祖父の話

最近、「本庄季郎」というワードでおくなが屋のHPに

来られる方がグンと増えたと思ったら、先日、ジブリ

の「風立ちぬ」のテレビ放送があったらしい。

 

もう30年前に亡くなった祖父なのに宮崎駿監督に

よって永遠に?生きることになった本庄季郎。

とても美しすぎる描き方で。

 

以前のブログは消してしまったので

HPを見た方はこの店のどこに季郎がいるのか?と

思っていることでしょう。

 

この夏、両親の家の掃除に行ったときに

シンクロニシティじゃないと思うけど

偶然、堀越二郎さんとのツーショットの写真が

出てきたりして、最近また魂がこっちに

遊びにきているのかしらと思うことしばしば。

 

映画公開以来、堀越二郎さんとのことで必ず出る

のが「じつは2人は仲が良くなかった」という

話題があるけれど私はいつもそこが違和感。

母(季郎の二女)たちに聞いていた話の中には

一つもそんな話はなかったから。

 

お互い、若い頃は三菱の社宅に住んでいて

家族同士の行き来が頻繁にあって

子ども同士もよく一緒に遊んでいた話や

 

その後、堀越さんは広くて華やかな家も建て、

一方、季郎の方はシンプルで機能的、合理的な考えの

(子どもから見たらちょっとつまらない)家だったとか、

 

堀越さんが病気で入院した時に祖父はアイデアを閃き

敵だったアメリカ軍の基地へ出向き、仲良くなって

療養のための募金集めをしたり、ついでに自分の

自宅がピンポイントで爆撃されたのは計画書があった

ことまで突き止め、大事なバイクを別の場所に保管して

いたのは正解だったとか、むかしはどこかのどかな

ところがあったんだな〜と思う話が多かった。

 

仲悪説は「半藤一利と宮崎駿の 腰ぬけ愛国談義」という

文庫本に収められた対談の中で宮崎駿さんが想像で?

「二人はじつは仲良くなかった」と話したことが

ソースになっているようだけど、物語を作る人の想像力

そのままが事実のように広がっていることに

二人はどう思っているんだろう?

宮崎駿さんが偉大な方だけにね。

 

戦争という時代の中で才能をぶつけ合い切磋琢磨している

時間は当然、厳しいこともたくさんあったと思うけど

だからこそタイプの違う二人は補完し合う関係で

まさに戦友みたいなだったのではないか、というのが

私の「想像」だ。

 

本当に仲が悪かったら母たちの思い出話も

もっと色合いが違っていたと思うんだけど

本当のところは本人たちにしかわからない。

 

そういうわけで戦闘機などという物騒なものを設計して

しまった祖父ではあるけど、初めて世界一周した日本製の

飛行機の設計をしたり、鳥人間コンテストで優勝したり、

才能を生かした仕事に邁進していたのは確か。

 

本田技研の創立者である本田宗一郎さんとは技術者同士、

親しくて一緒に鈴鹿サーキットに裸足で運転しに行ったり、

メロディ付きの誕生日カードを送りあったり

いつまでも男の子のロマンを共有していたような間柄で

「そーちゃん」といつも話をしていた。

こっちは終戦後の話だからもっと平和。

 

その後、季郎が体調を崩した時。

その知らせを受けたに宗一郎さんが「もし、季郎さんが

あの世に行くようなことになったら自分もすぐ追いかける」

なんて言ってるのよ、と祖母が笑っていたことがあった。

そして実際にその数年後に祖父が亡くな李、その翌年、

今度は本当に「そーちゃん」に亡くなった。言霊?

 

あと、Wikiでは季郎は「前立腺癌のため死去」になって

いるけれど、高齢のため積極的な癌治療はせず(という

一族、当時からそういう考えだった)死因は老衰でした。

当時の新聞にもそう出たし、身内の認識もそう。

 

どうでもいいですけど、

公に出てくる情報っていつの時代も不確かですね。

・・・と今回は前置きだけで終わります。