考える、ということ

考えるとは疑うこと。と敬愛する師はいいました。

疑うというとあんまり性格良さそうじゃないけど(笑)考え尽くされたことやモノは気持ちがいい。

いろんな角度から取捨選択が繰り返されて最終的には逆にまるでなにも考えていないような状態になって、

気になったり、ひっかかったりするところがすでに削られているので気持ちがいい。

考えることにゴールはないかもしれないけど進展はある。

 

私は10歳くらいの時に大人の言うことを聞いていることが本当にいいことなの?

という疑問を抱いて以来、世の中の常識をすごく疑いながら生きてます。

そして以前はこうじゃないかと思っていたことが一年後には考えが変わっていることも多いので、

このブログも古いものほど疑ってください、笑。

 

人生に安泰とか安定とか保証なんてなくって、いつもぎりぎり崖っぷち。

そして慣れると崖っぷちが普通になるので、意外に平気、笑。

 

幼い頃はこんなはみ出した考えが周囲と違和感をもたらしてすごくすごく生きづらかったけど、

おかげさまで歳をとるほど受け入れてくれる人たちの中で暮らせるようになって居場所ができた。

 

だから若い人に思うのは、今まわりに理解されなくて自分をうまく表せないと苦しんでも

いつかきっと状況は変わるということ。大切なのはまわりに同調することじゃなくて

自分でいること。これが意外にいちばんむずかしかったりする世の中ですが、それも疑ってみる。

ほんとうにむずかしい?むずかしくしているのは何?だれ?

 

ごく最近、友人から聞いた話。

ホスピスで過ごした人たちが死を前に最後に思うことのダントツ1位は

「もっと自分の心に沿った生き方をすれば良かった」ということなんだそうです。

そしたら横にいた夫がすかさず「マキちゃん(私)にはありえないねー!笑」という反応。

だって、それ以外の生き方の意味がわからないでしょ?だってー。失礼ー!

 

今までの社会は良心的で従順な人々にダブルスタンダードで生きることを要求してきたような氣がします。

個人的な本心と、社会に出たときの態度との間に差があっても生きていくためには仕方ないよ、

みたいなメッセージを浴びながらきて、そしてその「生きていくためには」というのが、

気がついたらイコール「お金を稼ぐこと」にすり替えられて、という。

安定した収入を得るためには、個人的な生活で実践していることと矛盾するような「仕事」でも

こなしていくのが大人なのだ、みたいな空気がある。

私はそういうのを知らず知らずの間に拒否してきたんですね、たぶん。

それで、そんなことを言われる中年になってしまった!

 

上手に歳を重ねている人を見ていると、手放すことが上手なのかなと感じます。

やっぱり考えているのだ。取捨選択の結果、頭の中が洗練されたおとなになっている。

考えないと不要なもの(ゴミ=つまらない常識)をいつまでも抱えたままで、

衰えた肉体にごちゃごちゃしたものが乗っかっただけのヒトになってしまいそうで!

と氣を引き締める今日この頃。

 

 

先月、ユーミンのコンサートに行きました。

汗も涙も見える前から3列目。

ユーミンの歌詞やメロディは私の若い時にできた細胞の一部になっているので

生で聴くと理屈抜きにその細胞が活性化されて元気になれるから、時々行く。

どの歌詞の言葉も考え抜かれているし、間奏も正隆さんの才能?ほんとにすばらしい。

 

今回はユーミンの境地の変化をとても感じステージでした。

311があったり、ユーミン自身も還暦を迎えていたり、

すでに、一人のアーティストというより、巫女さんか美輪明宏的な。

衣装も演出も歌も音楽も才能を表現したり、それでお客さんを楽しませるというより

(もちろんその要素も十分だけれど)、目の前にいる人たちに何かを施しているような、

あるエネルギーを注ぐ媒体化して、もうすでに人間じゃないんだ、コンサート中のユーミンは!

 

今もずっと大きな挑戦をし続けて、その勝負に勝ち続けている人特有のオーラーも全開。

全力でステージを作っているのを間近で見ていたら体中が電気が走ったようにビリビリきた。

しかも!近くに来た時にしばらく目が合ってにっこり微笑んでくれて、

あー、なにか来たぞー、授かってしまったぞー、とまるで神託を受けとる信者のような私。

 

たとえば料理の味から作った人の健康&心理状態がわかったり、講演会などで話している人の

その日の体調を感じたりすることがよくあるけど、プロっていうのは本番でそのエネルギーを

最高に状態に持っていける人のことなんですね、きっと。

 

むかし、ほとんど素のユーミンがレストランでとなりに座っているという状況に遭遇したことがあったけど、

ほとんどノーメークでさらっとしていて、どこも力んでいるところがない人という印象だった。

オン/オフのスイッチの切り替えが見事なんだな。

 

きっとユーミンはスポットライトがあたっていない時もすごく考えて生きていると思うなー。

一曲を創作する時はいったいどれくらいの量と質、考えているのだろう、と思うとそういう人が

この世にはいっぱいいるんだなぁ、とか思って、もうぐるぐるしてくる、笑。

 

ユーミンがインタビューで「イケてるまま籠れるのがいい」って話していたのを見たことがあるけど

籠っているときに根ができるんだろうな。放出できる人ほど、ちゃんと籠る時間もつくっている。

 

40年前の「ひこうき雲」が今も新鮮な名曲であり続けているのは、やっぱりそんな過程が

しっかりあるからーちゃんと考える行為が昇華して生まれたからに違いなーい!と思って聴いていました。

 

10歳の娘もコンサートに行きたい!というから連れて行って、考えてみたら当時同じくらいの年齢だった

私も初めて「ひこうき雲」のレコードを聴いたのです。こういう音楽を聴いとくんだよーって、

そのレコードを教えてくれた、もうしばらく会っていない年上の従兄、てっちゃん、今どこ?

気が向いたら連絡ちょうだいね。

 

そして、その曲が祖父がモデルで登場した映画に使われるとは40年前の従兄も私も当時は知る由もなし。

人生フシギ、ユーミンとの縁もフシギなものを感じるのでした(一方的だけど)。

そして、それだけはいくら考えても、なんなのかまだわからないのでした。