現実を超えてゆく年に

新年、イノシシ年が明けました!

 

北半球の季節の巡りは本来、旧暦に沿っているので今年は新暦の2月5日からが本当の春

(新年)ですが、世の中が新暦で動いている以上、人々の想念の束は集合意識となって

現実を作っているのでこれはこれで切り替わった感ありですね。おめでとうございます!

 

でも、例えば身体は何でも気づいていて、どこかでまだ春じゃないことがわかっているので

本能的にまだ身体を温める冬のものを欲していたりします。だから、そんな時期に無理矢理

春の七草粥は食べなくていいし、植物にとっても本当の旬じゃないから栄養が薄かったり。

旧暦の1月7日(新暦の2月11日)頃に食べるのがどっちかというと自然。

 

 

さて、先日は那須時代の友人家族が3組、4月に新しい場所でOPENする亜細亜食堂cago

改め サルディナスのリツコシェフによる美味しい料理を囲みながら7年ぶりに再会しました。

3家族の共通点は子どもたちが那須にあるすてきな保育園に通っていたこと。

これだけでも那須に住んでいてよかったと思えるけれど、ほかにもshozo cafeとも

繋がっていたり、「食」に関する仕事についていたりと話題に事欠かず・・・楽しい時間でした。

 

保育園児だった女の子たちは今やティーンエイジャーとなり、大人が寝た後もガールズ3人で

夜中まで映画を観ていたそうで、ずっと会っていなくもちゃんと友だちなのがすばらしい。

 

311を境に離れてしまったけれど、それでも人って物理的な距離を超えていける。

ワインが進むにつれて(飲んでいない人もいましたが)出てきた話題は

人生はもっと楽しまなきゃ!(先のことを心配しすぎると「今」を楽しめない)

超えられない、と思い混んでいるのは自分(可能性は本当はもっとあるし、自由!)

制限を解除する呪文の言葉。

 

それから、何か出来上がっているものはお金を払えば入手できるけど、それを考えて

生み出した人のいる場所と、ただ手に入れただけの人のいる場所はすごーく離れている

(次元が別?)

 

この意味は何かを生産している人だったらすぐにわかると思う。

例えば農作物でも料理でも本でも商品でも、家やお店、内装、外装、庭、なんでもいい。

 

何通りものアイデアからあれこれ試行錯誤を繰り返して、最後はリスクもちょっと背負って

判断を重ねてひとつの答えをひねり出す。そこの道筋には通らないとわからないたくさんの

トンネルがあって、そこを潜り抜けるとモノの見方、捉え方がまったく変わってくることが。

 

それは自分の直感や身体の声を聞く練習でもあるし、そのどこからか聞こえてくる声を

どんなふうに現実の世界に落としていくか工夫する作業でもあり。

 

無意味な忍耐と通るべき我慢のしどころの差も見極めてイメージを少しずつ形にするには

体力もいるし、センスもいるし、能力総動員。

もう出ない(>_<) と思ってもどこかに残っている能力を汲み出して続けていく。

 

そうするとどうなるか?

神様からのギフトと思えるような奇跡が起こるのです。

 

そういう経験を重ねている目には見えないけど宇宙の仕組みの何かを信じられるようになって

気がつけば将来の不安が消えてもっと「今」に生きられるようになる。

 

逆に、あんまり世間的な目線の中ばかりで生きていると、どんどん直感は鈍り

声は聞こえなくなり大事なこともどんどん形骸化されていく。

 

お金を稼ぐことが一番大事になってしまったり、そのお金でものを消費することが豊かなこと

だと信じている人がまだいるとはあまり思えないけど、でも油断するとそういう渦が

まだまだそこかしこに用意されていて、それは一瞬の安心安定を感じさせはするけど

でも罠なので気をつけなければならないのです。

 

なんでもいいので、自分で何かを生み出せるように、超えて行けるようになりたいものです。

今年はそんな生き方の違いでどんどん道が分かれていくことが顕著になる年の気がします。

 

それが「心踊ることなのか、心沈むことなのか」を大事なモノサシにして

思い込みを手放し失敗や批判を恐れず行動していけたらいいですね。

 

失敗 → 貴重な経験

嫉妬 → 賞賛

ピンチ→ チャンス

病気 → メッセージ

 

などと自分の中で言葉を変換してみるのも、新しい道につながるかもです。