発酵と利子

昨日のトナリの部屋(イベントルーム)。

午前はホメオパシー講座、午後はコーヒー教室 by 豆岳珈琲、という一日でした。

 

雪の日で大丈夫かなとも思いましたが、始まりと終わりは晴れて、みんなが中にいる間は

窓一面、雪景色という絶好の?タイミングで天気が変化。部屋の中では薪ストーブが

活躍して、こんな日に人が集うのもいいものだな〜と思いました。

 

ホメ講座Vol.5の内容は「根本体質/根本レメディ」。

人には持って生まれた特性があり、それにもっとも似ている物質から作られたレメディの話でした。

 

ホメオパシーというのは、他の療法と比べると、受身的でいるよりも自分から知ろうとすればするほど、

能動的になればなるほど可能性が広がる療法だな、という気がします。

 

「根本体質レメディ」はその特徴がもっとも現れる場面の一つ、と思っていて、

自分が学生だったときも実はここが一番、苦心したところでした。

 

というのは、当時、この概念を日本語で勉強できる環境があまりなく、

専門用語や古語をふくんだ外国語で知らない世界を学ぶことが大きな壁だったのと同時に、

ここが把握できると、ホメオパシーがかなり紐解けるようになる、そんなキーポイントでもあったから。

 

その頃は自分の根本体質もわからないでやってたくらいだから、まるで暗中模索で森の中を

歩いているような状態だったなぁ、と思います。担当教授に質問しても、とにかく

「(本やテキストや資料)を読み込んで」というアドバイスのみ。途方に暮れそうになりながら、

でもそこでホメオパシーのわかりにくさ、伝わりにくさの本質に触れた経験でもありました。

 

わからない、ということがわかる、というのは始まりですからね。

この峠を越えると風景が変わっていくんです!

 

この要でもある「根本レメディ」のところでめげて引き返すことがないように(笑)

受講者の一人一人をここまで連れてきた、そーんなイメージのVol.5でした。

 

 

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そして午後は豆岳珈琲夫婦によるコーヒー教室。

豆岳若奈先生においしいコーヒーを淹れる基本をレクチャーしてもらいました。

 

友だち関係が長くて、くぬぎ舎というユニットを組んでいても、やはり専門の世界になれば知らないことが

いっぱいで、どんな世界にもその世界なりに未知のことがいろいろあるもので、それを聞くのもおもしろかったし、

 

夫婦2人を基本にして、あの山のてっぺんで暮らすという生業(なりわい)のコツ、

言い換えると守備範囲の設定みたいな話も彼らの賢さというかセンスを感じる内容でした。

なんでも、自分にとって不要なものを追わない、というのは大切な判断かもしれません。

 

 

 

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で!

分析好きな私見たっぷりに言わせてもらうと、昨日の午前午後の参加してくれた方の顔ぶれと

そのハーモニーを見ただけで、これからの世の中の方向が想像できる!(かも知れない???)

 

今年の節分は天体の動きからしても、数百年に一度の特別なタイミングで世の中に大きな変化が

訪れることを示唆しているという説も多くて、それはあながち外れていないのではと思っていて、

 

そうしたら今朝のニュースではNYダウ終値が史上最大の下げ幅で日経平均も下がったことを報じていた。

 

もしお金の価値が変わったら、もしくは「終わったら」ー。

自分は今の生き方を続けるだろうか?ということを一度、考えてみるのもおもしろいと思います。

それは貨幣経済が続くか終わるかだけでなく、自分の価値観を確認する意味でも。

 

お金を稼げば幸せになれるような洗脳を今まで私たちは散々、受けてきたし、

実際、この物質社会ではある程度は必要不可欠なものです。

 

でも、お金とはなんぞや?と分解してみると、ひとつのエネルギーなのだけど、実は実態が見えにくい。

それはどこかでだれかが、どのくらい刷るか、どのくらいの利子をつけるかをコントロールしているからで、

それはお財布にお金がいくらあっても私たちには自分で決めることができなくて、

そこが得体の知れないエネルギーになっている大きな理由でもあるし、あとは利子という仕組みも独特。

 

野菜は保存しておけば腐る。

腐らないようにするのは塩とか砂糖とかアルコール漬けにするとか、発酵させるとかしなければならなくて、

自然界のものはだいたいそうだ。それとくらべてお金という人工物はとりあえず腐らない。

腐らないどころか利子がつく。

 

発酵と利子ー似て非なるもの。

 

そういう不自然さとどういう距離をもって、どういうふうに生きているかが、これから大変化する

(かもしれない)世の中を生き延びられるかにかかっているような気がするのです。

 

そんなことを想う時に、参加者の顔ぶれを見ていると密かに「ふむふむ」となるわけです。

こんな田舎の片隅で、こういう集まりがきっとあちこちであって、そのピンドットはもしかしたら

いつか、まだわからないようなあたらしいスタイルで繋がっていくのかも知れないな、と想像したり。

 

本音で、魂が喜ぶ生き方を選ぶ、ということは、

貯金や利子を増やすために、実は心身が日々消耗しているというイメージではなく、

 

その逆で自分を発酵させていく、物質的には今、見えにくくても、発酵菌で何かが膨らんでいく、

豊かになっていく、というイメージ。

 

これからも、そんなイベントを主催していきたいと思ったのでした。