夏休み② その1 流石の女

高校生のとき、授業もほとんど聞いてなくて、その代わり?毎日大量におしゃべりをしていた

友だちがパリの住人になって20年が経過した。外交官や商社マンの妻としてではなく、

シングルマザーとしてフランスに住みはじめ、その後再婚して合計4人の子どもを育てている。

 

彼女は大学に入ってからフランス語を始めたのに、ギリギリで単位を取った私と違い、

今ではどんな内容の会話でも日仏通訳してくれる頼もしい能力を身につけた。

その昔、パリで一緒にタクシーに乗ったとき、運転手が「ほんとうに日本人か?

フランス人よりも喋れる!」と驚いていたくらい。けれど私は内心、

「日本語だったら、もっとすごいんです!」と思ったものである。

 

①母国語が達者なこと

②伝えたい話題を持っていること

 

その2つの基本の上に、どれだけその言語が必要に迫っているかに

語学の上達はかかっている、というサンプルのような彼女。

 

常識とか、多数派の意見とか、そういう枠を軽く飛び越え、 

誰のせいにもせず、依存もせず、どんどん人生を開拓して、謳歌して、

ダウン症の子だって、彼女の元では皆に愛され、強く明るく自然体だ。

 

その様子を見ているだけで、ハンディキャップを持った人へ考え方、捉え方の常識が

ガラガラと気持ちよく壊れていく。家族のこと以外にも、異国、民族、宗教など

いろいろ大変なこともあるのだろうけど、そういうところはあまり見せない。

のか、本人があまりそこにフォーカスしていないのかも。

 

フランスの病院で障害の可能性を診断された時、偶然、私は彼女の家に滞在していた。

その時も迷いがなくすばらしい決断力だった。そして、そんな妊娠中にも関わらず、

私たちにはとびきり美味しい手料理を毎日、手品師のように振る舞ってくれた。

 

数年後、私がアメリカで妊娠した時、障害の可能性をあれこれ言われた時も

(日本でも、フランスでも、アメリカでも、高齢出産だと尋ねなくても言われますね、、、)

迷わなかったのは、その友だちの姿で慣性ができてたのもあると思う。

「どんなことがあっても、どうにかなるよ〜」根本に楽天的なものが横たわっている感じ。

 

 

で、この夏、久しぶりに家族で日本に帰ってくるという。

これは行くしかないと信州は蓼科まで会いに行きました。

どれだけのマシンガントークが繰り広げられるのか、戦々恐々の家族も一緒に。

 

そうしたら!

なんと、さらにスッキリきれいになってるし、4人の子どもたちは可愛く生き生き育っているし、

一回り年下のダンナさんもよく育てているし(笑)、あっぱれ!流石の女、健在。

生命力全開、ぜったい長生きしてくれそうである。

 

年内にはなんと孫も産まれるそうで、私までワクワクする。

高校時代のあのハチャメチャなエネルギーが、こんなふうに円熟して行くんだなぁ!

と、なんだか人間のすばらしい成長を目の当たりにした気分だった。

 

夫いわく「Hさんは積んでいるエンジンが違う・・・」。

さぞかし、自分の妻が弱々しく守ってあげなければならない存在か認識したことでしょう。

 

いろいろな意味で有意義な夏休みになりました。

 

 

(つづく)