持ち物としてなじみになじんでいた傘が突然、崩壊するように壊れた!
さびていたところがホロホロと朽ちるようになって、とうとうさせなくなった。
乗り物で移動することが多い生活で傘を使うことはめっきり減ったけど、
それでもこの傘は11年のあいだ活躍してくれた。しかも全然、買うつもりもなく
ニューヨークのMuseum of Modern Art(美術館)に行った時の突然の大雨に急場をしのぐため、
ギフトショップで間にあわせに買った傘で、たぶん日本円にしても3000円くらいだった気がする。
その傘を3人でさして美術館を出て、タクシーを拾ったんだった。
今、そのうちの2人は結婚して、もう一人の当時セントラルパークを
見渡せるマンションに住んでいた友人は今、お隣の豊前市に住んでいて、
地元のお祭りの練習なんか参加している、アメリカ人なのに〜。
なんか人の縁を結びつける強力なエネルギーが宿っていんじゃないだろうか?笑
と思える不思議な傘です。
重心具合も程よくて、たまたま買ったものにしてはかなり優秀。
しかも失くさず盗まれず。
ずーっと傍らにいるのがいつしかあたりまえになっていた。
このジェットコースターに乗ったような怒濤の11年を共にいてくれたと思うと情が移って?
「なんとか修理・・・いや、どう見ても無理!」と逡巡を繰り返してます。
で、MOMAの通販サイトなんか見つけたりして同じものがまだあったりして?と探しみたり。
でも、なんだか派手な傘ばかりで、2代目を買うというアイデアの実現はむすかしそう。
あー、でもあの頃は今よりもっとのん気で楽しかったなぁ!
今もあの時に増して楽しいことはあるけれど、あの年齢あの時代の楽しさはまた別の味。
しかも、場所がNYだったし、シチュエーションがドラマみたいで今思うとかなりおかしい。
夏休みに友だちのところに滞在していたら、突然、ただの同僚だったヤツが現れて、
わけもわからない時差ぼけのまま夜中にチャイニーズを食べに行ったり、
ツインタワーの跡を見に行ったり(これは楽しい部類じゃなかったけど、見てみようと思ったんです当時は)
美術館もかなりゆっくり堪能して、DEAN&DELUCAやバルドッチで食器やパンや吊り下げられたハムや
フルーツを買ったり、奥に長い長いカフェで3人でいろんな話をしたり。
その時のスプーンがあまりにも可愛かったのでチップを多めにあげてもらってきたり。
でも、そうやって不健康な暗黒時代から回復していったんだなー、と思えば必要な時間だったのよね。
そして今、同じことができるかというと、もうできない。
美術館もD&Dもあのカフェもまだきっとあるけど、もう何かが(というより、すべてが)変わってしまっていて。
あの頃はその後に出てくる911についての話も、自分が子どもを産むことも、日本の原発が爆発することも、
那須や福岡に住むことも、ましてや憲法の解釈が勝手に変えられてしまうなんて、未来をなにひとつ知らなかった。
バカバカしいこともちゃんとやっておくものですね(?)
その時にできた私のノンキで楽天的な細胞がその後のタイヘンな時間を支えてくれたと思うからー。
今日は一本の傘がその生を終えていったお話でした。
モノとの突然のお別れもなんかいろいろ思い出しますねぇ。

11年間、お疲れさまでした。