ボヘミアン・ラプソティ

去年11月から上映しているので、観た方も多い映画と思います。

 

「ボヘミアン・ラプソティ」

 

1970〜80年代に一世を風靡したロックバンドQueenのボーカルだった

フレディ マーキュリーの半生を元にしたストーリー。

平日でもたくさんの人が観に来ていて映画が終わっても館内に感動の空気がかたまってた。

こんなのは久しぶり。

 

たぐい稀な才能と感受性を持つフレディが、人種差別、階級社会、同性愛といった

きっと当時は今より閉鎖的だった社会でマイノリティの一人として

宗教や恋愛や家族問題に傷つきながら

音楽をつくりステージ上でのパフォーマンスに昇華していたこと。

それを命が尽きるまで全うしたこと。

 

それが本物?とびっくりするくらいクイーンのメンバーそっくりの役者が演じていて

(役者の層の厚さが違うなー)なおさらリアルだった。

 

フレディが死んでも、その魂の入った音楽は残っていて

肉体がない分、よけいに残された音楽の中になにかを見つけに行ってしまうように

映画を観た後は脳内BGMがついついQueenになってしまう。

 

それにしても80年代って元気な時代だったなー。

バブルに向かう一歩手前の、エネルギーが吹き出している時代。

 

あれから30〜40年が経っていて、社会情勢もずいぶん変わって

いよいよマジョリティとマイノリティがひっくり返る世の中へ変わる前の

浄化作用をもった予兆的な映画でもあるのかも知れないと思ったりもしました。

 

深読みし過ぎかもしれないけど、こういう映画がこれだけロングランでヒットしているのは

やっぱり何か次の時代へ移行する前の清算である感じがするのは気のせいだけでもないような。

  

孤独と華やかさ。

才能とコンプレックス。

陰陽の差が大きいドラマティックな生涯を見ると、平凡で普通なことのありがたさも感じたりするけれど

その中にはマジョリティの上であぐらをかいている部分もあるのかも知れないし

これからはもう無自覚で人を差別したり偏見の目で見たり

もちろん搾取したり、そういうことが消える世の中に意識を向けたい。

 

でも穏やかで平和な世の中になると芸術表現ってどうなるんだろう?

 

 

いろいろ考えてしまった映画でした。