疑問溶解

前回のブログでいつも感じる謎が深まるばかり・・・とか書いていたら

たまたま次に読んだ対談本にあっさり、その解答があってびっくりした。

最近はそういうスピードがますます増している。

 

その本は初めて参加した医療関係の学会で登壇した中でも私が注目した

お2人がその翌日に収録したものだった、という一種のシンクロニシティ?

にも驚いた。当日のことについても話しているのでなおさらリアル。

その内容に目から鱗がボロボロ落ちて視界が一段明るくなりました!

 

今まで影で人類を支配&搾取して巨万の富を手中にした人たちが

じつは豪華絢爛&酒池肉林な生活でなく、オーガニック&ベジタリアン

(外出するときは水筒やレメディも持って行くそうですよ。変わらないじゃん

私たちと 笑)な闘争心や競争心と無縁そうな食生活を送りながら

それでもなお自分たち以外の人類をまるで家畜をじわじわ虐待するかの

ように搾取し続けようとする意志を保ち続けることが出来るのか?

 

こういう類の疑問は世の中にいっぱいある。

もう十分じゃん、それでもまだ欲しがる?的な。

 

それはすべて潜在意識の中に巣食う「恐怖心」が始まりという話。

 

例えば地球上の人口が増え過ぎて溢れてしまうなら優れた者が残るべきという

優生思想にしたってそう。(じつは優秀な)有色人種を恐れて先に抹殺して

しまおうとしたりするのは「自分にとって余計な者から消えてなくなればいい」

という考え方であり、そういう意味では

「農薬や添加物を製造する会社がなくなってしまばいいのに」とか

「戦争を仕掛けるヤツこそ死んでしまえばいいのに」とか

「安倍、やめろ」とか

「◯◯するようなヤツは消えろ」とか

一見、正義のような気持ちも深い所では一緒だと。

 

すべて、一人一人が抱える「恐れ」から発症している。

納品したものが腐って消費者からクレームが来たり、収入が減る恐怖。

侵略されたり、略奪されたり、命を奪われたりする恐怖。

消費税が上がって生活が苦しくなる恐怖。

自分の主義主張が崩される恐怖。

などなど。

 

それらをさらに深く見つめていくと人の心の中には平和で安心な世界で

トラブルなく生きたいという欲求があって、だけどそう思い通りには

いかなかった古い記憶が恐怖心を呼びパニックを起してしまい

行動がちょっと過剰になったり、誤作動が起きているのである。

 

そう考えると治癒が必要なのは、その悪役を担っている人や集団で

癒されるべきはその「恐怖」を手放せずにいる私たちの心なのだ。

 

たぶん恐怖心がゼロという人はなかなかいない。

そして恐怖の対象を意識するほど、それは増大していくから

ますますガードが固くなり、過剰な反応を引き起こすというループに陥っていく。

 

そして、まるで大きな水たまりの中に雨の雫が次々落ちてきて

水の輪がたくさん重なっているように心配や恐怖心の輪が広がっていく。

 

それを解決する方法はなんだろう?

一つは「死」の捉え方を見直すことかもしれない。

「死」は、悪いもの、忌み嫌うもの、不吉なもの、避けるべきものなのか?

「死」を考えることは生き方を問うことだから

どんなふうに死にたいか、死を迎えるまでには何をしておきたいか。

 

あと「死」というコトバを「還る」と言い直して

イメージを変えてみるのもいいと思う。

 

「病」に対しても同様。

「病」はほんとうにただ悪いものなのか。闘って撲滅させれば済むモノなのか。

その意味を考えること、対応の仕方にはその人の価値観が表れると思う。

 

そして、ここまで書いておいてナンだけど、ものごとをあまり深く深刻に

捉え過ぎないことも大事。マジメ過ぎない、さじ加減。

 

考えるときはぐーんと集中して考え、その後は一回解放するイメージ。

そうすると、ある時どこからかふわーっと解答が降りてくる。

だから自分の力だけでなんでも解決できるなどと考える他力もどうぞ〜

と心を広げて放置してみるくらいで、ふだんは楽しいこと好きなことに心を向ける。

 

「違うな」と感じたことをいつまでも気にしすぎると、結局そこにエネルギーを

注ぐことになってしまうので、そうではない「これだな」感じた所に

より気持ちをフォーカスする。

 

「アナスタシア 7」でも繰り返し「意識」の使い方がでてきましたね。

 

逃げるとか、避けるというのとは違う。

「嫌だな」と感じたことにはその根底にある「恐れ」を手放せますように!と

祈り、対立せずエネルギーはよりハッピーな出来事に注ぐようにする。

 

たとえば選挙のときなんかもそう。

対立候補の悪口とか聞いちゃうと、いくらその政党や候補者がすばらしい政策を

掲げていようとあまりいいエネルギーが出てなくて、いい気分がしない。

 

でも、それで人の振り見て我が振りを見直せるということは、

役立ってくれているわけなので、その役回りをご苦労さんありがとうと

念を送り、でも決してその悪口に同調したり反論したりせず

メインの心はもっと気分が上がることにフォーカスする。

 

だから、おくなが屋のブログなんかもさらっと読んで、そうか肉や化学肥料や農薬や

経皮毒、電磁波、添加物、現代医療には気をつけないといけないんだな、と思っても

別にそこをずっと意識していることもなく、ましてや対立したり闘う必要はなく

そういうものが気にならない違う次元に行ってしまえばいいのです(いいのです?)

  

寛容な愛で包んだら、自分の心は好きなこと楽しいこと心地いいことへ。

そういう、ワクワクする心の輪が重なった水たまりの住人になってしまうといい。

 

戒律を守るかのような拘りに縛られず、縁を深くしたくないことからは

ただ距離を置いて離れる。そうして楽しく過ごしていれば多少の毒はちゃんと

消してくれる。逆にいいものばかり揃えても、心が病んでいたら毒に変わる。

 

そうか「恐怖」か!と、とても腑に落ちた話でした。