老いのシュミレーション

今年の夏は恒例だった友だち家族との小値賀島滞在がコロナ

の影響でなくなり、それと入れ替わるように親の介護問題を

考えることになった。まるで一つのプロジェクトのように。

 

人は誰しも親から生まれてくるので、その縁をどうやって

まっとうするのか?考える時がやってきた感じ。

 

私は両親との関係があまりうまくいっているとは言えない。

長年、そう思っていたけれど歳を重ねて様々な経験が増えて

自分も子どもを産んで育てられ(親は子どもに育てられる)

今に至ると不思議なことにその捉え方も変わってくる。

 

どんな物事にも良いこと悪いこと、どちらが一方だけという

ことはなく、もしそう見えるとしたら、自分の見方が偏って

いるということ(これは陰陽の世界観とも通じる)。

 

そういうことに近いのかも知れないし、あとは親が歳をとり

弱ってきて、もうケンカしている場合ではない、というのも

あるかも知れない(笑)

 

とにかく誰が見ても自立が困難になった(のにしたがる!)

両親をどうするか?ということで、ケアマネさんやヘルパー

さんに助けてもらいながら取り組んでいる。

 

怪我や事故も自分だけでなく人様を巻き込まないかヒヤヒヤ

するが私一人では遠過ぎて具体的に何もできない。

また父親は買い物依存症で、しかも家にモノをため込むタイプ。

 

だから会った時には「とにかく気をつけて」「無駄遣いしない

ように」とか注意する。すると「その言葉をあなたに返したい」

と返ってくる(笑)

昔だったらここでケンカになるところだが、お互い残り時間を

想像するのか?今はそこで終わる。歳とるってある意味、平和。

 

お陰で初めて聞く高齢化社会的な専門用語とともに

今まで知らなかった世界を見せてもらっている。

 

人柄や性格って歳とるとより鮮明になるな、とか

自分の晩年をイメージしておくって大事だな、とか。

 

自分だっていつかは迎える老後。

いろんなものが削ぎ取られた後に残るものはなんだろう?

 

今までしてきたこと。

人の記憶の中に残るもの。

 

経済の本に「人は資産を増やして生きるもの」という一節が

あったけれど、それは死が近づくにつれて有形なものだけで

はなく無形のもの、見えないものへの価値が膨らんでいく

ようにも思う。肉体から精神へ、精神から魂へ。

 

雨が降り、川の水になり、海に流れ、蒸気となって雲になる。

そんな循環にも似て。

 

その中でも、やっぱり健康って大きな無形資産だ。

見える身体も、見えない心の健康も。

 

あとは自分が夢中になれる好きなこと。

経験から得た知識や技術。

家族や友人関係、自分を成長させる人との出会い。

それに適量の有形資産があれば人生はしあわせそうだ。

 

子どもが育つのに寄り添うことで、自分ももう一度、

その年代をなぞるように生きてみることができるように

親が老いていく過程に寄り添うことで、自分も予め

その年代をシュミレーションしておくのも悪くないと思う。