自分を守るもの

最近はお店やホテル、どこかへ入ろうとすると

まず検温されることがあたりまえになっている。

でも、これ本気でしているのかな。

これだけやっていましたって言えるように

アリバイづくり?と感じることもしばしば。

 

この前など34°台なのに「はい、大丈夫です」って

笑顔で言われたけど、いや危ないでしょ!笑

 

子どもの学校でも検温をいわれているけど

あれ正直に毎日、測っている人どのくらいいるんだろ?

 

もし、していたらその素直さも微妙だし

(もっと自分の感覚を信じた方がいい)

していると信じている学校の先生も呑気だと思う。

(こんな退屈なことを子どもが毎日するか?

子どもはコロナで死んでいない)

 

世界中が責任感の形骸化している感じがしてならない。

責任感の形骸化は無責任につながるよ。

 

本当は営業したいし普通に登校させたいし運動会や

修学旅行もさせたい。そのためには一応、上から

いわれることをしていないとあとで問題になるから

そうせざろうえない。そういうことなのだろうか?

 

日本人は本音と建前を使い分けるのが日常だし

お盆もクリスマスもありだし

ワクチン打ちながらヨガもするし

マスクしながらナチュラルを謳うし

矛盾を受け入れつつ世間を泳ぐのが得意。

 

マスクして誰もいないところをマラソンしたり

マスクしながらジャンクフード食べて人工香料の

洗剤使って電磁波浴びまくる生活していたり

同じ家で暮らす家族、同じ車できたグループで入った

レストランのテーブルに透明の板がつけられていたり

という光景に至ってはもう悲劇か喜劇なのかわからない。

 

外からの指示に素直に従っていれば大丈夫という態度も

ここまでくると究極的。でもそこで同時に大事なモノが

抜け落ちると思わないのかなぁ。

 

ー素朴な疑問を感じ取ること。

ー自分や家族の微妙な体調の変化を感じ取る習慣。

ーまわりを見渡して危険の兆候を察する能力。

ー報道と事実のズレを見分ける感覚。

ー感染症の知識やウィルスについて自分で調べてみること。

ーそれに対して、

ー本当に有効な対策や弊害もある無駄な対策を判断する力。

 

などなど。

本当に自分の身を守ってくれるのはそっちでしょ。

とりあえず「今」世間を泳ぐことに一生懸命になって

本来、人間に備わっている能力を蔑ろにしすぎ...。

私たち大丈夫?!と思ってしまう。

 

コロナもこれだけ感染者が増えたっていうけれど

その中で重症化している人の数は公表されないし

死亡しているのは陽性者のうち0.004%だとか。

(しかもそもそもがPCR検査...)

 

つまりウィルスが広がっているということはふつう

弱毒化していると考えられる。つまり克服間近ってこと

なのにワクチンを打ちまくるから、もっと強いウィルスが

出現してしまう。それが自然の理なのだ。

 

そうしたらまた新しいワクチンが売り出されるのかな。

(しかしそもそもワクチンは効果がないばかりか

副作用のリスクが大きすぎる.....)

ウィルスとワクチンは戦争と武器の関係にそっくり。

恐怖心を煽られ、武器を手にする。

それによってさらに恐怖心は増大する。

 

ワクチンの話題を出すタレントはyahoo!ニュースでも

露出が増えるが、疑問を呈する医者は無視されるか

ブロックされるか叩かれる。

 

敵を想定し恐怖心を煽るのはとっても経済効果がある。

その経済効果は全部上の方で吸い取られて毎日マジメに

働く人にとっての経済は悪化する仕組みなのだけど

気がついた時には手遅れなのだ。

 

そして不安にさせた集団は強く見えるものに

心を吸い取られる。

 

こんな構図の世界はどう考えてもおかしい。

だから自分のまわり、家族やお店にきてくれるお客さん

友だちくらいはそうでない繋がりを持っていたい。

 

近い将来、きっとこういう世界は破綻する。

その時のために心の準備だけはしておいた方がいい。

そんな時、自分の心を支えてくれるものを

今から大事にしていよう。