分断を乗り越えて

ワクチンを打つ人と打たない人の分裂が始まっている

ような気がする今日この頃。

 

打つ人にとっては

・感染することが心配

・仲間外れにされることが心配

・仕事を休んだり人にうつしたりしたら迷惑がかかる

・ワクチンパスポートが発行されたら行きたいところ

 にもいけなくなってしまう

・ワクチンを打てばマスクしなくても行動できる

⇒ ワクチンで集団免疫をつけてコロナに勝つんだ!

などの理由があるだろうし

 

打たない人にとっては

・まだ治験中なワクチンを打ちたくない

・副作用のリスクが高すぎる

・政府やマスコミのいうことが信じられない

・コロナはそんなにに怖い感染症でない

・かかってもそれで免疫をつけれるから

⇒ 元気な人から感染して集団免疫をつければいい!

などの思いがあるだろう。

 

でも、そこで敵と味方みたいな分裂をしていたら

それこそウィルスvsワクチンの構図と同じこと。

私たちが本当に打ち克たなくてはならない相手は

家族や友だちや仕事仲間ではない。

 

罪を憎んで人を憎まず、というか、表面的な判断で

お互いすべてを否定することはないと思う。

 

コロナというウィルスがもし人為的なものだったとしても

それをここまで大きく扱われてしまった原因を考えたとき

国やマスコミがいくら騒ぎてても、もし誰も怖がらず

誰もテレビを観なかったら?新聞も読まなかったら?

または、それぞれが自分で調べてウィルスについて、

この世界の仕組みについて把握していたら?

誰もマスクを強要しない社会だったら?

営業するorしないも自由で誰も咎めなかったら?

死生観をしっかり持っていたなら?

きっとこんな大騒ぎににはなっていないだろう。

 

だから国やマスコミの情報がチャッカマンだとしたら

私たちの無知や恐怖心や怯えが燃料なのだ。

 

 

ワクチンを打つ人はその「経験」を選んだ人だ。

 

私たちの中からその経験を代表して請け負ってくれた人。

逆に打たない人もその決断を試みている人。

どっちも「一つの経験を選んだ人」には変わりがない。

 

いろいろな経験を通してでしか

どうも私たちは賢くなれないものらしい。

 

だから手分けして「経験」して共有の潜在意識に

フィードバックしてより良い判断を学んでいく。

今はその過程にある。

だからあまり感情を持っていかれないようにしっかり

それぞれの経験を味わって自分が倒れない程度に

まわりの人と助け合って生きていくしかない。

 

自分と違う選択をした人に対して批判的になり過ぎたり

説得しようとしたり感情的になっていいことは何もない。

その態度が次の敵を生んでしまうことになりかねない。

その分断の罠にだけははまらないように注意しながら

日々を過ごしたいものです。

 

コロナやオリンピックなど与えられた恐怖や楽しみ、

興奮からいつでも卒業できるように、自分たちで

あたらしい生活、世界を少しずつ作っていきましょう。