地図

地図を眺めるのが好き。

どうして?と考えてみると、全体を俯瞰している感じがおもしろいんだと思う。

学生だった頃、一番後ろの席からクラス全体を眺めているのが好きだった感覚に似ている。

 

休み時間もよく一番うしろの棚に寄りかかって、クラス全体を眺めていて、

小さな箱の中にも「世界」があって、それを少し引きながら観察しているのが楽しかった。

 

 

ところでよく目にする世界地図は「メルカトル図法」という方法で描かれている。

それは元々、海図や航路用地図としてわかりやすくするために横に広がる経路を平行にして、

縦の緯線を直角にして、わかりやすくした図法。

 

他にはモルワイデ図法、

グード図法、

などもある。

けれど、航路を把握するには球体を平面に、しかも縦横直角になる「メルカトル」の地図が見やすかった。

ただ、この図法だとりんごの皮をタテに剥いて平らにしたのと同じで、

球体のものを平面に移すとどうしても隙間ができる。

 

そこを広げて面にしているため、北極や南極に近い場所ほど比率が大きくなって、

例えば北極に近いグリーンランドは実際よりも17倍も(!)拡大されてしまう。

そうなると日本は地球全体で見た場合、わりと真ん中(赤道)寄りなので、

拡大される端っこの国と比べ小さく描かれていることになる。

 

細かくいえば、日本の中でも北海道よりも九州の方が小さく描かれていることになる。

 

 

こういう地図をずーっと見せられていると、今まで信じていた世界の国のサイズが

実はとても不公平というか、とにかく印象がまるで変わる。

 

日本は小国で資源がない、とよく言われるけれど、

それもこのメルカトルの地図がイメージの源になっていなかっただろうか?

 

本当の国のサイズがわかるサイト、面白いです→ http://thetruesize.com/

 

 

これを見ると日本はそれほど小さくないし、むかしは貿易をしなくても

ゆたかな資源を生かして平和に暮らしていた縄文時代とかもあるのだから、

小国で云々なんて話には真実味がなくなってくる。

 

そこで、また思うのである。

与えられた知識や情報の不確かさを。

 

無意識のうちに私たちは「与えられている」。

それは、無条件の愛のように、その人を育み自由にしてくれるものもあれば、

ものの見方を限定してしまうものもある。

 

だからどんなことでも常識と言われるものでも少し俯瞰して見てみたい。

鵜呑みにせず、権威にすがらず、本当にそうなのかな?と考えてみることによって

思いつかなかった道が見つかることもある。

 

可能性は常に私たちの思考のサイズより、ずっと大きい。