすっかり治ってたこと。
39.3℃だったかの熱で癌細胞は死滅する(逆に34〜35℃台で繁殖する)ので、
たぶん、また出来ていた癌を熱が消してくれたのかも知れない。それで体は熱を出したのかも。
もう、なにも効かない!という勢いの40℃近い状態が4日も続いた理由も、それならわかる。
同じような状態になったのは20年以上昔にロスで気管支炎になった時。
その時は、かかりきる覚悟が今ほどなかったのか、それとも一週間後に行くことになっていた
NYにどうしても行きたかったのか、5日目にして抗生物質の注射を一本打って熱を下げ、
その翌々日には、まだ寒い3月のNYの道を歩いていた。
無謀・・・。
が、1ヶ月後、その副作用に苦しむことになる。
一緒に完全治癒したかのようになったアトピーが3倍くらいになって戻ってきたのだ。
それには相当、気が滅入った。
今回はなんだか、その時のやり残した宿題をしているような感覚もあった。
あまりに咳が止まらないので肺炎の疑いまでかけられた。が、たぶん違う。
きっと20年前の未解消のカルマ?だ。
ならば、今回はとことんかかり切ろうと思ったら2週間もかかってしまいました。
お仕事関連、くぬぎ舎関連、外構工事、各方面にあれこれ遅れが出てご迷惑おかけしました。
それでもまわりが、まるで白血球のように私という傷をカバーしてくれました、アリガトウ。
あと、学んだこと。
笑いが飛躍的に免疫力をあげることは知られていますね。なので、今回もさくらももこさんとか
清水ミチコさんとかに頼ってみましたが、この方法、気管支がやられている時には向きません。
笑いすぎて、咳き込んで大変なことになります。
そして、あの口調だけが残り、夢の中ではナレーターがあの口調でずっとしゃべっていた。
お願い!今だけはやめてー、と夢の中で強く思いました、笑。
そして以前、先に結婚していた友人たちの「結婚も10年経つといろいろあるよー」
「うん、あるある」という会話を聞いていて、未知の世界だ〜と思っていましたが、
こうやって10年を迎える直前に一家全滅という事態に遭遇して、
遅ればせながら友人たちの会話にも参加できそうで、なんだか大人の仲間入りした気分
(え、理解がちょっと違う?笑)
それでも、治る時がきたら自然に治る。
病院も薬もワクチンも使わずに。
そして、インフルエンザだったとしたら、その取り扱いも少しわかった気がする。
なにごとも経験してみないとです。
頼りにしていた人が突然、あっちに逝ってしまったこともあって、
そして自分までかなり弱ったこともあり「死」についてもあらためて考えてみたり。
赤峰さんはこの本に出会って、自らの体験も話そうと思ったそうです。
生まれる前の世界、死後の世界、生まれ変わりのしくみ、そういうことが考察されています。
死を考えることは生き方を考えること、生きる意味も見えてきて元気が湧いてくる本です。