父の死

移動好きの自分でも、こんな短期間にこんな精神状態で

移動しまくったことはないなと思うような2週間だった。

 

飛行機で地球半周とかいう動き方ならしたことはあるけど

国内を行き来するだけで1万キロ近く移動したのは初めて。

地球一周の4分の1に近い。

 

死ぬー!と思ったけど、死んだのは父親だった。

心の準備を少しずつしていたつもりだったけど

まだ実感がわかない。

 

幼い頃はすごくかわいがられたと思うのだけど、

気がついた時には、だんだん喧嘩する間柄になり

それが終わりの方まで続いたけど最後は握手して別れた。

弱い力で3回、握り返してくれた。

 

今頃、向こうでどんなことを想っているのだろう?

とにかく身長も声も(態度も笑)大きくて

私はこの人を怖がって生きていたら、そういう人をずっと

怖がって生きることになってしまう、それは嫌だ!と

幼心に思ったことを今でもありありと覚えている。

そのくらいパワーのある父親だった。

 

私の、男の人に対する可愛げの無さは明らかに

親子関係の影響です、笑。

 

それでも、かなり自由に育ててくれたことには感謝している。

大きな怪我を負いそうなこと以外は大抵ほっといてくれた。

そもそも、その辺が世の中の女の子への接し方とだいぶ違う

と思う。おかげで世間の物差しに苦しむこともなく

女性らしさは身につかなかったけど(笑)

自由にものを考え、行動できる基礎を養ってくれた。

 

授業には出ていないのに、ある程度の成績を残せたのも

間違いなく父親のおかげ。試験前1日でポイントを

教えてくれるのが非常に上手な人だった。

 

 

最後の方に、主治医から「今のうちに会っておいた方がいい」

という連絡をもらったので、病院に向かっている道中に

父自ら病床から電話してきて「自分のするべきことに戻れ!」

と肺炎で酸素が足りていないのに、大声でいうもんだから

後で看護師さんから、あの後、死にそうになるくらい

酸素量が減って大変だったんです、と驚かれた。

 

あの状態で生きているのも不思議なのに、娘さんに

大声で喋ってましたよね??と。どこまで強気なんだ?

 

そんなふうに、父は最後まで強くその我流のまま逝った。

そして、私も父に言われても行動を変えることなく

「私のすることは自分で決めるから!」と

最後までお見舞いに通えたので悔いはない。

 

そんなぶつかり合いも今に始まったことではなく

10代の頃は徹夜で話し合い(という名の言い合い?)

をしたことも1度や2度でない。

めんどくさい親だ!と思っていたけれど

その話を私の先生から「すごい愛情だね」とさりげなく

返され、そんな見方をしたことなかったので意外だった。

 

でも確かに、愛情がなければあんな眠気の中で長時間も

真剣な話し合いなんてしないのかも知れない。

なんだか親子の相性自体が濃すぎたのか?

エピソードがありすぎて不謹慎ながら笑ってしまう。

 

そして、そんな親子関係を全うした今は寂しさの中にも

清々しさも感じている。まるで重症の風邪をクスリなしで

克服したような。おかしな喩えですが。