制限するより主体性を

ウチは仕事柄?オーガニックとか無添加とか食にコダワリを持っていると思われているので

よく子どもにもそういうふうに躾けているように思われることが多い。ファストフードやイ

ンスタント食品やジャンクフードはご法度な家庭なんだろうという前提で質問や相談を受け

たりする。

 

でも、実はどんなこともそうだけど親が子どもに「「〇〇は食べちゃいけません」とか、

「〇〇しなさい」と伝えたとして、それをそのまま聞く子が育つ方がコワいと思っている。

そんなふうに「飼育」された子どもが幸せになると思えない。

 

それよりも大事なのは自主性が育つ邪魔を親がしないことだと思っている。

もし、食べて欲しくないなぁ、と思うモノがあったとしたら、まず親自身が食べない生活を

することで、それはイコール買わない、手に入れない=家庭に持ち込まれないので、そこで

自然と子どもの口に入る可能性が低くなる。そのうち保育園や小学校に入ると家庭では避け

ていたモノ(農薬いっぱいの野菜や工業的に作られた肉や魚、遺伝子組換え食品、添加物や

砂糖いっぱいの食べ物など)に遭遇する。

 

それはもちろんできるだけ食べさせたくないが、そこでも子どもにあれこれいうのはおかしい。

その環境を作っているのは社会なので、子どもに制限を課すのはちょっと違っていると思う。

言うなら保育園や学校に言うべきで、そこで状況が変えられなかったら

お弁当にするか、出されたものを食べるか、子どもに聞いてウチは選んでいた。

 

でも、だいたい9歳くらいまで家の中で自然のものを食べさせていると

舌ができてくるのであとは自分で判断してくれるようになる。

 

子どものアレルギーや不登校の相談でも、たいがい変わらなくてはいけないのは親の方だ。

子どもに罪はない。大人が作ってきた環境に後から入ってきたのだから、そこに居づらさが

あるのはNOと言われているようなもので、それをなんでかな?と大人は反省するべきなのだ。

 

自分を振り返れば分かるように、そう常に正しいものばかり食べて育ってきたわけじゃない。

むしろその寄り道があったおかげで、どういうものを食べた方がいいのか会得したわけなので

それを思えば子どもには食べてみたいという好奇心もあってあたりまえだし、食べて失敗して

みる権利もある。

 

ギリギリ命に関わらないくらい、様々な経験をして最後に自分はどうするのかを決めたらいい

と思っているし、成人したらもうあとは本人の責任で自由。

 

制限は一種の抑圧で、それに従順していればいつか反動や歪みが現れるのは当然だ。

それよりは主体的に自分が選ぶ力をつけてもらえた方が親子の関係も楽しいに決まっている。

 

  

何を食べるか?というのは私自身は大切にしていることだ。それは命や健康や環境につながる

ことだし、人は食べるものですごく変わるということを経験しているから。

 

でも、それでさえも、こっちの意見は伝えるけど、最後に選ぶのは自分だよ、と思うし、実際

「これ、食べていい?」と聞かれても「自分ではどう思っているの?」と返す。人にいつも聞

いてばかりで自分の頭を使わない人になって欲しくないからね、というとめんどくさそうな顔

をされることもあるけれど、こっちは親の言うことを聞く子を育てているんじゃなくて、主体

的に考えて判断できる人になって!と思ってのことなので、意地悪じゃないんですよ。