フィルター

3日間つづけての講座が終わりました。

終わった後にいつも思うのは、この時間が参加された方

の内面で発酵してふくらむ内容であって欲しいなぁと

いうこと。

 

ちゃんとそういう時間と内容を共有できたのか?

といつも自問しています。

 

情報や知識というのは、どうしても提供する側の

フィルターがかけられることが多いと思うし

それがおもしろさでもあるのですが

 

学校教育を長く受けていると、聞いたこと、

言われたことを「自分のフィルター」にかけずに

鵜呑みにする習慣が染み込んでいると思うから

私は逆に「自分のフィルター」が育つような

内容にしたいのです、むずかしいけど。

 

そのモデルは自分が19歳から21歳まで三年間出席

し続けた教育哲学の先生の講義。30年以上、経った

今でもどこかでずっと発酵し続けていて、それは単に

知識を与えられたのではなく、時間を超えた智慧に

結びつくような土壌を育ててくれたと思うのです。

 

今の自分は当時の先生の年齢をはるかに(!)超えて

しまったけど、遅咲きの弟子としては今世のうちに

追いつきたい。できれば追い越したい(むり!笑)

 

「自分のフィルター」の育て方は自分の頭とハートで

考え尽くして、最後は直感で判断する。そこを信じる

ことができる状態だと思いますが、流されていると

それができない。五感を働かせて、小さな疑問を

見逃さず問い続けること。おかしいな?本当かな?と

いう気持ちを捨てないこと。

それはアイデンティティにもつながっていく気がします。

 

先日、企画した上映会の映画だっていい話もあれば

眉唾な話も混ざっている。もし、それをもし全部、

鵜呑みにしたら良心が持っていかれる(利用される)。

 

自分の時間とお金も吸収される仕組みに巻き込まれる。

まだ、そういう世の中(と思います)。

 

講座の内容は、その時は間違ったことは伝えていない

つもりでも、知識としたら社会状況や時代によって、

または新しい事実がわかってきたら、少し変化する

かもしれない。それでも、その奥にある真実に向かう

姿勢や、自分の感受性を捨てない練習になっていれば

いいなぁ、と思っています