ミート・フリー・デイズ

今年に入ってからたびたびブログでも書いているけれど

あらためて「肉食」について考えなおす機会があり

以来、その類の本や資料を読んでいるちに

自然と「肉食」から離れて3〜4ヶ月が経った。

 

人の細胞は約100日で全部が入れ替わる計算なので

今はたぶん全細胞ほぼ菜食人?

 

ベジタリアンやヴィーガンにはいろいろ定義があるけれど

私が食べないのは、まず哺乳類の肉。鳥肉、乳製品。

これはもうほぼ口にしない。

 

食卓にはときどき魚介類が並ぶけど、そんなときは食べて一口。

(もともとは大好物!)

ただ、お味噌汁の出汁にはいりこを使うし

出汁的に動物性のものを使った野菜料理もたまに食べる

(その辺は適当)。 

卵は欲しなくなった。

(でも、たらこはたまに食べたいかも?)

 

もともと動物性のものをそれほど食べていなかったので

(たぶん週に全部合わせて100gくらい)辛いとか

我慢している感じはなく、むしろ快適で、

もっと早くすればよかったと思うくらい!

 

という事実!!!

ヴィーガンやベジタリアンの人の気持ちがわかった気がする。

 

それでも菜食「主義者」ではないと思う。

 ポール・マッカートニーの「Meat Free Monday(肉を食べない月曜日)」

=月曜日くらい肉を食べるのをやめてみようという運動や

ベルギーのゲント市が行っている「Vegitarian Thursday (菜食の木曜日)」

=毎週木曜日はすべての公共機関、学校でベジタリアンメニューが出される。

そういうのが私の場合は毎日続いているような感覚。

 

主義者になってしまうとそこに「拘り」が生じて

それ自体(肉を食べないこと)が目的に変わってしまいそうなので。

私が食べないのはあくまで快適に、気持ちよく生きる手段なので

臨機応変にいきたい。

 

どっちでも同じようなものじゃん、と思われるかもしれませんが違うんです、

例えばシュタイナー教育とかマクロビオティックでも

大事なのは形ではなく本質を掴むことで

あとはその状況に合わせて判断するのが正しいと思うのと同じように。

 

そういう間違いはどんな世界でも起こりがちで

形骸化した途端に魂が抜けるということがよくある。

 

自由を求めているはずなのに、不自由になっていたり

マクロという視点を求めているのにミクロになっていたり。

 

それはたぶん、手法が目的化してしまい、そこから思考と探求が

停止して形式主義のようになってしまうためと思う。

 

動物の肉を食べないというのも健康や環境や生命倫理を考えて

今、自分ができて試せる「方法」であって

そのカタチがどんな時も絶対なわけではない。

 

大事なのは、自分が快適に生きたいと思うように

他の生物にも同じ権利があってもいいという考え。

 

私たちは飼っているペットが事故に遭ったり、病気になったり死んだりしたら悲しむ。

だったら多くの食肉になる動物たちの飼われ方や屠殺のされ方を実際に知った時に

それでも食べることができるのか?ということで

それが私にはできないなー、と思っただけ。

まして、環境や自分の健康を害してまで。

そして野性の動物をしとめて解体する度胸もない。

ならもう、いいや、卒業だ、と。

 

ということで快適、気持ちよく、というのは心身の感覚のほかに

知ってしまった悪事に加担していないというものも含まれている。

余計なカルマを重ねていない、という安堵感のような。 

 

 

国際連合食糧農業機関(FAO)によると

家畜を飼育・消費すること自体が地球温暖化緩和への

大きな脅威となっていることがわかっていて

温室効果ガス排出源のうち家畜の占める割合は約18%

(他の資料ではもっと)。

それは車や飛行機の与えている影響約13%をはるかに超えている。

 

だからポールは「環境破壊を防ぐために車に乗らないというより

肉を食べない日をつくるほうが楽じゃない?」という。

 

また、家畜生産のために膨大な量の良質の水が使用されることも問題。

これも環境破壊に大きく影響している。

一ヶ月のシャワーで使われる水はステーキ一切れ程に該当するとか、

確か、そんな数字。

 

食べられるために飼育される家畜の排泄物も海洋汚染の大きな原因だ。

(これも隠されている事実)

 

穀物飼料のために栽培される大豆やトウモロコシ(ほとんどが遺伝子組換え)

による土壌の疲弊も多くの問題をはらんでいる。

 

G20では海洋プラスティックゴミゼロを目標に掲げたらしいが、それが工業

的畜産業からの目逸らしになっているのでは?と思うほど工業化された畜産

が環境に与えている悪影響は桁違いなのである。

 

ほかのどんな環境破壊を止める行動(プラスティック製品を使わないetc.)を

したところで、先進国の人が食べている食肉の消費量が減らない限り

環境破壊は止められないーというのが現実。

 

もともと、食肉を積極的に食べるべし、とする栄養学は業界やそこから

利益を得ている政府とが御用学者に言わせていたということもわかっている。

日本ではまだあまり知られていないかもしれないけれど

今の栄養学の元になっている思想にはそういう事情も含まれている。

 

牛乳も同じだ。

権力のあるアメリカの乳業と政治家のつながりが牛乳神話を作りあげた。

 

その結果が今、アメリカをはじめ、あちこちの国で健康被害と

医療費の増大という問題で崩れてきたのだ。

 

現実的に、これ以上の環境汚染を広げないために人が食べても大丈夫な

動物性食品は一人当たり多く見積もって週に50gという試算があり、

 

一方、病気のリスクを減らすために自らできる最大の行動は動物性食品を食

べないことであるという有名なレポート「チャイナ・スタディー」もある。

 

もちろん病気の原因はたいがい複数あるものだし、一人一人体質も環境も違う

のでひとくくりに語るのはむずかしい。でも外(環境)から見ても内(身体)

から見ても同じ結論というのは、なんというか逃げられない真実な気がします。

 

 

という私も、むかしは何も考えずよく食べていました。

一時期、住んでいたLAにはマイベスト3の焼肉店があったし

ハーゲンダッツだって味で生産国がわかるほど好きでした 笑。

 

病気になってその辺は卒業したものの、それでも去年までは

グラスフェドなのをいいことにバターも好きなだけ食べていたし

一時期どっぷりハマったからこそ抜けることができたともいえるかも知れませんー。

 

だから今、家族や肉食する人にあれこれいう気はないのです。

あまり頭だけで考えない方がいいとも思うし

誰もが自分の道を自分のペースで歩いているのだから。

 

ただ、いつかタイミングがきた時には事実を知って向き合うのは大事かも。

致命的になって後悔するよりは、納得した選択ができるという意味で。

自分のカラダで感じてみると、ほんと覚醒にも似た新しい世界が広がると思います。