どこかのクレジットカードのCMで使われてしまった言葉だけど、
金額が付けられない、とっても貴重な!という意味のpriceless。
先のブログでも書いた通り、食品には気をつけけなければならないポイントが複合的に存在する。
311以後(ほんとうはそれ以前からみたいだけど)、放射能までそこに加わってややこしいったら
ありゃしない。なので、ウチはえーい、めんどくさい!それなら自分たちで育てたものを
食べるのがいちばんシンプルでわかりやすいんじゃないか?と思い立ち、
2011年の6月、まずお米から作り始めた。
夫は幼い頃、兼業農家だった祖父が農作業をしている光景を見ていたとはいえ、サラリーマンと
天然酵母のパン職人だった人。私は東京育ちだし、ほとんどド素人のふたりだった。
それでも化学肥料や農薬を使わず立派な野菜や米を育てている大分県のなずなを知っていたので、
そこの赤峰さんのところになんども通って、質問を繰り返して、時には機械までお借りして、
そうしてなんとかその秋には、自給率200%を超えるお米を収穫できた。
赤峰さんは地元の農業高校を卒業後、教えられた通り化学肥料も農薬もありの農業を
しておられたそうですが、そこに疑問を感じてからは10年以上の試行錯誤を繰り返し、
そういった毒物を使用しない、自然の循環に沿った「循環農法」を編み出した人。
(興味がある方はどうぞ赤峰さんの著書を読んでくださいねー)
りんごの木村さんとも重なるのですが、ほんとうに化学肥料や農薬を使わず、一定の収量、
(それも見た目も立派な)をあげる農法を確立するのは並大抵のことではないようです。
赤峰さんも木村さんも一時は大きな借金をかかえたり、世間からの冷たい目のなか、
先が見えなくても希望は捨てなかった長い時間を経て今がある。
(その上、最後はあっちの世界もみてしまうところも共通点!)
つまり、そのくらい全身全霊、人生かけるくらいの勢いで完成した農法。
家庭菜園で失敗してもいいや、くらいの氣持ちで作るのとは違う。
だから、その辺で簡単に「無農薬です」と謳っている作物を見ると懐疑的な私はつい
Q1 化学肥料も使ってない?
Q2 減農薬なだけじゃ?
Q3 単に売る為のフレーズ(で実はまったくのウソ)?
などとつい思ってしまうわけです。
だって、そんなに簡単に見た目も立派なのがつくれるわけないじゃん!と。
化学肥料は作物の細胞レベルに入ってしまうものなので、ある意味、農薬よりタチが悪い。
有機肥料という名で、実は化学肥料入りのものも流通している。
(その中にはすでに汚染されているものも多い)
減農薬は使う回数が「減」なだけで毒性はむしろ上がっていることが多い。
無農薬でも、種は消毒していたり化学肥料や除草剤は使っていたりする。
さらに有機と認定されていても国が約30種類の農薬は許可している。
という現実もその疑いを深くする。
でも今、ほんとうに有り難いのは、赤峰さんや他にもそういう人が、気前よくバンバンその農法を公開している
ということだ。だから私たちは10年を待たず、極貧もあじわうことなく、安全でおいしい作物を収穫することができる。
あと、戦前までは誰もが化学薬品を使わず農業をしていた、ということも忘れちゃいけない。
赤峰さんや木村さんほどの質と収量をあげられていたかどうかはともかく、それでも名人がきっと
あちこちにいて、みんなに教えていたのかもしれない。
赤峰さんや木村さんは農に携わる人の割合がすごく少なくなった社会が生みだした人という側面もあるのかな、
と思う。だってみんなが自分の分を作っていたら、一人の人がつくる量もそんなに多くなくて
失敗も全然あり〜、ってなるのだから。
ただし化学薬品を使わない農法はすることは多い。夫は毎日、この猛暑の中を草取りに行っている。
服ごとシャワーを浴びたように汗をかいて、水筒の水が無くなったらすぐ戻って来なくては危険なくらい
クラクラする日差しのなか。もうすぐ70代の母親も「孫に安全なものを!」という想いでそこに加勢している。
もちろん、ここまでしなくても、それなりの収量はあるけれど、田植えのあとの田んぼに入れる
一ヶ月間にどれだけ草取りができるかで一反あたりの収量も変わるのと、特に今年は草取りのペースが
上がって、今まででいちばんの収量が望めそうな気配なので頑張っているのです。
でもまあ、こういう農法は最後は自然が決めることなので、どうなるかわかりません。
それでも。
たとえ望む収量がなかったとしても、その作業自体にいろいろ得るものがあるらしい。
アウトドアのスポーツをするのと同じ爽快感を味わえる。
「汗をかく」という脂溶性の毒出し法の中でも特に効果があるといわれることをタダでできる。
そして、オレにはお金を払ってスポーツクラブに行く必要がない。
サウナやバーベル上げ、腹筋も必要ない、そうです、笑。
そう、農作業ってもともと身体を使うことが好きな人には特に向いているのかもー。
私はもともとハードな運動?意味わからない・・・という人なので、もっぱらお任せ、笑。
ハーブ、フラワーレメディ、ホメオパシーの研究家と化しています♪
そして2人してこんなことをしていると、自然はすでにすべてを与えてくれている。
自然こそがほんとうの師匠!という想いが日に日にどんどん強くなってくる。
教育というのも、ほんとうはもうそれだけでいいんじゃないだろうか?なんて。
テストで人の優劣を決めたり、教育費の心配をして子どもを産むのを控えたりとかって
ものすごい不自然なことだよねぇ、と。
(でも公正な第三者による資格制度にもまだ役割と効果があるので、その為にはお金が
かかるのはある程度、しかたがないのかな・・・)
話をもとに戻すと、こういう農作業をする人が一家にいることのメリットはまだまだあって
先にも書いた、いちいち食材を「ほんとうに大丈夫?」と心配する必要がないこともそう。
まわりにもそういう人が集まって来るので食材がいつも豊富&情報交換ができる。
スーパーやコンビニで怪しい食べ物を買う必要もない。
子どもに安心なものを与えられる。だから好き嫌いもなく野菜をいくらでも食べてくれる。
そして、自然に旬のものしか食べなくなる。
スーツや靴代、おつき合いのための居酒屋代、外食費などが不要。
(サラリーマン時代はこれらに毎月、相当額つぎ込んでいらっしゃったそうです
/ま、それも人生経験なので全否定することなく、それがあっての今ですけど)
そして家族と毎日、一緒に食事ができるというのもあたりまえなようですが、
子どもが小さいうちはなるべく守ろうとしています。
だって、食事が一緒にできる生活なんて、あと10年とかそんなもんでしょう、おそらく。
その間に人間関係つくらなかったら、なんかココロが離れていくのも簡単な気がするのです。
さらにオマケで、こういう生活は免疫力を自然に上げていることになるので、
家族の誰もが病院や薬や注射のお世話になることがない。
大人は成人病検診にも行かない。ほとんど無意味と思っているし、興味がない!
子ども2人はワクチンも飲み薬も今だ未経験。
歯医者さんには最低限かかるけど、そんな感じで内科その他にはお陰さまでまったく無縁。
インフルエンザでも2、3日で自然に治る。
さらにオマケ2として、こういう農法をする、ということはイコール生き方の価値観をつくる。
(農法と価値観はニワトリとタマゴだけど)
つまり人生の時間を切り売りする仕事でなく、ただの対処農法でもなく、もっと深いところに関わるものなのだ。
世の中の見方や、ものごとの判断を明確にするナニカがある。
そして、たぶん自分を被害者とか不幸とは思わなくなる。
先日、夫と友人が田んぼで休憩をしていた時に、どこからかおじさんが現れて
「こんなこと(手植えや草取り)をわざわざやるメリットって何かあるの?」と尋ねられたそうです。
率直なおじさん。まわりはみんな機械と除草剤を使ってサクサクやっているのに、
何の目的でこんな手間のかかることをするのか?と思ったようです。
とても一言で答えられない質問に2人は笑って「クスリ使わなくていいからね」とだけ
答えたそうですが、言葉が足りてなーい!全然、伝わってなーいっ!
ということでブログのネタにしてみました。おじさんは読んでいないだろうけど、笑。
あと、よく心配されるのは稼がなくて大丈夫なのか?ということ。
でもですね、じゃ、なんでお勤めしてお給料もらっているのですか?
たぶん、こういう生活(子どもにまともな食事を与える、家族と楽しく暮らす)
をするためというのが半分以上の理由じゃないのかな?
私たちはそれをお金を使わないで直接、手に入れているだけなので。
娘や息子が小さかった頃、お風呂の中で興味半分に
「どうしてパパとママのところに産まれてきたの?」と訊いてみたことがありました。
その時の答えは「だって、おいしいものを食べさせてくれそうだったから!」
空から見て、たくさんいるお父さんとお母さんの中から選んだんだよ、とも言っていました。
そんなこともあって、私たちの選択は子どもに導かれているのかなー、と思うこともしばしば。
導かれている生活のひとつひとつがほんとーに、プライスレスなんですよ、おじさん。