家の改修

そもそも人が生まれた以上、安心して健康に

暮らせる住処は権利として保障されてもいい。

 

そのために数十年にわたって負担の大きい

ローンを背負い、そうやって一生懸命に

手に入れた家が30年程で産業廃棄物化して

命を終えるのは悲しい。

 

私たちが必要なのは家族にちょうどいい広さが

あり、暑さ寒さ雨雪を防ぎ、風や日光を和らげて

料理がしやすく安心してぐっすり眠れる家。

それはすべて心と体の健康につながっている。

 

そのために妥当なお金は遣ってもいい。

だけど納得できないところにお金を使うことは

しない。改装の志はそんな感じ。

 

古くに建てられた夫の実家はわかる範囲で

私たちが4代目。今までも改修、増築、

改装を繰り返してきた家。

 

壊してみて初めて前の家がどう使われていたか、

見えないところにどんな素材が使われていたか、

わかる場面も多かった。

 

改装するときに残した部分は主に基礎と躯体。

竹や土でできている壁の中身。表面がクロスや

砂壁のところはすべて産廃に。自然の素材では

ない素材の天井や化学繊維の断熱材など新建材

も産廃。本物の木が古くなったからと貼られた

化粧板も剥がした。

 

夫の両親の世代はいわゆるベビーブーマー。

高度経済期を支え必死に働いて増築した部分は

新建材といわれる石油由来のものが多かった。

それらをすべて取り払ってみて現われるのは

全部、自然素材。耐久性があり経年変化にも

味がある。

 

改装は分解作業でもあるので、本物の建材と

石油由来の新建材の末路の歴然とした違いが

わかる。新建材はハウスシックの原因になる

ボンドなどとセットで使われることが多いの

で壊すときにそんなことも心配した。

 

ちゃんと考えたら建材は当然、空気を汚さず

しかも経年変化も楽しみな家の方がいい。

 なので、私たちの家は意匠的なことも大事に

したけど一番、譲れないのはそこだった。

 

ハウスシックの原因をつくらないこと。

30年後も産廃化しない家。

経年変化が楽しみな家。

 

家の骨格も決まっていて変更不可能な場所も

あちこちにあり当然、すべて思った通りになんか

できないことも多かったが、それでも使う建材が

オセロのように自然素材に変更していけたことは

とても良かった。

 

やってみてわかったことがたくさんある。

ああすれば良かった、こうすれば良かったと思う

点ももちろんあるけれど、それが今後に生かさ

れた時、そんな経験も意味が出てくるだろう。

 

良かったのはその変化を

子どもたちと一緒に経験できたこと。

 

衣食住の「住」が消費者として注文するだけ、

お金を払うだけで手に入るわけでなく

古い家の再生について大なり小なり感じた

ことがあったに違いないから。

 

振り返ってみると、311以来、自分たちの生活の

再生と古家の再生は同時進行のように重なっていた。

 

一方で、そうやって一生懸命関わった家では

あっても固執はしたくないとも思っている。

やはり心は自由でありたい。

つくっている時も、どこか頭の隅では

次の持ち主に渡った時のことも想像した。

 

家は本来、私たちより長生きだ。

「今」だけではなく、その先にどんな姿になるか?

を考えても昔から日本で使われてきた土、石、木材、

漆喰などを使ってもらったので経年変化しても

うつくしい上に不要になった時には自然に還る。

 

デザインはそんな自然素材とそれを扱う職人さん

の仕事を自分たちの生活に生かすための設計図だ。

だから限られた条件のなかで、できる限り

アイデアを出して考えてきた。

 

結果、夏や冬でも快適に過ごせるようになり

眠りの深さまで変化した。

 

それでも家も店もきっと永遠に未完成。

これから人生の変化に伴って住処づくりは

続いていくと思っている。