「体調が悪くて病院で検査したら○○と診断された。どうしたらいいか?」
「知り合いが癌になった。なにかアドヴァイスできることはないか?」
そういう質問や相談がよくあります。
これからの世の中、残念ながらそういう人はどんどん増えていくでしょう。
化学肥料、農薬、放射能汚染。
クスリ、ワクチン、トランス脂肪酸、添加物。
不自然に育てられた畜産肉、養殖魚。
過度のストレス、そして経皮毒。
こういう「自然の循環」から外れた毒を受け入れている限り身体は破壊されていくからです。
だからもし病気の症状が出たときはこれらのものを受け入れていなかったか、まず自問自答してください。
そして病気をとるか、今までの生活(習慣)をやめるか、その岐路に立っていることを自覚する。
問題は症状ではなく、もっと根本を治そう、正そうと考えることが肝心。
そして知識、情報を得る。
今はネットもあるし、本もいろいろ出版されているし、その気になればいくらでも手に入ります。
そうやって自分(または保護者)が判断力をつけなくてはまわりで何を言ってもムダです。
だって、まわりで違う意見を10こ言われたら、どれを選んで実行するか「決める」のは結局本人だから。
筑紫哲也さんというニュースキャスターがいましたね。
彼は初期の肺癌が発見され、すぐに抗がん治療を受け、相当苦しんで数年前に亡くなりました。
そして「僕は癌(の治療法)について、いかに無知であったか非常に深く深く反省しています」という
言葉を残しました。知的な人であったであろうに、その魂の乗り物である自らの身体については
真実を知った時には時すでに遅く、癌は全身に散っていたそうです。
間にあわなかった無念さはほんとうに気の毒。
もし彼がジャーナリストとして取り組んだ社会問題を取材するように、それらの治療法について
事前に自ら調べていたら結果は違っていたかもしれません。そしてそれを社会に発表してくれていたら。
それでも彼は最後に大きな学びを私たちに残してくれた!とも思えます。
もし私だったらの、の話。
まず検診には行きません。マンモグラフィーやCTがそもそも身体に悪いので。
今はそういう考え。
けれど10年以上前は検診でひっかかってしまい3ヶ月おきに通っていました。
経過観察、というやつです。子宮癌と卵巣嚢腫と。
「妊娠も無理!」と3人の医者から太鼓判(?)を押されていました。
そうしたら、ある日の検診でなんと妊娠が判明。
その一年前のほぼ同じ頃には子宮癌の摘出手術が予定されていました。
担当医はびっくり。カルテをめくりながら頭を抱えていました。
「ボクの手術、受けたっけ?」
「いいえ、お断りしました!」
「でも癌がなくなっている。受けたよね、手術?」
「いいえ〜」
「・・・・・・・?」
そのあたりから私の疑問は始まりました。
結果、娘はなんの問題もなく自然分娩で誕生。助産院を選んだことが私には良かったのです。
助産院の検診は病院の時とは違って、ゆったりしていて楽しかったのです。
すごくリラックスできて、そして自分の身体が次の命を乗せている感じもすごくおもしろかった
(願わくばもう一度くらい経験したい!笑)
自然てすごいなーーー!とその仕組みに心底、感動していました。
そして経験豊富でいきいきとシゴトをこなす助産師さん達を信頼することができました。
お産が終わったときは、なーんだ、私の身体って大丈夫なんじゃん!と思いましたね。
病院に通っていた時はいつもどこかでビクビクしていました。それはもうすべての症状に。
そして常に自分の健康に自信がなく、そもそもあんまり丈夫じゃないんだ、とか
なんとなくできそこないの身体なのかな、と感じていて、それは精神にも及んでいました。
それがお産が終わった途端、陣痛が引いたのと一緒にすべて一掃されてしまった。
もう病院に行くの、やーめた!と自然に思えたのです。
妊娠期間に出合ったホメオパシーの本も読みはじめていたし、昔から実家の本棚にあった
東條百合子さんの本もあらためて読み返してみると内容がすーっと入ってきました。
病気の原因は外側にあるのではなくて、すべて自分の生き方にあることも腑に落ちました。
食事法についてもあらゆることを試して、自分にはこの辺だろうというのも見えてきました。
さらに赤ちゃんが家にやってくると、母乳かミルクか、ワクチンをどうするかなど
新しく判断することが次々あって、それを勉強したことも今考えてみると良かった。
その助産院で産んだお母さん達が通っていた真弓定夫先生や毛利子来先生、
あとは山田真先生の本はほとんど読みました。
以来、何かあっても食事の内容や自然のものを使った手当て、ホメオパシーで十分、対応できる
ことを子どもに教えてもらっています。
今日も「予防接種が未摂取なので、すぐに受けましょう」という通知が届きましたが、
その脅しばっかりの文面にうんざり。ここでビクビクしたら負けなのです。
だって、このワクチンで乳幼児の突然死の起こる確率も、障害の出る可能性も、
精神に異常をきたす確率も、そういった副作用については触れられていません。
そして、その責任の所在も。
むかし、プラトンの著した「メノン」を教材に教育哲学を少し勉強していた時に岡村先生が
「教師と医者は同じシゴトだからねえ」と話してくれたことがありました。
この話は長く深くなるので省きますが、要するに人はもう知ってる存在である。
知らない人間に教えるのが教育なのではなく、魂レベルですでに学んでいることを「引き出される」ように
導くのがシゴトである、という哲学なのですが(こんなに簡単にまとめちゃほんとうはダメよね?)、
つまり医療に置き換えても、人は本来、健康である。その力を引き出せるように導くのがシゴトなはず。
それはどちらもお産婆さんのような役割だということ。
それなのに、です。
癌がきっかけで亡くなる人の80%は行き過ぎた投薬、手術、抗癌剤などの医療行為によって。
世界のどの国でも医者のストライキが起こると、その地域だけ死亡率が必ず激減する事実。
医者が増え、製薬会社は業績を上げ、国家の医療費も莫大に増えているのに病気もさらに増えているという現実。
(同じく教育現場ではどうでしょう?)
そんなわけで。
私だったら再び癌になっても西洋医学による治療はおそらく受けません。
実際、手術も受けずに10年超え。娘のあとに息子も自宅出産で産んでいます。
だから医療保険、ましてガン保険なんて、ほんとナンセンスと思ってます。
だって、まず西洋医学にしかおりないでしょう。その時点で終わってます。
それよりも今日の食事のための本物の食材、知識を得るための良書、考えるきっかけを
与えてくれる一冊にお金を使った方がずっと健康になると信じています。
よく癌になったから、と玄米菜食に切り替える人がいます。
それはいいと思うのです、無化学肥料、無農薬の玄米であれば。
ただ、同時に放射線治療を受けたらプラマイゼロかマイナスが大きい状態になります。
さらに、そこで減塩なんてやってしまったら、もータイヘン。
そこに気づかないと玄米菜食をしても、その一生懸命さが逆に悲劇です。
こういうことを忠告してくれるお医者さん、治療師がもっともっと増えてくれたらいいのですが、
たぶん自分で勉強した方が早い。
あと担当医が優しい、よく話を聞いてくれる、というのも治療法とは切り離して考えるべきです。
お医者さんの性格と、批判力、検証力を含めた知識の質とはたいがい無関係だからです。
「その類いの論文は全部、読んでいますから大丈夫」とか言われても、そんなことで信用しちゃいけません。
本当にすばらしい論文なんてものは、その世界の既得権に不利益なものだったり都合が悪かったら
潰されることが多いのです。でも「人のいい」「勉強熱心な」お医者さんは性格が素直なためか?
そういう構造的なことは頭になく、差し障りのない論文をマジメに読んでいることで安心してしまう。
たとえばお店で買ったものが不良品だったら、交換か返金をしてもらえることは当然ですよね。
でも、病院の場合、誤診や誤投薬はもちろん医療ミスがあっても罰せられることはまずありません。
そういうこと、つまり相手にはリスクがなく逆にこちらは心身または命がかかっているということも
考慮に入れておいた方がいいと思います。
西洋医学はもともと緊急医療として発達してきた医術です。
骨が折れた、外科的な大けがをした、戦場で負傷した兵士を治療する、そういう時のための医術でした。
だから、そういう時になったらお世話になればいいのです。
癌や糖尿病、高血圧やアレルギー、花粉症などはもともと専門ではありません。
例えれば、靴屋さんに行って「にんじんとかぼちゃ下さい」と言っているようなもので、
それが、症状を抑える合成薬が開発されたお陰で、治癒という認識に大きなズレが出てきているだけ。
症状を抑えることは本当の治癒ではないんですよ、決して。
アレルギーや糖尿、癌など慢性病的なものは西洋医学では治らない、という研究結果を
公表している良心的なお医者さんだっています。
慢性病的なものを治すにはある程度の時間がかかるのがふつうです。
原因が長い間かかってできたのに、クスリをつけて一晩で治るなんてどう?
水袋を想像してください。どこかを押すと他の場所がむにゅっと出ますよね。
症状や病気もあんな感じです。こっちを抑えたら、別の場所に移動するだけ。
しかも身体の場合、より深い、治すのが困難なところへ向かうという法則があります。
呼吸、飲む水、食べるもの、家族関係、仕事、そういうことのどれかを見直すともっといい人生が送れるよ!
というサインが症状だったり、病気だったりするので、死んだ人に症状は起きません。
生きているからこそのものです。それを抑えるということは自分の一部を少しずつ殺してしまうことです。
なにかしらの不調や症状は毎日、ほとんどの人が経験していると思います。
それは今日も私たちが生きているから!
いちいち病院に行く、その依存体質をまず初めに治すことが先決です。
昨日も今日も誰それが癌になったニュースが飛び込んできます。
どんなに何か秀でた能力を開花させた人でも、ひとたびその魂の乗り物である身体のことになると、
医者任せ、病院任せ。それでは逆に助からないことに、どんどん気づく人が増えている、そう信じたい。
健康は決して人生の目的ではないけれど、何かを成そうと思った時にはいちばん大切な手段なのですから。