ハチドリのひとしずく

明日は選挙です。


いろんな党に分かれているけど同じ劇団の中、役が違うだけで、

全体で同じ方向に向かって演じているようにしか思えない。

 

与党の暴走を止めるのなら野党はなんとか一致団結して議席をとるのが

まず最初にすることなんじゃないか?とこちらは思うけど、

あいかわらず立候補はしても当選するつもりはないような感じの当選挙区です!

票が分かれたら結局、集団自衛権や秘密保護法に賛成した議員を続行させてしまうではないか。

 

その人柄と政治的行動は別だ(同じく人柄と仕事ができるか否かも別)。

海外に居たときを除いて選挙には必ず行っていたけど、自分が入れた人が当選したのは

那須に居た時の町長選くらい。それでも今回もちゃんと行きますよ。

いつも思うのはこの世の中、まるで多数派が正しいかのようになってしまうことが納得いかない。

そして選挙権を使わない人に、あとでなんの権利が残るのかとも思うし。

 

2020年に予定されているオリンピックの競技場なんかをつくる建設要員も集まらない

くらいの日本で、そもそも戦争なんかできるのか?と思うけど、

誰にそそのかされているのか、今でも戦争のできる国をつくろうと政府はしている。

ぜひ、そんな時にはまず首相、そしてそれを支持した人から行ってもらいたいものです。

私はいやです、子どもにも行かせません。

 

「選挙に行きますか、戦争に行きますか」というコピーはすばらしかった。

戦争になるとなぜ嫌なのか、というと自由がなくなるから。

自由とは自分のしたことをちゃんと自分で尻拭いできる人になるということ。

その自由がないと人は自立できないし、自立できないと依存する。

依存するということは人のエネルギーを無断で奪うということ。

語弊があるけれどそういうことだと思う。

 

組織に所属したとたんに良心よりも任務を優先させるのは、見えない恐怖心のせいと思う。

生活ができなくなる恐れ。

立場を失う恐れ。

病気になった時のこと。

貧乏になること。

死ぬこと。

そして意外に強いのは「人並み」でなくなること。

優越感を失うこと。

 

目先の任務に夢中になっている間はそれにフタをすることができるけど、

潜在意識では良心の呵責を抱えているから、いつまでもすっきりしない人生。

 

もうね、今月の19年に一度の朔旦冬至がもうすぐ(12月22日)だから、

戦争どころじゃなくなると思うよー。もっとすごい裁きが待っているんだよー。

 

当選不可能だとしてもハチドリのひとしずくとして選挙には行きましょう。

私は「誰を当選させたいか」ではなく「誰を当選させたらヤバいか」の消去法で投票するつもりです。