都市と地方

今、ネット上でちょっと話題になっている記事です。

 

知られざる「文化と教育の地域格差」

 

よく親の年収で子どもの学力に格差がでるとはいわれるけれど、

生まれ育つ場所のによる地域格差の方が深刻では?という話。

 

うーむ・・・。

この記事を読んでしばらく考えてしまいました。 

 

私自身は大学卒業までは東京で生まれ育ち、その後は海外と行ったり来たり。

そして結婚後は東京、アメリカ、栃木、そして現在地。

合わせて田舎暮らし9年目を迎えた、この記事を書いた方とは逆方向の移動をした身です。

 

ただ、那須(栃木)はSHOZOを始め、気の利いたお店や保育園もあり、移住者も多かった

エリアなので、この執筆者のカテゴライズしている地方ではないかもしれない。

そう考えると、本当の(?)田舎暮らしは今この場所が初めてと言えるかもしれません。

 

ちなみに海外に住んだ時も大きな都市から30〜1時間くらいのところの、日本で生まれ

育った環境と似た文化度と自然環境のエリア、要は慣れている感じの場所を選んでいたようで、

それ以上の地方・田舎には旅行などで短い滞在、つまりお客さんとしてしか過ごしたことが

ありませんでした。

 

夫と出会った頃の会話で

「人生で一番びっくりしたのは新宿の紀伊国屋書店に初めて行った時のその本の量=情報量だった」

という話も当時はまったくピンときていなくて(ごめんよ)、こっちは十代の頃から、行きたければ

行ける場所、待ち合わせに使う場所でそれがどんなに価値のある場所か、想像することもありませんでした。

記事で書かれている「地理的アドンバンテージを享受している自覚がない」典型?

 

でも、地方での生活が長くなるにつれて、その現実がだんだん理解できるようになりました。

今ではネットもAmazonもあるけれど、それでも生の(?)大型本屋さんには魅力があります。

当時だったら、なおさら街までの距離=文化・情報への距離に近かっただろうと。

 

最近、思い出すエピソードでは、そのむかし(1980年代)、今井美樹ちゃんが初めてパリに行った

感想をインタビュアーの質問されて「もちろんパリは素敵な街でしたけど、もう東京に住んでいるので、

そこからパリに行ったときよりも、故郷の宮崎から初めて東京に出たときのカルチャーショックの方が

はるかに大きかった」と答えていて、当時は「そうなの〜?」と思ったけれど、今ならわかる気がする。

そうでしょう、そうでしょう。

 

最近は、たまに東京や京都に行くと、ここが今自分が暮らしている場所と同じ国か?っていうくらいに

情報や選択肢の質も量も違いすぎて、東京出身者だって、めまいが起こりそうになります、笑。

まあ、慣れますけど。

でも、その違いを少し憂いてしまう気持ちもあり、その気持ちがこの記事に刺激されたわけです、たぶん。

 

食に関する情報だって、エネルギーの情報だって、店の内装、家の造作、エクステリアや庭づくり、

着る服だって、仕事の種類、カフェやレストラン、そして執筆者の阿部さんがもっとも問題視している

文化、教育だって、選択肢の多さ、情報の多さがあまりにも違いすぎる。

 

本が買えても、ネットが繋がっていても、you tubeを観ることができても、DVDが借りれても、

実際にその土地に暮らしてその空気を直に感じて過ごしているのと、

それを情報化して、伝わるものとはやはり違うのです。

 

北海道の田舎から東大に進んだという阿部さんは両方の差を、よく書き表していると思う。

田舎に生まれ育っても、こんなふうに人はなれる可能性があれば、それでいいじゃないか、

と突っ込みそうになるけれど、それはあくまで「運」がよかったと彼自身は後ろめたさ

「サバイバーズ・ギルトのような感覚」さえ持っているそうです。

 

「偶然性に翻弄される田舎育ちの子どもたちに彼らが潜在的に持っている選択肢と権利を想像させる

機会を与えること、そして都市に住む人たちに、もう少し田舎の実態を想像してもらうこと」を望んでいる。

 

でも、かつての自分がそうだったように、教育・文化・情報がたっぷりある場所にしか住んだことがないと、

田舎のほんとうの状況を理解するのって、結構むずかしいんですよね・・・。

 

 

  

(たぶん、つづく)