移住という言葉、今ではよく聞くけれどたぶん私たちが
子どもの頃は「ひっこし」という方がずっと多かった。
永住を視野に入れて、暮らし方をそれまでと大きく変え
ることが「移住」の意味だとすると、生き方を変える人
が増えているってことなのか。
・・・
私たちは12年前に強制リセットされて夫の実家のある
福岡の田舎に住むことになった。暮らし方も変えるしか
なく、ないものを嘆くより、あるものを活かすという考
えで自給農を始めた。田んぼに苗を植え、畑の土づくり
をし、種を撒き、作物を育てている。農薬や化学肥料を
使ったものを食べるとすぐにアトピーが出るので、そう
いったものを使わなくてもいい循環農法を学んだ。
野菜の美味しさもその理論も本を読んで信頼していた大
分の赤峰さんの話を夫婦で8年くらい毎月、聞きにいっ
た。話はいつも、私が病気を治してきた感覚と一致して
いた。夫もしつこいくらい農業について繰り返し質問し
ては実際に試して納得するーを繰り返していた。ほんと
うにその年月は今思うとゆっくりだったけど何かが蓄積
し、発酵していった時間だった。
・・・
この前、福岡の西区にある「のの艸」で菜園塾をさせて
もらった時に
・堆肥
・腐葉土
・コンポスト
の違いの話になった。それで思ったのは私たちも「移住
前」には、それらの違いについて曖昧だったということ。
でも今では結構、大切なポイントだ。
塾や講座をよくさせてもらうけれど、自分たちが学んで
実践してきて、これは絶対、知っていた方がいいよという
ことを伝えたり共有したりすると、そんなふうに、よく逆
の発見がある。あとは
・有機農産物
・オーガニック
・契約栽培
・無農薬栽培
なんかも違いを説明するとちょっとややこしい曖昧な表
記だ。自然菜園塾ではそういうことも説明しながら、育
てる前にどういう野菜をどういう経路で手に入れるのか
なんて話にもなる。
街にいるとよく「農家さんを応援する」というフレーズ
を聞くけれど、田舎に「移住」してからはその言い回し
に正直、違和感を抱くようになった。菜園講座に参加し
てくれた方はまず自然の力だけで育った野菜を買う時に
「応援するために」買うという意識はないと思うし、む
しろ、こんな値段でいいの?と思うようになる。私たち
もそうだった。支えられているのは、野菜を売ってもら
っている消費者側なのでは?という意識になる。
有機認定についても深く知れば問題点もわかってくる。
まず小規模の農家にはそのコストを支払う余裕はない。
そして移住先の田舎では、とくに認定がなくても個人同
士で繋がっていれば有機認定のコストが上乗せされてい
ない、それでも正真正銘の安全な野菜が手に入る。家族
でやっているくらいの小規模な農家さんを本当に支える
のは、ちゃんとした知識と、慣行農法の10倍も手間を
かけても栄養も10倍あっても、値段は10倍にしない
ことに対してありがたいと思えることだろうな、と思え
てくる。
といって移住すればすべてバラ色なわけではない(笑)
デメリットだってたくさんあるが、それでもあえて移住
してよかったと思うのは、消費者100%の生き方を変
えられたことだ。生産者、ものを生み出す人としての割
合が増えたことが一番よかったことだと思う。これは街
にも海外にも住んでみてわかったことだ。お金がすべて
に解決方法でないことが身体で分かる。不安を解消する
のは貯金額ではなく、自分で生み出せる、工夫して暮ら
していけるという実感と経験だ。
街から帰ってくると、空気の中に土や植物に匂いが混ざ
っているのがわかる。夜空には星がたくさん見えて、野
生の勘がむくむくする感覚が戻ってくる。きっと身体に
は田舎の方がいい。これで街の機能ももう少し近くにあ
れば.....と思うのはまだ残っている消費者マインドのせい
なのか?
でも、街と田舎がもう少し統合してくれたら、人の生き
方も偏りが減ってあえて「移住」などと大袈裟なことを
言わなくてもよくなる気もする。永住するかどうかなど
誰も今、決めることはできない。その時その時、あるも
のを活かして生きているだけなのだ。
菜園塾のテーマは、自給菜園が実現できることで、なん
となーく、どこにいても生きていける感覚を共有できる
ことなのかも。そんな人が増えたらお互い楽しいし、と
っても生きやすくなると思う。消費者はちやほや(?)
されて強く見えても、じつは供給が止まったら一番の弱
者に転落するのだ。転ばぬ先の杖(技術)に触れておく
菜園塾、どうぞ今のうちに!