名前に惑わされない

あちこちで新型ウィルスの話題が盛んです。

が、そもそも新型コロナウィルスって何なんでしょうか?

「新型コロナウィルス」と聞いて、ただ得体の知れない

ものを恐るというのは架空の、どこかから与えられた

恐怖な気がします。

 

あまり特有の病名を握りしめていいことはないー。

というのが今回の趣旨です(最初に言っておこう)。

 

ではなぜその病気の名称をつけるのか?というと

現代医学における標準治療を施すためという

理由が大きいと思います。

 

「標準治療」とは多くの臨床試験の結果をもとに

専門家が検討を行い、その専門家の間で最善であると

合意の得られた治療法のことです。通常の病院での

治療はその標準治療がガイドラインになっており

そのマニュアルに従っていれば、クスリの副作用に

苦しんでも麻酔が合わず死亡しても医師も病院も

罪に問われません。施す側は法的に守られている

からです。

 

ここでも標準治療という「名前」を聞いた時に浮かぶ

イメージはコロナという「名前」を聞いた時のように

詳しくはわからずとも何となく私たちには

そのイメージが与えられます。

 

標準というからには多くの人が納得している基準の治療、

だから保険もある程度きくだろうし、それなりに効果が

あるんだろう、などー。

 

でも、この時点で名称にカモフラージュされている問題を

遠くに置いてしまう。

 

◎遺伝、人種、体質、年齢、性別、性格、生活習慣など、

  様々なタイプの人たちをすべて一緒に一般化されて

 しまうこと

 

◎専門家はどうやって選ばれているか?

 臨床試験のスポンサーは?

 それらの要素によって臨床試験の結果の違いを

 査定する機関があるのか?

 

◎「標準治療」を行なったグループと行わなかったグループ

  の、その後の健康度の調査は行われているのか?

 

など、より本質に関わる部分が抜け落ちてしまう。

 つまり個別化の必要性、臨床試験の公平さ、実際の効果に

ついては問われません。だから高血圧の値を10変える

だけで製薬会社の利益の試算ができてしまう(!)

 

話をもとに戻すと、だから「名前」に惑わされないよう

「?」と思ったら、その内容をもっと解して捉える

というのが大切とおもいます。

 

「新型コロナウィルス肺炎」といっても、つまりは新しい

タイプの風邪ですよね。今まで風邪くらい医者に行かないで

寝て治すよ、という人にはそれと変わらないわけです。

インフルのワクチンやタミフルを使わない人にとっては

コロナのワクチンや抗ウィルス薬が開発されたところで

同じこと。

 

風邪やインフルで毎年、何人かが亡くなります。

(クスリやワクチンの副作用でなくなる人数とどちらが

多いか、という統計も公表されたことがないままですが)。

 

それと何が違うんですか?

すでにワクチンやクスリが開発されているインフルエンザで

亡くなっている人数の方が桁違いに多いという事実だって

忘れちゃいけません。

 

というわけで、ワクチンやクスリの役割についても再考する

時期だと思います。報道でも出ていましたが、すでに

「薬剤耐性菌に感染・国内で8千人以上死亡」しています。

現時点ではコロナよりはるかに多い。

 

菌類は私たちが使用しているワクチン・クスリに対して

どんどん耐性をつけてワクチン・クスリ自体を無効に

する力を得てしまっているのです。

 

人類は長い間、ウィルスに対して闘ってきました。

ガン細胞に対しても同様です。巨費を投じて分析、研究を

繰り返し法外な価格の抗がん剤を使用して闘い続けています。

にもかかわらずガンに罹患する人の数は以前よりも

増え続けています。

そして今回のように新型のウィルスが出現しますし

無名のウィルスだってこの世にはたくさんある。

 

そろそろボタンの掛け違いに気づく時が来ているのでは?

と思います。 今まで人類が自然を支配コントロールしよう

としたことへの因果応報がソフトな方法で返って来ることを

望んでも、そこへ追い討ちをかけるような「闘う」姿勢での

解決方法はさらなる全体の悪化を招くと思います。

 

一番、癒すべきところは自らの内側(裡)。

そこが完全に癒されたなら(まだ科学的に証明されてない

ことであっても)その在り方や流れが少しずつ周囲に

そして飛び越えた世界に影響していく。

 

敵は「闘う心」から生み出されます。

「闘う心」が癒され消え去った場所には敵は存在しません。

 

イメージに振り回されないよう、名前、名称、病名を

取り払って本質をみようとするところから恐怖心を

手放していきませんか?

 

命名された対象は一般化されたイメージ。

そこに飛びつくと自分もコントロールされやすくなる。

その名前でなく個別に特徴を捉える。

そうすると対応も自然に変わってきます。

 

命あるものはその循環の過程で必ず死ぬのです。

であれば、その命のある期間はその循環の中で生かされている

という生き方をした方がずっと平和

バタバタしなくてすみます。

 

それは別に今のテクノロジーを否定して原始的な生き方を

することではありません。循環する命に矛盾がないような

テクノロジーや治療法はたくさんあります。

それを使って快適な暮らしすればいいだけです。

闘い続けた内側の歪みは世代を超えて受け継がれます。

 

自然への畏怖の念を思い出すこと。

大いなるものへ委ねること。

 

そのレッスンをしていると思えばコロナウィルスも

ありがたい存在かも知れません。