内側の声を無視しない

ワクチンの話題がにぎやかです。

打つか、打たないか。

冷静になって自分のアタマと直感で判断することが

大事と思うけれど、その時に生まれてから今まで自分が

受けてきた(受け入れてきた)教育も振り返ってみる。

 

親や親戚や先生にどんな言葉をかけられて

どんな人になることを望まれてきたのか。

そこに縛られていないかを。

 

みんなと同じでいれば無難。

多数決で決められたことには従う。

もっといって、指示されたことには率先して従うとか。

 

それって、戦争をいつでも始められるマインドと一緒。

欲しがりません、勝つまでは!

従います、(ウィルスに)勝つまでは!

 

自分の意思や考えよりも波風立てず周囲に合わせていく

生き方を無意識に選んできていると思ったら

ぜひこの機会に考えてみて欲しい。

 

親や先生の責任でなく、それを受け入れたのは自分。

だからハンドルは自分の手が握っている。

どちらにハンドルを切れるのも自分の自由な意思一つ。

 

今までの日本は長いものに巻かれていた方が

ラクに生きられたかも知れないけど

本音と建前のダブルスタンダードをあたりまえにしている

うちに自分自身を見失ってしまっている気がする。

 

自分が誰なのか?わからないというマインドは

それ自体、免疫力を落としている状態(だそうですよ!)

 

自己と非自己を体が察知して分けることで成り立っている

免疫力だから、そこで自分が何者か?というアイデンティ

ティーがないと非自己も受け入れてしまうことになる。

それが自分にとって不要な菌やウィルスも排除できない

身体を育てていることにつながる。

  

よく睡眠も不規則で食事も好きなものばっかり食べて

という人でも健康な人がいるのは、自分が何者か

わかっているからなんではないか。

好きなもの、夢中になれること、がわかっている人も強い。

そこで必要なものと不必要なものとが明確になるから

自分のモノサシで分別をつけられる。

 

だからもし、自分にはワクチンを打つ必要があると

判断すれば打ってみたらいいと思う。決して勧めるつもり

はないが、その人にとっては、たとえコロナ死よりも

ワクチン死の可能性が高くても、人生上そっちをとること

が必要なのかも知れない。

 

無意味さが露呈している上に綿棒の先に発がん性物質が

つけられた検査だって、それを自分が本気で受けたいと

思えば、そう思っていない人よりはきっと親和性がある。

  

しかし、もしも私にはどうしてもわからない。

またはどうしても嫌だ。

上からも横からも「打て」という圧を感じるし

(感じているのは自分/もしくは感じやすい場所を

選んで生きているのも自分)、打たないとこの先、

仕事を失う?人と付き合いづらくなる?

コンサートや海外に行けない?(そう思うのも自分)

と思って不本意な方向に進もうとしているなら

一度、立ち止まって考えるべきと思います。

そう感じる自分(=自己)を無視しちゃ絶対ダメ。

 

無視するのは自分のアイデンティティーを育み、

本当の免疫力を獲得するチャンスを捨てていること。

 

ぜひ、この機会にその葛藤のルーツを探ってみるべきだ。

過去に受け入れてきた教育の方向。

教育って何?

自分は何者?

どういうルーツを持ち、どんなことを感じ考えて

どこへ向かっているのか?向かいたいと思っているのか?

 

外からの情報を一回止めて、内側の声と対峙する

いいチャンスだ。

 

一人一人、体質も考えも違って当然なのに、それを

みんな同じようにしようとする圧力は別の病気を生む。

それが慢性化して次世代に負の宿題を残す。

 

時代がものすごく変化している時には過去からの

無意識の習慣を変えないと生き残っていけないのです。

もう、そろそろ自分を生きないと間にあいません。