所有物の質と量

前のブログで父親のことを買い物依存症だと書いた。

正確に言うと「現在は」だ。

 

元々は単なる好奇心の暴走というか(笑)

使ってみたい、試してみたい、というところから始まり

気がつくと、他人には理解できないタイミングで理解できない

ようなモノを突然、買う。欲しいと思えば、許す限り買う。

 

その昔、もう40年以上も前のこと。

当時は家族5人で分譲団地から戸建てに引越したばかり。

ローンもあっただろうし、しかも共働きから父のみが働くという

状態に変わったばかり。子どもは中学1年生の私を筆頭に

下に弟が2人。これから教育費もかかることが予想される時期。

 

そんな時に家に大きな段ボールが突然届いた。

当時は宅配なんて感じではなく、もっと業者向けっぽい感じで。

大きさはみかん箱3〜4倍あったと思う。

 

家族、誰もが「?!」になった。

帰宅した父に母が伝えると、「パソコン」と言う。

初めて聞く単語。

なにそれ?

 

「まあ、開けてみろ」

開けると薄いグレーの味気ない大きな物体が出てきた。

大きなキーボードがついている。

 

機械好きの父が初期のパソコンを買ったのだ。

もちろん今のようなスマートなデザインと価格ではない。

頭の大きい計算機機風情のシロモノ。

値段を聞いて母は「めまいがする...」と言っていた(笑)

 

居間にでん!と居座った謎の機械を前に父の説明が始まる。

子どもたちは学校から帰ってきたらこれを毎日いじるように。

将来は、どんな仕事にもこれを使うことになるー。

気の長い投資の意味もあったのかも知れないが

一番、いじって楽しんでいたのは本人だった。

 

日曜日にふらっと出かけて突然、クルマを買ってきたこともある。

すでに一台、持っているのに。

 

古いワーゲン。

このタイプのブルーだった(今見ても確かに可愛いけど)。

当時は私が免許を取ったばかり。

お陰でずっと乗らせてもらったから、それはそれで良かったけど。

 

ギア付きでアクセルの伸びが良くて天井も高くて

今、考えてもいいクルマだったから、まあこれは許容範囲。

 

本もドサドサ買っていた。

外食や、見栄のための投資は一切ない代わりに

好きなものには惜しまない性格。

それはそれでいい。自分が稼いでいるんだし。

 

それが今では歳をとって選別機能が衰えたのか「買う」のクセだけが

残って、その横で片付け&処分役の母親も歳をとり追いつけない状態。

なんでも買いまくり、大きな買い物をしたことも忘れている。

 

図書館やコンビニにあるようなサイズのコピー機が家の中に3台

あったり(意味がわからない)、使った形跡のないスマホやiPad、

それにも毎月支払っているんだろうなと無駄ったりゃありゃしない。

こう書き出してみると、父はやっぱり機械ものが好きなのだ。

 

エコ、断捨離、ミニマムなどと真逆の方向性は

世代的なものもあるのかも知れない。

 

好奇心が向いたものは誰に何を言われようと買う。

そんなところは子どもたちにしっかり遺伝している。

  

私も雑貨やアンティーク、本、布、器、服、靴、バッグ。

かつてはお店ができるくらい所有していた。

(実際お店もしていたけど)

でも、その習性が高じてモノを選ぶ仕事につながっている。

 

 

お金、時間、エネルギー。

何かを費やさないと本当に得られるものなんてない。

 

そう正当化もできるのだけど、

高齢になった時にその習性がどう変容していくか?

そこも大事、というのがここ数年の親を見て学んだことである。

 

今まで2回、所有物を一気に半分以下にしたことがあって、

その後の人生のダイナミックな展開も経験しているので

空間を作っておく大切さもすごくわかっている(つもり)。

 

というわけで、所有物の量のピークは50代だろうと

夫と話している。そう、今なのだ。

これからは、より厳選したものでスッキリ暮らす方向にしたい。

(といいつつ好きなものはキープすると思いますが)。

 

今は子どもも両方の親もいて家族も拡張している時期。

だけどいずれはみんなそれぞれに旅立つ。

 

その時にどれだけ自由で身軽で健康でいられるか?

それが所有物の質と量に関わっている気がする。

 

うまく歳を重ねるということは所有欲も

美しく閉じていかないと、です。