いい本2+1冊

自分自身ではなんとか切り抜けている感があるけれど、ちょっとまわりを見渡すと

今の世の中、ほんとうに閉塞感がある時代だな、と感じます。

 

このモヤモヤをなんと表現してよいやら。

理不尽さや、ふつうに考えておかしいでしょ、歪んでるでしょ、と思っても、

そこは指摘されず、他人から嫌われないように弾かれないように自分を殺してひっそりと生きる。

失敗も避け、批判もされないように。そういう人が増えている気がします。

 

良い悪いはともかく、私は中学以来その辺りが完全崩壊しているので、学生時代は常に

そこが問題視されてきたけれど、今となってはそれがあったから救われているのだなぁ、

としみじみ思っています。

 

よって、受験勉強、就職試験、婚活、妊活(一緒にするかな)など、なにか幸せの条件みたいなものに

自分を適合させるような努力の経験がほぼなく、運と縁と流れで生きてきたけれど、

それでもなんとかなるんですよね。

 

だって、生きていれば自然と興味のわくことが出てくるし、克服しなきゃならない事柄に

取り組んでいるうちに自然に経験が増えてくる。そうすれば、いずれなにかに詳しくなったり、

得意なことが出てきたり、こっちは手に入らなかったけど、こっちは手に入った、

じゃあそれを生かそうとか、自分の思考の範囲を超えて、人生は展開していくのです。

(いや、もっと若いときから計画的にしっかり人生を歩むっていうのもありですけどね)

 

だから、今の若い人が苦しそうに生きている(のが中年になると見えるようになるのです)と

そんなに無理しなくたって、従順にならなくたって、成績とらなくなって、大丈夫だよ!と言いたくなる。

自分の感覚と運命をもっと信じていいんじゃないかな?

 

学生時代だって塾や習い事やテストの点数や部活や、それ全部ほんとうにしたいこと?

たのしいと思ってる?と聞きたくなる。

 

 

予定を隙間なく入れて頑張りすぎると、ヒマな時間や余裕がなくなって大事なことが見えなくなる、

その方がよほどこわい、っていうことを大人はもっと伝えた方がいいなじゃないか?

 

ある本の「優等生ほど、設問自体を疑わなくなる」という一文に膝を打ちました。

そりゃ、そうだよね、だってその問題にできるだけ早く正解を出せば成績が良く「優秀」とされる

システムの中にいるんだもの。いや、でもその質問てそんなに大切?本質的なこと?

そこを抜きにトレーニングされていたら、最後はAIがライバルになってしまうんじゃないかー。

頭が良すぎてバカにならないようにしなくちゃね。

 

そして、そんな年数を長く過ごすと社会に出る頃にはすっかりそのシステムの中で有能とされる人間ができあがる。

疑問をもったり、問題をみつけたり、それをどうやって解決しようか考えたりする能力よりも

与えられたことに求められた通りに応えることにほとんどのエネルギーを費やすような。

 

日本の幸福度の低さ、自殺率の高さって、その辺に原因があると思うんですが。

一握りの人の幸せのために、何倍もの人が犠牲になっている、搾取されている。

 

で!

解決策としてとにかく勇気をもっても持たなくてもいいので、自分を設定しなおす、ということが

もうすべて、といって良いんじゃないでしょうか。そうすると、まわりもどんどん変わっていくんです。

 

不要なものを手放す、と言い換えてもいいです。

そこには勇気やコツも要りましょう。

でも、行き詰まったら試してみてもいいんじゃないかな。

握りしめていたものを手放す!

 

自死を選ぶくらいなら、所属しているところから飛び出せばいいし、

誰かと縁を切る、または距離を置く、ってことをしたって宇宙はびくともしません。

世界は無数に開かれている、私たちの脳で考えるサイズを超えて。

 

なんてことをツラツラおもっていたときに、本屋さんで吉本ばななさんと

稲垣えみ子さんの本に出合いました。

 

 

現代のモヤモヤが的確にエッセイにされていて、

もうほとんどのページの内容がわかりすぎるよ・・・・。

 

吉本さん(友だち呼ばわり、同じ歳だから許して)は東京下町育ち。

私は東京でも武蔵野育ちですが、同じ時代の空気を吸って今に至り、

女らしさはないけど、縁あって高齢出産で子どもを産んでるところとか、

不器用ながら世渡りも覚え、それでも忘れちゃいけないものを落とさないように

生きているところとか、もう世の中なんでもありだよね、でもそれ私にはないな、

私には寒く感じる、みたいな寛容なんだけどみぞおちのところではしっかり自分の

感覚を確認しちゃうところとか、あと下津浦先生が好き、というところとか、笑

なんかシンパシー感じるところが多いんです。なぜー。

 

あと、パートナーの実家が那須にあって、那須の話が出てくるとだいたい場所がわかって

しまうのも。そうそうパートナーの方がむかし大事故にあった場所も知ってます(でも、それがなんだ?)

 

経験(というか好奇心)のケタと才能の大きさは違えど、ある種の人には

自分のサイズの中で感じることは共通なのかもしれないですね。

 

ひさしぶりにまとめてエッセイを読むと吉本さんも進化していて、

肉食のこととか、療法についても、行き着くところに共通点が多々あって

これは同世代×似た感覚で生まれるものなんでしょうか。ふしぎー。

 

しかし、若いときからエッセイがうまい作家さんだなぁ、と思っていたけど、

ほんとう文章うますぎ。もう徹夜で一気に読んでしまいました。

 

 

 

そして同時に購入した本のことが偶然、中で触れられていてシンクロニシティか?

「寂しい生活」稲垣えみ子さん。

読むとわかるけど、じつは寂しい生活は寂しいで終わらないんです。

すごーくいろいろ現代を考えられるし、明るく強い気持ちになります。

手放すこと(=アンプラグ)が、その人の可能性をぐーんと広げてくれる様子が手に取るようにわかります。

 

ただ、これは東京(街)のケースではあります。

半径1km以内に、気の利いたカフェや図書館的な場所や銭湯や買い物する場所がいっぱいあって

しかも選択肢が多い。田舎ではムリムリ!という話もいっぱいでている。

でもそれは置かれた状況の中でそれぞれができることを工夫すれば良いことで、

逆に街ではむずかしいことが田舎では可能というケースだっていっぱいあるに違いないのです。

 

例えば稲垣さんは電化製品を次々と手放し最後は冷蔵庫も手放す。

その生活は創意工夫に満ちていて、とても楽しそう!

それだけじゃなく悟りや気づきももれなくついてきて、

この矛盾だらけ閉塞感だらけの世の中にあって新しい境界で自由に生きている。

自分の暮らしを実験台にトライ&エラーを乗り越え、手放すことで手に入れる。

錬金術のよう!笑

 

でも、それを今のウチでマネできるかというとそうはできない(思い込んでるだけ?)

収穫したお米を保管しておく保冷庫は必要だし、まわりになにもない所に住んでいると

貯蔵スペースがないと、逆に時間とガソリンをたくさん消費しかねない。

 

でもそれはきっと表面的なことで、例えば稲垣さんがこういうど田舎に移住してきたら

もう次々となにかを試してみるだろう。洗練されていない分、可能性も広いかもしれない。

 

でも、電子レンジ、テレビ、IH調理器、こたつ、電気毛布もなく、この冬も店に暖房を置かず

トナリの部屋の薪ストーブを頼りに暖房のない平均10℃前後のところで働き、夜は湯たんぽ、

という生活をしているせいか、このまま、この延長線上で試せる気もしたり。

 

それはエコだから無理に実行しているわけでなく、自分のからだをできるだけ自然に

馴染ませておいた方がなにかと自由になれるような気がするからしているだけ。

で、それに慣れてくると、効き過ぎた暖房冷房が逆に不快になってくる。

もう芳香剤とか、柔軟剤に入っている過剰な香料とかなり近いレベルで

体が反応するんですね、不思議と!

 

それは自分の野生が蘇ってきた感覚でもあっておもしろいのです。

季節の変わり目もカレンダー見なくてもキャッチできるし。

風邪ひいても1〜2日で治るし、インフルエンザにも罹らないし、

罹ったって体がリセットできるチャンスだな、と思うくらいで。

 

 

と、冷暖房のことだけでも考えさせられることがいっぱいの本。

温暖化とか、この冬は寒い、今年は暑い、とかそうやって、どんどん室温を加工することが

ほんとうにいいのか。これからの季節ももスギ花粉が、とか私たちはつい原因を外側に求めがちだけど

それはただ単に現代人が弱体化しているだけなんでは?

今は生まれたときから冷暖房の効いた部屋で赤ちゃんも過ごすことが多いし・・・。

「寒いと風邪をひく」という常識ももっと深くなぜかを考えてみよう。

私たちにはまだ眠っている能力がいっぱい備わっている。

 

昔の日本は今みたいな冷暖房器具はなかったけど、今のようなアレルギーや病気もなかったのだ。

 

それに(これはこの本に書いてあるわけじゃありませんが)

クーラーがこの世に生まれたせいで仕事の休憩時間がなくなり人が疲れるようになったともいえる。

それまでは暑すぎる時間/時期は休むという知恵があった。

クーラーやヒーターがあるために室温はいつも中くらいの温度に設定され、

その代わりに休息する時間や、夏休みなどもどんどん減らされ労働時間が増え、

それで果たしてみんなが幸せで健康になったのでしょうか?

すり減らされていないですか。

 

ウチはこれからも週休3日を続けます、笑。

 

便利なものって、一回疑ってみた方がいいですね。

今の世の中「便利」なことを手に入れたように見えて、それがまわりまわって、ややこしくしているだけ、

なものが溢れているように思います。

 

そして、最近は311とか、311以来、というフレーズもあまり聞かなくなってきたけど

稲垣さんはどの著書でもそれがほんとうのことだから当然ふつうに書く。

それがあたりまえで気持ちいい。

 

「どうしてこんな場所でお店を?」と聞かれると私たちもそれがほんとうだからいつも応えます。

「311がきっかけで」そこにタブーなんてない。でも中にはそこで会話がストップすることも、笑。

本心をどこまで話すか、って意外にその人の何かを現しますね。

だから?妙に共感を覚えるのだ。

 

もう数年経ったできごとだけど、まだ終わっていないし!

いや、むしろそこが新しいスタートでした。

 

吉本さんも稲垣さんも50代。

同世代の人が似た危機感を感じつつ、そのすばらしい解決策にもなる話をこんなふうに書いてくれていることが

ほんとうに嬉しいし、私も自分の場所でがんばろー、発信していこー、と素直に思いました。

 

日本もまだまだ捨てたもんじゃ、ない。

自分次第です。