911

もう、あれから20年も経っているんですね。

今、生きている世界はあの場所からずーっと離れた

ような場所だけど、あの、世界に激震が走ったとき、

私は慌ててテレビを買いに行ったほど、でした。

 

当時はスマホもなく、まだネットでニュースを観る時代

でもなかったような。テレビを観てCGの映画のような

ことが現実に起こっていることにびっくりしました。

 

その頃は自分の人生も変わり目を迎えていて、今でいう

断捨離ほやほやの頃。大きなモノを手放すと新しい事や

出会いが自然にやってくるという法則をそのまま経験して

いたような頃でした。

 

内側も外側もガラガラと変わっていっていった頃。

しかも翌年、ニューヨークの友だちの家に行った時に

どうせなら、と現地も見に行きました。

大きな瓦礫だらけの場所はたくさんの落書きがあって

亡くなった人へのメッセージの中に「アメリカは絶対、

負けない!」「正義は勝つ」などの愛国心丸出しの文字が

溢れていてこれでは終わりがないな、と失望にも似た

モヤモヤを抱えて帰って来たことを覚えています。

 

もっと時間を遡ると私は1992年に起こったロサンジェルス

の暴動の時も翌々日に現場のコリアンタウンに行きました。

普段は例えば火事の現場にすら行ったりしないのに、当時、

ロスに住んでいて現場近い場所に住んでいた友人家族が避難

して来たり、わりと近くで起きた出来事だったのもあって。

 

それで、その時の光景の方がへんな言い方ですけど健全さが

あった。黒人差別に我慢できなくなった人の怒りがそのまま

出ていて、街中めちゃくちゃに破壊されていたけど、自然の

病気の症状のように噴出しきった後で静か、というか。

まるで急性病のよう。 

 

だけど、911の現場はなんていうかそういう空気ではなく

映画の撮影で使ったようなもっと人工的な空気を感じました。

医原病や慢性病のようにスッキリ出し切れていない感じ、

終わっていない感。根深くて複雑な感じ。

それは理屈じゃない違和感として残りました。

 

 

そして、数年後。

海外にいる友人数人から日本には入ってこなかった情報を

聞いたり、その後、家族でアメリカに住んだ時に聞いた情報

を集めて、なんとなくその理由がわかった気がしたものです。

 

結局その後、ネット社会が発達したことで仕掛けられた事件

はすぐに裏が取られ、(真偽はともかく)報道以外の情報も

すぐに探せる世界に変わって、それはあの頃が堺だった

ような気がします。 

 

 

そして現代。

2020年から始まったコロナ&ワクチン騒動は将来、どんな

ふうに受け取られるようになっているのでしょうか?

今は当時と比べて変化や情報拡散のスピードが格段上がって

いるのでそれが5年後、10年後かもしれません。

その頃の風景は今と比べて間違いなく様変わりしているし

人や社会の意識もあたらしいものに変容しているでしょう。

 

今はもう情報を求めてテレビを買いに走ったりしないし

大きな出来事にはシナリオがあることも多くの人の知る

ところとなっています。 でもその分、迷ったり葛藤も

増えているのかも?

 

戦争やテロ、暴動の元になる理不尽な分断を乗り越える

にはどうしたらいいんだろう?心の奥底の恐怖心や差別心、

支配欲。その発生場所ってどこなんだろう?

今週はそういうことを少し考えてみようと思います。