父の死

移動好きの自分でも、こんな短期間にこんな精神状態で

移動しまくったことはないなと思うような2週間だった。

 

飛行機で地球半周とかいう動き方ならしたことはあるけど

国内を行き来するだけで1万キロ近く移動したのは初めて。

地球一周の4分の1に近い。

 

死ぬー!と思ったけど、死んだのは父親だった。

心の準備を少しずつしていたつもりだったけど

まだ実感がわかない。

 

幼い頃はすごくかわいがられたと思うのだけど、

気がついた時には、だんだん喧嘩する間柄になり

それが終わりの方まで続いたけど最後は握手して別れた。

弱い力で3回、握り返してくれた。

 

今頃、向こうでどんなことを想っているのだろう?

とにかく身長も声も(態度も笑)大きくて

私はこの人を怖がって生きていたら、そういう人をずっと

怖がって生きることになってしまう、それは嫌だ!と

幼心に思ったことを今でもありありと覚えている。

そのくらいパワーのある父親だった。

 

私の、男の人に対する可愛げの無さは明らかに

親子関係の影響です、笑。

 

それでも、かなり自由に育ててくれたことには感謝している。

大きな怪我を負いそうなこと以外は大抵ほっといてくれた。

そもそも、その辺が世の中の女の子への接し方とだいぶ違う

と思う。おかげで世間の物差しに苦しむこともなく

女性らしさは身につかなかったけど(笑)

自由にものを考え、行動できる基礎を養ってくれた。

 

授業には出ていないのに、ある程度の成績を残せたのも

間違いなく父親のおかげ。試験前1日でポイントを

教えてくれるのが非常に上手な人だった。

 

 

最後の方に、主治医から「今のうちに会っておいた方がいい」

という連絡をもらったので、病院に向かっている道中に

父自ら病床から電話してきて「自分のするべきことに戻れ!」

と肺炎で酸素が足りていないのに、大声でいうもんだから

後で看護師さんから、あの後、死にそうになるくらい

酸素量が減って大変だったんです、と驚かれた。

 

あの状態で生きているのも不思議なのに、娘さんに

大声で喋ってましたよね??と。どこまで強気なんだ?

 

そんなふうに、父は最後まで強くその我流のまま逝った。

そして、私も父に言われても行動を変えることなく

「私のすることは自分で決めるから!」と

最後までお見舞いに通えたので悔いはない。

 

そんなぶつかり合いも今に始まったことではなく

10代の頃は徹夜で話し合い(という名の言い合い?)

をしたことも1度や2度でない。

めんどくさい親だ!と思っていたけれど

その話を私の先生から「すごい愛情だね」とさりげなく

返され、そんな見方をしたことなかったので意外だった。

 

でも確かに、愛情がなければあんな眠気の中で長時間も

真剣な話し合いなんてしないのかも知れない。

なんだか親子の相性自体が濃すぎたのか?

エピソードがありすぎて不謹慎ながら笑ってしまう。

 

そして、そんな親子関係を全うした今は寂しさの中にも

清々しさも感じている。まるで重症の風邪をクスリなしで

克服したような。おかしな喩えですが。

 

 

 

 

 

 

あれから9年

311のことは度々ブログで触れてきたけれど、最近

やっとあの日とその後の日々のことをもう少し細かく

書いておこうかなと思えるようになりました。

 

不思議なのは、9年後の同じ時期に、見えないけど

健康を脅かすものに再び私たちが晒されているということ。

農薬とか添加物、電磁波、PM2.5など浴びて生活して

いるので今さらなんですが。

 

例えると終戦を迎えた時のような世の中の価値観の大転換

を味わったような9年前。消費者として資本主義を浴びて

育ってきた者にとって根底を揺さぶられたというか、

果てを見てしまった気がしました。

 

パン屋を一緒に手伝ってくれていて「姉妹?」お客さんにも

もよく訊かれた仲間を助けてもあげられず、それは今でも

染みのように残る残念な思い出。今でも人を雇うことを

しないのはその時のことがまだ自分の中で解消できて

いないというのもあると思う。もう、あんな不本意な

突然の別れ方をしたくない。

 

娘だって、すごく楽しみにしていた保育園の卒園式に

出させてあげれなくて、それも苦渋の決断でした。

 

それでも自分たちを被害者ではなく、無自覚の加担者だった

と思えたから復活できたのだと思う。加害者であれば他人に

期待するのではなく、自分たちが変わればいいんだから。

 

その辺はあまり単純な話ではないけれど、なんというか

加担している部分を見直す、というともっと近いかも?

そしてその捉え方はすべてに渡って正しかったと今は思って

います。そこを自覚してからはデモや裁判にかける時間が

あったら、その分、自分たちの生き方で表そうと思いました。

だからといってデモや裁判をダメと思っているわけではなく

役割分担として、私たちはこっちの表現方法をとっただけ。

 

ただ、当時の私たちはまだ若く、命は無事で実家の田畑も

残っていたという避難者です。

 

もっと大変な状況で被災した方たちはその後の9年をどんな

ふうに過ごしてきただろうと思うとなんともいえない気持ち

になります。

 

災害のショックはそれが過ぎてもボディブローのように心身に

響いてきます。その後にどんなに楽しい出来事が上塗りされて

も消しきれないものが奥の方に残ることも体験して初めて

知りました。

 

あとはそれをただのネガティブな記憶として放置するのでなく

その体験をいろんなカタチで生かすということでしか意味が

生まれない気がして、体験者としてはそこに勝たねばと日々

生きているのです。

 

311の起こる7ヶ月前の写真。

当日はこの建物が3回くらい大きく揺れて

(倒壊する〜、と思ったけど無事だった!)

前のアスファルトの道路も波のようにうねり電信柱まで

大きく揺れ、通行中の車は全部、路肩に止まった。

 

金曜日は地方発送の日で集荷の15時に間に合うように

ダンボールに注文のパンを詰めている作業中、震度6強

の揺れが来るたび、建物から外に出る。でも立っている

こともできず、しゃがみながら揺れが収まるのを待ち、

終わったかな、と思うとまた中に入って作業の続き。

 

震源地はどこだろう?と思っていました。

 

揺れがおさまって、お店を閉め苺パイ用の苺を仕入れに

自然栽培をしている農家さんのところへ寄って保育園へ

子どもを迎えに行き、帰りの車の中は苺が入ったパレット

数枚積んであって車内は春の甘い香りでいっぱい。

 

その夜からいろいろな情報が入り出す。

 

結局、放射能が漏れているらしいという情報があったため

パン屋の酵母つなぎを中断して、とりあえず距離を取ろう

と翌日、那須から両親が移住した山梨まで行くことに。

 

それが地震の翌日12日の午後3時。

出発を決めて身の回りのものだけをまとめて2時間後に出発。

それがそのまま帰れなくなるなど夢にも思わず。 

 

車の中では息子に授乳しながら、苺を食べていた。

苺パイにならなかったね、とか言いながら。

 

高速道路は緊急自動車しか使えなくなっていたのでひたすら

下道を走る。途中で給油。その頃はまだ普通に給油できたのに

1時間後にはガソリンスタンドへ行っても買えずもう動けない

と友人の電話で知る。それでもパチンコ屋さんの駐車場には

いつもと変わらない数の車がたくさん停まっていて、

なんだかその風景がものすごくシュールだった。

ここはあの揺れがなかったのかな?というくらい。

 

友だちや知り合いや親戚からも次々と電話がかかってくる。

 

夜、ライトのあたる日光東照宮などを通過。

ここはどうなるんだろう?と思いながら

やっぱりこれが現実なのか不思議な感覚。

 

娘は小学校入学のために悩んで決めた色のランドセルを

後ろの席で大事そうに抱きかかえている。

 

山梨に着いたのは夜中の1時半。

朝になると父親は確定申告の書類を揃えていて、その実際の

生活ぶりに、まだふつうの生活してる!とびっくり。

 

やっぱり、あの「揺れ」を味わって私たちは何かが開いて

いってしまったんだ...と悟る。ある力量で繰り返し揺らすと

いう作業は質を変容させるテクニックということは古くから

錬金術師の間でも知られているらしい。

 

もちろん、なんでも揺らせばいいわけじゃない。

現物質に何かが含まれていないと、たぶんダメ。

私たちに含まれていた成分は一体なんだったのだろう?

とにかく、それからの日々で大きな変容が広がって

いったのはまちがいないのだ。

 

 

 

 

 

コリーヌ・セロー監督

3年くらい前にこのブログでもYouTube で今なら全編、観れるよー!と

紹介したことのある映画「美しき緑の星」。一見、奇想天外なコメディ

のようなおかしなストーリーにもみえますが、実はふかく大事な意味を

もってつくられた映画です。

 

その映画の主人公ミラを演じ、監督も務めた方がこちら。

コリーヌ・セロー監督。

 

 

女性から目覚めなさい、と言っています。

そうすれば男性だってもっと自由で豊かな人生を生きることができると。

 

個人レベルではもうそういうことに気づいている人は多いと思いますが

正直、地方ではまだまだまだまだ(誤字ではない)家父長制や男尊女卑

が空気のようにあるところも多いです。

 

代々、あたりまえな光景に慣れてしまっていて年齢関係なく女性が解放

されていない、そして男性もその役割に閉じ込められてみんな自由じゃ

なくなっている。

 

そういうのももうやめようよ、と言われているようなインタビューです。

 

孤立している人は自分とも自然とも切り離されて生きているという言葉

も印象的。

 

映画の中では「接続解除!」というセリフが出てきます。

いまの私たちは何に接続されてしまっているのか?

搾取の支配?

 

みんな生きるためにお金が必要とがむしゃらに働いています。

でも、ほんとうにそんなに働く必要があるの?

その働き方で自分もまわりも環境にもいいの?

そんなことを問われているような。

 

「いまの自分の境地」によって捉え方も異なる映画かも知れません。

これが23年前に撮られているというのにもびっくりです。

 

今年、あらたに日本でもDVDが発売されることになり(Amazonでも購入で

きます)、監督が来日していた時に運良くお会いできたのですが、短い時間

でもただ者じゃない感がすごくて、それが威厳とか手の届かない人とかそう

いう感じではなく、大きな愛がぐわーっとこっちに流れてきて安心しちゃう

ような、

 

すごく優秀な通訳の方もいらしゃったのですが、言葉なしでもすぐに気持ち

が通じてしまうのが不思議で、でもそれがふつうでしょ、ということまで

ちゃんと伝わってきた(!)のです。

 

こんな70代になりたい!!!

賢者であり、魔女であり、偉大な母であり、表現者でもあり、もちろん映画

界の巨匠なのですが、それだけではない豊かなものが溢れ出ている大きな大

きな方でした。

 

夫なんてずーずーしくも食に関していろいろ質問しちゃって、でもそれにも

ちゃーんとも自分の例を出して詳しく答えてくれて、だけどテレパシーだけ

では無理だったようで(笑)通訳の方にもしっかりお世話になっていた。

 

 

この時のイベントではあの、憧れの増川いづみさんとも初対面できて嬉しかった。

それを遠まきに見ていた息子が帰り道にボソッと「あの人は強い人だね。ママも

もう少ししたらあのくらいになっちゃう?」と訊いてきて何を感じたんだ? 笑

いやいや、並べて語るような方でなく、出来もスケールもまったく違うから!

 

あまり計画もなかったにも関わらず、偉大なお二人に会えてしまったのもなんだか

偶然じゃないような、、、宇宙からプレゼントのような1日でした。

 

 

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問答塾ダイジェスト

ひさしぶりになずな主催の問答塾にお邪魔してきたので

そこで交わされた話をダイジェストでお届けしたいと思います。

大事なことのおさらいです。

 

では、行きます!

 

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あらゆる病気の原因は化学肥料を使ってミネラルのバランスが

狂った土壌で育ったものを食べているために起こる。

 

 

菌は(必要な所に)自然発生する

(なんでも感染すると考えられているがそうではない)

 

 

平成7年の統計によると

その年の農家の跡継ぎは全国で1700人(が、多くは慣行栽培)

医師の国家試験に通って医者になった人は8000人。

そして病気はどんどん増えている。

(⇒ 土から変えないとと病気は増えるばかり

 

 

害虫といわれる虫は化学肥料や未熟堆肥から発生する亜硝酸対窒素

(毒)のアンモニア臭に寄ってくる(完熟堆肥には寄ってこない)。

つまり①化学肥料と農薬(殺虫剤や防虫)はセット。

つまり②虫食い野菜は安全でもなんでもない。

 

  

土が作られるのは苔がはじまり。

土は草の残骸

 

 

そして質疑応答の時間。

 

(不妊の相談に対して)

本来、子どもはできるのがあたりまえ。

妊娠しないのは命のある食べ物を食べていないから。

今、市販されているもので命のあるものはほとんどない。

命のあるもの=芽の出るもの。

女性は肉食を減らすと身体がきれいになり妊娠しやすくなる

なずなのお弟子さんはみんな子だくさん!

 

 

(右耳の突発性難聴の質問に対して)

右側は動物性食品(陽性食品)の過剰摂取!

(左の場合は陰性食品の過剰摂取)

 

 

(糖尿病の質問に対して)

白いもの(白砂糖、白米、輸入小麦の加工品)の食べ過ぎが原因。

また合成甘味料の入った後は尿の値が糖尿病レベルになる。

「市販の(アルコール)飲料にはほとんど入っているので

そういうものを飲んだ翌日に検査を受けるとみんな糖尿だよ!」

 

 

(癌の質問に対して)

まず、どうしてそうなったか原因を考えることが大切。

医者の言う通りになるのは実験台になるだけ。

原因を考えずに抗がん剤や手術を受けても食事改善しないと繰り返す

 

 

(草に負けたり、虫刺されでジグジグになるという質問に対して)

自然海塩をしっかり摂る。

化学肥料の入っていないものを食べる。

人体細胞は一日に6000億×100日=60兆すべてのが

入れ替わるのでそれで血液がきれいになれば大丈夫。

 

 

(アトピーの質問に対して)

化学肥料をつかったもの、乳製品、肉、合成甘味料などが原因。

それらを分解する酵素は身体にないため、代わりに皮膚から

解毒されている状態がアトピー。

 

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以上です。

少し解説させてもらうと

これらの考え方の根本にあるのは赤峰さんが「循環農法」とよばれる農法を

確立した過程で気づいた草と菌と虫の考え方があります。

 

戦後の慣行農法ではそれらは「悪いもの」「余計なもの」「排除すべきもの」

という捉え方が根本になってきました。

 

しかし、自然界(宇宙)の命ははすべてが循環して成り立っているという法則

に赤峰さんはある日、畑で閃きます。雑草にも、菌にも、害虫にも、ちゃんと

大事な役割があるということに。

 

現代の、病気でない人を見つけるのがむずかしいような現状は、そこが抜け落

とされてしまったこと、そして1972年に施行された塩田法により自然海塩

の製造も摂取もできない期間が続いたこと(ミネラル欠乏)、そしてその反動

としての(塩の質を問わない)減塩思想があります。

 

畑 ⇒ 病気 ⇒ 塩 ???

そうなのです。土の中は腸の中と相似していて

植物に根毛と小腸の絨毛の役割はそっくりです。

 

そして、その原理はマクロビオティックを広めた桜沢如一の

菌の捉え方や、千島博士が発見した小腸造血説にも通じています。

 

今の医学は菌はどこかからやってくるもの、

血液は骨髄でできるもの、という前提があるので

これらは異説とされており認められてはいませんが

近い未来には真実が明らかになるのでは、と思います。

 

 

 

病気とは、その自然の循環の軌道からちょっと外れてしまっているよ〜という

サインでありメッセージです。(どこかから無意味に襲ってくるものではなく)

だから、それを少しずつ取り戻せばいいのです。

症状を敵対視せず、自分の在り方を含めた根本を考えることが大切ですね。

 

 

そして、ここからはおくなが屋でのFAQ

 

 

Q.そうはいってもそんなこといったら食べるものがないし、

 そんなお米や野菜を買えるところはなかなかない・・・。

 

これはもうこの7年間に何度言われたか、聞かれたか、わかりません〜。

ハッキリ申し上げて、それは本気になっていないだけなんです。

本当に大切なことだと認識していない、もしくはみんなも食べてるし、とか

要は向き合うことを避けている気がします。

 

だって、いくらでもあるもの!!!

 

宅配を利用するとか、そういう野菜を作っている人から直接、買うとか

自分で育ててみるとか、それらを組み合わせるとかすれば、だれでも叶います。

そして、そういう人が増えればそういう作物を作る人も増えていくのでは。

要は価値観とその優先順位の問題と思います。

 

 

Q,無農薬野菜や自然食品は高いから、買いにくい。

 

これも上と同じ。

本当にちゃんと比較したことがあるのか?と聞いてみたい。

病気にならない、なりにくい、なっても自力で治せる、という状態は最高で

唯一の経済効果でもあるのでは?と思います。

 

安さで選んだものを食べ続けることによって起こるモンダイ、

体調が優れずくすぶり続けたり、自分の能力が発揮できなかったり、

子どもの体質や性格に苦労したり、クスリを手放せなかったり、

医者通いが卒業できなかったり、肥満が慢性化したり、

大きな病気の発症にビクビクしたり、、、

それらの問題はどんな保険に入ったとしてもリスクや

心の奥に潜む恐怖心はなくなりません。

 

◯◯風の調味料や旬でもないものにお金を使わず、ごちそうは特別な日だけ。

普段は一汁一〜三菜の粗食でその質を上げる方がはるかに無駄がない。

 

ちゃんとした原料と行程で作られた調味料でも適正価格のものを買えばいいし

科学肥料や農薬不使用の野菜を良心的な価格で販売している農家さんだって

います。なずなの野菜の値段なんてむしろ安い!です。

魚だって地物の旬のものだったら安いものがある。

 

いい加減な安物を買って食べて節約した分は、あとで人生上のトラブルとして

清算される時に膨大なエネルギーと時間を消費する。

そのことの方がずっとややこしいと思うのですが。

 

 

Q.自分は気づいて、そうしたいが家族が賛同してくれない。

 

これは一見むずかしい問題に見えますが、所詮、家族だって基本他人。

他人は変えられないのです。だったら、そこで格闘してもしょうがない。

自分が変わることで、じんわり影響を与えていく、と気長に構えた方がいい。

一人の変容は自然とまわりにいる人にも及ぶものです。

 

言われてすぐにカタチだけ変えるより、ゆっくり時間をかけて

心から納得して変わっていった方が定着率も高そうです。

 

まず自分一人でも、気持ちのいい生活を送るシステムを考えること。

スーパーに行くと、ついつい流されて無駄なものまで購入してしまうと

いう場合は行く日は月一にして必要なモノだけをその時に買う。

あとは予算を決めて宅配にしてもらう、とか(時間もセーブ!)

 

調味用は自然塩、味噌、醬油、+あと2種類くらい(マヨとケチャ、とか)

オイルも良質なものを3種類だけにしてしまう、とか。(冷蔵庫もすっきり!)

 

親や知り合いからもらったもの、それが例え子どもに与えたくないな〜

と思うものでも、そこにある気持ちを大事にしたい場合は子どもと

話し合ってみる。結果がどうであれ、その意志は尊重してあげる。

でも自分はもらうのは気持ちだけにするね、としておけば子どもはそれを

見ているので、あとで少し考えが進むかも?(でも過度の期待はかけない)

 

その人との人間関係ができていれば、こういうものだったら嬉しい、

と伝えておくとか。

 

 

そこに、ある程度の知識もあるとさらに説得力が増すので本を読むのも大事。

(テレビや雑誌ではなく、著者のいる本)

そういう本は家にあるだけでも波及効果があるので、これはいい!と思った

本は購入することをおすすめします。

 

図書館で借りれるのは便利ですが、経験上、借りた本と購入した本は染み込み

方に差がでる気がします。家の中で背表紙が見えているだけでもいいのです。

そういう知識や情報がすぐそこにある、という環境が大事ということ。

 

それで、いつも家ではホンモノを味あわせてあげていれば、

舌の感覚が養われるので不自然なモノを受付けなくなってきます。

 

そんなふうに説得で人を変えるより、システムや環境から変えていく方がいいのでは?

そして、他人を変えたい!という人ほどじつは自分がまだ変わる必要があると

思っているんじゃないか、というのが傍から見ての推測でもあります。

 

そんな日々の連続が、いつしかそういえば家族でいちばん調子良さそうね、

 ということになり、見向きされることになるかも知れません。

 

基本、相手も自由だし、自分も自由なので、そこで無理矢理、自分の考えに

沿わそうとあまり思わず、静かに自分から実行していくというイメージです。

 

 

とくに子どもに対しては、こちらの言うことを守らせることに主眼を置いて

しまうと、肝心な主体性が育たず、二重人格的な性格を育ててしまうことに

なりかねないので要注意です。 

 

 

 

 

 

 

四つの約束

「The Four Agreements(四つの約束)」。

この人生の羅針盤のような本に出逢ったのはいつだったか。たぶん15年以上前?

英語の本に慣れようとして買って読んで、そしてすぐに深ーく納得した。

 

日本に帰ってきて翻訳本も読んだけど、どうも英語で読んだときの方がインパクト

が強かった。言葉の問題なのかメキシコと日本の風土の違いなのか、どちらにして

も少し乾いた土地で読む方が入ってくるような、そんな感じがする。

言語っておもしろい。

 

日本ではどのくらい知られている本なのかわからないけど、今まで「知ってるよ!」

と言われたことがほとんどない。湿度が高い土地だと人の気質もウェットになるのか、

他人に翻弄されることが起こらない、こんなさっぱりした哲学は馴染まないのかな。

向こうでは結構、誰でも知っている本だったけど...。 

 

著者のドン・ミゲル氏が交通事故でひん死の重傷を負って、今でいう臨死体験から

戻ってきた後、人々にどうしても伝えなければと書かれた本と記憶している。

 

古代メキシコの「トルテック」の秘教を4つにまとめた、人生を自由に泳いでいく

ためのガイドブック。当時、これを読み終えてずいぶん心がすっきりしたのを覚え

ている。今では無意識レベルで染み込んでいる大好きな指針。

 

これさえあれば人生に不必要な雑念(心配事や杞憂)をすぐに手放すことができて、

人生が今すぐ自分のものになる魔法のような約束事。

 

でも、すぐにうまく実行できなくてもいいんです。なにか起こった時に、この中の

どれが欠けていたのか振り返ってみるうちに理解が深まる。そうすればきっと次に

生かせるから、と私は思ってます。

 

1 Be impeccable with your word.

申し分のない(的確な、正しい)言葉を使うこと。

ほんとうに自分が言いたいことのみを言うこと。

自分の気持ちに反する言葉は避けること。

一貫性をもって話すこと。

他者のゴシップをしないこと。

真実と愛の方向に言葉の力を利用すること。

 

2 Don’t take anything personally

なにごとも個人的に受けとらないこと。

他人の話すこと、することのすべては、あなたが理由ではない(たとえ、あなたに

ついて話したりしていても)他人が言うことやすることは彼(彼女)ら自身の現実

や夢の投影である。他人の意見や行動に対してあなたに免疫があれば、必要のない

苦痛を感じることもなく、被害者とはならない。

 

3 Don’t make assumptions

憶測(思い込み)をもたないこと。

わからなかったら尋ねたり調べたり、あなたがほんとうに望むことを伝える勇気を

みつけること。誤解や悲しさやドラマを避けるため、できるかぎり明確に他人とコ

ミュニケーションをとること。この約束だけで、あなたは人生を完全に変容させる

ことができる。

 

4 Always do your best

常にあなたのベストを尽くすこと。

ベストはときどき変化する。病気であるときと、健康であるときとは異なる。

それでもその時、どんな状況でも、シンプルにベストをつくすこと。

そうすれば、自己嫌悪に陥ったり、後悔を避けることができる。

 

 

なーんだ、こんな簡単なこと?と思うかも知れないけれど真実ってシンプルだけど

実は奥深い。逆に考えると、このシンプルなことができていないばかりに、人生が

ややこしくなっているとも言える。

 

この四つを意識して過ごしていると依存心やプライドや被害者意識で固まっていた

心がいつしか溶けはじめ、依存心は自立心へ、変なプライドは健全な誇りへ、被害

者意識は自己責任意識へと変容し、自由に生きられる(自由のそのおとしまえは自

分でつけるよ、と思える)ように進化していきます。

 

興味のある方はぜひ読んでみてください。

一読の価値も三読の価値も大ありです! 

 

アスペルギルス・オリゼ

「直感」というのは何にも勝る私たちのガイド役をしてくれると思いますが

ではそれはどうやって養い、高めていくことができるのか?

 

体を治すための質問を受ける時「〇〇はいいんですか?」「〇〇は悪いんですか?」

とよく訊かれるけれど、その本当の答えは一人一人が持っている。

だって体質や感受性、習慣は一人一人みんな違うから。

 

あきらかに何かを摂りすぎているのがわかる人にはそれを伝えることができても、

そうでもなく一般論として訊かれると、つい「それは自分の体に訊いたら」とか

「直感で決めたら」とか答えてしまう。

だけど、そもそもそれができていたら人に尋ねたりしないんだろうなと思って、

ではそんな時どうしたらいいのかな、何かヒントはないのかな、と常々思っていた。

 

それが、昨夜の平成最後のスーパームーンがあまりにも明るかったお陰(陽?)で、

つい手に取って読んだものの中に思いがけない回答があって驚いた。

 

直感を高めるとか覚醒を促すには、「あまり小手先のことを考えず、

日本人だったらまず味噌汁を飲んで漬物をつけましょう」とあったのだ。

この一行に目の覚める感じ、軽く雷に打たれた気になった。

 

むかし、心身ともに壊れてすべてを手放した頃、部屋の中でぼーっとしていた時に

ふと酵母と付き合えば治りそうとなぜか思いついて天然酵母のパン屋に入れてもらったこと。

そこで知った酵母の威力や、ちゃんと作られたお味噌汁の美味しさ。

 

あの時も直感に従って行動してよかった、と思ったものだった。

頭で考えたら、製パンの勉強もしたことなく、全然違う世界から30代後半になって

突然、飛び込むわけだし、それを受け入れてくれるところがルヴァンの不思議なところ。

 

でもそのルヴァン(酵母菌)効果があって、体は治ったし(ガンでさえも!)

結婚もして子どもも産めた。あの時の直感と行動がなければ今はないです。

逆に頭で計算してやったことというのは、いずれズレてくることが多い。

 

そういう両方の経験を繰り返して「直感」の感触を学んできたわけだけれども

その近道というか、王道が「菌」にあったのだ。

 

日本の春夏秋冬の中でしか生きられない菌「アスペルギリス・オリゼ」は、日本の

味噌汁、醤油、日本酒、発酵食品などに含まれていて、独自の味を作り出している。

そのオリゼ菌が体内に宿っていることが日本人の感覚を研ぎ澄ませていたという話。

 

オリゼはラテン語で「稲」のこと。

オリゼ菌が宿っているもの同士は深いところで響きあうことができる。

直感が冴えたり、降りてきたことも察知できるのもその繊細な感覚だそうです。

むかしから日本人はそれをわかっていてオリゼ菌が発生しやすい環境づくりが上手だった。

蔵などもそうだし、精霊というのも、実は「酵母」だそうです。

 

私はそれを読んで、ものすごーく納得しました。この説、間違いないと。

これまでの体験や土と菌と腸の知識などの点が線で丸くつながって

さすがスーパームーンの夜だ!と一人感動しました 笑。

 

これは、本当にふかーい話。数年前にNHKで放送された

「和食 千年のミステリー」という番組でもオリゼの話が出ています。

 

 

ケの日には、もうご馳走なんて要らない!

一汁(味噌汁)一菜(漬物)をちゃんと作れば十分。

 

そこをちゃんとすれば、ややこしい問題も減って、体調も整い、子育ても人間関係もラク。

それがないから、体調もすぐれない、ストレスは溜まる、鬱になる方向へ行ってしまう。

発酵食品を食べる機会を増やして、お味噌汁のおいしさがわかると運命も変わる。

 

安心できる大豆・麹・塩で味噌を作る。それを1日1回、体に入れる。

安心できる野菜で漬物を作る。それを1日1回、体に入れる。

することはシンプル。

  

せっかく日本で暮らしているのだから、それを生かさないテはないですよね。 

 

 

 

 

 

 

古くて新しい更年期

「更年期」と聞くと何だかめんどうなイメージがあると思う。

イコール更年期障害という図式が常識のようになっていたり

空の巣症候群なんて言葉もあったり、良いイメージがない。

 

予習のように?少し世代が上の(アンテナも高そうな)人の書いた本などにも

目を通してみたけれど正直、自分にはほとんどピンとくるものがなかった。

どれも、それまでのイメージの延長・拡大で、それを都市(まち)の情報と

お金を使ってうまくやり過ごす方法が多くて、とくに知りたいことではなかった。

 

例えば妊娠〜出産は、そこには自然のリズムがあり、仕組みがあり、それを上手に活用して

命が循環する一翼を担うことで何かに気づいたり目覚めたり、という経験が可能になる。

妊娠をきっかけに食べるものや暮らし方を見つめ直したり。

 

同じ女性が通る道でも、それが更年期だとトーンが変わってしまうのはなぜだろう?

結局、医療のお世話になったり、ハイブランドをうまく活用しておしゃれするとか(笑)

いや、それじゃ本質は解決していないじゃん、と思ってしまった。

 

更年期というと生殖能力がなくなる=女性としての魅力がなくなるというイメージがある。

とくに日本は若いことが良い、素晴らしいこと、魅力のあること、という空気が(意図的に)

作られているせい?でも若いことも歳を重ねたこともどちらも自然の流れの中の一時期で

位相が違うのだから優劣つけることにあまり意味はないと思う。

 

そこが起点になっている限り、若さがなくなるとか、ホルモンの分泌が減るとか

ネガティブな状態に何かを補充してやり過ごすという図式から抜けられなくなってしまう。

 

妊娠〜出産のようにそれは新しいタイミング・次のステージへの移行ではないのか?

と漠然と思っていたら、やっぱり新しい概念に出会った。

 

+++

 

ヨガの世界などで使われる「クンダリーニ」という言葉がある。

クンダリーニとはサンスクリット語で螺旋という意味を含む、

尾てい骨あたりの第一チャクラにある生命の根源的エネルギー。

宇宙に流れている創造のエネルギー。

 

体を整えて瞑想やヨガなどを行うとクンダリーニが上昇して覚醒できるとも言われている。

クンダリーニが目覚めると宇宙エネルギーと同調するため、感覚が鋭くなり、直感が冴え

潜在能力やサイキック能力が開花したり、自然と化学物質や添加物を自然と避けたり

神秘体験を経験したり、幸福感が増すなどの変化があらわれる。

 

更年期というのは、女性が生殖能力が停止した時に第一チャクラにあったクンダリーニ

エネルギーが脊柱に沿って螺旋を描きながら上昇していく時期なのだそうだ。

 

古代の哲学者が多く生まれたギリシャでは「更年期」という言葉は、はしごの一番上の横桟

(ヨコザン)を意味しているそうだ。つまりその後は桟のない段階への始まり。

 

瞑想やヨガに頼らなくても、女性にはそのチャンスが自動的にやってくるということ。

それは生殖活動の次元を超えて、自分の想像力を駆使し、能力を自由に表現すること。

その喜びをそのまま社会への貢献につながる意味合いがあるということ。

種全体の進化のために貢献できる存在であること。

人類はもともとそこに気づいていたのです。

 

ただ、上昇する時期に脊柱の何処かにネルギーブロックがあるとそれが遮られて

心身に様々な症状が出てくる。それが更年期障害と呼ばれるものの正体。

 

エネルギーブロックの原因はインナーチャイルド(潜在意識)。

今までの人生で遭遇してきた出来事で傷ついたままのこと、解消されていない問題を体は記憶している。

そこで螺旋の上昇がつっかえてしまう。でもそれが解消されてエネルギーがうまく通過すると

チャクラが一つずつ解放され高次の意識状態へ導かれるのだそうだ。

つまり女性の更年期はイコール、解放への過程なのです。 

 

昔の壁画などに下半身が太った女性が描かれているのも更年期を過ぎた女性がモデルだ。

種族として大切な場面で大きな判断をしていたり、一族のリーダー的な役割を担っていた

老年の女性は智慧者として、周囲から頼りにされている存在であることを示している。

 (男性の偉人は石造や銅像になることが多いのと対照的でおもしろい)

 

かつて人が自然を崇拝していた時代「魔女」という言葉には癒し手、産婆の意味だった。

 

 

英語で魔女はwitch

知恵はwisdom

どちらもwise(賢い)が語源。

warden(見守る人)というコトバもある。

 

けれど、男性性優位な社会を望む側にしてみると、それは邪魔な存在であり「魔女狩り」と

いう言葉があるように、排除、迫害の対象だった。その頃になると魔女の意味も、老婆、

薬草を調合する人、悪魔と交信する人、ほうきに乗って飛ぶ人などという意味合いに変わる。

 

男性性優位というのは物質的で競争的な社会。

そういう社会を作るには、まず人に恐怖心を植え付けることが必要。この世に不思議なこと、

目に見えないパワーがあるなどということはないことにすることが必須なのである。

 

でも例えば、縄文時代なんかは女性性がもっと生かされた社会だったと想像する。

そして、これからの地球も(というかすでに)そういう方向へ向かっている。

 

治療されるべきは恐怖をもとにした現象ではなく、逆に死への恐怖、老いることへの恐怖、

賢い女性に対する恐怖こそ、現代社会の病巣でありそれこそが治療されるべきではないだろうか。

 

で、周囲を見渡してみるとお婆ちゃんて、じつはすごい役割を担っていると思いませんか。

何か困ったときに、力ではなく、なんとなくムードで解決したり、

何気ない一言が妙に図星だったり、進む方向を指差していたり、

レシピなんかなくてもあるもので美味しいものが作れたり

具合の悪い家族がいても、大騒ぎせず手当したり。

 

長年生きて、その上で無自覚に宇宙と繋がっちゃってる状態はある意味、最強な魔女!

じつは誰もがそこに気づいていて、頼りにしていることがよくあると思います。

 

というわけで、更年期は解放への階段、いつでも宇宙図書館とアクセスして知恵をおろせる状態。

そして、それを周囲に還元していく存在になれるチャンスなのです。

 

そこでもしハイブランドで着飾るよりも、ほうきに乗って飛べる方がいいな、と思ったら

自然な流れに逆らうようなホルモン補充療法や、更年期症状を抑圧する方向の処置は

女性本来の覚醒のチャンスを棒に振ってしまう方向の行為であることに気づき、

今までの人生の記憶を掃除する方法を考えましょう。

 

抑圧でなく、解放、手放す方向で。

 

 

 

 

 

 

ポスト311

今年は冬休みをいただき、7年10ヶ月ぶりに那須に里帰り(?)してきました。

 

311までは普通に生活していた那須と、曽祖父、高祖父も生まれ育ったお隣の黒磯。

(だから私の旧姓はこの地域に非常に多くて...きっと遠い親戚だらけなことでしょう!)

 

那須も黒磯も2011年3月12日から私たちにとっては時間が止まってしまった場所。

日本の中でこういう特殊な感情を味わう場所は他にない。

今でも夫婦揃って心の一片はいつも那須にあって那須で知り合った人たちの顔はいつでも

思い出せて、教えてもらったことや共感したことを胸に福岡での暮らしをつくっている。

この順序がなかったら今の自分たちもおくなが屋もないから運命的ではあるのだけど。

 

土地に立つと、たくさんの感情や想いがグルグルして、そこをムリに整理する必要もないので

そのまま受け止める。きっと似た想いを311を境に持った人はたくさんいるのでしょう。

 

避難しなかった人にも、した人にも大変だった311。

原発を作っていたメーカーも「もう原発はムリ」と公言したし、このエネルギー発生装置は

一体なんだったのだろうね?と今回、那須で再会した議員もされている方と話したけど、本当に。

原発は私たちの「何の」一部だったのか、それを更新して超えていく時期が来ていると思う。

 

収奪システムの頂点でもある原発がそうだということは、そういうシステムも順番に消える方向で

次の時代が作られていくのでは?と期待を込めて思っている。原発には直接、関係なくても、

知らぬ間に吸い取られているシステムがあるから安住できている、といった生き方もなくなる。

 

今まではちょっと幅を利かせていたこの世の付き(憑き)もの、重り。

人を測るモノサシ(成績とか偏差値とか学歴とか肩書きとか年収とか、)のイビツさや、

そのための我慢や忍耐や、不健康であたりまえとか、その不必要さに気づく人は気づき

そういう「苦しみ」のレベルからも解放される世界が先には広がっている気がします。

 

その前にはいろいろな浄化が必要だけれど、症状は出し切らないと根治しないので

気づいた人たちと手を繋ぎながら上手に乗り切る方向で進んで行きたい。

 

 

那須はやっぱりとてもいいところ!光、木々、空気、それらを含んだ風景。そして人。

あの場所選んだのはやっぱり当然だったと、今でも思う。

でもだからといって、またそこでお店を開きたいかというと、そこはあまり重要でなくて

これからは物理的な場所や距離だけでなく、もっとテレパシー的なつながりで住み分けが

進んでいく世の中になっていくと思っている。大事なのは外側でなく内側。

 

「繋がる人とは、いつだってすぐに繋がれる」ということもあらためて確信しました。

 

今回は急遽、東京での用事が入って、那須での時間が短くなってしまい会えなかった人も

たくさんいたけど、1200kmドライブすれば着くし、みんな親戚だし(笑)また行きます。

 

   平成の森から見上げた那須の空。

 

 

 

 

 

病気をつくる5つの原因

先日、東京と佐賀で行われた統合医療の学会に参加してきました。

東京と「佐賀?」と思われるかもしれませんが、佐賀県にはその世界(?)では

有名な病院があり、そこの先生主催ということもあり、その人脈で登壇された方

一人一人が単独でも話を聞きに行きたくなる方ばかりという

内容が濃くて深い、有意義な情報に溢れた会でした。

 

わかりやすく言えば、支配者や大企業の流す情報ではないほんとうの話の聞ける会。

(ああ、こんなハッキリ書いていいのかな、笑)

 

学会というと、なんだか特別の世界のようですが、イメージとしては実力者ばかりが

集まった音楽フェスのようなもので、一人でも十分、観客を集められるミュージシャン

たちが集合してしまったようなもので、そりゃ濃くなり与えられたメッセージも

整理したくなるほどです。

 

音楽に例えられるのは「波動こそ本質」というこれからの医療の比喩でもあります。

音楽、図形、ホメオパシーなど、波動が人を治癒するー。

もう、目に見える世界の話ではないのですね。

救急医療を根治療法と勘違いしているヒマはない!のです。

 

 

そこで再確認した病気になる主な原因5つを挙げてみます。

 

1.金属汚染 ;主に、水か歯の治療から入ってくるもの

2.電磁波  ;スマホ、パソコン、wi-fi、ハイブリッド車、IH調理器、スマートメーターなど

3.潜在感染 ;細菌、ウィルス、カビ、寄生虫など

4.化学物質 ;合成洗剤、化学調味料、添加物、化学肥料、農薬、化学薬など

5.ストレス

 

病気の人を診るとその根っこにある原因はほとんどがこの中に含まれています。

ホメオパシーの健康相談の中でも常々、感じていることですが

レメディを投与する前に、その原因を作ったものをまず生活から排除するか、

排除できないものに関しても対策をとってもらうということが先決となります。

  

いくら優れたレメディ(や薬)があったとしても原因が残っていれば

また同じことの繰り返しになり、それでは時間もお金もムダですからね。

 

ただ、その5つに対しての対策の中で電磁波問題だけはどうしたものか、ずっと考えていました。

 

すぐにできそうなことは全て伝えても(アースを取る、お風呂に入る、不要なアイテムは持たない、

寝室にコンセントは作らない、または全て抜いて寝る、など)やはりこれだけ

電磁波の発生するものに囲まれた生活が出来上がってしまっていると、

電磁波対策グッズはもう現代の必須アイテムです。

 

身の回りの対策はコントロールできても、一歩外へ出れば、もうありとあらゆる場所が

電磁波発生装置だらけの世の中で、しかも電磁波は今後さらに強いものが許可され

使われていくことになっています。

 

まがい物も多い商品なので、こういったものを扱うことはどうなんだ?と考えている時期も

ありましたが、現状を知るとそんな悠長なことを言っている場合でなく、いいものならば、

どんどん広めていかなければ!と思い始めました、笑。

 

 

そして今月。

やっと縁のあるメーカーとつながることができ、いいものをご紹介できることになりました。

ここ数年、様々な電磁波防止グッズをあれこれ試してきましたが、その中で長年の実績があり、

海外の国々でも高評価を得ていること、会社の姿勢が素晴らしいこと、そして費用対効果が

優れていて、何より自分たちが使用して効果を実感している商品です。

 

効果が優れていても高額なものだと経済的負担が大きく人を選んでしまいます。

嗜好品であれば、それでもいいかもしれませんが、命や健康に関わることとなれば

できるだけ経済的な負担を少なく品質の優れたものが多くの人に行き渡って欲しい。

 

いいものなので、それなりの価格はしますが同じような効果を謳うものと比べると

金額は適正と思えますし、正直、利益を求めるというよりは縁のある方に使って

欲しいと思わなければ扱えません・・・。

 

電磁波は目に見えない、手で触れられない、ということで実感しにくい汚染ですが

ちょっと勉強すれば、この不調も、あの不調も、もしかして電磁波が原因だった?!

と驚くほど、心身を蝕んでいるものです。残念なことに国や行政の対策は

遅れに遅れている日本なので、自分で意識して守るしかなく

その強力なお手伝いができる、ということがおくなが屋としての喜びです。

 

商品としては、体にすでに溜まってしまっている電気を放電するもの、スマホや

wi-fi対策用から携帯基地局や高圧線の鉄塔の近くにある家全域を守るものまで

全8種類を扱う予定です。価格帯は6千円台から8万円台まで。

 

まずは不要な電磁波発生グッズを持っていないか?

必要と思っているものものでも他に交換できるものはないか?

(例えばスマホをガラケーに変える、など)

 

簡単に対策できることはないか?

(wi-fiを弱いものに変える、使わないときは電源をOFFにする、スマートメーターを

やめてもらう、など)を再チェックするとともに、

便利な文明の利器と共存するため、ぜひ健康のための貯金をしておいていただければと思います ♪

 

 

 

 

 

 

無重力の中年

最近、ブログの更新がないねー、と友だちからもメールがきたりしているのですが

なんたって、ほかにすることが多すぎて手が回らない日々です!

 

こんな自由にものが書ける場がありながらもったいない話。

プロだったら、いろいろな制約があったり、売れなくちゃ次がないし、と厳しい現実があり

そうでなければ、見てもらうために、あれこれ工夫をしたり、これまた大変だけど、

そのどちらでもなく、それでも毎日一定の数の人がチェックしてくれているのだから

少しは応えなくちゃ、と勝手に思っているのですが、なんたって休みがないのです!

 

それでも近況ついでに最近、感じていること(結局、書いてしまう)。

それは「歳をとることも案外、いいものだ」ということで、

なにがいいかって、若いときにはあった「欲」をどんどん手放せるようになるので

その分、自由になるんだ、ということに気づいたのです。

どんどん身軽になって、この先に最後は身一つで次に行ける道筋があるんだろうな

という光が見えてきたというか。

 

今の若い人は、私たちの時代とはちがう設定の上に生まれてきているので、

バブル時代のように浮かれていないし、あまり大きな欲望も持たず、修行系の努力もせず

初めから冷静に考えて事に当たるか、直感的に始めてしまうか、

だって、物心ついた時からパソコンがあり、スマホがあるんだものね。

 

でも、80年代に人生の一番エネルギーが溢れている時期を迎えた者としては

もっと元気だけど失敗も多くて、でも自分の足で情報を探して、旅行もいっぱいして

なんというか、もっと動きが大きかったような感じで、その分、希望や欲望も

いろいろだった気がするのです。

 

私など若い頃、あまり自分に制限もしていなかったので、人からなんと言われようと

やってみたいことは順番にやっていました。行きたいと思えば行き、試したいと

思えば試し、それでいつかは自分が生まれた街(当時は今ほどでなかった吉祥寺)に

ビルでも建てて、そこに住みながらビジネスでもするか!なんて妄想(迷走?)

していたこともありました(笑)他にも、さまざまな野望(?)を抱いたものです。

 

今、考えると、それも時代の空気から洗脳されていたところがあるのかもしれませんね。

だって、なんのために?だいたい、そんな生活、向いてそうで、実は向いていないもの!

というか、手法がちがうよ!と若い頃の自分に教えてあげたい、笑。

 

なんか大きなことをやってみたい、というのは若い頃、自分を探すために、

どこまでエクスパンドできるのか試めしてみたかったのかな。

それはそれでおもしろかったですし、それがあって今があるのは間違いないのでいいのです。

 

でも中年になってみると「それ、いらない」と思える事柄をどんどん捨てられるので

それはそれですばらしい!と思える。ギラギラ.ガツガツしなくても充分に楽しいし

おいしいし幸せだもの!という青い鳥がちゃんと見えてくる。

 

だからといって希望を失ったのでも、人生を諦めたのともちがう。

自分に必要なものと不必要なものが、もうほとんどわかってしまうちょうどいい心境というか。

 

こうでなければ、という頭が考えたり、世間の基準だったり、する幸せのイメージに

引っぱられない自分ができてしまっているから、そこはもう完全、無重力状態(笑)。

 

周囲のノイズや圧のなかで、この無重力状態を作り出せるというところが

歳を重ねる醍醐味なのかもしれません。

 

いや、もちろん小さな字が見えづらいとか、白髪が増えるとか、そういう変化もあるんですが、

それでも、その年齢なりのギフトって案外、用意されているんだな、と。

 

それを味わうためには、やっぱり健康が大事で、そこを死角にしたくないなとあらためて思います。

 

「健康」というのは思考が支離滅裂にならない土台です。

心身が辛い時って、感情も判断力も、その上ではじき出されるから、どうしてもあとで思うと、

なんか本来の自分じゃない。それが続くともうずっとボタンの掛け違いみたいな時間が続く。

(そうならない人は本当にスゴイ精神力だけど、でもやっぱりその無理があとあと響くような気がする)

 

それに、どーんなに何かに優れている人でも、その命の乗り物である心身の世話が他人任せというのは

エネルギーの供給を例えば電力会社にお任せで、値上げされても爆発して被爆させられても

文句もいえない、何もできない、という状態と似ていて、なんだか心許ない。

病名をつけられた途端に、選択肢を手放してしまうとか、ね。

 

いざとなった時に、薪に火をつけられたり、野草を料理できたり、小屋を作れたり、

そういうプリミティブな技術やアイデアがいつでも引き出せるトレーニングのように

自分自身の心身のケア、こうなった時はこういうふうにすれば元気になるとか、

体調の波にいちいち動揺することがないようにしておくこと、大事と思います。

 

できれば中毒性のないもので元気を取り戻せる(本来の自分に戻れる)というのが理想です。

砂糖、お酒、小麦、クスリなどは中毒性あり、ですが、それでもその質と量を自分仕様に

カスタマイズして摂れる、という知恵も長く生きて得られる知恵のかけら。

 

それには、あんまり我慢とかしない方がいいですよ。

気を遣ってもそこに愛がない人、いっぱいいるじゃないですか。

そんな気を遣うことよりも、自分の心に正直に行動することに心を費やした方がいいです。

たとえ、傍からなんといわれようともー。

 

 

 

 

 

 

 

自由のはじまり

今の自分がなにかの制約の中で生きていて、ああもっと自由に生きたいなぁ!と思っているとしたら。

たぶん誰でも大なり小なり、そんなふうに思っているのではないでしょうか。

だって、あの誰よりも自由に見えるウチの息子、9歳。

学校に行くのは理科と体育だけ。「ほかは行かん」以上。

 

家では猫を傍に、たいがいレゴ、絵を描く、最近はゲーム。そんな生活。

そんな人が「自由に生きたい」と言っていたのだ。

 

「キミがそんなこと言ったら世の中の人なんてどれだけ・・・!」と家族中が心でツッコミを入れました。

 

でも本人にしてみれば、そこがテーマであり守りたいところなんでしょう。

彼なりになにかしら不自由さも感じていて。

 

もちろん本当の、責任もあっての自由とか、その辺の認識が構築されるのは

まだこれからにしても「自由」というのは私たち全員の永遠な大きな望みなのかもと思いました。

 

肉体や物質がある限り、完全に自由にはなれなくて

でも肉体や物質を手放していないということは、どこかでその制約を楽しんだり

味わったりしたい自分が残っているからでもあり

だけどその中でも自由を希求しているという矛盾した存在な気がします。

 

 

わたしの自由な世界はもっぱら空想や想像や思考

そして読む本、見るサイト、聴く音楽、観る映画などを選ぶというところに尽きます(A)

他は必ずなにかしらの制約の上に成り立っていてその制約が変わったらその選択もきっと変わると思うから (B)

 

でも、重要なのは(B)が実は(A)によって支えられている、ということです。

(A)がどれだけ豊かなものを含むかで(B)の幅が決められてしまうということを何度も経験してきました。

 

一見、無駄なことをボ〜っと想っているだけにみえて、その時間に広がった想像の力はなんというか

後々の判断力や新しいアイデアに結びつくように思うのです。

 

それがないと、どこかの誰かが作った(もしかして黒い意図をもって?)イメージに支配されてしまい

気がついたら、ぜんぜん自由じゃない世界で、自分もいつのまにか同じように人の自由を奪いながら

生きているなんてことになりかねないーそのくらいに気をつけていることでもあります。

 

 

こうでなけれないけない、とか、

これってこういうことですよね、とか

 

その辺が強すぎたり、そのわりに人に確認したがる、というのは(A)の時間が足りていないのかもしれません。

それより、

 

こうでもいいよね、とか

これって、こういうふうにも考えられるよね、とか。

 

同じ局面に遭遇しても、そっちの方がずっとたのしいし、それが自由のはじまりだと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

詩「生きるとは」

また新聞から、です。

今度は子ども新聞。

最近の新聞も何か少しずつ変わってきているのでしょうか?

 

+++

 

17歳にして俳人の小林凛さん。

生まれつき体が小さく生まれ発達も遅かったためか

小学校でも中学校でもいじめを受け続けたそうです。

 

そして高校1年生の学年末、テスト用紙の裏に

詩「生きるとは」を殴り書きしました。

わずか10分で生まれた詩だそうです。

 

+++

 

生きるとはなにか

生きるとは「抗う」ことである

必ず訪れる死に、

理不尽な宿命に、

抗うからこそ生きていける

死を受け入れれば当然死ぬ

社会に飲み込まれれば生きる骸(むくろ)となる

宿命に負ければ望まぬ人生を送ることになる

そうならぬよう

抗い生きよ

できるだけ

腐った社会、壊せ

そして作り変えろ

万人が生きやすいよう

理不尽な宿命は利用しろ

転落の危機をチャンスに変えろ

 

争うことは

思惑通りにならないことだ

だから

切るべき寿命が訪れるまで

抗え、壊せ、利用しろ

生きるために、生き抜くために

 

+++

 

絶望したくなるような状況の中でも自らを奮い立たせ言い聞かせるような気持ちで書いたのかな。

何度も読み返してしまいました。

 

今の十代の子どもたちのすべてを理解することなんてできないかもしれないけれど

でも、時代が移り変わっても自分が十代だった頃にも感じていたことと

実はほとんど変わっていない人間の心に今でも共感してしまう。

 

最近になって、今までなら巧妙に隠されていたことが毎日どんどん膿のように出てきているのを

見ていると、もうすぐこういう感受性を持っている人たちに生きやすい世の中が来る気がする。

いつか、どこを見ても透明になって、人から搾取なんてできなくなって

そして、誰もが自分として生きられる世の中が訪れると。

 

10年後の未来の自分に会いに行けば「今は大変かもしれないけど大丈夫だよ。

今の経験が全部、堆肥のように人生の土壌を作ってくれるよ」と教えてくれる。

 

自分に出会う前から、自分の好きなことよりも、まわりに望まれることばかりを求められて

それに早く応えるトレーニングばかりさせられていたら、誰だって人生がわからなくなってしまう。

 

好きなことを手放さないで

自分の心が感じたことを諦めないで

今みつからなくても、いつか出会える日のために

せめて心の一箇所だけはその時からの人生のためにとっておく。

 

そこは無限の潜在意識にもつながっているから、いつか同じ思いを抱いている人ともつながれる。

自分が本心からしたいと思うことを喜んでくれる世界とつながれる。

 

 

 

 

 

 

遠くの国で

1990年からのイギリス滞在中、朝食をとりながら見ていたテレビのニュースで湾岸戦争が始まったのを知った。

どうすれば、いいんだろう?とも思ったけど、いつも通りの日常を送った。

 

小さな語学学校に日本人はいなくて、戦争中にひとりやってきた子は日本を発つ時、親戚全員に泣かれて、

親が安心のために片道70万円(!)の日航機のチケットを用意してくれてそれに乗ってきた、と話していた。

格安チケットなら往復18万円位だったので、そのお金があれば私なら3回来れちゃうのになぁ、なんて思った。

 

流れているニュースを見ると大変なことが起きていたけれど、参戦国とはいえ地上戦が起きているわけでない

イギリスではムードの変化があっても、日々の生活にはほとんど変化がなかった。

それより毎朝、家を出るとマイナス10℃以下という寒さの中に放り込まれる方が現実的な問題だったくらいに。

 

戦争中はロンドンに行ってもなんとなく閑散としていて、数ヶ月先まで予約が取れないといわれたミュージカルの

当日券が簡単に買えたりして、人生初の本格的なミュージカルに私は一人で感動して歩いていた。

 

3ヶ月経って、日本に帰国するときのガトウィック空港では体の大きな警官が巨大な銃を肩から下げながら、

それでもフレンドリーに人に接していて、日本ではそういう光景を見たことがなかったので妙に思えた。

聞こえてくる戦地の状況はますますひどいのに、私はふつうに飛行機に乗り帰国した。

 

 

1992年、今度はアメリカのロサンジェルスのサウスセントラル地区で起こった暴動の日。

同じロスでも、そこからかなり南下した海岸沿いの街で、その日は一日ビーチで本を読んでいた。

暑くなったので家に戻ったら留守番電話に日本から14件もメーッセージが残っていて、

それを聞いてテレビをつけると、中継車からの映像が流れていて人種差別を発端とした暴動が起きているのを知った。

当時はメールなんてものもなく、電話は心配した日本の家族や友だちからだったのだ。

 

ロスは広いから日本でニュースが流れても、地域が離れていると何もわからない。地震や山火事のときもそうだった。

夕方「念のため避難」といってやって来た友人とふつうに夕ごはんを食べておしゃべりをして過ごした。

 

数日後、暴動がとりあえず静まった頃、クルマを走らせ現場を見に行ったら、たまに行っていた韓国街の

焼き肉屋さんがもう営業再開などしばらくできないくらいに壊されていてびっくりした。

そこはロサンジェルスの中でも1番か2番目に美味しいと思っていたレストランだったので、

しばらくあのケジャンを味わえないのかと思うと残念だった。

隣のセブンイレブンは商品棚がメチャクチャになって、ガラス窓は全部、割られていた。

 

それでも借りていたアパートのあるレドンドビーチに戻ってくれば、それまでと変わらない風景と生活。

 

今回のフランスのテロの(といわれている)爆撃だって、ニュースと実際の人々との間では印象が違うのかもしれない。

離れた場所の衝撃的なニュースを見ると自動的にそう思ってしまうのは、そんな経験をしているせいと思う。


遠い場所の悲劇と同時進行している今ここの暮らしがまるでパラレルワールドのようで、いつも不思議な気持ちになる。

その上、911頃からニュースに流れている内容は、歴史と一緒で時の権力者や支配者に都合のいいように、

コントロールされていることがバレバレの世の中で、そのまま信じられなくなっているし、

今回のパリの真実ももう少し時間が経たないとほんとうのことはわからないのではないかと疑ってしまう。

自分の意志とは無関係に犠牲になった人はほんとうに気の毒。

二度と起こらないようにするには何が必要なんだろう。

 

友だちが向こうで4人の子育て真っ最中なので、気になってメールをしたら「大丈夫!」とのことで安心した。

パリでは学校も習い事もすべてキャンセルで、みんな自宅に閉じこもっているらしい。

でも友人からは「怖がらずに平常通りの生活をして強くなった方がいいのに」と返信がきてさすがに逞しくて笑った。

「強くなった方がいいのに」というのが、なんていうかポイント。

 

情報はよく知っている人の伝えてくれる内容がとりあえず一番リアル。

あのお店や公園はどうなっているだろう?とか想像して、あらためて平和な日々のありがたさや奇跡をおもう。


 (それにしても、むかしのことを思い出すとなんにもわかっていない自分ののんきな若者ぶりが懐かしい。

半径50mくらいのことしか見えていないのに、それはそれでいろいろなことがいっぱいあった時代でした。)

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

できたよ、できたよ!

三村農園さんの梨、おいしいですね!

台風で落ちてしまっても、味は当たり年らしくハズレがありません。

 

最近は毎日、栗と梨のフルーツライフ。

地物で、旬で、余計な薬もなし。

ありがたい、最高ですね。

大人が剥くのが待ちきれず、きのうから自分で挑戦しはじめた子どもたち。

「ママーっ、剥けたよー、ちょっともったいないとこがあるけど!」

といいながら、まるごと食べてご満悦。


数分後には皮と芯だけが残されていました、笑。

りんごの丸かじりはあるけど、梨もそうか、同じようなものだよね、たしかに。

 

 

 

小値賀島と野崎島とワークショップのことも少し

今年の夏休みの目的地は、長崎県の2つの島でした。

小値賀と書いて「おぢか」と読む島は五島列島の北にある人口2600人ほどの島。

そして、その東に浮かぶ、今は無人島で500頭の鹿が住む野崎島。

 

3年前に、お取引先の方から「小さな島で」という本をいただいて以来、

いつか行ってみたいなぁ!と思っていたのです。

 

島の海は、貝、かに、海老、そしてサメ(!)、タコ(!!!)まで採れるくらいのゆたかさ、きれいさ。

最初は海水浴の感じで遊んでいても、気がつけば大人も子どももが狩猟民族化してしまいました。

 

一緒に行ったはたさんが写真もいっぱいHPに載せてくれたので良かったら覗いてみてください。

見ると行きたくなるかも!

私も、またすぐにでも行きたいです。



そして、そんな磯あそびを夢中にさせてくれた、はたさんのワークショップももうすぐ!


こんな、かわいい進行スケジュールも届きました。

やっぱり絵、うまっ!プロだ・・・。しばし、イラストを見入ってしまいました。

というわけで、スタッフは毎日、ミニミーティングを繰り返しております。


当日はクーラーのない講堂を使うので、水筒、忘れないようにお願いします。









美しき緑の星

とてもおもしろい映画を観ました。

以前から、タイトルと内容は聞いていたのですが、20年ものあいだ「都合が悪くなる人」らの手によって

発禁扱いされてなかなかお目にかかれなかったフランス映画です。といっても内容は喜劇の要素もあり、

ウチの子どもたちでも最後まで笑いながら面白く観ることのできた内容です。

(ただし字幕なので、親がぜんぶ声に出して読み上げなければなりませんでしたが、笑)


では、なにが問題なのかというと、人々の覚醒(今の世の中の常識や洗脳から目覚めること)が描かれているので、

この世を支配、コントロールしたい一部の人たちにとっては、目覚めかけている人が観てしまうと大変、都合が

悪かったらしく、長いあいだ封印されていたようです。


ちなみに映画の中では覚醒=切断、という言葉が使われています。


1時間30分くらいの映画で、支配層の力がだんだん弱まってきているのか?

今ではこちらのサイトでいつでも無料で観ることができます。


La Belle Verte(日本語字幕)


知らず知らずのうちに、貨幣経済や競争社会に馴染もうとしている人々にとっては、人生の意味を根底から

見つめ直すきっかけにもなるかもしれない。


学歴社会に横たわっている「偏差値」なるものも、人と人を仲良くさせない方が支配層にとって大変、都合が良いので

できたものだし、お金がないとなにもできないように思ってくれる消費者が増えるほど、都合がいいシステムなのが現代社会。

でも、本来は人は助け合って、与えあって、仲良く暮らしたいという望みをもって生まれてきているはず。


そういうモヤモヤが美しい映像をみているうちに、希望に変わるかも?


興味のある方はどうぞご覧ください♪








おくなが温泉

お風呂が壊れて3ヶ月超。やっと新しいお風呂ができました(ほんと、まだお風呂だけですが)。

その間、近くのお風呂屋さんや温泉巡りをしていた子どもたちは、お風呂が出来上がったとたん、

看板(?)やスタンプカードや、貸し切りですと書かれた札を作ったり、

掃除の仕方でケンカしたりといそがしい。いろいろ世の中を観察していたんだなぁ。

工事中

今回のリフォームもプロに頼むところは頼みつつ、できるところは自分たちでというスタイル。

 

それは予算の中でという意味もあるけれど、作りながらどうするか考えられる(好きにできる)とうメリットもある。

オマケとしてプロに教えてもらって技術が身につくというのもいい。近い将来がどんな世の中になるのかわからないので、

衣食住の中で自分たちの手でできることを増やしていくに越したことはない。

さらに、それが資源の節約につながったりする。


というわけで、さっそく床と壁に断熱材を入れています。

断熱材はよその新築の家を建設したときに出た半端な部分を使っているのでタダ。

こういうものを捨てないでとっておいてくれる人がいるので、できること。循環してます♪

半端な部分はすでに細くカットされているので、逆に洗面所や納戸のような部屋には十分。

とにかくパズルみたいにすき間を埋めていく。

 

さらに、そこでまたでるさらに小さな廃材で工作している人も。

工事現場は子どもにとっては宝の山みたい。

学校から戻るとすぐになにかないか探しにきています、笑。

 

工事がお休みの日には秘密基地までできていて、そこにはぬいぐるみや人形がそろって横並びに寝かされていた。

おもしろいなー。

 

赤峰勝人講演会

行ってきました。赤峰さん率いるなずなグループは本質をつかんでいるので、みごとに飾り気のないグループ(失礼!)ですが、

さすが福岡。講演会に来ている方たちはおしゃれな方も多かったです、笑。というか、センサーを持っている人が集まれば

食も家も服も「良質なもの」「本物」を取り入れたいと感じているのは一緒なわけで、自然にそういう人たちが集まるのも

不思議じゃないですね。センスがいい、というのはセンサーの感度が健全でバランス感覚に優れているわけですから!

 

藍染めの作務衣を着て、畑の写真を説明している赤峰さん。スクリーンからすごく強い「氣」が出ています〜。

無化学肥料無農薬の野菜をつくる方法を長く模索したあかつきに畑で氣づいた循環のしくみを3時間30分、

立ちっぱなしで説明。それは「循環のしくみ」とひと言では言い切れない広くて深い、でもシンプルな法則が

あるのですが、まあ、これをほんとうに理解するには人生一回じゃ足りないかもしれない。でも足がかりを

つかむだけで、たくさんのことが目からウロコ状態です。


8年以上、聞いているけどまだ頭だけの理解の部分があって、日々の経験でレセプターを増やしでまた聞いて

少し理解を深めて、そのたび「な〜るほど!」を繰り返しています。だから、いつまでも飽きない。


だって、これはなにも農業する人だけのための話じゃないんですもん!

すべてに通じている普遍性があるから、置き換えて考えるともうドアが開く開く。


若い頃、海外に行きまくっていたときは、外を見れば見るほどいろいろな世界にわくわくどきどきしていて、

この体験をしないなんて信じられない!とばかりにそっちにばかり時間もお金も費やしていたけど、

(それで「日本」という縛りからも解放されて良かったですが、)それが横(ヨコ)の体験、手を水平にして

広げていくイメージだとしたら、こっちは縦(タテ)や斜めの体験を含めた丸いイメージ。


りんごの木村さんもそうだけど、にんじんの赤峰さんも、日本の田舎で長い年月、自然の法則にそった虫の食わない、

しかも薬を使わない農法を大きな借金を背負っても追求し続けて、果てはふつうの人が体験しないような

宇宙とつながっちゃうことに巻き込まれて、真理に至るわけだから、なにもからだの移動だけが見聞を広めることではないのです。

(だけど、ああいう「外を見たい!」というエネルギーも若いうちに好きなだけしておいて良かったと今、思う。

フランスの港町の大きな駅の引き込み線にとまっているいる電車の中で一晩明かす、なんて経験はこの歳ではしたくない!笑)



ひとつだけ書いておこう。

“有機野菜”について「虫食いがあるくらいだから安全」といわれるのを聞いたことがあると思いますが、

あれは実は未熟堆肥(ホームセンターなどにも有機堆肥とか書かれて売られている)が使われている証拠なのです。

で、未熟堆肥だとなぜ虫がつくか。

作物から亜硝酸態窒素(猛毒)が出ているからです。

亜硝酸対窒素には発癌性、催奇形性があり、それを知らせるためか作物に苦みが出ます。

虫は人間の代わりにそれを食べてくれて、子どもも埋めない体になって早く死んでしまうそうです。

(だから野菜嫌いの子どもがいたら、それは敏感に身の危険を感じているのかも)


堆肥をOリングするとわかるけど、未熟堆肥ではパカパカと指が空いてしまうのが、その堆肥が完熟すると

Oリングも強くなり、野菜にも未熟堆肥のときのようには虫が来なくなります。

そういうことを赤峰さんは畑で観察し続けて発見してきた。(だから、あちこち移動しなくても同じ所で

長く掘り下げることも大事なんだな、とポイントのズレたところでも感心したり…)


同じく化学肥料を与えた作物からも亜硝酸態窒素が出ます。それで虫が来る。来て人間の身代わりになろうとする。

そして人間はその虫を敵と思い農薬を撒く。だから化学肥料と農薬はセット使いが基本になる。


化学肥料+農薬で生まれるものはなにか、というと「ダイオキシン」です。

一時期、ゴミ焼却所で発生するからと大問題になりました。

なぜならダイオキシンは史上最大といわれるくらいの毒性があり、認められているだけでも

発癌性、催奇形性、不妊、などを引き起こす青酸カリの何十倍もの毒性をもつ物質だからです。

焼却所の問題はその後、燃やす温度調節等で解決ができるという話もあり、沈静化していきましたが

田畑で生まれているダイオキシンについては、世界で1、2位を争う化学肥料農薬の使用量の日本。

その繰り返しで出来た作物が今、普通に売られている野菜です。


ぜんぜん楽しくない話題になってしまいましたが、ここに目を背けたままにせず、ここをどうやって

転換したらいいのか?と考え始めると、ちょっと楽しくなるかもしれません。


ちなみに今、日本で育てられている一応 “有機” といわれている作物は全体の1%以下だそうです。

さらにその中で未熟堆肥を使っていないものは?と考えると・・・・・(怖いけど)さらに割合は減るでしょう。

しかも野菜の値段は高騰している。


どうしましょう?


1 気にしない。もしくはそんなこと信じない。


それももしかしたら(少しは?)有効かもしれません。そんなこといったって、みんな食べているし

おいしく食べれたらそれでいいじゃない、と思えばフラシーボ効果も手伝って、気にし過ぎて

暗い気持ちで食べるよりはるかに害は防げるでしょう(たぶん)。

あきらめる、と同義語にならないことを祈ります。


2 なるべく化学肥料や農薬を使っていないものを買う。


とりあえず手っ取り早く防ぐにはこれです。でも自給率40%以下、その中で有機率1%以下。

全員には行き渡りません。困ったことに。


3 不食の人になる。


究極かも。あまり急がず時間をかけてするのがコツだそうです。

おすすめの本⇒ Living on light プラーナだけで生きている人もいます。


4 解毒(デトックス)しながら生きる。


どちらにしても必要ですが、常に+ーの収支を常に合わせるのはたいへんかも。


5 赤峰さんや循環農法をしている人の野菜をわけてもらう。


2のさらに上級版。でも足りないのは同じ。つまり食糧難はもうすでに始まっているのです。


6 愛情で(またはおまじないで?)料理して毒を変換させる、中和させる。


実はこれでなんとかもっているのかも、と思うときがあります。

だけど一方で、化学肥料農薬の使用量と癌にかかる人の増加は同じようなカーブを描いています。

根本的ではないけど、とりあえずしのぐには的な方法。


7 自給する


向き不向きもあると思いますし、田畑が近くにないケースもあるけれど、でもすれば単純にまちがいなくおいしいです!

野菜が甘いので子どもの野菜嫌いという言葉も死語になるくらい。


ほかにもっともっといい方法があるかもしれない(あったら知りたい!)

でも今のところ国民の10人に一人か5人に一人かわからないけど、もう少し安全な作物をつくる人が増えなきゃな〜、

と思います。(職業として)今の国政ー農協主体の農業に未来が見えないだけで、もし作った人と買う人の間で

値段が決められて、直接販売ができるようになれば、とりあえずまだまだ不食に人はあまりいないし、

みんな何か食べなければ生きていけないわけだから、需要は間違いなくあるはずです。

「貧しい百姓」という植えられたイメージも変えていかなくちゃね。

見た目ドロドロでも、間違いなくゆたかな食生活を送れるわけですから。


そういえば三宅洋平さんも赤峰さんも同じこと言ってたな。

徴兵制じゃなくて、何年か農業研修をみんなが必ずできるような仕組みができたら日本も変わるだろうって。


マクロビとかビーガンという思想は広まってきているけど、それができるのも安心して食べられる食材があっての話。

まして、どんな高級なレストランでも食材から本物を食べられるところは今の日本にいったいどれくらいあるのだろう?

と考えると、安心な作物を育てよう!と行動する人が増えれば増えるほど、未来も明るくなるように思います。




最後のおべんとん

とにかく、とにかく、食いしん坊なウチの息子。

保育園生活最後のお弁当の日も前日から「あした、べんとん!」

朝、起きても「べんとーん♪ べんとーん♪」と声も高らか。

 

ウチのお弁当はとても地味。だけど、そこにはあまり気づいていないようで

「食べもの=しあわせ♡」というシンプルなヒトで助かります、笑。

 

〈今日のメーニュー〉

お店の車麩とパン粉使った車麩のカツ。

伊勢志摩産&天日乾燥ひじき(お店の)になずなと自家野菜を混ぜた煮つけ。

畑から抜いたにんじんと自家製大豆の味噌、白ごまを使ったきんぴら。

自家製キャベツを千切りにして、オルチョのオリーブオイルと玄米塩麹をドレッシングに。

耶馬渓蒟蒻芋のこんにゃくを醤油味で煮てうるめ削りをまぶしたの。

あとは七分づきの自家米と自家製梅干し。

これに柑橘類(友人宅のお庭で収穫)も持って行きました。

 

「ぎゅーっといっぱい入れといて!」と横から言われて詰めたけど

こうして見るとキャベツの位置、ごはんの隣じゃなかったような・・・。

それでも帰ってくると、お弁当箱はみごとに空っぽ!

 

 

4月からは小学校。給食が始まります。

給食には残念ながら未解決の問題があるので、仕方なく牛乳とパンはお断りして、

動物性のおかずのときは代わりのものを持って行くという方法をとらせてもらっています。

 

畜産肉のGMO餌、抗生物質、ホルモン剤。

東方地方の魚や海底魚、養殖の魚。

放し飼いでない無精卵。

パンに使われている外麦、砂糖、マーガリン、添加物。

牛乳については今さら語るまでもなく・・・涙。

 

なぜ、よりによって子どもにこういうものを与えるのか?

こういうところには放射能の問題も必ず付随しているし、そうした問題から離れるために、

一生懸命、調理してくれる方には申し訳ないけれど、やっぱり食べないで欲しい。

こういうものをあげないと、病院やクスリとも縁がなくてずっとラクなんですもーん。

 

同じ予算でも地元のお米と野菜を使った一汁一菜にすれば質が上がると思うんだけどなぁ!

一食250円で肉も卵も牛乳も、ってするから質が伴わないことになるんでは?

まだまだ戦後にアメリカに押し付けられた栄養学が元になったメニューなのでけっこうタイヘン。

 

給食とお弁当どちらにしますか?というような選択制にするというのはどうだろう?

春になるたび、この給食問題を考えさせられます。

 

お弁当を詰めるところを見守るボク。





根っこ

今日はくぬぎ舎設立ほぼ一周年で、昨年の植樹祭で植えたくぬぎの木たちのもと、みんなでピクニックをしまーす。


これから自分でもお花や木を植えてみたい方、家庭菜園を始めてみたい方のために

その一歩をスムーズにスタートできるよう、その道のプロもお呼びしております。

 

木の枝ぶり、花の咲きほこりぐあい、そういう目に見える成果のすべては根っこの状態と同じという。

人はどうだろう。

 

いい土壌でしっかり根を張り、栄養をうんと吸収していると木も花も立派になるように

人だって目に見えないところで培ったものが表に現れるんだろう。


大きな悲しみも、人にいえない悔しさも、消したくなるような失敗も、なにかに夢中になった時間も

時間がたつほどぜんぶが一緒に発酵して、いつしか完熟堆肥のような栄養になって実を結ぶ。

その仕組みのすばらしさをおもうと、なんかやっぱり命は生かされているんだな、と思う。

 

時間のなんと偉大なこと!

空気や水、光や微生物も!

自然はなんでこうも完全に循環しているんだろう。

春先になって木の芽が芽吹きだす頃、いつもそんな風に思う。

 

遺伝子組み換えしたタネや作物や石油からできた肥料、タネの採れない植物。

そういう不自然なものをどんどん作ってお金に換えているのは人間だけ。

そうやってどんどん遠くから自分たちの首を絞めている。

 

なんでもかんでも食物を精製して、こんどは自分たちにも偏差値をつくって産業界や陰謀者に都合のいい

能力を特化しただけの人間を一生懸命つくって同じことをしている。味気ないなぁ・・・。

精製食品ばかりとっていると体に害なように、そんな人間が増えすぎて今、世の中が病気を抱えている。

 

311後の政府や東電の対応に愛想を尽かした友だちが「あの人たち、頭良すぎてアホなんじゃない?」

平坦な言葉で真理を突いている!と感心してしまった。

そして、その後もその類の出来事を目にするたび「頭良すぎてアホ・・・なるほど」と思ってしまう

回路ができてしまった、笑。なんでそんなことが多くなってしまったんだろう?



把握しきれない小さな小さな目には見えない複雑なさまざまが混ざり合ってバランスをとりながら

命は生かされて続いている。簡単なモノサシで優劣を決めてしまうのは、なにか策略があってのことで、

本来は産まれたものに人間が決められる不要な命などきっとない。

それでも何年もそんな価値観の中ににいると、見事なマインドコントロールで骨の髄まで勘違いのままか、

あるいは逆にリミッターを作って・・・早めにそこから外れた人が豊かな可能性を広げられるように思う。


ところで人のからだでいえば植物の根っこにあたるのは小腸にある絨毛だそうだ。

実はここで血液もできている、と考えた方がいろいろなことに合点がいく。腸造血説だ。

その説でなら癌も「不治の病」ではなく「命を救う為に起こる自然作用」というふうに病気の捉え方も

今までとは違うものに変わる、とてもあっさりと。

でも今はまだ骨髄造血説の時代(?)なので、この説の正しさが広まるにはあと少し時間がかかりそう。

 

こういうことも時期がくればコンクリートの隙間からでも草花が芽を出すように表に見えてくるんだろうと思う。

しかし、コンクリート文明強し!

自然よ負けないでー!

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

健康診断 つづきと追記(2015.6.1)

知らなかった土地に行ってみるのは楽しい。

旅好きには、たとえ県内でも新鮮!というわけで久留米へは遠足気分でその後も何度か行った。

 

向かうのは温泉でも観光地でもなく病院だけど、なんたってかの下津浦内科!

今日はなにが見れるかな、聞けるかな、と毎回ほんとうにたのしみだった。

会うのがたのしみなお医者さんて、それだけでもう世界遺産に指定したい。

 

これもなにかの参考になるかもしれないので書きますが、

検診の結果は夫が4年後に大腸がん、私は2年後に乳がん(あと卵巣も大腸にもなにかあったり)だった。

こんな情報も体に負担なくわかってしまうのがOリングのすばらしさ!

そして、これもなにかのメッセージである。

 

じつは癌細胞って日々、生まれたり死んだりしているらしい。

だからそんなに驚くことでもないけれど、治せるものは治しておいた方がいいので癌消滅プロジェクトのスタート♪


まず私は仕事でも家でも一日の長い時間をパソコンの前にいるので電磁波対策をした。

今まで怠けていたけど、ホルモン系の癌は電磁波が原因になっていることが多いということで、

パソコンにはすべてアースをとり、ドライヤー、電動歯ブラシも使うのをやめた。

寝るときは部屋のコンセントを全部抜いて寝た。(でも寒いのでオイルヒーターだけはつけていた)

家の中で最大の電磁波を出すといわれるIHは使っていないし電子レンジもテレビも持っていないので、

とりあえず変えたのはそのくらい。ワイヤー入りの下着もつけないし。

 

携帯も不携帯な方だけど、たまに使う時はイヤホンマイクかBluetoothを使うようにした。

そんなこんな、この時期は遅ればせながらあらためて電磁波についておさらいしました。

する時はなるべく徹底しないと実験にならないからね。

 

そうしたらもう!

一日の疲れ方が格段に変わったのでびっくり(もっと早くすればよかった!)

夜になっても遊びに出掛けられそうなくらい元気が残っていて、すばらしい実験結果だった。

そして今じゃ鉄塔の近くを通れば、頭の中がズキズキくる感覚にも敏感になった。

 

食事の内容はほぼ今まで通り。(ジャンク食をしていていたら未来の癌じゃなくて、もう癌だったと思う)

それでも結果を出すために“史上最大の発がん物質”とチャイナスタディ(史上最大の食物と病気の調査)や

マクガバンレポートでいわれた肉はやめることにした。

好きなバターもストップ。(マーガリンは食べないけど、本物のバターやクリームは好きなのです)

現在、流通している牛乳はあらゆる意味で不自然な飲み物なので、もともと飲む習慣はない。

(乳製品は乳がん前立腺がんをはじめ、他の癌も誘発するといわれています by「乳がんと牛乳」他)

 

動物性の食品をスーパーで買ったりすることはなかったし、質のいいものでも多くは摂っていなかったけど、

この辺はイノシシやシカの野生のお肉をいただくことも多い。

それでも、やっぱり体質に合わないようなので、この際、取り急ぎベジタリアンに。魚も控えた。

(でも家族と一緒の食事をすることも同じくらい優先事項なので、だしに使うことや味見程度にはたまに食べていた)

(あと、出掛けたときも食べた)

 

かたや夫は大好きなコーヒーとお酒をストップ。コーヒーやお酒は量が過ぎると毒になる。

コーヒーやエスプレッソは肉食の毒消しにはなるけど、菜食系の人にとっては陰性過多を招くので。

そして癌は陰性なのでとくに陰性の食物はひかえるようにする。そして半断食。

あとはとにかく冷えないように湯たんぽを駆使。体温も36.5℃以上を保つように。(35℃台で癌は増える)

そんなこんなをして自然治癒力を高めまくった私たちであった。じゃじゃじゃん!

 

 

そして、再び検査、再々検査へ。

なにごともするとなったら意思の強い夫はまず4年後が6年後に伸び、その後すべての値がゼロに!

することが、ゆるめの私でも10分の1くらいまで下がった。

カラダってすばらしい。自然治癒力バンザイ!である。

 

二人とも、人間ドック(昔はドッグ、犬?と思ってた)や癌検診は受けない。

早期発見という名のもとに余計なことをいっぱいされて、その副作用についてはまったく知らされないし

バリウムとか、なんじゃらかんじゃら。そもそもね、根本的な思想に違和感を感じる。

神秘的な身体を機械に見立てているというか・・・。

いっくら数値化しても、まだまだわからないことの方が多いんじゃないかなぁ、という気持ちが拭えない。

検査は最低限、でいいと思っている。

 

「予定されていたCTとエコー検査なんですけど・・・・」と私は切り出した。

先生「したくないって顔に書いてあるねぇ。いいよ、ウチは患者さん主体だから!」

下津浦先生はとっても話がわかるお医者さんである!

 

そしてさらに2週間後。

めでたく私もほぼずべてがゼロになった。

今日も穏やかな先生は「乳房に癌の共鳴が3つもあったのにねぇ!」と感心してくれた。

え、3つ・・・?(聞いてなかったよ〜、笑)

 

「二人ともとってもカラダの状態が良くなっちゃたよ」とお墨付きをいただいたので、

実は先日、先生から聞いた“究極の健康法”も、この一ヶ月してみた話をした。

先生は「お〜、それをしたらさ、患者さんいなくなっちゃうよ〜。薬のefficacy(効能・影響)なんて

もう全然、超えちゃうからね〜〜〜、2人が証明してくれたね〜!」ニコニコである。

 

人は光や水や空気や引力の影響を受けて存在している。健康も病気になるのもそれらの影響が大きいという

「光と水と風」のお話(先生の18番だそうです)をノートに書いて教えてくれたのだ。

その“究極の健康法”は副作用もなく、お金もかからず、苦しくもない魔法の方法♪

カンタンに解説できない深い内容含むので知りたい人はぜひ久留米へ!(HPに書いてあるかな?)

 

思うんですが、病人を減らした医師にちゃんとお金が入るシステムに変えるべきですよね。

今は病気を増長させる検査や投薬を医療としているところが儲かる構造なので、おかしくなっていると思うの・・・。

下津浦内科の話をすると、必ず「でもそういう病院は高いんでしょ?」と訊かれるけど全然である。

その医療内容(Oリング含む)に対して請求額、少なめ。世界遺産なのに。


 

そして今回のメッセージは「食べるものと同じように生きている環境や電磁波について意識を高めましょう」だったのかも。

夫のメインの原因は「冷え」(お百姓仕事は思いのほか冷える)。

私は「電磁波」が大きかったように思う。そして肉食も卒業の時期が近づいている気がする。

 

人の60兆ある細胞は約100日で入れ替わる。

だから小腸がちゃんと働いていて、習慣を変えれば治るとは思っていたけど、実際に結果がでると「やったね!」という気分。

でも、すっかりよくなっちゃったら先生に会いにいけなくなっちゃって残念・・・。

 

と、そんなことを考えていた矢先。

今回の久留米通いで知り合いになった方がご夫婦でおくなが屋にご来店。

お話を聞いていたら、なんとお二人は先生の息子さんと同級生だったそう(これもなにかの縁?)

おもしろかったのは奥さんの方は小さい頃から下津浦内科に行っていたので、Oリングテストっていうのはふつうに

お医者さんがみんなするものだと思っていたそうです。大人になって、あれ、なんだかとってもスゴイ先生だったの?って。

 

その話を聞いて私は、ほんとうにすべての人にとってそれが「ふつう」になったらどんなにすばらしいことだろうよ!と思った。

 

ところで。

先生と、お店に来てくれた方と、ウチの息子は名前にみんな同じ字がつきます。

この偶然にはなにか意味があるんでしょうか。(おそらく、なにもない・・・)

 

そして翌日。

私はのどくろの煮付けもキャラメルポップコーンも食べ、夫はお酒もコーヒーも再開。

ま、量を間違えなければOリングも悪くないと思う・・・、笑。

食事は心の栄養でもあるからね!

 

電磁波対策と朝のお散歩は続けています。

 

 

《追記》

このブログをUPして以来、下津浦内科医院に行った方からの問合せが増えました。

一人一人にゆっくりお答えできればいいのですが時間的にも能力的にもいつもというわけにもいかず、

とはいっても書いた責任上、私が答えられることには答えるのも悪くないんじゃないか。

そして、訊かれることには共通の質問が多い。

なので題して「FAQ for 下津浦内科その後」をここに加えさせていただきます。

 

Q.予約はした方がいいのか?

しましょう!

 

Q.Oリングはどんなしくみなのか?信用できるのか?

本が何冊もでていますし、いくらでも調べることもできます。自分で体験し判断するのが一番だと思います。

国際特許も取得しているテクニックですが、現在の日本の医療システムの中では利権を捨てることにもなるので

広まるのはむずかしいかもしれません。

でも長くお世話になってすごく役立っていると最初は不思議でも、すばらしい発見と思うようになりますよん。

  

Q.処方された薬は飲んでもいいのか?

自分の責任で決めてください。その薬がどんな薬がわからなかったら先生に尋ねるかネットでも本でも調べられます。

 

上のブログの内容はあくまで個人の体験で、決して「薬や検査を断っても治る」ことを主張しているわけではありません。

言うまでもなく一人一人体質も食べているものも仕事もストレスも住んでいる環境もすべて違います。

一部分だけ取り入れても同じ結果が出るとは限りません。

 

例えばウチのケースでは

 

◯化学物質(化学肥料、農薬、添加物等)は消化酵素で分解されず体内の毒になる。

◯電磁波を長く浴びているとホルモン系の癌や脳や心臓系の病気に罹患する可能性が飛躍的に上がる。

◯冷えは免疫力を大きく下げる。

◯ストレスも大きく免疫力を下げる。

◯畜産肉は至上最大の発がん性物質である。

◯一般の牛乳も同じくらいリスクのある飲み物である。

◯白砂糖は麻薬(!)

◯合成洗剤など環境を汚すものは経皮毒となって人も病気にする。

 

これらはほぼ間違いないことだと思っているので、ふだんの生活ではこれらを90%以上避ける生活を(たぶん

10年以上は)心掛けています。携帯も基本不携帯。冷えとりは基本。そして家族そろって食いしん坊なので、

家で食べるものに関しては、ほとんどオーガニックの食材を使うようにしています

そのために自給自足もしているわけです。

もちろんこれはウチの優先順位がたまたまそうなだけで価値観は人それぞれでしょう。

ウチの夫婦は食はなぜか一番で、そこから共通する問題の扉を一個ずつ開けていったタイプなのです。


ただ外食もするし、お肉も乳製品も甘いお菓子だって食べることもあります。

電気製品の便利さも享受している生活ですし、ストレスゼロというのも味気ないし現状ではきっと不可能。

 

ただどこかでバランスを考えてその後にデトックスになるようなことを自然にしているかもしれないです。

そして薬が必要な時も副作用のある石油由来の薬でなく、ホメオパシー、ハーブ、野草、漢方、自然療法などを優先します。

それが不向きなもの(外科的な事など)に関してはそれにあった方法を考えるでしょう。

 

そういうことがベースとなって、あとは納得できないことはわりと調べる方なので、

その上でさまざまなことを判断しています。


 


Q.すすめられた健康補助食品を取るべきか?

これも上の答えと一緒です。

 

ただ40歳を超えている、もしくは心身に不調がある場合は効果があると経験上、思います。

摂取する条件は「本物で」「自分に合うもので」「適量」をとること。

なので下津浦内科ですすめられたら、それはありがたく飲んだ方がいいと思います。

先生がどれほど専門的な研究と臨床データをもって勧めているか。それを考えただけでも価値はあるのでしゃないでしょうか。

本物の健康補助食品は原材料がすべて無化学肥料無農薬の食物等、もともと身体に害のないものを効果が高まるように

作られたものなので、それほど抵抗ないと思いますし試すくらいの気持ちで取ってみていいと思います。

 

でも体質は常に変わりまず。食箋(食事で体質を中庸にもっていくことによって偏りをなくし治癒力を高めること)

と同じで2週間とか1ヶ月経った時には、また診てもらって最適な計画に更新すればいいと思います。

その時もOリングテストが役立ちます。

 

よく乳酸菌の補助食品を出されたけど、乳はダメなんじゃないか?と訊かれますが、乳酸菌は乳ではありません。

乳製品の発酵を促すのでそういう名前?とにかくそういうことも今は調べるのも簡単です。疑問に思ったら自ら

調べるをこの機会に習慣にしてみてはどうでしょう?それも身体からのメッセージのひとつかもしれません。

 

漢方薬や補助食品の摂取をやめようかどうしようか迷う前に、今までの生活の中で止めなければならない習慣を

持ってしまった人が、薬や健康補助食品を処方されているということを忘れずに、一度生活習慣を見直して、

できることから変えていくといいと思います。

 

そして良質の健康補助食品はある程度、値段はするものです。(保険がきかないことが多いですし)

 

 

Q.どのくらい取ったら治るのか?

神さまじゃないのでわかりません。

が、習慣をきっちり変えて日々、感謝の気持ちで過ごせるようになった時には長くても3ヶ月、早ければ2週間で

数値も体調も変わる(治る)と思います。

 

どれだけ自然の摂理にそった暮らしができるかみたいな問題なので、体質や食べ物、とりまく環境、仕事、

人間関係いろいろな要素が含まれているので、一概に言うのはむずかしいんですが。

 

 

Q.オクナガさんはどれくらい薬を飲んだか?

これも参考になるのかどうか?

 

私は自分でOリングテストをするので(精度は素人ですが、それでもずーとしているとある程度は測れます)

その薬のOリングが強かった時まで(2、3日)は飲みました。あとは徐々に減らして1週間で止めました。

止めた、というより忘れたという方が正しいかんじで。(←良い子はマネしないように)

 

もし同じようなことをする時は各自の責任で判断し行うようにしてください。

下津浦先生は患者さんの主体性を大切にしてくれるめずらしいお医者さんです。

そして「主体性」というのは判断基準をもつこと、自らのセンサーを信じることができることが前提です。

どうか、そういうものを育てるチャンスを作りながら、最良の判断で健康になっていかれることを祈ります!


経験を積んだ助産婦さんが、妊婦さんを見ると、だいたいどんなお産になるか見当がつくように、

想像ですが、下津浦先生もきっと検査には出て来ない患者さんのなにかを嗅ぎ分けることができると思うのです。

そういう「感覚」も含めて一人一人の治療の手助けをしている、と感じます。


どこまで委ねるかはそれぞれが決めることです。

(堕落した医者なのか、ほんとうに患者さんのことを考えている医者なのか、それを見分けるのもセンサーの働きです)


体調を崩すということは、新しい波動に入れ替わる入口に立ったということです。

トンネルの先に見えるものにわくわくしながら乗り越えましょう!





  

 

薬害と新医学宣言

私にはもうずいぶん会っていない自閉症のいとこがいます。

伯父はその娘の将来を考えて障害をもつ人のための施設を東京の片隅に作りました。

家族にはいろいろなバランスをとるために多くの苦労があったと思います。

 

最近イタリアの裁判所で「自閉症はワクチンが原因で引き起こされるもの」であるという判決がおりました。

いつも、こういうことは時間がかなり経ってから明らかになる。

 

http://healthimpactnews.com/2015/u-s-media-blackout-italian-courts-rule-vaccines-cause-autism/

 

今まで遺伝性(先天性)のように思われていた症状が、後天性のものであると明言されたのです。

おそらく重金属(水銀やアルミ)が脳になにか影響して起こるのでしょう。

しかもメーカーは最初からわかっていたということまで明らかになりました

 

日本の場合はその同じ類いの重金属が農薬として現在もこの辺りでふつうに撒かれているので

原因はその両方になるかも知れませんが、とにかくワクチンはより直接的です。


報道規制がかかっている国(どこでしょう?)ではあまり報道されないニュースですが、

もし自閉症を遺伝性のものと思っている親御さんなどには伝えてあげてほしい情報です。

 

あらゆるワクチン(予防接種)は効果がナイばかりか害があるとついこの前もWHOが発表しました。

子宮頸癌ワクチンも不妊症を誘発する物質が入っていると言われています。

勧められることを鵜呑みにせず(このblogでさえ)、自分で必ずよく調べてみましょう。

ワクチンの責任は国も自治体も病院もとってくれません。

 

入学を控えた子どもにも必ず検診で勧められますが、責任をとるのはその場合、保護者なので

「ワクチンは受けません」と堂々と答えてもいいんですよ(あたりまえ)!

給食を食べるかどうかも、学校行くかどうかも、同じ。

選べるのです。

 

大勢と同じ行動をしていれば安心というのは幻です。

薬害は水俣やサリドマイドなど、大きく報道されてきたこと以外にも

まだまだ公にはされていないことが数多くある、と思います。

 

薬をむやみに飲まない。

注射、造影剤、輸血も要注意。

農薬・化学肥料を使った食品、添加物を極力、避ける。

そして自然海塩をかならず摂る(和食を食べる人なら一日18gくらい)。

 

そしてわからないことは調べてみる!

 

さて今日(3/10)は19:00からおもしろい記者会見の実況中継があります。

 

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〈新医学宣言〉

私たちは、人を脅かす医療でなく、人を活かす医療を求めます。
私たちは、「New medicine declaration」として、次の10大医療を提案いたします。

(1)「自然治癒力」を最重視する。
(2)「食」「心」「からだ」から治す。
(3)「自然療法」を最大利用する。
(4)「精神神経免疫学」の積極活用。 
(5)「笑いの療法」の積極活用。
(6)「氣の療法」理論の再評価。
(7)「整体療法」「運動療法」など。
(8)「建築医学」など環境医学を!
(9) 広範な「代替療法」の検証。
(10)「新医学行政」確立を目指す。

患者も医療関係者も政府も、全ての人々が手をとりあい、新しい医療の夜明けを目指すときです。
我々は、市民だけでなく現代医療現場の医師、看護士などあらゆる分野の人々に参加を呼び掛けます。
我々は、種を大地にまく。
この宣言は、そのささやかな第一歩です。

 

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もし興味のある方がいたら、ぜひご覧ください(パソコン視聴専用)。

 

http://www.ustream.tv/channel/veggy


 

 

 

 

 

10000時間の法則

もうずいぶん前に吉本隆明さんが話していたのかな「10000時間の法則」というのがあって、

人が何かのシゴトで一人前になるには、それを10000時間すればその道で食べていけるくらいになるとか。

 

その時は「長いなぁ!」と思ったけど、人はだまっていても歳をとるもので気がつくとそのくらいになっているものが

なにか出てくる。それが人によって30代だったり40代だったり、もっと先だったり。ま、いずれにしても。

 

自分の場合それだけ続けられたことってなんだろう?と最近、考えてみたら、この気が多くて飽きっぽい性格でも

いくつかあったので歳はとってみるものだー、とちょっと嬉しくなった!(単純・・・)

たとえばモノを見る(見つける)ことにかかわって10000時間。食にかかわって10000時間。

(経理は人任せだけど)お店の経営にかかわって10000時間。あと海外で生活した時間、旅した時間。

主婦としても1万時間、子どもに育てられたのも1万時間を超えているぞ。

それからたぶんクルマを運転した時間もそのくらいなような。

考えれば、なんかいろいろしてきたじゃん!と自分にご苦労さま、です(?)(シゴトと違うものもあるけど)


1万時間といったら毎日2〜3時間すれば10年、5〜6時間くらいすれば5年、10時間すれば2〜3年という期間。

そのくらい続けると何かその世界と自分の波動が親和性をもって細胞レベルで何かをつかめる感じ、というのかな。

一定の時間、寝る時間を削ってでも夢中になる濃ーい時間を過ごすと、確かに何か手応えが変わるものね。

 

ちなみにウチのダンナさんはパンの道では10000時間を超えてる。

大手企業のサラリーマンの経験も超えているねぇ(お疲れさまー)。

お百姓仕事ではその3分の一くらいかな?


なので、それだけ続けても興味が失せない対象ができたらあとは日々邁進すれば「だれでもいつかは」の世界です。

最近「◯◯をはじめたいけど・・・」などと相談を受けるときに

 

ーまずは一歩を踏み出す。

ー失敗してもいい。

ー他人に頼らない(迷ったら自分の心に聞く)。

ーその課程に楽しみを見つける。

ー力がついてきたら、それを世間に問う機会をもつ。

ーつまらないプライドは捨てる。

ー諦めない。

 

そうこうしているうちに10000時間だよ〜、と思ったりするのです。

 

すぐに答えを求めず(試験問題じゃないんだから答えなんてナイ!)

誰からもいい人でいようとしないことことも大事(だって賛成する人ばかりなわけないですからね)。


ほんとうにしたいことって、たぶん人に何を言われようと始めてしまうものと思います。

もし他人に「失敗」と思われても本人が諦めていなければ「過程」に過ぎず、それこそが次の進み方のヒント。

学びは与えられるものでなく、経験の中から掴んでいくものです。

そうして自分のセンサーを磨いていく。

 

とにかく10000時間、場数をふんで自分のセンサーにある程度、確信がもてるようになると

たぶんシゴトとして成立するようになるんじゃないかな。(と同時に周囲の雑音も消えていく、笑)

 

経験をしたもの勝ち!と思うし、10000時間すらその道の過程。もしかしたら次のスタート地点かも。

好きなこと、気になったことで、それが良心に背かないことであればどんどんやってみたらいいと思います。

たとえ、それが答えでなくても自分の能力を生かせるシゴトへの鉱脈に続いているものです。

百姓の前にパン職人をしていたことが意外に役だっていたり、人生の種まきはどこで発芽して、どこで花開くかわかりません。


 

おまけ(長いよ)。

おくなが屋で焼いているパンやお菓子がオーガニック&無添加で、扱っている食品も自然食品なことからなのか

「そうしなきゃいけない」みたいに外側からmustで考えているように思われますが、ちょっと違う。

みんな事情はちがうし、その中でベストを考えていけばいいと思います。


本当にいい食材をつかって商売すれば利益をだすことがむずかしいというのもわかるし(とくに人口の少ない地域は)、

でも反対に利益を第一に求めて材料費は低く抑える、あんまりいい素材は使わないで砂糖や添加物に頼って

売値は買いやすく設定するという方法は多くのメーカーや店で行われていることだけど、 

でも、そうするんだったら自分が携わることないじゃん!とつよく思ってしまうのが私なだけです。

特に食べ物は命をつなぐもの、という思いがあるので家族にも知り合いにも、もちろんお金を出して買ってくれる

お客さんにも堂々と差し出せるものを作りたいし、そういうことができないなら食のシゴトはしないです。

 

もし世の中がもっと呑気に暮らせる環境だったらわざわざそんなことは考えないけど、

知れば知るほど今の世の中は人を病気にさせる食品をイメージだけいいものにして広めている構造なので、

ま、そこを変換したい、というのが食をシゴトにした意味なので。

つまり内側からきている(どこからきているのかな?)なにかで、今のようにしているだけ。

それでもベストはまだ先にある、今のところのベストであって「過程」です。

 

食の世界が雑貨やインテリアの世界とかぶってきたのはいつ頃からなのか。切り離せないものなのは確かです。

スタイリストとカメラマンがついた料理本、最近は食のシゴトもする人もおしゃれな人があたりまえで、

それはそれでいいことだし、見ていて楽しい。私も好きです。でも同時にイメージに重心がかかっていて、

(その紙面に惹き付けるために仕掛けられたことなのだけど)、そこに写っているものの「質」や「背景』や

「影響」がいつも気にかかってしまう、ひっかかってしまうというのが、どうしようもない自分のサガなのです。

 

例を出しましょう。

ある雑誌に、もうずいぶん前の号ですが、クッキーを焼いてみましょうみたいな記事がありました。

そうしたら、そこに「小麦は国産でなく、作りやすくて、さくさくして美味しい海外産のを使いましょう」とあるのです。

とても良心的な紙面を作っている、しかも広告を取っていない雑誌なのに、無条件に外麦を勧めていることに

軽いショックを覚えて、まるで製粉会社が広告主になっているみたいだ・・・と思ってしまった。

外麦の危険性(ポストハーベストや燻蒸されていること)にまったく配慮なく、

なのに写真付きのページのトーンはとってもあたたかく幸せムードいっぱい・・・。

そんなものを見つけた時には、もう私にとってはしばし葛藤の時間です(つくづくめんどうな性格!)

 

その雑誌の編集長は自分で本もいっぱい書いていて、毎日、勉強する時間をつくっているなんてことも書いていたから、

そのくらいわかっているだろうと勝手に期待してしまっていたんですね。

その時は国産小麦を選んで使えば安全だし十分おいしいのができるのに〜、と思わず手紙を書こうかと思ってしまったくらい。

(今では私も大人になって?他のジャンルでは自分も同じような無責任な間違いをあちこちでしているんだろうと思うし、

そういう記事を見つけても、いちいちそんな反応をしなくてすむ術も身につけましたよ、エヘン!)

 

それでも昔はそんな余計なことを考えないで、もっと楽しめないのかな〜、と自分の気持ちを制してみた時期もあったけど、

でもあるとき、これはもう引き受けるしかない、と悟ったのです。

自分の道を行くということは気がついたら少数派だったのね、ということを受け入れることなのかも知れません。

なんか他の人とは違うところに引っかかる、というのは立派な才能です!(笑)

その道を歩きはじめたら、あっというまに10000時間でした。

(そこで主人とも出会ったし、無理といわれた子どもも自然に授かったのでやはり直感ってなにかの導き?)


というわけで、今は次の10000時間へ。

有機、オーガニックというのは一つのわかりやすい指標ですが、その前に想いとか、志とか、波動とか。

さらに医療の世界、環境や社会構造、最近ではソマチットの存在などもも解明されて、

そんな世界にもつながっていて果てしない(・・・)、長生きしなきゃ。

 

 

おまけのおまけ(さらに余計な・・・)。

そんなふうに自分の思うままで自由に探索している世界なので、簡単にマクロビオティックだ、ナチュラリストだ、

エコロジストだ、なんだ、とひとくくりにされるのがあまり好きではありません(キッパリ!)

どこにも所属していないし、その道の師匠についているわけでもないし、だれかを真似ているわけでもないし。


ま、世の中が歪んでいる分、そっち寄りなのは認めますけど。

 




 

 

 

くぬぎ舎からのお知らせ

豆岳珈琲とおくなが屋のクラブ活動、くぬぎ舎の今春からの予定を

facebookの方で少しずつお知らせしています。

 

まず3月は植樹祭一周年記念のピクニック(雨天の場合は豆岳珈琲で)。

土にまつわるお話を聞きながらのひとときです。

家庭園芸、家庭菜園、土に親しむコツを伝授します。

ランチには菜食レストラン「サッタヤード」のサンドウィッチ、サモサの注文も受け付けています。

 

詳しくはこちらをクリック⇒ ***

 

4月、5月、8月のイベントも詳細が決まり次第アップします。

お見逃しなく!




 

 

 

 

 

矛盾のないシゴト

今しあわせだな、と思うのは好きなシゴトが矛盾なく成立していることだ。

若い頃からのアルバイト的なものも含めて、振り返ってみるとホントにいろいろなバイトやシゴトをしてきたけれど、

慣れてくるとどうしても気になることが出てきて、これでいいのかな?と思い始めるとずーっと気になって

改善策を講じてみたりしても、自分ひとりじゃ解決できなかったり、その仕組みが成立している中では

「長いものには巻かれろ」という見えない空気とひとり相撲しているみたいで、そんな環境は心を曇らせ、

慢性的なストレスでもあった。

 

ストレスは良くない。

ストレスは体温を下げる大きな原因で、それで免疫力も数倍、下がっていってしまう。

身体の弱い、というと見ためにも語弊があるので、敏感と言い換えた方がいいのか(?)、

とにかくこの身体で生きていかなければならない私には、そういうストレスはもっとも避けたいことの一つである。

どんなにお金を稼げるシゴトだろうが、どんなに人から羨ましがられるシゴトだろうが矛盾を感じてしまうシゴトは、

二度としたくない(できない)。贅沢でわがままで恵まれているといわれても、ここだけは譲れない。

 

私が感じていた「矛盾」とは

「これを売って○○を増やしているんじゃないか」という気持ちの○○のところに

ゴミとか、病気とか、搾取とかの言葉が入るようなことや、

「このシゴトに携わってほんとうに○○にとっていいことなのか」という気持ちのところに

生命とか、人とか、健康とか、環境とか、社会とかが入るようなこととか、そういうこと。

 

そしてそういうことがあっても世の中では不思議と「とりあえず」そのシゴトは成立していて、

そこだけ経済的にまわっていれば、それはまるで正しいことのように存在している、ということも気になった。

 

だからといって、ボランティア的なもの、イデオロギー的な行動も正直、苦手な自分もいる。

たしかに助けられる人が助ける、というのはいいに決まっている。

ただ、それでまた矛盾を作っていないか考えることも必要な気がする。

いいシゴトを続けるためには適正な報酬があって当然だし、その行為がまた新しい歪みを生んでいないか、

矛盾を作っていないか時々、吟味するのも大事なこと。

 

自然環境というか、宇宙全体というか、大きな循環の中でバランスをとりながら命が存在しているとしたら

人間の行動もどこか、そういうものと調和していた方が着地がうまくいくように思う。

個人のゆがみは宇宙のゆがみにつながる。

 

これは戦争反対とか原発反対とかにも通じるし、デリケートな問題で誤解されたくないのであまり言いたくないが、

なにかを声高に主張したり、抵抗するには相当なエネルギーが必要で、それは無限にあるわけじゃない。

エネルギー過多な若いときなどはなんでもすればいいと思うが、今世では有限な命(エネルギー)のもっとも

有効な使い方を考えると(こういうところが合理的っていわれるんですけど)、もっと人が全体的に今日の生活を

そっちにもっていくようなことに使った方がいいのでは?と思うことが多い。そうすれば一部の人が自分の生活を

犠牲にしてまで、世の中の歪みや矛盾に反対することを続けなければならないという現象も減るのではないだろうか。

私たちはつい枝葉末梢的な「見える」出来事に右往左往してしまうが、その根っこの原因をなくさない限り

問題はまたカタチを変えて現れてくる。


日々のなかで一番時間を費やすシゴトの選び方、家族と過ごす時間、暮らしの中の選択一つ一つを

少しでも矛盾のないものにしていくことの方がもしかして平和に近づく波動を起こせるんじゃないか、と思うのだ。

ここに至るまでさんざん寄り道した私は最近、そう思う。

 

ダブルスタンダードで生きていると、なんというか魂がピカピカしないような気分に襲われる。

余計な因果をつくるな!そのツケがどこにまわるか考えよう!とどこからか声が聞こえる気がする。

「好きではない」という感情の中になにか本能的に関わりたくないというものがあるかも知れないし、

それを辿っていくと見えないところで人を傷つけていたり、不幸の元を作っていたり、環境破壊や

社会悪に手を貸しているのかも知れない。と考えるのはいい歳して青いですかね?笑

 

だけど「好き」とか「なんだか嫌い」という気持ちは案外、根があるものだと思う。

好きなものに囲まれると心が元気になるし。

 

おくなが屋ではしたいことの10%もまだできていないという現実もあるけど、それと同時に、

この規模で矛盾のない店づくりができなければ、この先する意味がない!という気持ちでやっている。

 

矛盾がない、ということはお店に関わるすべてのものがいい循環している、ということ。

どこかの誰かが虐げられているような商品や、環境を壊していくことで利益を生むような商品や、

買ってもすぐゴミになってしまったり、不健康になってしまう質のものとか、利益がよくないことに

使われていたりとか、そういうものは今が良くても結局はダメ、全体の首を絞めていく。

毒は極微量だから効くのであって。ありすぎたら死にます!笑

 

今、おくなが屋で仕入れをさせてもらっているところ(会社でも個人でも)はすべて、

こちらから見て、どこか尊敬の気持ちをもてるところばかりで、これはすごくありがたいこと。

「尊敬とは人間関係の塩分である」そうですよ!

そういうところばかりのモノを集めるとたとえジャンルがいろいろでも、なにか沸点が一致するかのような

不思議な調和が起こる(気がしている)。だからそういう「好き」と深くわかっているものしか置かない。

目下の悩みはそういうモノとの出合いが増えてきて、でもお店の面積は決まっているということです。

 


話は飛びますが、最近すごく気になるのはホームセンターや包装資材屋さんの店内音楽。

若い歌手の恋愛系の歌を大音量でBGMにしている状況にたびたび遭遇するけれど、

お客さんは私を含めてほとんど中年なので、なんかそれだけでも場違い感あふれてるし、

それにああいう店って、みんなそれぞれが頭の中であれこれ思考を巡らせて必要なものを選ぼうとしていると思うんですよね。

いつも静かに買い物させて欲しい〜、と思うし、いったいなんの効果を狙ってかけているのか疑問です。

 

それに、そこで働いている人は一日中、そのBGMが耳から入ってくる環境ですよ?

蛍光灯たくさんとか、電磁波たくさんとか、音量の大きいBGMとか。

シゴトする場所がそんなものであふれていたら耐えられるのか?と勝手に心配しています。


さて本題に戻ると、そんなわけでおくなが屋にかかわって下さっている一人一人に

ほんとうにありがたいなぁと思う今日この頃です。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 


 

 

6歳のズルやすみ

朝ごはんもふつうに平らげたくせに、「今日はだるーい、保育園ちゃんと元気になったら行くー」と

ベッドに戻った息子。ふとんの中ではクマやライオンと一緒に横になって本を広げている。

 

まあなんか、こういう日もあるよね、とほっておいたら、こんどはストーブの前でレゴブロック。

「もう、寝なくていいの?」

「クマさんとライオンはね、まだふとんにおるよ」

あっそうですか。

 

「ねえ、ママ。なんかちょうだい。お腹すいた!」

「パスタでいい?」

「うん!(眼、キラキラ)」

 

「なんか、こうやってママと2人でお昼っていうのはめずらしいねぇ」などと大人っぽいセリフをはいた後

「いつもは、みんながいろいろしゃべってうるさいからねぇ」って、うるさいのはキミでしょ。

 

もぐもぐもぐ・・・・。

「ねえママ、ボクおヒゲついてないかな〜?」

 

呼ばれて振り返ったらこんな顔。

 

 

春になったら家族でイタリアンレストランに行こうと計画していましたが時期尚早かもしれないです、笑。

 

 

ちょっと苦しげなライオンくん。






10歳のバレンタイン

ただ今、4年生の娘は毎年、クラスメイト全員にチョコレートのお菓子を手作りしています。

去年まではクッキーやスコーンを作ってきたのですが、今年はマフィンにするという。

レシピをあれこれ探して、材料を変えたり加えたり計算しなおしたり忙しい。

頭の中でひとりシュミレーションをしているようなレシピ制作のメモ。

メモ用紙になっているのは学校の連絡帳のページ・・・笑。

 

ママ、お店のキッチン貸してー!と張り切ってスタート。

もくもくと作業すること数時間。

 

やればできる!

試食したら意外においしい・・・かなりイイ線いってる!

「お店で売れるかもよ〜」というと「オーバーだよ」と冷静に親バカをたしなめて今度はラッピング。

なんだか頼もしくなったなぁ。


最近は豆腐も作ってくれます。

自家製大豆がいっぱい収穫できたから、豆腐と納豆もいよいよ自家製にーということになったら

もう、その作業工程を覚えてしまったようで、すでに私よりコツを掴んだらしい。

 

母はうれしいです。

お菓子の材料ぜんぶ使いたい放題、提供してるけど、笑。

どれもオーガニックの最高のものなんだよ、べつにいいけど・・ブツブツ。

 

そして、母もがんばって

「ブラックチョコレートとクランベリーのスコーン」という新しいメニューを発表♪

こちらはもちろん試作を重ねて、只今販売中でございます。

 

 

 

 

 

健康診断

夫の健診について久留米まで行った。

福岡県は広いから(東京都の2倍以上あるよ)行ったことないところがまだあって久留米も初めて。

ふつうの健診はパスですが、ここにはいつか来てみたいと思っていた。

 

自分でのOリングテストはよくするけど、やはり、いつかはプロ(?)にと思って、

これを発見した大村先生の本で紹介されていた下津浦内科のことを私が夫に提案したのに、

当日、受付で「どちらでこの病院を知りましたか?」と訊かれた夫は

「よしもとばななさんのブログで!」と元気いっぱいに答えて、受付の女性を苦笑させていた。

ま、いいけど・・・

 

Oリングテストは進化していた。もう身体にも触らない。こんなに負担のない方法で検査できてしまうなんて!

しかも精度が高いことも証明されているなんて!これが、もっともっと普及すれば国家予算の半分が医療費なんて

バカみたいなことが防げるだろうにねぇ。いや、他にもいっぱい医療費を削減する方法なんてあるのに、

なぜ手を打たないんだろう??? なんか構造が透けて見えるよう。

 

下津浦内科医院は癌の患者さんが多いそうだが、重苦しさがなく、働いている人はみんなサザエさんかムーミンにでも

登場しそうなおおらかでほのぼのした雰囲気でいいな!と思った。先生の話を患者さんに混ざって聞かせてもらった時も

肝臓がんの人が「他の病院で赤ワインならいいって言われてOリングしたけどパカパカで、側にあったプレミアムビールを

したら良かった!」というので、私は思わず「プレミアムとエビスがたぶんいいので、是非してみて」と話しかけたら

帰りぎわに出口で「今日は来て良かったよ〜、ボク、エビス大好きなの!」とその男性は大喜びで帰っていった。

なんか明るい!


先生の「癌が見つかっても切り取ったり、抗癌剤入れるんじゃなくて、寿命よりもゆっくり成長してもらう

っていう治療法があってもいいと思うんだよねぇ」という考え方に感銘して、つい私まで先生のOリングを予約してしまった。

 

実際、受けてみて興味は深まるばかり。

そして生活の中でいろいろ気をつけることがことがわかって有意義だった。

が、それにしてもこういうとき、いつも私の方が心配される。

今回もまた!

「ボク、奥さんの方が心配になってきたよ・・・」と呟く先生。

そして、よくこれで子ども産んだねぇ!と褒められた(のか?)

「もう一人くらい産んだらもっと健康になりそうなんですけどね!」と言ったら

「え!今、いくつ?へー、じゃぁ応援しなくちゃ!」とニコニコ顔で応じてくれた。

(冗談です!)


だけど「先入観」というものがどれだけ真実から人を遠ざけているかということもよーくわかった。

長く生きていると、つい無意識に持ってしまうんだろうな、気をつけよう。

どんなことでも「絶対ということは絶対ない」。

Don't make an assumptions という言葉をいつも胸に生きているけど、

これは「憶測を持つな」より「先入観を持つな」ってした方がしっくりくるかも。


あと量の問題もOリンングだとよく理解できる。

良いものだけで作られた健康食品でも、処方通りの3つだとなぜかダメでも1つだととてもいい、とか、

野菜でもまるごとが弱くても、少量にすると強くなるとか。

「量は質を変える」の一般論が一人一人に具体的にわかってしまう。


Oリングテストは現代医学の検査では発見できない数年先の癌発生までもわかってしまうので、

その事実に悲観的にならないで、前向きに捉えることができるなら一番の予防法になる。

もっともっと広まればいいのになぁ、Oリングを信じるのってむずかしいんのかな。

もう、これからはいろんなアプローチはあるけど、とにかく波動医学の時代がくるようだ。

 

下津浦先生の技術と思想と、できればあのお人柄も含めて継承してくれる人もどんどん増えたらいいのにと思います、本当に。

 

(たぶん)つづく。

 


 

 

大地震がくる?

20年前の今日、前日に仕入れの旅から戻って来たばかりの時差ボケで朝早く目が覚めて、

たまたまTVをつけたら「神戸で地震!」というニュースが飛び込んできた。

その映像はリアルタイムで起こっている現実という感じが全然しなかった。

今さらながら被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

 

当時は地震といったら当然「自然に」起こるものだと思っていた。

しかし、どうも人工地震なんていうのもあるらしい。

 

そして今また大きな地震の前だとあちこちで言われている。

だけど、朝のテレビでそれが現実と認識できるまでに時間がかかったように、

「もうすぐ地震がくる」という予告もそれを今の生活の中に落とし込むのにも時間がかかるように思う。

避難用リュックに必要なものを揃えるというようなことよりなんていうかもっと精神的な面で。

 

そんな時、Yahho!の一面に阪神大震災当時の生々しい写真を出すのはどうなのだ?

何万人という人の目のなかに一日に何度も残像が残りそうな映像を送り込んで防災意識を高めてる?

・・・なんか違うような気もする。

 

突然、起こったことに対する条件反射みたいな行動ってほんとうにその時になってみないと案外わからない。

東北の震災のとき、原発が爆発したという情報が届いて、子どももいるからとりあえず距離をとろうと思って

動き始めたときも、通りかかったパチンコ屋も焼き肉屋さんも駐車場はいっぱいの日常のままで、

なんだかとてもシュールだった。ま、これはちょっと違う例かもしれないけれど。

でも、ふだんは見ない自分の本質を再確認しているような気がした。


311のことでは自分たちは「被害者」でなく「経験者」なんだと考えている。

経験は新しい感受性のフィルターが増える人生の財産だ。

だけど生きている状況によっては同じ日を経験しても、かなり厳しい現実になる人もいるだろうし、

将来的には誰もがその可能性を多少なりに抱えていると思う。


あれ、何が言いたいんだっけ。


人生なにが起こるかわからない。

タフでなくっちゃ!

そして今の常識がそんな時にどれほど通用するものなのか?

311後はいつもそんなことを考えるようになった。


世間体とか、人並みにとか、学歴社会とか、いい会社とか、お金の価値とか、土地の価値。

宗教、貯金、保険、今住んでいる家はほんとうに人を守ってくれるのか?


インフラがきかなくなって、お金の価値もなくなって、頼りにしていた会社もつぶれて、家も倒壊して、

今までの幻想が一度ぜんぶクリアになったら?


そこに少しでもワクワクする気持ちを見つけられるくらいに強く生きていたいと思う私なのでした。

 



 

 

ダムネーション上映会

くぬぎ舎としては初めての市民上映会がおかげさまで無事、終了しました。

足を運んで下さったみなさま、ありがとう!

 

そして今回は来れなかったけど、関心を持って下さった方も多くて、こちらもありがとう!

夜の中津市の教育福祉センターが少し熱くなりました。

 

映画の内容がアメリカのダムの歴史から始まり、しかも全体がアップテンポで字幕の訳も

けっこう省かれていたり、もう一回くらい観た方がほんとうに細かいところが入ってくる、

そんな感じもありましたが、ともかく予想以上の人が観に来てくれて良かったです。

 

観賞後のトークセッションも、もっと時間があっても良かったね。

みんなに残ってもらって聞いてもらっても良かったね。

などなど、運営面で至らぬ点もありましたが、反省点は次回に生かします。

 


やっぱり自然とのハーモニーを抜きにして、人の幸福は成り立たないよね。

「いのち」というものがすべての循環の上に成り立っているのもである限り、

行き当たりばったりの経済政策はかならず行き詰まるのだ!

 

ダムでもなんでもそうだけど、ここ数年先のお金がまわるかどうかばかり考えている政治家たちは

七世代先の世界を考えて今、どうするか判断するというインディアンの爪の垢でも飲んだらいい。

 

それでも、こんなに自然をないがしろにしてしまっている世の中だけど、

それを訂正する方法も残されているし、自然も回復する、っていうところが救いだ。

映画「ダムネーション」の中で不要なダムを撤去して川の自由な流れを取り戻すことに成功した人の言葉。

 

「何かを変えたかったら、政治的に動くのもいいかもしれない。反対運動に参加するのもいいかもしれない。

でも、一番ものごとを動かすのは川を愛している人の諦めない気持ち。川で寝っ転がったり、遊んだり

そういうことを思いっきり楽しむことが出来る人が川の流れを戻したんだ、世の中を変えたんだ」

 

詳細はちょっと違ってたかも知れないけど、そういうことを言っていた。

 

 

 

 

 

上映会のお知らせ

耶馬渓の豆岳珈琲とおくなが屋のユニット、くぬぎ舎主催の上映会のお知らせです。

 

https://www.cinemo.info/theater_detail.html?ck=153

 

「ダムネーション」

全米で何万と増えたダムの問題を、軽快でユーモラスな方法で解決していく実話のドキュメンタリー。

アメリカの雄大な風景の映像とともに、環境問題を通して未来に希望をもてるストーリーです。

 

1月11日を「自由な川の日」として全国でこの映画を市民上映しようという

アウトドアメーカー〈パタゴニア〉協賛の映画です。

 

大きな環境問題を扱った映画なのに、観た後はなぜかさわやかな気持ちになりました。

ダムの話は自然の生態系の問題を含み、私たちの食の問題にも通じています。

この映画にはなにか問題を乗り越えて行くときの解決方法のヒントがあると思います。

 

ぜひ、お誘い合わせの上、上映会に足をお運びください。

 

「ダムネーション」上映会 

 

日にち:1月11日(日)

場所:中津市福祉センター(木もれ陽ホール)

時間:開場18:00 上映18:30 *87分 *日本語字幕

チケット:1000円(前売のみ)

 

チケットは豆岳珈琲とおくなが屋で販売しています。

 

よろしく♪

 

 

 


 

また、お休み中のごちそうさま

化学肥料や農薬を一切使わないでお米や野菜をつくっている友人宅のお餅つき大会。

その玄米餅、奥永家は2升も頼んだ。どんだけ食べるのさー、笑。

しかし、これはあらゆるお餅の中のおいしいをすべて含んだ味!

薪で餅米を炊き、それをついて、まだ湯気が立っているお餅を次々とまるめて。

芋餡、小豆餡、きなこ、大根おろしに酢みかんを絞ったの、等々。

一日中、お餅三昧でした。

 

九州にきて初めてだったのはお餅は石臼で3人くらいが順番に杵でつくという方法。

東京(関東地方?)は木臼で1人がつくから。

関東出身者同士で話すとやっぱり最初、驚いたっていう。

おもしろいなー。

そういえば、お餅のカタチもこちらは丸餅が主流。

関東は東京と栃木だけの経験でいえば、四角い切り餅かナマコ型をカットしていくパンのような形。

日本全国、地方によってお餅のスタイルもいろいろ。

 

右上の写真は最近、ウチの畑で収穫した野菜をとにかくゴロゴロしたまま蒸しただけの料理。

それにかぼす酢みかんやゆずと醤油、またはオリーブオイルと塩をかけて頂きます。

簡単だけど、野菜の甘さがよくわかっておいしい。

 

先週から焼きはじめたフルーツ&ナッツのパン。

このブレンドは私が昔、外国で食べて感激したパンを再現したくて、味の記憶をたどって

レシピをつくったパンです。ま、実際つくっているのは夫ですがね。

とにかく好きな味。カランツ、柑橘系ピール、ヒマワリの種、アーモンドスライス、

そしてクルミがたくさん入っています。小麦は自家製、自家製粉のライ麦と全粒粉入り。

どーです?

 

母の誕生日で食べた某喫茶店のイチゴケーキ。

生クリームには砂糖が入ってなく、チェリーのリキュールだけ入れているのだそうです。

甘すぎず、ザ・イチゴケーキ!という感じで、来月の息子くんの誕生日もこれが食べたいぞ。

ホールごとでも食べられる私がワンカットだけにしてるなんて大人になったもんだ。

 

そして、じゃがいもの横にあるのは地元で赤かぶと呼ばれるメバルを使ったアクアパッツァ。

夫作。これにパスタも茹でてあわせて戴きました。ああ、美味しい休日!

 

 

 

 

 

ハチドリのひとしずく

明日は選挙です。


いろんな党に分かれているけど同じ劇団の中、役が違うだけで、

全体で同じ方向に向かって演じているようにしか思えない。

 

与党の暴走を止めるのなら野党はなんとか一致団結して議席をとるのが

まず最初にすることなんじゃないか?とこちらは思うけど、

あいかわらず立候補はしても当選するつもりはないような感じの当選挙区です!

票が分かれたら結局、集団自衛権や秘密保護法に賛成した議員を続行させてしまうではないか。

 

その人柄と政治的行動は別だ(同じく人柄と仕事ができるか否かも別)。

海外に居たときを除いて選挙には必ず行っていたけど、自分が入れた人が当選したのは

那須に居た時の町長選くらい。それでも今回もちゃんと行きますよ。

いつも思うのはこの世の中、まるで多数派が正しいかのようになってしまうことが納得いかない。

そして選挙権を使わない人に、あとでなんの権利が残るのかとも思うし。

 

2020年に予定されているオリンピックの競技場なんかをつくる建設要員も集まらない

くらいの日本で、そもそも戦争なんかできるのか?と思うけど、

誰にそそのかされているのか、今でも戦争のできる国をつくろうと政府はしている。

ぜひ、そんな時にはまず首相、そしてそれを支持した人から行ってもらいたいものです。

私はいやです、子どもにも行かせません。

 

「選挙に行きますか、戦争に行きますか」というコピーはすばらしかった。

戦争になるとなぜ嫌なのか、というと自由がなくなるから。

自由とは自分のしたことをちゃんと自分で尻拭いできる人になるということ。

その自由がないと人は自立できないし、自立できないと依存する。

依存するということは人のエネルギーを無断で奪うということ。

語弊があるけれどそういうことだと思う。

 

組織に所属したとたんに良心よりも任務を優先させるのは、見えない恐怖心のせいと思う。

生活ができなくなる恐れ。

立場を失う恐れ。

病気になった時のこと。

貧乏になること。

死ぬこと。

そして意外に強いのは「人並み」でなくなること。

優越感を失うこと。

 

目先の任務に夢中になっている間はそれにフタをすることができるけど、

潜在意識では良心の呵責を抱えているから、いつまでもすっきりしない人生。

 

もうね、今月の19年に一度の朔旦冬至がもうすぐ(12月22日)だから、

戦争どころじゃなくなると思うよー。もっとすごい裁きが待っているんだよー。

 

当選不可能だとしてもハチドリのひとしずくとして選挙には行きましょう。

私は「誰を当選させたいか」ではなく「誰を当選させたらヤバいか」の消去法で投票するつもりです。

 



 

 

 


 

 

お休み中のごちそうさま2

6月に植えた苗が無事、育って今年も十分なお米の収穫が出来ました。

ということで、くぬぎ舎主催の田植えに参加してくれた方たちとささやかな収穫祭。

 

羽釜でお米を炊いたり、

畑の野菜でけんちん汁をつくったり、

育てた地粉を石臼で挽いた粉でどら焼きをつくったり、

畑の冷泉で産まれた自然卵をごはんにかけたり。

いつものことながら、食べものの写真を撮るタイミングをすっかり忘れてます。

だって、その時は味わうことに集中するじゃん!(いいわけ)

思い出は胸の中に♪

 

 


そして、翌日は久しぶりのイタリアン。

 

ここでも戴く前に気づいて撮れたのは2皿のみ〜。

前菜の生ハムやチーズ、パスタもとっても美味しかったので集中してました。

生ハムはメロンとかグレープフルーツとかではなく、旬のりんごと合わせているのがいいな、と思った。

ここ(行橋の「森の休日」)のお料理はスローフードの理念が生きているから好き。

そして自分ではゼーッタイ作れないプロの味なので、外食の楽しみがちゃんと味わえます。

値段もとても良心的と思います。


要予約。未就学児不可。そしてサンダルとかTシャツ+短パンみたいなかっこうで行くのはちょっと失礼です♪



 

 

 

お休み中のごちそうさま

くぬぎ舎マーケットも無事、終わったので今後のミーティングを兼ねて集合。

の前に耶馬渓の「つうだらだった」でお昼。


地物の有機野菜を使った手の込んだ定食はごはんのおかわりもOK。

それに、ちゃんとしたコーヒー(豆岳ブレンドよ)とデザート(あんこ系!・・・甲田さんを連れてきてあげたい)も。

良心的すぎる値段設定に驚きつつ、勝手に心配。もうちょっと高くしてもいいので、ずっと続いてほしい〜!

お味噌まで手づくりだからねぇ。それはもう安心の美味しさです。

手づくりの納豆まで分けてもらって、これがまたすごくいい味でした。



そして家に届いた宅急便。開けてみるとなーんと

東京・仙川にある「AOSAN」からおーっきいカンパーニュ。直径30cmちかくあったかな。

切ったらこーんな!

小麦の風味も、水分量とか、気泡の絶妙な入り方とか、もう最高。

しかもこんなのをどーんと送ってくれるなんて、同じところのまかないのカンパーニュを

食べた同士だからわかる言葉不要のテレパシーみたいな会話をしているようで二重に嬉しい。

ルヴァン卒業生のすてきな仕事ぶりを垣間みると、心地よい励みになりますね。

 

あー。それにしてもおいし過ぎ!

最初はそのまま。

つぎはオリーブオイルと塩。

つぎはバター。

そしてはちみつをプラス。

さらに今年作ったあんずのジャム。

で、やっぱりもう一度、バター&はちみつ・・・。

畑の野菜でサンドウィッチにも。


どんなふうに食べても、たまらなくおいしいよー。助けてー。

翌日には跡形もなく消えていて、息子に「あーあ、あんなに大きかったのに!」と呟かれてしまいました。

 

こんなレベルのパンを毎日、焼き続けてるなんてほんとうにすごいよなぁ!

 

 

満月

3ヶ月続きのスーパームーン。

9月の月。雲の模様がおもしろい。

今夜の月。

ただいま、皆既月食中。

キャンプ用の椅子を並べて、子どもと(夫も)一緒に天体観測しています。

 

今日の早々朝?深夜2時頃も月が強い光を放っていて、まぶしかった!



ー翌日ー

お月様はまだまだ大きくて、

それを一人パジャマ姿で窓から眺めていた息子くん。

突然「あー、今日は月にうさぎが5人おるっ!」


え?


「ほら!うさぎが5人おる・・・」


は?


そして「いつもは3人なのに」と呟き、真顔で驚いていた。


あんたはすごい!


いつもは3人(にん、笑)だったなんて。

知らなかったよー。





 

故郷

生まれた土地に戻ると病気も治ることがあるそうだ。

くわしい理屈はわからないけど、人と土地の結びつきにはそのくらいなにかあるのだろう。

ルーツ(根)というくらいだから。


何ヶ月ぶりに東京に行って、いつもは都内中心に動くのだけど、今回は祖父母のお墓参りと

海外赴任から数年ぶりに帰ってきた幼なじみに会うので、自分が生まれた三鷹や吉祥寺、

3歳まで住んでいた国分寺にも行った。


駅のあたりはどこも様変わりしているけど、少し歩くと意外に変わっていないところも多くて

まだまだ緑も残っていたりして嬉しかった。


福岡の田舎に住んでいて東京出身というと、すごい都会で生まれ育ったように思われるけど

そんなこともないんだけどなぁ、といつも思ってしまう。農家だった同級生こそいなかったけど、

空き地も野原も雑木林もまわりにまだ残っていて、いつも夕食の時間までずっと友だちと外で遊んでいた。

あの頃は今の子どもよりずっと自由な時間が多かったように思う。

宿題も少なかったし、習い事している子でも週に1〜2日だった。


ここもイトコ達とよく遊んだ武蔵国分寺。ほとんど変わっていなくてタイムスリップした気分。


吉祥寺駅はかのローズ・ベーカリーもできていたり、すっかり先端の街になっていて、少し離れないと

昔の面影を見つけるのはむずかしいけど、でも住宅地や三鷹市に入って歩いていると

なんだかわからないけど、なんか土地が話しかけてくるような(←おかしなヒトになってます?)

気持ちがしてくる。この感覚は他の土地にはない。やっぱりなんか繋がっているものがある気がする。


もうちょっと気が読める修行を積めばいいのか、チャクラが開くといいのか、わからないけど

そうすれば何を語りかけられているのかわかるようになるのかも〜、笑。


今回は東京の良さを何度も感じた旅でした。

東京の良さというのは、あのたくさんの人口とたくさんの情報の中で、ちゃんと生きている人がいること。

サービスが洗練されているのも好き。なんでもアリの感じも好き。

どこにいても繋がる人とは繋がる、と思える機会がころがっている感じも好き。


これから長く続きそうなよい縁にも出会うことができたし、逆に数年ぶりに再会できた知り合いも。

ずっと想っているのは大事ですね。






誕生!

友だちに赤ちゃんが産まれました。

小さくて真っ赤な女の子。

 

その友だちはいつも自宅で産んでいます。

お産についてよく勉強し、食事に気をつけ、身体づくりをしっかりして、

家族と、そして今回は友人も駆けつけて雑談しながらその時を待っていました。

もういつ来てもいいよー、と思いながら、みんなでごはんを食べたり。

 

陣痛はときどきやってきては引いてを繰り返し、大潮の日も超え、満ち潮も超えて。

え〜、じゃあ夕方か夜になるかなぁ!といいながら、おしゃべりは続き・・・。

 

よし、それなら。

そんな時の為に持ってきていたホメオパシーのレメディ・ポルスティーラを2回。

そして三陰交のツボを指圧。

どちらも陣痛を促して、いいお産になるといわれているもの。

これで赤ちゃんの準備さえできていれば、きっといい陣痛がくるはずっ!

 

しかし、友だちは4回目というのもあって、もう余裕の笑顔。

陣痛に苦しむ様子ゼロ!笑

ウチの娘も弟以来のお産の立会う!と一緒に向かったもののハンモックにゆられちゃってまるで緊張感なし。

 

お昼を過ぎた頃、少し陣痛の時間が長くなり、

それを何度か過ぎた後、痛みの種類が変わってきたので、お風呂はいろう!ということになり

友だちはお風呂場へ。お昼寝しそうになっていただんなさんも起きて後を追う。

 

お、苦しそう・・・、やっと、きたか?!と思ったら、

「そうそう、少しずつ・・・」という声が。

 

なんとお風呂に入ってからたったの13分で赤ちゃんはすんなり誕生しました。

超安産!!!

こんな軽いお産てあるんだー、とホントびっくりしました。

本人は「あんな痛みがずっと続いたらどうしようかと思ったー」と笑っていましたが、

いや普通、それが長く続くからみんな大変なんだよ〜。

まったく大したものです!


 

おめでとうーーー。

食べるものや生活の仕方って大切だなぁ、とあらためて思いました。

 

子宮の状態って、女性の健康のバロメーターですね。

今は不妊や異常出産がものすごく増えているって、それは女性が本来持っている子宮の能力が低下しているってこと。

私もえらそうなことは言えず、20〜30代はボロボロでした。

でも、その状況は変えられるのです。

 

男の人みたいに昼夜問わずバリバリ働かないこと。

身体を冷やさないこと。

パン食中心からお米中心に変える。

肉食を減らす。

本物の調味料を使う。

旬以外のものを食べない。

工場でできた食品には手を出さない。

手づくりのものを食べる。

解決を人任せにしない。


ビクビクせず、どーんと構えてあとはなるようになる!と思っているのも大切かな。

こんなお産を間近に見ると、本能的なこと、自分のなかの直感や野性を曇らせてはいけない!

とあらためて思いましたねぇ。


昔はこんなふうに、近所の女性が集まって小屋の中でお産をしていた時代も長かったそうで、

特に異常がなければ、全然それでOKなコトで大きな自然のなかの営みの一コマなんでしょうね。




 

おばあちゃん、監視区域、そして農の探求

今日は一見、バラバラな話題です。

もうご存知の方も多いでしょう。

 

まずは若杉おばあちゃんのインタビュー。

本もいろいろ出ていますが、このインタビューはなんか神髄が詰まっていて、読み返してしまう。

こういうおばあちゃんが増えたなら、さまよう若者が減る!と思うんだけどな。

 

http://amanakuni.net/Namaenonai-shinbun/Namae129-masumi.html


ところで「おばあちゃん」てこの世の塩梅をわかってる魔女のこと(?)

私はおばあちゃんが大好きで、父親に対して腹立つことがあっても

「おばあちゃんの息子だから」と一生懸命、許したことも!笑

今でも生き返って欲しい人、ナンバーワン。

 


そして日本の国土の15%が「放射能監視区域」であるという報告書についてのブログ。

 

http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2659.html

 

ちょっと長い内容ですが、要はヨーロッパの公式研究チームがかなり綿密な科学的アプローチで

実際の放射能汚染度を調べた結果、日本政府や東電の発表(そして日本の多くの人が思っている値)

をはるかに上回る汚染が広がっていることがわかってしまったという話。

そこには首都東京も入っているのに、オリンピックを招致して喜んでいる国・・・。

テレビや新聞しか見ないと、目隠しされたままだからね。

決して心地よくない情報だけど、知った上で夢や希望をもって生きられる工夫をしなくては!

 

  

最後はアウトドア・メーカーのパタゴニアの広告から。

"Agriculture is our wisest pursuit, because it will in the end contribute

most to real wealth, good morals, and happiness.” - Thomas Jefferson 

「農は我々のもっとも賢明な探求です。それが結局、ほんとうの豊かさや

道徳心、そして幸福を最大にもたらしてくれるので」

 

この言葉はトーマス・ジェファーソンという第三代アメリカ大統領になった人の言葉です。

園芸学者でもあり、当時の米国でもっとも博学といわれた彼が国務長官だったときに

初代大統領のジョージ・ワシントンに送った手紙の一節だそう。

政治家ってもともと「わかっている人」がなるものだったのね?



今日はこの辺が気になった話題でした。チャンチャン♪








 


 


なつやすみ 2014

ふたつの台風のあいだに、奇跡のように晴れてくれた夏休み。

 

東京から飛行機でやって来る友人家族と待ち合わせの日。

午前中は大雨。

まさか宿でトランプ?と思っていたら午後には雨があがり、

滞在中はずっと、海で遊ぶことができて、

日本各地の豪雨のニュースがまるで遠い国の話のようでした。

 

夜にはベランダから目の前の海面を照らす明るい月が見えて。

どうして、ああいう風景はいくら見ていても飽きないんだろう!

 

子どもたちは生き物博士の友人にずっとくっついていて、

海や草の中のいろんな生き物と遭遇できて楽しそうでした。

 

そして食事にもたいっへん恵まれた旅!

お料理に力を入れている宿なので、それはもういろんなワザがあちこちに。

もう食べきれないよー、とお腹パンパンになった時に「今からごはんです」と

タコと生姜と大葉の炊き込みご飯が登場、翌日は葉わさびとアワビの炊き込みごはん。

もちろん、おかわりまでして戴きましたよー(この2つのメニューはぜひ再現したい!)

そして、さらにその後にデザートとコーヒーもありました(!)

胃が3つくらい欲しいところを1つで乗り切った感あり。

 

ウチの食いしん坊の息子は宿の人がテーブルに食事の用意を始めると、

どこからともなく現れて、一人ニコニコ顔で着席していたらしいです、笑。

 

 

 

経皮毒

商品のところに書きはじめたら、長くなってしまったので、こちらに引越し。

今日の授業は「経皮毒」について!

 

まずこの「経皮毒」という言葉ですが、

石油化学製品が大量に生産、消費されるようになって生まれた言葉/概念です。

 

シャンプー、リンス、ボディソープ、生理用ナプキン、洗剤、化粧品などに含まれる

有害化学物質が皮膚から侵入し、体内で有害な作用を引き起こすことを表した言葉です。

 

考え方は添加物とほとんど同じですが、大きな違いは口から入った有害物質はある程度、

肝臓の代謝酵素が分解・解毒してくれますが(その分、肝臓には負担がかかっていますが)、

皮膚から入った有害物質は一ヶ月かかっても10%くらいしか体外に排出されないこと。

自覚のないまま、溜まっていくところ。

 

それはどこに溜まるのでしょう?体内の脂肪に、です。

脂溶性の毒なので自然には排出されない毒として体内に蓄積されるのです。

 

現在、有害とされている化学物質は1500種類以上といわれています。

ひとつずつは一応、動物実験等をして「安全」と許可されていますが、それらを複数で取ったとき、

またそれを長年にわたって取ったときについての影響はほとんど公表されていません。

(この辺は食品添加物、同様です)

 

それが上にあげた日用品の原料に含まれている合成界面活性剤や溶解剤の作用で、

皮膚の角質層のバリヤーを溶かされ、経皮毒の侵入を許してしまうのです。

 

皮膚の部位によって、その吸収率は変わります。

腕の内側の皮膚を1とした場合、およそ

 

頭 3.5倍

顔 6〜13倍

手のひら 0.83倍

脇の下 3.6倍

背中 17倍

性器 42倍

 

なので倍率が高くなるほど、そこに触れるものをきちんとチェックしなければ。

 

赤ちゃんのおむつ、お尻拭き、生理用品。

歯磨き粉、マウスウォッシュ。

ボディソープ、石鹸。

化粧品すべて。

(例えば口紅に使用されるタール色素、顔料はは食品添加物としてさえ認められていません。

発がん性が高く、危険な物質だからです。どちらにしても合成色素は毒性が非常に高いものです)

シャンプー、リンス、毛染め剤、パーマ液。

 

あとコンビニ等のお弁当の容器に使用されている発泡スチロールも環境ホルモンである

スレチン樹脂(ポリスチレン)という素材からできています。

それを電磁波いっぱいの電子レンジで温めて食べるということがどういうことか?

もう想像できますね。

 

これらはすぐに障害が出ないので(毛染めでショック死の例などはありますが)、

大丈夫だと思いがちですが、経皮毒は時間の経過とともに残留・蓄積されて発症するため、

障害が出た時には手遅れなのも怖いところです。

 

また経皮毒の吸収率は皮膚の温度が上昇すると(毛穴も開いて)10倍にも跳ね上がります。

なので、日常生活の中では入浴中がもっともその危険にさらされることになります。

お風呂場で使う製品にはとくに要注意。

入浴剤もへんなものを使ったら、まったくの逆効果。

シャンプーもコマーシャルに出ているものは、ほぼ間違いなくアウトです。

CMに出ているタレントもそのメーカーの経営者も、その製品なんか使っていません。

 

なぜ莫大な費用をかけてCMをうてるのか。TV番組やファッション雑誌のスポンサーになれるのか。

それは製品の原料に安いもの(化学合成物質)を使っているため大きな利益が生まれるからですね

(みんな知ってることですが)。

イメージに惑わされている限り、毒はどんどん体内に溜まっていくわけです。

CMに出てる=危険、と簡単な見分け方法なので、経皮毒を避けたい人には役立てましょう。

 

それらのシャンプー等は使用直後は宣伝どおりの効果を感じるかもしれませんが、長く使用していると

様々なトラブルが出てきます。実際には化学物質で傷ついてしまった髪をさらに化学物質でコーティング

して美しく見せかけているだけ。髪をコーティングする成分は車をピカピカにするカーワックスにも

使用されているものです。まぎらわしいのは、そのトラブルは頭皮や髪以外のところにも出て、

一見その原因がシャンプーとは判断しにくいところ。シャンプー以外も同様です。

 

経皮毒が体内に蓄積され、それが一定の量に達するとアトピー、花粉症などのアレルギーも誘発しますが、

最も影響を受けるのは「脳」だと言われています。なぜなら脳は80%が脂肪でできているから。

知能、学習能力、記憶、注意力、集中力、気分を支配している神経伝達物質が影響を受けるため、

自閉症や適応障害党の可能性も指摘されています。

 

あとは婦人科系(子宮、卵巣)も大きな影響を受けると言われています。

病気だけでなく、月経周期、妊娠、出産にも影響しています。

最近は羊水が合成シャンプーの香りだったりすることも有名な話。

とくに妊娠中はパーマやヘアダイを避けるべき。

赤ちゃんは経皮毒の吸収率が大人の数倍です。

奇形や死産の原因にもなりかねません。

そして男性の不妊症。発がん性、とあげればキリがないほど。

知らないとこわいですね。

 

そして、そういった製品は私たちの心身を蝕むだけでなく、環境にも過度な負担をかけています。

汚れた川にはメス化した鯉。ゴミ焼却時にはダイオキシン。

そういうことを知ってしまったら、自分ひとりくらいは大丈夫という行為が未来を破壊している、

とっても意識の低い行為とわかると思います。

 

では、どうやって見分けるか、どうやって避けるか。

裏面の成分表を見ても、カタカナや見慣れない名称のオンパレードでどれが悪いものなのか判断つきにくい。

いちいち成分百科事典のようなもので調べるのも現実的じゃありません。

添加物と同じでキャリーオーバーもあります。

そして、同じ名称でも抽出方法や原料が違っていたりすることも。

同じ「合成洗剤」という区分でも、成分的、環境的に真逆の洗剤もあります。

もう、わけがわかんないですよね。

 

ひとつは先にあげたCMをしているか。有名メーカーは株式上場していて利益優先なので避けたほうが無難です。

ノンシリコンといっても、それ以外の化学物質は入っていたりします。

あとはメーカーのHPなどで、きちんと成分についての説明があるか。

(イメージばっかりで肝心なことをボカしていないか?)

 

価格については、食品はわりと見分けるポイントになりえますが、日用品については一概に言えません。

「ナチュラル」「自然」「植物性」とかいうフレーズにも要注意。

一部の成分だけ、そうであれば表示できて、その実、毒だらけの商品がいっぱいです。

 

シャボン玉石けん、太陽油脂などは良心的なメーカーと思います。

動物実験を行っていない、というメーカーの製品もまず大丈夫。

おくなが屋で扱っている

 

シャンプー、コンディショナー、ヘナ(白髪染め)。

石けん類、化粧水など基礎化粧品類、歯磨き粉。

ハンドクリーム、ボディクリーム、リップクリーム、日焼け止めクリーム。

生理用ナプキン。

直接、肌に触れる下着(すべてオーガニック・コットン製です)。

蚊取り線香、虫除けスプレー、防虫剤。

台所洗剤、洗濯用洗剤。

 

も安心です。すべて実際の使い心地等も確認もしていますので安心して使ってもらえたら、と思います。

原因不明の不調があったら、経皮毒を疑ってみてください。

デトックス(解毒)に時間と費用をかけるより、最初から毒を入れない工夫をした方がホントらくちん、

毎日、快適です。

 

・・・・・と今回はPRを兼ねたブログになりました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病気と診断されたら

「体調が悪くて病院で検査したら○○と診断された。どうしたらいいか?」

「知り合いが癌になった。なにかアドヴァイスできることはないか?」

 

そういう質問や相談がよくあります。

これからの世の中、残念ながらそういう人はどんどん増えていくでしょう。

化学肥料、農薬、放射能汚染。

クスリ、ワクチン、トランス脂肪酸、添加物。

不自然に育てられた畜産肉、養殖魚。

過度のストレス、そして経皮毒。

こういう「自然の循環」から外れた毒を受け入れている限り身体は破壊されていくからです。

 

だからもし病気の症状が出たときはこれらのものを受け入れていなかったか、まず自問自答してください。

そして病気をとるか、今までの生活(習慣)をやめるか、その岐路に立っていることを自覚する。

問題は症状ではなく、もっと根本を治そう、正そうと考えることが肝心。

 

そして知識、情報を得る。

今はネットもあるし、本もいろいろ出版されているし、その気になればいくらでも手に入ります。

そうやって自分(または保護者)が判断力をつけなくてはまわりで何を言ってもムダです。

だって、まわりで違う意見を10こ言われたら、どれを選んで実行するか「決める」のは結局本人だから。

 

筑紫哲也さんというニュースキャスターがいましたね。

彼は初期の肺癌が発見され、すぐに抗がん治療を受け、相当苦しんで数年前に亡くなりました。

そして「僕は癌(の治療法)について、いかに無知であったか非常に深く深く反省しています」という

言葉を残しました。知的な人であったであろうに、その魂の乗り物である自らの身体については

真実を知った時には時すでに遅く、癌は全身に散っていたそうです。

間にあわなかった無念さはほんとうに気の毒。

もし彼がジャーナリストとして取り組んだ社会問題を取材するように、それらの治療法について

事前に自ら調べていたら結果は違っていたかもしれません。そしてそれを社会に発表してくれていたら。

それでも彼は最後に大きな学びを私たちに残してくれた!とも思えます。

 

もし私だったらの、の話。

まず検診には行きません。マンモグラフィーやCTがそもそも身体に悪いので。

今はそういう考え。

 

けれど10年以上前は検診でひっかかってしまい3ヶ月おきに通っていました。

経過観察、というやつです。子宮癌と卵巣嚢腫と。

「妊娠も無理!」と3人の医者から太鼓判(?)を押されていました。

 

そうしたら、ある日の検診でなんと妊娠が判明。

その一年前のほぼ同じ頃には子宮癌の摘出手術が予定されていました。

担当医はびっくり。カルテをめくりながら頭を抱えていました。

「ボクの手術、受けたっけ?」

「いいえ、お断りしました!」

「でも癌がなくなっている。受けたよね、手術?」

「いいえ〜」

「・・・・・・・?」

 

そのあたりから私の疑問は始まりました。

結果、娘はなんの問題もなく自然分娩で誕生。助産院を選んだことが私には良かったのです。

助産院の検診は病院の時とは違って、ゆったりしていて楽しかったのです。

すごくリラックスできて、そして自分の身体が次の命を乗せている感じもすごくおもしろかった

(願わくばもう一度くらい経験したい!笑)

自然てすごいなーーー!とその仕組みに心底、感動していました。

そして経験豊富でいきいきとシゴトをこなす助産師さん達を信頼することができました。

お産が終わったときは、なーんだ、私の身体って大丈夫なんじゃん!と思いましたね。

 

病院に通っていた時はいつもどこかでビクビクしていました。それはもうすべての症状に。

そして常に自分の健康に自信がなく、そもそもあんまり丈夫じゃないんだ、とか

なんとなくできそこないの身体なのかな、と感じていて、それは精神にも及んでいました。

それがお産が終わった途端、陣痛が引いたのと一緒にすべて一掃されてしまった。

もう病院に行くの、やーめた!と自然に思えたのです。

 

妊娠期間に出合ったホメオパシーの本も読みはじめていたし、昔から実家の本棚にあった

東條百合子さんの本もあらためて読み返してみると内容がすーっと入ってきました。

病気の原因は外側にあるのではなくて、すべて自分の生き方にあることも腑に落ちました。

食事法についてもあらゆることを試して、自分にはこの辺だろうというのも見えてきました。

 

さらに赤ちゃんが家にやってくると、母乳かミルクか、ワクチンをどうするかなど

新しく判断することが次々あって、それを勉強したことも今考えてみると良かった。

その助産院で産んだお母さん達が通っていた真弓定夫先生や毛利子来先生、

あとは山田真先生の本はほとんど読みました。

 

以来、何かあっても食事の内容や自然のものを使った手当て、ホメオパシーで十分、対応できる

ことを子どもに教えてもらっています。

今日も「予防接種が未摂取なので、すぐに受けましょう」という通知が届きましたが、

その脅しばっかりの文面にうんざり。ここでビクビクしたら負けなのです。

だって、このワクチンで乳幼児の突然死の起こる確率も、障害の出る可能性も、

精神に異常をきたす確率も、そういった副作用については触れられていません。

そして、その責任の所在も。

 

むかし、プラトンの著した「メノン」を教材に教育哲学を少し勉強していた時に岡村先生が

「教師と医者は同じシゴトだからねえ」と話してくれたことがありました。

この話は長く深くなるので省きますが、要するに人はもう知ってる存在である。

知らない人間に教えるのが教育なのではなく、魂レベルですでに学んでいることを「引き出される」ように

導くのがシゴトである、という哲学なのですが(こんなに簡単にまとめちゃほんとうはダメよね?)、

つまり医療に置き換えても、人は本来、健康である。その力を引き出せるように導くのがシゴトなはず。

それはどちらもお産婆さんのような役割だということ。

 

それなのに、です。

癌がきっかけで亡くなる人の80%は行き過ぎた投薬、手術、抗癌剤などの医療行為によって。

世界のどの国でも医者のストライキが起こると、その地域だけ死亡率が必ず激減する事実。

医者が増え、製薬会社は業績を上げ、国家の医療費も莫大に増えているのに病気もさらに増えているという現実。

(同じく教育現場ではどうでしょう?)

 

そんなわけで。

私だったら再び癌になっても西洋医学による治療はおそらく受けません。

実際、手術も受けずに10年超え。娘のあとに息子も自宅出産で産んでいます。

だから医療保険、ましてガン保険なんて、ほんとナンセンスと思ってます。

だって、まず西洋医学にしかおりないでしょう。その時点で終わってます。

 

それよりも今日の食事のための本物の食材、知識を得るための良書、考えるきっかけを

与えてくれる一冊にお金を使った方がずっと健康になると信じています。

 

よく癌になったから、と玄米菜食に切り替える人がいます。

それはいいと思うのです、無化学肥料、無農薬の玄米であれば。

ただ、同時に放射線治療を受けたらプラマイゼロかマイナスが大きい状態になります。

さらに、そこで減塩なんてやってしまったら、もータイヘン。

そこに気づかないと玄米菜食をしても、その一生懸命さが逆に悲劇です。

こういうことを忠告してくれるお医者さん、治療師がもっともっと増えてくれたらいいのですが、

たぶん自分で勉強した方が早い。

  

あと担当医が優しい、よく話を聞いてくれる、というのも治療法とは切り離して考えるべきです。

お医者さんの性格と、批判力、検証力を含めた知識の質とはたいがい無関係だからです。

「その類いの論文は全部、読んでいますから大丈夫」とか言われても、そんなことで信用しちゃいけません。

本当にすばらしい論文なんてものは、その世界の既得権に不利益なものだったり都合が悪かったら

潰されることが多いのです。でも「人のいい」「勉強熱心な」お医者さんは性格が素直なためか?

そういう構造的なことは頭になく、差し障りのない論文をマジメに読んでいることで安心してしまう。

 

たとえばお店で買ったものが不良品だったら、交換か返金をしてもらえることは当然ですよね。

でも、病院の場合、誤診や誤投薬はもちろん医療ミスがあっても罰せられることはまずありません。

そういうこと、つまり相手にはリスクがなく逆にこちらは心身または命がかかっているということも

考慮に入れておいた方がいいと思います。

 

西洋医学はもともと緊急医療として発達してきた医術です。

骨が折れた、外科的な大けがをした、戦場で負傷した兵士を治療する、そういう時のための医術でした。

だから、そういう時になったらお世話になればいいのです。

癌や糖尿病、高血圧やアレルギー、花粉症などはもともと専門ではありません。

例えれば、靴屋さんに行って「にんじんとかぼちゃ下さい」と言っているようなもので、

それが、症状を抑える合成薬が開発されたお陰で、治癒という認識に大きなズレが出てきているだけ。

症状を抑えることは本当の治癒ではないんですよ、決して。

アレルギーや糖尿、癌など慢性病的なものは西洋医学では治らない、という研究結果を

公表している良心的なお医者さんだっています。

 

慢性病的なものを治すにはある程度の時間がかかるのがふつうです。

原因が長い間かかってできたのに、クスリをつけて一晩で治るなんてどう?

水袋を想像してください。どこかを押すと他の場所がむにゅっと出ますよね。

症状や病気もあんな感じです。こっちを抑えたら、別の場所に移動するだけ。

しかも身体の場合、より深い、治すのが困難なところへ向かうという法則があります。

 

呼吸、飲む水、食べるもの、家族関係、仕事、そういうことのどれかを見直すともっといい人生が送れるよ!

というサインが症状だったり、病気だったりするので、死んだ人に症状は起きません。

生きているからこそのものです。それを抑えるということは自分の一部を少しずつ殺してしまうことです。

なにかしらの不調や症状は毎日、ほとんどの人が経験していると思います。

それは今日も私たちが生きているから!

いちいち病院に行く、その依存体質をまず初めに治すことが先決です。

 

昨日も今日も誰それが癌になったニュースが飛び込んできます。

どんなに何か秀でた能力を開花させた人でも、ひとたびその魂の乗り物である身体のことになると、

医者任せ、病院任せ。それでは逆に助からないことに、どんどん気づく人が増えている、そう信じたい。

健康は決して人生の目的ではないけれど、何かを成そうと思った時にはいちばん大切な手段なのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星空

突然、ぜんぜん関係ない出だしだけど、なんだってー?

91歳になる関西電力の元副社長が死ぬ前に正直な話を、と

「歴代の首相に毎年2000万円、徴収した電気料金から盆暮れに渡していた」という証言をしたらしい。

そんなことだろーとは思っていたけど、もうこうやっていろいろなことが表に出てくる時代なんだな。

斉藤くんの名曲「猿の惑星」が頭の中をリフレイン♪

 

27時間テレビでSMAPがノンストップでライブ。中居くんが完全に塩切れ状態になっていたけど、

みんな全然、寝ていない辛そうな状態で、それでも最後までなんとかステージをこなす姿に

感動をもらった!と涙している人がいるし、香取くんは「フジテレビサイコー!」とか叫んでいるし、

これはもう仕事のできる社員が期待されるままに極限まで働らくことは素晴しい、という

洗脳になってしまっていませんか?ダイジョーブ?

キャッチコピーも「武器はテレビ」。武器ってナニ?

 

 

20代の頃、高校の先生たちと吉祥寺(東京です)で飲んでいる時に

「平山(私の旧姓です)はぜーったい無理、田舎暮らし!どー見ても!」と言われたことがあって、

その時は、田舎暮らしというものがなんなのかまったく考えていなかったので、

「そりゃ、無理だよ?だって、知らないもの〜」なんて思っていたものですが、どーよ?今!

医者と教師の言うことはいい加減だな!笑

 

とはいうものの、今だにこれが田舎暮らしなのか、きっと半分以上そうなのかも知れませんが、

実際、何が違うのかあんまり変わっていないような気もする。それは、東京といっても生まれも

育ちも中央線の吉祥寺以西、武蔵野だったというのもあるかも。都内に住んだことないし。

 

なぜ40も過ぎてコネチカットとか那須とか、今いる場所を選んだかというと、

それは子どもができたから、という理由が大きい(やっぱり導かれている)。

なぜか都会や街で子どもを育てる自信も根性もなく、イメージもあまりわいてこなかった。

それより「日が昇ったら起きて、沈んだら寝る」みたいな生活が送りやすい場所の方が

なんとなく子育てしやすい気がしていた。

 

やっぱり街は商売をしにいく場所、サービスをしたりされたりする場所。

そして闘いに行く場所、というと語弊があるかな。でも、そう思う。

刺激もたくさんあるし、情報もいっぱいあるから、例えばこういうブログひとつ書くのでも

もっとシャープな見方、書き方ができて、もう少し洗練されたことのひとつやふたつも

表現できるんだろうなとも思うんだけど、なんとなく今はここがいいと思っている。

 

子どもが田んぼや畑やその他の植物や虫のことを、すでに私が同じ年齢だったときより

ずっと詳しくなっているのも良かったと思う。東京に住んでいた時はよくキャンプを

計画したりしていたけど、今は毎日キャンプのような環境なので、その欲求もなくなった、笑。

 

逆に困るのは品揃えに唸るような本屋さんや、外食できるところや、おいしいパン屋さん(自分でしなよ?)、

気の訊いたカフェが非常に少ないこと。軽い食事もできて、ほどよくほっといてくれて、本を読んだり、

勉強したり、ゆっくり話したりできる、家でも仕事場でもない第3の場所。そういう文化的なもの。

 

と、ここまで書いて時間切れ。

すると朝方、夢を見た。

斉藤(和義)くんが出てきて「カフェいいな。天体望遠鏡の見れるカフェやってよ〜。渋谷がいいな〜」

と言われた。夢の中ではふつうの友人で、次のライブも行くね〜、とか話している流れで。

私は「渋谷じゃ星あんまり見えないんじゃない?それなら田舎の方がいいよ」と答えていた。

 

 

目覚めて思った。ああ、そういうことだったのか!

星がきれいに見えるようなところに私は住んでいたいんだ。

空気が澄んでいて、夜空に星がいっぱい見えて、自然からエネルギーがもらえるような。

 年齢がいって子どもを持った私でも、エネルギッシュな子どもと毎日つきあえるように、

そして、なんとか子育て(という名の自分育て)ができるように。

 

都会は知らない間に会ったこともない人にあれこれ搾取されやすいし、ついつい

働きすぎちゃって消耗するものね。どんなことにもいい面とそうでない面が裏表。

 

確かにコネチカットも那須もこの辺も星空がきれい。信じられないほどたくさんの星が肉眼で見える。

ああ、そういうことだったんだー。

 

 

 

 

海のアルバム

頼りになる友人、おーなり由子ちゃんの絵。

なんて、なんてかわいいんだ!う〜ん

「kodomoe」という雑誌の終わりからすぐのページに連載されている

「おもちゃ箱ぐらし」というエッセイのページの絵です。

「去年一緒に海にいった時のことを書いたよー」と電話があったので、つい買ってしまった。

Amazonじゃなくて、地元の本屋さんで買うのも大事だよね、とか言い訳しつつ、笑。

それで読んだら、まるで夏のアルバムいちばんのショットのような内容に、やっぱり買って良かった。

(でも本にもなるそうなので、そちらを買うのもいいかもです)

 

内容は、子どもが毎日のように放つ「書き留めておきたいっ」と思うような発言を切り取っていて、

こういうのって実際はどこにも記録できないまま、それが日々更新されていくうちに、

親はたちまち忘れてしまうんだよね。

すくってもすくっても指の間からこぼしているようで、ホントもったいないなぁ!

こんなこと、大人になったらもう言わないんだろうなー、と思いながら。

 

だから、家族にとってもいい記念になったエッセイでした。

ほんとうに、こんな時期はもう二度とないんだもんなぁ。

ささいなことだけど、涙がでるような、でもあたりまえのこと。

 

 

そして、おーなり由子氏の著書の中からもう一冊。

毎日のように娘と息子がゲンカばっかりしていて、もううるさいなっ(怒)

と思いながら、散らかしていた本を片付けていた時に、ふと読んだ

 

「おにいちゃんといもうと」 のあとがき。

 

これは翻訳した絵本で、だんなさんのはたこうしろうさんもイラストを描いています。

絵もストーリーもかわいいけど、大人はきっとあとがきにもグッとくるはず。

またケンカ!?と思うたび、その感情に巻き込まれないように、

中のフレーズを思い出しては自分のココロを沈めています、笑。

 

 

そんなわけで、今年もまた夏休みをいただき、恒例になりつつある夏の海へ行ってきます。

「どうせ、ママはおーなりさんとずーーーっとしゃべっているだけなんでしょ!」と

今から娘に言われていますが、それで母たちは元気になれるので、

良い子たちはお父さんたちと遊びましょう!笑

 

来年に予定している、くぬぎ舎イベントの打ち合わせもしてきますので、楽しみにしていてくださいねー!

お店は8月3日より11日まで連休になります。

詳しくは「今月の営業」もご覧ください。

 

子どもとの生活はまさにおもちゃ箱の中にいるような・・・。

 

 

 

 

 

プライスレス

どこかのクレジットカードのCMで使われてしまった言葉だけど、

金額が付けられない、とっても貴重な!という意味のpriceless。

 

先のブログでも書いた通り、食品には気をつけけなければならないポイントが複合的に存在する。

311以後(ほんとうはそれ以前からみたいだけど)、放射能までそこに加わってややこしいったら

ありゃしない。なので、ウチはえーい、めんどくさい!それなら自分たちで育てたものを

食べるのがいちばんシンプルでわかりやすいんじゃないか?と思い立ち、

2011年の6月、まずお米から作り始めた。

 

夫は幼い頃、兼業農家だった祖父が農作業をしている光景を見ていたとはいえ、サラリーマンと

天然酵母のパン職人だった人。私は東京育ちだし、ほとんどド素人のふたりだった。

それでも化学肥料や農薬を使わず立派な野菜や米を育てている大分県のなずなを知っていたので、

そこの赤峰さんのところになんども通って、質問を繰り返して、時には機械までお借りして、

そうしてなんとかその秋には、自給率200%を超えるお米を収穫できた。

 

赤峰さんは地元の農業高校を卒業後、教えられた通り化学肥料も農薬もありの農業を

しておられたそうですが、そこに疑問を感じてからは10年以上の試行錯誤を繰り返し、

そういった毒物を使用しない、自然の循環に沿った「循環農法」を編み出した人。

(興味がある方はどうぞ赤峰さんの著書を読んでくださいねー)

 

りんごの木村さんとも重なるのですが、ほんとうに化学肥料や農薬を使わず、一定の収量、

(それも見た目も立派な)をあげる農法を確立するのは並大抵のことではないようです。

赤峰さんも木村さんも一時は大きな借金をかかえたり、世間からの冷たい目のなか、

先が見えなくても希望は捨てなかった長い時間を経て今がある。

(その上、最後はあっちの世界もみてしまうところも共通点!)

つまり、そのくらい全身全霊、人生かけるくらいの勢いで完成した農法。

家庭菜園で失敗してもいいや、くらいの氣持ちで作るのとは違う。

 

だから、その辺で簡単に「無農薬です」と謳っている作物を見ると懐疑的な私はつい

 

Q1 化学肥料も使ってない?

Q2 減農薬なだけじゃ?

Q3 単に売る為のフレーズ(で実はまったくのウソ)?

 

などとつい思ってしまうわけです。

だって、そんなに簡単に見た目も立派なのがつくれるわけないじゃん!と。

 

化学肥料は作物の細胞レベルに入ってしまうものなので、ある意味、農薬よりタチが悪い。

有機肥料という名で、実は化学肥料入りのものも流通している。

(その中にはすでに汚染されているものも多い)

減農薬は使う回数が「減」なだけで毒性はむしろ上がっていることが多い。

無農薬でも、種は消毒していたり化学肥料や除草剤は使っていたりする。

さらに有機と認定されていても国が約30種類の農薬は許可している。

という現実もその疑いを深くする。

 

でも今、ほんとうに有り難いのは、赤峰さんや他にもそういう人が、気前よくバンバンその農法を公開している

ということだ。だから私たちは10年を待たず、極貧もあじわうことなく、安全でおいしい作物を収穫することができる。

あと、戦前までは誰もが化学薬品を使わず農業をしていた、ということも忘れちゃいけない。

赤峰さんや木村さんほどの質と収量をあげられていたかどうかはともかく、それでも名人がきっと

あちこちにいて、みんなに教えていたのかもしれない。

赤峰さんや木村さんは農に携わる人の割合がすごく少なくなった社会が生みだした人という側面もあるのかな、

と思う。だってみんなが自分の分を作っていたら、一人の人がつくる量もそんなに多くなくて

失敗も全然あり〜、ってなるのだから。

 

ただし化学薬品を使わない農法はすることは多い。夫は毎日、この猛暑の中を草取りに行っている。

服ごとシャワーを浴びたように汗をかいて、水筒の水が無くなったらすぐ戻って来なくては危険なくらい

クラクラする日差しのなか。もうすぐ70代の母親も「孫に安全なものを!」という想いでそこに加勢している。

 

もちろん、ここまでしなくても、それなりの収量はあるけれど、田植えのあとの田んぼに入れる

一ヶ月間にどれだけ草取りができるかで一反あたりの収量も変わるのと、特に今年は草取りのペースが

上がって、今まででいちばんの収量が望めそうな気配なので頑張っているのです。

でもまあ、こういう農法は最後は自然が決めることなので、どうなるかわかりません。

 

それでも。

たとえ望む収量がなかったとしても、その作業自体にいろいろ得るものがあるらしい。

アウトドアのスポーツをするのと同じ爽快感を味わえる。

「汗をかく」という脂溶性の毒出し法の中でも特に効果があるといわれることをタダでできる。

そして、オレにはお金を払ってスポーツクラブに行く必要がない。

サウナやバーベル上げ、腹筋も必要ない、そうです、笑。

そう、農作業ってもともと身体を使うことが好きな人には特に向いているのかもー。

私はもともとハードな運動?意味わからない・・・という人なので、もっぱらお任せ、笑。

ハーブ、フラワーレメディ、ホメオパシーの研究家と化しています♪

 

そして2人してこんなことをしていると、自然はすでにすべてを与えてくれている。

自然こそがほんとうの師匠!という想いが日に日にどんどん強くなってくる。

教育というのも、ほんとうはもうそれだけでいいんじゃないだろうか?なんて。

 

テストで人の優劣を決めたり、教育費の心配をして子どもを産むのを控えたりとかって

ものすごい不自然なことだよねぇ、と。

 

(でも公正な第三者による資格制度にもまだ役割と効果があるので、その為にはお金が

かかるのはある程度、しかたがないのかな・・・)

 

話をもとに戻すと、こういう農作業をする人が一家にいることのメリットはまだまだあって

先にも書いた、いちいち食材を「ほんとうに大丈夫?」と心配する必要がないこともそう。

まわりにもそういう人が集まって来るので食材がいつも豊富&情報交換ができる。

スーパーやコンビニで怪しい食べ物を買う必要もない。

子どもに安心なものを与えられる。だから好き嫌いもなく野菜をいくらでも食べてくれる。

そして、自然に旬のものしか食べなくなる。

スーツや靴代、おつき合いのための居酒屋代、外食費などが不要。

(サラリーマン時代はこれらに毎月、相当額つぎ込んでいらっしゃったそうです

/ま、それも人生経験なので全否定することなく、それがあっての今ですけど)

 

そして家族と毎日、一緒に食事ができるというのもあたりまえなようですが、

子どもが小さいうちはなるべく守ろうとしています。

だって、食事が一緒にできる生活なんて、あと10年とかそんなもんでしょう、おそらく。

その間に人間関係つくらなかったら、なんかココロが離れていくのも簡単な気がするのです。

 

さらにオマケで、こういう生活は免疫力を自然に上げていることになるので、

家族の誰もが病院や薬や注射のお世話になることがない。

大人は成人病検診にも行かない。ほとんど無意味と思っているし、興味がない!

子ども2人はワクチンも飲み薬も今だ未経験。

歯医者さんには最低限かかるけど、そんな感じで内科その他にはお陰さまでまったく無縁。

インフルエンザでも2、3日で自然に治る。

 

さらにオマケ2として、こういう農法をする、ということはイコール生き方の価値観をつくる。

(農法と価値観はニワトリとタマゴだけど)

つまり人生の時間を切り売りする仕事でなく、ただの対処農法でもなく、もっと深いところに関わるものなのだ。

世の中の見方や、ものごとの判断を明確にするナニカがある。

そして、たぶん自分を被害者とか不幸とは思わなくなる。

 

先日、夫と友人が田んぼで休憩をしていた時に、どこからかおじさんが現れて

「こんなこと(手植えや草取り)をわざわざやるメリットって何かあるの?」と尋ねられたそうです。

率直なおじさん。まわりはみんな機械と除草剤を使ってサクサクやっているのに、

何の目的でこんな手間のかかることをするのか?と思ったようです。

 

とても一言で答えられない質問に2人は笑って「クスリ使わなくていいからね」とだけ

答えたそうですが、言葉が足りてなーい!全然、伝わってなーいっ!

ということでブログのネタにしてみました。おじさんは読んでいないだろうけど、笑。

  

あと、よく心配されるのは稼がなくて大丈夫なのか?ということ。

でもですね、じゃ、なんでお勤めしてお給料もらっているのですか?

たぶん、こういう生活(子どもにまともな食事を与える、家族と楽しく暮らす)

をするためというのが半分以上の理由じゃないのかな?

私たちはそれをお金を使わないで直接、手に入れているだけなので。

 

娘や息子が小さかった頃、お風呂の中で興味半分に

「どうしてパパとママのところに産まれてきたの?」と訊いてみたことがありました。

その時の答えは「だって、おいしいものを食べさせてくれそうだったから!」

空から見て、たくさんいるお父さんとお母さんの中から選んだんだよ、とも言っていました。

 

そんなこともあって、私たちの選択は子どもに導かれているのかなー、と思うこともしばしば。

導かれている生活のひとつひとつがほんとーに、プライスレスなんですよ、おじさん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放射能汚染

これは最近、東京にいる友だちから教えてもらって買った本。

どんな食品が放射能汚染されているか検査したデータがわかりやすく編集されている、

ほんとうは東電か政府がつくって国民に配るべき内容の本です。

そう、311直後よりマシになったとはいえ、まだまだ継続中の放射能汚染。

 

データが多くてほとんどの食品が載っていて、とても参考になります。

なりますが前書きにもあるように、これはあくまで放射能の話に限定された内容。

流通している食品には、化学肥料、農薬、添加物、遺伝子組み換えなど、放射能以外にも

たくさんのリスクがあるので、例えばこの中でグレープフルーツが5段階レベルでみて

いちばん低い「問題ナシ」のレベルとされていても、そこには輸入柑橘類にかけられる

猛毒のポストハーベストについては問われていません。

 

輸入グレープフルーツは部屋に置いて一年以上経っても腐らなかったりするくらい、

強い農薬が日本に送られてくる直前に散布されています。

 

化学肥料×農薬がダイオキシンに変わることや、

それが体内に入った時はもちろん消化酵素で分解できないシロモノなので、

その人にとっていちばん安全な臓器にたまってガンになる、ということ。つまり

放射能にも負けない毒なのに、意外に見落とすかあきらめてしまうことが多い。

なんたって、日本の農薬の類の使用量は世界の中でもダントツのトップレベル。

田んぼを見たって生き物なんていやしません。畑だって草も虫も殺されます。

そんな死んだ土からできたお米や作物を食べてるのです。

戦前の化学薬品の使われていない野菜と比べて栄養素が何十分の一になって

しまっているものに、私たちはわざわざお金を払って手に入れているのです。

 

癌や糖尿病、アレルギー、発達障害なんてものは化学肥料や農薬が

これほどが使われなかった時代にはすごくめずらしい病気だったそうです。

 

同じように、養殖されたクスリ漬けの魚、ホルモン剤や抗生物質を打たれ、

穀物飼料で不自然な育てられ方をしている乳牛の乳から作った乳製品も

放射能の問題だけで見れば「薄められて」危険度は「少し注意」程度。

 

けれど、他の哺乳類の乳を飲んでいるのは人間だけ。

その中で日本人を含むアジア人がもっとも牛乳が体質に合わない。

乳糖不耐症の人が9割以上といわれています。

しかも牛乳を飲むと、カルシウムが減る(逆じゃ、ないですよ)。

最も牛乳の消費量が多いフィンランドは骨粗鬆症の人の割合が最も高い国だ。

 

そして乳がん、前立腺がんをはじめとした癌のリスクが思いっきり高まることが

イギリスの科学者の著書でも書かれているし、それは世界中で訳されて今でも反論がない。

(アメリカや日本だったら利権が大きいから国内から反発があっただろうけど

イギリスだったので良かったのかな、)

 

牛乳も地域や体質によっては必要なこともあるから全否定ではないのです。

だけど、最低条件として牛が健康に育っていること。

草を食べて育った牛であること。生物の正しい授乳期に搾乳された牛乳であること。

上に脂肪がたまっているノンホモ牛乳。

そういう本物は美味しいし、たまに牛から分けてもらうギフトくらいの気持ちで飲みたいと思う。

 

本来、穀物を食べない牛に遺伝子組み換え等のトウモロコシ入りの輸入飼料を与え早く成長させて、

ホルモン剤を打って一年中、搾乳が出るように操作したり、

病気を防ぐため抗生物質なんかを打たれて、もはや立つ力も失った牛、お産をする力もなくなって

帝王切開されている牛の乳、そういうものを飲まされているんだもん、そりゃ病気になります。

そういう牛乳とよばれている、もはやホルモン・カクテルを常飲していて引き起こされる

病気は数知れず、癌、アレルギー、子宮や卵巣のトラブル、そして精神疾患的なもの・・・。

 

この辺は食品の放射能汚染を考えるとき、片手オチになりがちなところだと思う。

複合汚染だから、複合的に考えていかなければならないのです。

 

放射能を避けるために移住して、スーパーやコンビニのものを食べる生活をするなら

福島に住んで、吟味した材料で手作りのものを食べている方がずっとリスクが少ないように、

すべてをバランスよく考えていかなければ意味がない。(なんて、ややこしい世の中!)

 

でも東北や関東で暮らしている人は、福島が近いだけにちゃんとこういうポイントに

気をつけて生活をしている人が多いのです。意識の問題ですね。

 

全国の子どもの内部被曝の調査でいちばん高かったのは九州の子どもたちだったという

データもあります。なぜなら「意識していないから」。流通がこれほど盛んな日本で

もはや福島からの距離があるということになんの安心もないわけです。

加工食品、給食、外食は要注意という悲しい現実。

 

福島にいる子どもたちが保養で西日本に滞在した後に、内部被曝をホールボディカウンターで

計ると、その数値が福島で気をつけて生活していた時よりも、なんと上がるのだそうです。

さも、ありなん。

 

放射能被害の実態はだんだんでてきてはいるけれど、国をあげての、広げて撒けば

原因を特定できなくなるとばかりの拡散対策で、水俣病などと同じ運命をたどりそうで。

結局、自分たちを守るのは自分なのです。

 

いちばんイケナイのは無関心と無知の無知ですね。

関心をもって、無知の知を目指したいものです。

ただ、こんな暗い問題ばかりを考えているのも大変なので、そこもバランスをとりながらー。

 

でもこんな話になると必ず「そんなこと言ってたら食べるものがなくなる」

「じゃあ、何を食べたらいいの?」って話になる。

 

住んでいるところの近くに安心して手に入れられるところを探すか、

どうしてもなかったら今の時代インターネットで探せば、いろいろあります。

田舎に住んでいたら、自分でつくることもできるし。

そういうことを考えている人は実はいっぱいいるのです。

ただ、ポカーンと待っていたらなかなか出会わないだけ。

 

「直ちに影響はない」というのは「数年後、影響が出る」という意味です。

スーパーやコンビニのものを食べていたら昔はなかった病気にそのうちかかるか精神が蝕まれていきます。

そうしたらどうしますか?病院に行くでしょう?そうしたらこんどはクスリにお金をかける。

保険のお世話になる。もう悪循環の始まりです。

 

精神が蝕まれる、というのはなにも大げさな精神病にかかる、というより前にシナプスが切れて、

モノが考えられなくなるとか、キレる、とか暴力的になるとか、軽いウツとか、まずそういうレベル現れます。

 

政府は「放射能は健康に直ちに影響はない」って7回しか言っていない、って答弁していました。

意味わかりませんね。そんなのにつきあっているヒマありません。

とりあえず、政府やコマーシャルやマスコミがあまりすすめない食事(要するに利権がからんでいない)

昔からあるものを手づくりして食べているのがいいと思います。

 

私は吉永小百合も樹木希林も宮沢りえも渡辺謙もほんとうにすばらしい俳優だと思うのに、

そういう才能あふれる人に限って、ほんとうは食べ物じゃないぞ、というような

食品のCMに出演しているというのは、日本の残念なところだと思うのです。

影響力が大きいから出演依頼がくるんでしょうが、私たち一人一人が賢くなれば

そういう慣習も消えていくんでしょうねー。

私の勝手な分析だと、心身に悪影響のある食品ほど大物芸能人がCMするという法則があるよ、笑。

 

これから有名になる人は自分のラインをもって仕事を選べるようになるといいですね!

 

と、今日もいいたいことを言ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソフトキリング

内海聡さんの講演会に行きました。

これはもうすぐ発売される本。

「ソフトキリング」というタイトルは Soft Killing。いい訳語がないからそのままつけた、

とおっしゃっていましたが、要は「私たちをゆっくり滅ぼしてゆくもの」の話。

副題に「私たちは気づかないうちに殺されている!」とか加えてもわかりやすい思う。

(って、人の著書に勝手に!笑)

 

内容は前半は内海医師がインタビューに答える形で今までの著書にもある内容を

わかりやすく、ターゲットをしぼって答えていて、後半は山本太郎氏との対談。

ここでも山本太郎がなんどものけぞるような(笑)、内容が公開されている。

 

彼が過激だとか、表現が上から目線だとかいう批判もあるらしいが、

それは日本人が角の立たないものの言い方に慣れていて、

ものごとの本質をオブラートに包むことに長けていて、その中で

内海氏がまだ若いのに、優秀であまりにも大きな役割を背負っているからだと思う。

逆に言いわましや態度だけ妙にていねいで、きれいなパッケージにくるんでいても、

その実、故意か無知か真逆のひどいことに加担している人より一万倍、親切だと思う。

 

私たちが知らなきゃならないのはこういうこと。常識と逆のことを単刀直入に言われることに

最初はショックを受けるかもしれないけど、ただ例えば、自分で調べる、勉強する、

判断することを放棄している人たちのことを表した造語の印象だけで拒否するのは、

それで失う情報の質を思うともったいないなぁ、と思う。

 

だって、ちょっと見てみれば、世の中「?」って思うことばかりじゃないですか?

それをそのまま問わずにいくか、フタを開けて覗いてみるかの違いだと思います。

どっちでもいいけど、でも、でもね、自然はだませないから!

自然とは、心身に現れる症状。味覚。直感。子どもの反応・・・。

そして、そのメッセージを無視するのは、やっぱりソフトキリングな行為です。

 

だけど、そこで「?」や「!」を掘り下げる私たちの意欲の低下がそもそも彼らの目的の

ひとつだからこそ、ほんとうに安易にクスリに頼るのはやめた方がいいのです。

 

牛乳、ワクチン、風邪薬、抗癌剤なんて、からだにいいわけがなくて、むしろ害だけ!とか、

添加物、農薬、化学肥料、そしてマスコミが流す情報、トクホ食品(与えられる仕組みが

そもそも狂っている)などのからくりなども知らないより知った方がいい。

こんなことをまとめてズバッと言ってくれた医者が今までどれだけいただろう。 

 

ひとつのドアが開けば、あどはすべて自動ドア。

あたらしい問題もすべて本質はつながっているので、すぐピンとくる。

とにかく、ワクチン、向精神薬、抗癌剤は医療業界と製薬会社の中では三大利権。

まったく効かないだけでなく、確実に人を蝕みながら、あるところにお金がわんさか

集まる仕組みなので気をつけるべし。そして他の西洋薬も同じ。

 

ほんとうのことを忠告してくれる人は最初は心地よくない人かも知れない。

逆にやさしく見える人は、本当はオオカミかもしれないのよー、赤ずきんちゃん!

 

ワクチンは断る(日本でもアメリカでも法律で断る権利は保障されています)

精神科に行かない(精神病はつくられた病気。クスリの意味なし。発達障害とかもほんとうはナイ)

癌になっても抗癌剤治療はやめる(ほかに無害でいい治療法が調べればいろいろある!)

 

これだけでも、かなり脳や命が助かるはず。

そして、すでに手をつけてしまった場合は毒出し。

汗をかく。他、本の中で提案されている方法を試してみる。

排泄が滞らないように気をつける。

次の毒をできるだけ入れない。

 

いやはや、痛快でした!

これだけ名前が出ている内海先生でも、まだ脅迫状は届いていないそうです。

世の中、まだ自由は残っているのだ。

少し安心しました、笑。

 

私が内海先生をいいと思うのは、こうやって自分が差し出している情報ですら

自分で検証して判断して、言っているところ。

 

そーういもんだよね。

私もこういう問題に対して関心がある方なので納得するまで調べて言っていますが、

最終的にどうするのかは一人一人の判断です。

そうじゃなきゃ疑うことを奪われた新興宗教と変わらない。

 

子どもにワクチンをまったく打っていないので検診なんかじゃ、どこいっても問題親扱いされるし、

(でも、これ問題にする保健婦さんが勉強不足なのよー)

給食でもウチの娘は自分で判断して食べられるものだけを戴いて、これは危ないかも

と思うものだけ、別にお弁当で持って行くし、

(でも9歳にもなると、もう自分で考えてくれるから親は聞かれた時だけ、これこれだから

ママ達はこう思うけど、自分で決めてね、って言うだけです。ただこれも子どもの

性格にもよるから2番目の食いしん坊の息子に通用するかわかりません〜)

正直、めんどくさいなぁ、もっとまともな世の中だったら、無邪気に人に言われたことを

はいはい、って聞いて、目の前にあるものを疑いなく食べて生きられるのになぁ、

と思うことも多いですが、こういう時代に生きているのもなにか意味があるのでしょう。

子どもが新しい局面を迎えるたびに親は育てられています。

 

灰になるまでこの調子かも。

がんばるよー。

内海先生たちが爆弾を投げ込んでくれたあとの世界に木を植えるような氣持ちで、笑。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考える、ということ

考えるとは疑うこと。と敬愛する師はいいました。

疑うというとあんまり性格良さそうじゃないけど(笑)考え尽くされたことやモノは気持ちがいい。

いろんな角度から取捨選択が繰り返されて最終的には逆にまるでなにも考えていないような状態になって、

気になったり、ひっかかったりするところがすでに削られているので気持ちがいい。

考えることにゴールはないかもしれないけど進展はある。

 

私は10歳くらいの時に大人の言うことを聞いていることが本当にいいことなの?

という疑問を抱いて以来、世の中の常識をすごく疑いながら生きてます。

そして以前はこうじゃないかと思っていたことが一年後には考えが変わっていることも多いので、

このブログも古いものほど疑ってください、笑。

 

人生に安泰とか安定とか保証なんてなくって、いつもぎりぎり崖っぷち。

そして慣れると崖っぷちが普通になるので、意外に平気、笑。

 

幼い頃はこんなはみ出した考えが周囲と違和感をもたらしてすごくすごく生きづらかったけど、

おかげさまで歳をとるほど受け入れてくれる人たちの中で暮らせるようになって居場所ができた。

 

だから若い人に思うのは、今まわりに理解されなくて自分をうまく表せないと苦しんでも

いつかきっと状況は変わるということ。大切なのはまわりに同調することじゃなくて

自分でいること。これが意外にいちばんむずかしかったりする世の中ですが、それも疑ってみる。

ほんとうにむずかしい?むずかしくしているのは何?だれ?

 

ごく最近、友人から聞いた話。

ホスピスで過ごした人たちが死を前に最後に思うことのダントツ1位は

「もっと自分の心に沿った生き方をすれば良かった」ということなんだそうです。

そしたら横にいた夫がすかさず「マキちゃん(私)にはありえないねー!笑」という反応。

だって、それ以外の生き方の意味がわからないでしょ?だってー。失礼ー!

 

今までの社会は良心的で従順な人々にダブルスタンダードで生きることを要求してきたような氣がします。

個人的な本心と、社会に出たときの態度との間に差があっても生きていくためには仕方ないよ、

みたいなメッセージを浴びながらきて、そしてその「生きていくためには」というのが、

気がついたらイコール「お金を稼ぐこと」にすり替えられて、という。

安定した収入を得るためには、個人的な生活で実践していることと矛盾するような「仕事」でも

こなしていくのが大人なのだ、みたいな空気がある。

私はそういうのを知らず知らずの間に拒否してきたんですね、たぶん。

それで、そんなことを言われる中年になってしまった!

 

上手に歳を重ねている人を見ていると、手放すことが上手なのかなと感じます。

やっぱり考えているのだ。取捨選択の結果、頭の中が洗練されたおとなになっている。

考えないと不要なもの(ゴミ=つまらない常識)をいつまでも抱えたままで、

衰えた肉体にごちゃごちゃしたものが乗っかっただけのヒトになってしまいそうで!

と氣を引き締める今日この頃。

 

 

先月、ユーミンのコンサートに行きました。

汗も涙も見える前から3列目。

ユーミンの歌詞やメロディは私の若い時にできた細胞の一部になっているので

生で聴くと理屈抜きにその細胞が活性化されて元気になれるから、時々行く。

どの歌詞の言葉も考え抜かれているし、間奏も正隆さんの才能?ほんとにすばらしい。

 

今回はユーミンの境地の変化をとても感じステージでした。

311があったり、ユーミン自身も還暦を迎えていたり、

すでに、一人のアーティストというより、巫女さんか美輪明宏的な。

衣装も演出も歌も音楽も才能を表現したり、それでお客さんを楽しませるというより

(もちろんその要素も十分だけれど)、目の前にいる人たちに何かを施しているような、

あるエネルギーを注ぐ媒体化して、もうすでに人間じゃないんだ、コンサート中のユーミンは!

 

今もずっと大きな挑戦をし続けて、その勝負に勝ち続けている人特有のオーラーも全開。

全力でステージを作っているのを間近で見ていたら体中が電気が走ったようにビリビリきた。

しかも!近くに来た時にしばらく目が合ってにっこり微笑んでくれて、

あー、なにか来たぞー、授かってしまったぞー、とまるで神託を受けとる信者のような私。

 

たとえば料理の味から作った人の健康&心理状態がわかったり、講演会などで話している人の

その日の体調を感じたりすることがよくあるけど、プロっていうのは本番でそのエネルギーを

最高に状態に持っていける人のことなんですね、きっと。

 

むかし、ほとんど素のユーミンがレストランでとなりに座っているという状況に遭遇したことがあったけど、

ほとんどノーメークでさらっとしていて、どこも力んでいるところがない人という印象だった。

オン/オフのスイッチの切り替えが見事なんだな。

 

きっとユーミンはスポットライトがあたっていない時もすごく考えて生きていると思うなー。

一曲を創作する時はいったいどれくらいの量と質、考えているのだろう、と思うとそういう人が

この世にはいっぱいいるんだなぁ、とか思って、もうぐるぐるしてくる、笑。

 

ユーミンがインタビューで「イケてるまま籠れるのがいい」って話していたのを見たことがあるけど

籠っているときに根ができるんだろうな。放出できる人ほど、ちゃんと籠る時間もつくっている。

 

40年前の「ひこうき雲」が今も新鮮な名曲であり続けているのは、やっぱりそんな過程が

しっかりあるからーちゃんと考える行為が昇華して生まれたからに違いなーい!と思って聴いていました。

 

10歳の娘もコンサートに行きたい!というから連れて行って、考えてみたら当時同じくらいの年齢だった

私も初めて「ひこうき雲」のレコードを聴いたのです。こういう音楽を聴いとくんだよーって、

そのレコードを教えてくれた、もうしばらく会っていない年上の従兄、てっちゃん、今どこ?

気が向いたら連絡ちょうだいね。

 

そして、その曲が祖父がモデルで登場した映画に使われるとは40年前の従兄も私も当時は知る由もなし。

人生フシギ、ユーミンとの縁もフシギなものを感じるのでした(一方的だけど)。

そして、それだけはいくら考えても、なんなのかまだわからないのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

憲法9条

きのうから官邸前の抗議行動にたくさんの仲間が参加しています。

ものすごい人数が集まっている日本の憲法と未来の話なのに、ほとんどのマスコミは報道していません。

でも、そんなこと311の時に経験したからもう驚かないし期待もしていない。

(テレビや新聞がなくても、こうして生きてるし)

どこにいてもできる抗議行動と抵抗を続けて、世界人類が平和であるよう祈ります!

 

これだけの人が声をあげている日本はすごいな!

こんなことがあると逆にどんどん覚醒する人が増えるかもね!

 

戦争につながる暮らし方をひとつひとつ手放していこうとか、

暮らしの在り方が搾取の構造に加担しないように注意しようとか。

だって自分の息子が戦争に駆出されるなんてありえない。

そんなことするために子どもを産んだんじゃないぞー。

そういう母親の想いが見えないところにどんどん集まっている。

 

 

地球が大掃除を始める時期が近づいているらしい。

良心を失った国民のことを何とも思っていない権力者は一掃されそうだ。

人にはもちろん、どんなものにも意識があるから、そういうものが集積したら、

やっぱり何かが起こるのだ。因果応報。

 

こんなふざけたことが長く続くはずないもの。

 

官邸前だけじゃない。

あちこちで平和のために抵抗を続けている人がいる。

どんどん想いをつなげて、平和な未来を想像しよう。

想う力、祈る力をふかく信じて。

 

 

憲法9条

 

1. 日本の国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と

  武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する。

 

2.  前項の目的を達するため、陸海空軍その他は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

 

 

 

 

 

 

 

シエスタ・タイム

2周年セールも無事終わり、おかげさまで3年目がスタートしました。

お越し下さった方、ありがとうございましたー。

期間中、来れなかった方も店内にまだセールの余韻?がありますので

よかったらお買い物のついでにチェックしてみてください。

 

さて!

7月はちょっと新しい試みとして、お店の営業時間を変えてみることにしました。

 

ふだんは正午12時から夕方6時までという営業ですが、

暑い季節になると、この中にもっとも暑い時間帯がすっぽり入るので、

その、できれば外出を避けたいような時間帯に、クーラーをばんばん使ってお店を開けているより、

もう少し陽がやさしい時間帯にずらしてみることにしました。

とりあえず1ヶ月試してみて、うまくいけば夏の間、続けていこうと思います。

 

なので、試験的に午後1時〜4時までがシエスタ・タイム。

お店をいったん閉めさせていただきます。

 

その前後3時間ずつ午前10時〜午後1時/午後16時〜19時が営業時間です。

午前中に外の用事は済ませたいという時や、仕事帰りに買い物をという方には

少し便利になるかもしれません。

 

 

シエスタ(siesta):昼寝、うたた寝、昼休憩

語源はラテン語の日の出から6番目の時刻という意味、だそうです。

 

あついあつい夏の一日、ちょっと途中で休憩という気分で過ごしてみたら

体力と電力、少しは温存できるでしょうか。

 

実際、311後に電力不足を補おうとある県庁が午後2時間、シエスタ・タイムを

設けてクーラーを切ってみたら約20%電力使用量が減ったという話もあります。

3時間で30%くらい削減できたらいいな、なんて思っていますがどうなるか。

 

それに午後の2〜3時という時間帯は生物のサーカディアン・リズムと呼ばれる

24時間ちょっとの活動周期で、心身の活性度が低くなる時間帯だそうで、

夏は特にそんな気がしませんか(私だけ?)

 

もーほんと、九州の平地の暑さはとにかく濃い!

まわりの緑ももりもりしていて、太陽もぎりぎりまで近づいてくるような、そんな夏の暑さ。

ちかくにきれいな海岸があったらいいのになぁ〜!

もちろん、もっと暑いところ(私の人生最高に暑かった場所は夏のアリゾナ!死ににます)

もあるし、東京のコンクリートの照り返しや、盆地の蒸し暑さも大変ですが。

そうかといって、クーラーの機械的な涼しさも苦手。

というわけで、ならもう休んでしまえ!となりました。

個人商店は自由ですね、ハイ。

 

あとは草木のお世話になろうとフウセンカズラ、ひょうたんなどが生長中。

うまくいけば、かわいい青色のアサガオもいっぱいになる予定でたのしみ。

お店の商品にも冷たい飲み物を常備したり、暑さ対策、少しずつ整えております。

 

 

ライフスタイルとセラピー

心身のバランスを崩して治療を受ける時、その人がどんな生活を送っているか

ーライフスタイルーと治療法の間には矛盾がない方がいいと思います。

とくに自然療法の場合は。

 

自然治癒力を高めようという方法を選択しているのに、

毎日、ストレスいっぱいの生活で(体温が下がって)、外食が多くて(栄養不足で)、

遅く寝て遅く起きて(免疫力が下がって)、安い食材を選んで(毒素を増やして)

っていうような生活では、栓をしないまま水をためているようなものでもったいない。

 

逆にそういう生活の中で、手っ取り早くクスリや注射で抑えるのも問題が深い方向に溜まるので、

わるい貯金をしているような、いつかどこかで精算しないと大病につながってしまう。

結局、どこかでひずみは清算されなければならないのです。

 

さいごは死生観につながると思うのですが、病気や不調とどう向き合うのかはその人を

まちがいなく表しています。人はみな手っ取り早く、この不快な症状とさよならしたいと

思って、一番、ラクな方法を、つい無意識に求めがち。

早くて安くて深く考えなくて済むような治療(セラピー)を。

 

でも、症状や病気って考えようによってはありがたいメッセージです。

そういうふうに受け取れるには、精神力も必要かもしれないけれど、私はそう思う。

そのさなかにいる時はそりゃ困ってはいるけれど、これをどうやって乗り越えようか、と

考えたことが後で思い返すと意味があったんだと思える経験をいっぱいしてきたので。

 

よく、アトピーを克服するまでの体験談を書いてくだい、というリクエストをもらいます。

でも長いトンネルの中の話はまだ整理できていないのと、

まだ少しアトピーに対しては少し謎が残っているので、もう少し将来の宿題。

 

それでも言えることは、あのときもし強いクスリに頼って、症状を抑えることだけで

諦めていたら、今の私はなかったです。ここはハッキリ。

真っ暗なトンネルの中に一人の状態だったけど、大事なのはとにかく「治る!」と自分で決めたこと。

そこからがほんとうのセラピーの始まりで、試したことは数知れず。

だって日本でも海外でもいろんなお医者さんを訪ねたし、不思議治療にも大金を使ったけど

治らなかったんだもーん(って、今にして考えれば当然なんですが、当時はアレルギーや

慢性病も西洋医学で治るのかな、と少しは思っていたのでー)

でも若い時に、いわゆる医学が万能じゃない、と身をもって気づけたことは私の財産。

 

どんなに困ったことでも、まず自分の中にある原因をなくす、解決することが先決で、

そうしていると自然に外側が整ってきます。

 

自分がしている生活 ー何時に起きて、何を食べて、どういう仕事をして、どういう人とどういう

つきあいをして、どこに住んでー というライフスタイル全体を見直す。生活は選択の連続ですが、

それを一つずつ選び直していくことが病気やアレルギーに対して抵抗力をつけていくのだと思います。

 

人生で健康が一番のプラオリティじゃないこともあるけれど、

でもどんな時にも健康は基本ありがたいし、健康あってのものです。

 

大いなるものと同調していない時、心身に症状というサインが送られてきます。

それをただの迷惑で困るものと捉えるか、意味あるものと捉えるか。

それぞれの人に備わっている氣(自然治癒力)を発動させる選択をしていくことが大事です。

 

今はインターネットの普及で素人でもいろいろな治療法をかなり詳しく知ることができます。

クスリや添加物の危険性でもなんでも専門家と同じくらいに情報収集できます。

ほんとうに助けたい人がいたらいくらでも勉強できる。これは考えてみたらすごいことー!

その中には呼吸法ひとつ、瞑想ひとつ、お金をかけないで試せるものもいろいろありますし!

 

発病するまでにかかった時間と同じくらいの時間をかけて治っていくのが自然なので、

あわてずコツコツ、地道に光に向かってトンネルを脱出!です。

 

よしもとばななさんが「からだが弱かったから健康法を100以上試した。その結果これは効く

というものが3つくらい残って、それで今では人と会っても健康そうですね、と言われる人に

なってしまった」ということを書いていたのか話していたのか忘れてしまったけど、

とにかくそういう内容のことを読んだ時、お〜いっしょだ!と思ってしまった。

 

別に最初から100試そうと思ったわけではなく、なんかそこを探求する運命だったんですね

(たぶん)、気がついたら(ちゃんとカウントしたわけじゃないけど)おそらく100と

いってもいいようなあれこれを試してきたなぁ、と。そしてそれは今でもライフワークのように

続いていて、あれこれ試すの大好き、笑。知るのも好き。

 

心も身体も不思議です。

自分のもののようで、実はその持ち主たちが思っている以上に深くて、すごい力を秘めています。

何人かのお医者さんに治らないとか薬をやめちゃいけないとか、子どもは産めないとか

言われてもそれを鵜呑みにする必要なんてどこにもないのです。

なぜ、そんな無限の可能性を秘めている心身の未来を他人の言葉で限定してしまうのですか?

お医者さんは自分の勉強した中の話をしているだけで、あくまで一つの見解、一つの意見です。

妄信はつまらないよ。

 

自分で調べたり試したりしないまま、専門家を信じないこと。

なにかショックな診断を受けてもパニック状態で病名や治療法を決めないこと。

セカンドオピニオンどころか、ハンドレッド、サウザンオピニオン(以上)が世の中にはあること。

恐怖心は今日不振(笑)と思って、そこを元に何かを決めないように注意すること。

 

ワクチンの問題しかり、抗がん剤、抗うつ剤、不妊治療、健康食品といわれるもの・・・。

すべてなぜ存在しているか知りましょう。

不治の病とか死への恐怖心を煽られて命やエネルギーを搾取されませんように!

 

今は、いずれ死ぬ、その時までできるだけ魂とその乗り物である身体のコンディションを保って、

そして寿命がきたら潔く去っていける気持ちで生きていることも健康のうちと思っています。

 

気持ちよく死んで(?)

むこうの世界がどんなものか見に行くのも将来の楽しみのひとつかもー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水撒き

庭の水撒きをしているはずが、こんなことに・・・。

自分たちに水撒きしてどうする?

庭はまだカラカラなんですけど???

 

 

 

 

 

 

双子の魂と誕生会

彼女と私は魂が双子なんだそうだ。

それを最初に人から伝えられたとき、意思とは無関係に電話口で涙があふれた。

(べつに悲しいことがあったわけでなく、)

そして、それを彼女に会って直接伝えた時、自分と同じ反応が返ってきた。

(二人とも別に涙もろい方ではないのに、)

(たぶん、記憶の奥底になにか響いてしまったんだと思われる・・・!)

 

そして、こっちのそんな情報は(私の存在さえ)まったく伝えていないのに、

彼女もまたイギリスのそういうことがわかる人と先日Skypeで話をしていたら

「今、近くに住んでいるシスターが・・・」と言われたので「私には兄しか」と

答えたら「いや、そうでなくて双子のような人が」と言われたそうだ。

そういう能力を持った人には「そこにこんな男の子が・・・」と

言わなくても何でも見えて(感じて?)しまうらしい。

 

世の中、不思議なことはあるものです。

そして双子といえど、こうして実際に出会えるということはめずらしいらしい。

でも、そういう奇遇の頻発している感のあるマイライフ!

 

 

というわけで、先月、誕生日を迎えた彼女のためにとあるレストランへ。

なんだか、こういう関係だと半分は自分の誕生日みたいだな。

 

美しい盛りつけにうっとり。

ここは、いつでも必ず美味しいのでおすすめ。

シェフとマダムの熱意が料理とサービスに反映していてとても気持ちいいです!

彼女も今まで食べたパスタの中で一番!と感激していた。

まだ私が国立(東京)住んでいた頃、サンタフェに住んでいた友だちがまず彼女と知り合って

そして紹介されて3ヶ月一緒に住んだ。初対面から意気投合してしまい、毎日が修学旅行のような?

おもしろ過ぎて、エネルギーの出入りがなんだかすごく激しい日々だった。

 

彼女は広尾の日本語学校に通い、私はスウェーデン語を勉強していて(←もう記憶の彼方ですが)、

あちこちのスタバでよく一緒に過ごした。

家での会話は英語と日本語のミックスで、彼女は肉かサラダしか食べず(つまり炭水化物ゼロ)、

一方、私はおいしいパンばかりを食べている、おかしな暮らしだった。

 

その後も、ニューヨークの彼女のアパートに滞在したり、結婚してからも今度はコネチカットに

引っ越していた彼女の家に部屋が見つかるまでの1ヶ月間、家族で居候していたこともある。

その時々でおかしなエピソードがあるんだけど、その時は1ヶ月の断食をしていたなぁ。

意志の強さ、実行力のすごさは、片割れの比でなはない。

 

彼女はその昔、お父さんが日本の企業で働いていたので幼少期は名古屋で育った。

(だから今でも名古屋好き)

その会社は私の祖父がいた会社で、しかも同じセクションだったので

一世代半ほど若いにもかかわらずお父さんは祖父の名前も仕事も覚えていた。

祖母に聞いたら彼女のお父さんの上司にあたる人は全員、家に遊びに来たことがあった人だった。

世の中、狭すぎ。

 

病歴もそっくり。また同時期に同じ理由で身近な人を亡くしたり、多少の時差はあっても

あげればキリがないほど、似た境遇、似た出来事をくぐってきているので今や「まただね」

とあまり驚かなくなってしまった。

 

国籍も違うし、しょっちゅう離ればなれになるけど、間が何年あいても常に相手をわかっている感が

まさに双子で、そして同じように離れていてもずっと縁が続く何人かの友人たちもまたまちがいなく

ソウルメイトなんだろうなー、と思うとなんだかミステリアスだけど、宇宙のしくみというか、

生まれ変わりの仕組みって案外いいかも〜。

 

 

彼女は今、日本で会社を立ち上げようとしていて、日夜構わず働いている。

なのに、私が自ら飛び込んでいる苦労(?)を手助けしてくれようとするので

「忙しいでしょ。これは私がやらなきゃならないことだし」とさりげなく断っても

「あなたためだったら never 忙しいことなんてないの!」と妙に義理人情に長けていて、

中身はこちら以上にニッポン人?

 

長けているのはそれだけじゃなく、人生のかなり大変な困難も必ず乗り越えて次のステージに

たくましく進んでいく性格なのに、芯はユートピアの住人に選ばれるのはこういう人だろう

というくらい無垢でピュアな心を維持している。

 

 「大切なのはユーモア。いいこと、わるいこと、って判断してしまうエネルギーや波動で心を

いっぱいにするんじゃんくて、なにが起こってもユーモアをもった視点で人生にハーモニーを

つくっていけば必ずいい世界が開けるから。人の想いってすんごいパワー。なんでも可能にするよね!」

とこの日もすばらしいことをニコニコとさらり言っていた。

 

そしてIKEAに行こう、というので往復4時間のドライブ中もおしゃべりは続くのでした。

 

彼女は一日一食でパワフルに活動できてしまう、まるで人間エコ・ハイブリッド。

そんな境地まで辿り着いていない私はIKEAのフードマーケットでスウェーデン伝統のライ麦でできた

クリスプブレッド(懐かしい)とオーガニックのブルーチーズ(実は大好き。でも食べ過ぎるとタイヘン)

を購入。カリカリのブレッドの上にチーズを乗せたものを彼女に助手席で作ってもらって

食べながらハンドル片手に帰路につきましたとさ。

 

「いろいろな人があなたが日本で事業を始めることを心配しているけどさ、私はしていないからね。だって、

どうなっても必ずそのレッスンからあなたは成長するって知ってるから、何を聞かれても大丈夫としか答えてないよ」

 

「もちろん!日本の人はみんな、ほんと親切で優しい。でも心配好きで、失敗を怖がるね!

その気持ちはほんとにありがとう。でも不安はごめんね、要らない。だって私はホリー!ハハハ!」

 

ああ、このノーテンキな無鉄砲さ。まさに双子の魂を感じるのでした、笑。

 

 

 

 

 

 

 

 

手植え会 by くぬぎ舎

くぬぎ舎のfacebookから

 

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お待たせいたしました!次のイベントのお知らせです。
プロフェッショナルの方も、ぜひ参加ください。

event no.0003 「手植え会」 〜昔ながらの田植えを体験してみませんか?〜

どんなものか一度してみたいという方から、いずれ自分でも育ててみたいという方まで、

無農薬・無化学肥料の田んぼで1〜2時間、手植えを体験してみませんか?

日時:6月23日(月) 小雨決行 10:00集合/10:30スタート
集合場所:おくなが屋 駐車場/田んぼはすぐ前です
持ち物:帽子、田植え用タビ、水筒、タオル、着替え、(雨具、UVクリーム)
参加費:500円
申込み:豆岳珈琲・おくなが屋まで

日よけ、日焼け対策はしっかりと。雨の場合の服装も各自でお願いします。
子ども連れの

ご参加も歓迎です。ただし、すぐ前が道路で大人はみんな作業に入りますので、

特に小さな子連れの時はその辺を考慮の上、ご参加ください。

田植えの後はみんなで簡単なお昼ごはん(おにぎり、みそ汁)を食べて解散です。

半年後には小さな収穫祭も予定しています。


参加申込みお待ちいたしております!

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その田んぼの今の様子です。

肥料も除草剤も使っていないので、ここの土に足りない成分を持った草が生え放題。

この草を刈って土の中に鋤き込むことで土の成分がバランスのいい状態になります。

「自然」てなんて完璧なのでしょう。

そこに生えている植物を見ると土の状態がわかるのです。

 

最近は毎日、カラスが餌を求めに来ています。

何を食べているのかは見えないけど、一生懸命くちばしが動いています。

人が手を加えないだけで小さな生態系が戻ってくるような光景。

 

 

 

facebook に補足もありました。

 

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昨日の投稿、「event no.0003「手植え会」について、補足です。

『プロフェッショナルの方もぜひご参加ください』の一文。

田植えは田植機ではなく、3反も4反も手植えしているような凄腕の方、
つまり「手植えのプロ」の方も来ていただきたいのですが、
この一文に込められたもう一つの意味は、
昔は当然手植えをしていたけど、ここ何年も、あるいは何十年も手植えした記憶がない、
というような農家の方の参加もお待ちしています、という願いも込めています。
(そのような方がくぬぎ舎のFBを見てるかどうかは?ですが。。。)

私たちくぬぎ舎は、
「今までのあたりまえを見直し、その地域の豊かさを活かし、自然の循環にそった暮らしを」
という理念のもと、様々な活動をしています。

お米を作るということは、この理念のもとで活動していく上で、
欠くことのできない大切な農作業の一つです。
昔ながらの手植えをして、無農薬無化学肥料で育てていくお米を通して、
「今までのあたりまえ」とは何かと問い、
「その地域の豊かさ」に気づいて、
「自然の循環にそった暮らし」をもう一度取り戻していこう、
と考えるきっかけになれば、と思っています。

ということで、「プロアマ」問いません。

いろんな世代や様々な職業の方々にご参加いただきたいです。
お気軽にお問い合わせください。
よろしくお願いたします。

 

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メンバーがしっかりしているので、加えることはなにもなし〜。

短い時間ですが、楽しい時を過ごしましょう。

見学だけでもいいですよ。

 

参加ご希望の方の連絡を各店でお待ちしておりまーす!

 

 

 

 

 

 

 

 

竹田

大分の竹田市というところに初めて出掛けた。車できっちり2時間。

この辺の高速道路は「渋滞」ということがないので助かる。

 

生まれ育ったところの中央フリーウェイ♪や首都高はそうではなかったので、

(そこだけ見ても人口の分布って偏ってますね)

大分方面に高速にのると「あ、すいてる!」と今だに口に出ちゃったりして

そして「いつも!」とたいがいツッコまれてます。

身に付いた思い込みグセって取れないもんですね?

 

竹田市は市街の中を歩いてまわれて、個人商店も元気そうでおもしろかった。

市役所が瓦屋根でなんだかすごかった。

ごちそうになった湧き水がおいしかった。

 

おそば屋さんがあったので、そこで食事をしたら、

隣の女性3人組のお客さんが天ぷらそばを食べながら

「この天ぷら、あつあつ!もしかして注文受けてから揚げているんじゃない?」

「えー、ほんと!」

と盛り上がっているのを聞いてウチのダンナは吹き出していた。失礼だなー。

「だって立ち食いそばじゃ、ないんだからさ〜」と言い訳をしていた。

 

注文してから時間がかかります、という店だったので、待っているあいだ、

その人たちは「私たちにはいっぱい時間があるから大丈夫よね」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と励まし合っていた。

だけど食べ終わってみたら予定通りの電車に乗れるとわかったらしく

「これに乗らないと別府の時間がなくなっちゃう〜!」とすごーくあわてて店を飛び出て行った。

一番先に食べ終わった人が、連れの人のお箸のあいだにはまだ麺がある段階で

「私がまとめて払っておくから!」と支払いを済ませて、あとはダッシュだった。

時間はいっぱいあったんじゃないのか?と私たちは腑に落ちなかった。

 

注文を待っている間の会話も全部聞こえていて、お互いの夫婦のなれそめについてだった。

「・・・だから、そこで声をかけられたのよ」

「まあ、ナンパじゃない!」

「〇〇さんがそんなことないでしょう?だって、ご主人すばらしい方だもの」

「だから、どっちがナンパしたかはご想像にお任せ!」

「きゃー」

と盛り上がっていた。けっこう見た目は地味な感じの60〜70代の3人組。

あなどっちゃいけない。

 

あと、和菓子屋のトイレがすごかった。

住めるぐらい広くて全自動。

そして車椅子が用意されているのだが、虎か豹とかの皮製だった。

なんのために?

 

そして駐車場から撮った写真には私の旧姓と名前が。

どうでもいいけど、この土地に妙な縁を感じました、笑。

 

でも結婚して苗字が変わるのって考えてみれば不思議。

手続きはめんどうだけど、人生2粒食べられる感じもするし、

自分も変わっていないようで、変わっていたり。

 

でも、名前を付けるコト自体が人為的(あるいは作為的)なことなので

そこからエゴや所有欲が生まれるという話もあって、

支配者にとって、本来自然の一生き物である人に名前をつける

というのはすごく便利らしいです。そこから人から人間に変わるという。

人間というのは実は架空の存在。人と人の間にはなにもないからね。

 

で、竹田市になにをしに行ったのかというと来年からお店にならぶ

すてきなモノを作ってくれる作家の方に会いに行ったのでした。

楽しみにしていてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴィオラと瞑想

宝寿寺というお寺の本道で開かれたヴィオラのコンサートに行きました。

地元の方たちが中心になって、川本嘉子さんと山下典道さんという

すばらしい奏者を招いて開いた手作りのコンサートで、この距離で、

この気楽さで聴いちゃっていいんだろうか?と思ったくらいの内容でした。

 

楽器ってすごいなぁ。

自分の中の何かがぐいーんと動いて、しばらーく感動に浸ってしまった。

ああ、ふだん自分がしていることなんて実に小さいなぁ!と

高い場所に連れて行ってもらったような。

 

川本さんも山下さんも、まず人格がすばらしそう。

楽器を演奏する、でも

種を畑に蒔く、でも

モノを人に渡す、でも

料理をつくる、でも

なんでも結局はそこに加わったエネルギーや波動がカタチを変えて私たちの目の前に差し出されている気がする。

だから何をするのでも最後はその人の人格で決まってしまう。

人格というのは根っこの性質とかそこに向かっている気持ちとか。

 

そして、怒りに満ちた時に撒いた種は発芽しないのも、

どんなにいい食材を揃えて調理しても、

その時の感情によっては健康を害するような料理になってしまうのも、

その延長で、きっとあたりまえのことなんだろう。

 

イギリスの作曲家シリス・スコットは著書で物質の波動を音楽として捉える能力のある人たちの

ことを紹介している。ネルサ・チャップリンという人は自然界のあらゆるものが音として

聞き取ることができたそうだし、エドガー・ケイシーも同じようなことを言っている。

ま、どんなものにも固有の波動があるわけだから、それを音で捉えられることはなんか想像できる。

 

ホメオパシーの希釈のレヴェルは音階と連動するらしいし、

バッチフラワーも人の感情レベルの波動に処方する療法だ。

 

 

ぜんぜん並べて話せるほどのことでなく恐縮だけど、

私はスコーンを焼くときだけは流す音楽もだいたい決めていて、

できるだけ朝のきれいな感じのする時間の中で無心でするようにしている。

素材のことを想っていたり、おいしく焼けますようにという祈っていたり、

でも中心はぽっかり空いているような時間。

ひらめきが降りてくるとしたら、こういう時かもといえるような。

この時間がきっちり成立した時は精神状態がとてもいいので、

スコーンを焼くというささいなことも実は自分にとっては大切なのです。

たぶん誰でもそういう特別なところに向く時間があると思う。

 

友人のところの田植えの手伝いから帰って来た夫くんもいう。

「むかしの日本は8割の人が農民で、みんなこうして手で稲を植えていて

自然の風景の中で実はずっと瞑想状態だったんじゃないかなぁ。

そういう時間がいつも暮らしの中にあって、しかも今みたいに情報過多ではないし、

だから外国人が来て驚かれるような高い精神性をふつうに持っていたんじゃないかなぁ」

 

 

瞑想。メディテーションといえば、アメリカに居た時は毎週インド発祥のサハジマルグの瞑想に

参加していた。今は日本でもNPOがあるようです。年に一度だったか、大集会みたいなのがあって

1万人が毎日同じホールのようなところで瞑想する。オハイオ州であった時には友人母子と共に

娘連れで参加した。その時に心のクリーニング(あるいはデトックス)の大切さを少し知った。

ふつう団体でなにかする、ということはほとんどムリなくせに、そんなところに平気で参加

できていたのは個々の自由がまったくOKだったのと、友人がヨガとメディテーションの

インストラクターをしていて、彼女を信頼していたから。

 

ちなみにそんな友人夫婦のしているホリスティック・センターはこちらです。

遠いけど、もしチャンスがあったらゼヒ。

大切な友人WeiとGregor、そして娘の rose によろしくお伝えいただければ幸いです。

今、思うと彼らとの出会いも運命的な導きだったんだなぁ、とわかる。

長く生きるといろいろ謎が解けてくる。

 

faceboookでは辻信一さんが夏至(6月21日)にはメディテーションを、とそれは英語だったけど

呼びかけていて、キャンドルナイトからメディテーションと日本もいよいよ機が熟してきているんだな、

とおもった。

 

美しい音色の音楽と瞑想は心の浄化をうながすというところが似ている。

川本さんが、山下さんが、どれくらいヴィオラを練習して、どれくらい音楽について考えて、

その副産物として人格が磨かれていって、ああいうメロディを出せるようになったのかを想うと、

全身全霊で何かをし続けるということは人生のすべてかも、と思ったりしました。

 

バイオリンとヴィオラの見た目の違いがよくわからない私ですが、笑。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サンドウィッチ

ウチの、かなり頻度の高いサンドウィッチのレシピです。

レシピ、というほどのものでもないくらい簡単。

 

畑からサラダになりそうなものを集めてきます。

 

今はサラダになる野菜たちが最盛期を迎えていて、どんどん収穫しないと間にあわない。

今日はレタス2種類にルッコラにディル、ほうれん草も少し。とにかく食べて食べて、と

声が聞こえてきそうな立派に育ったものから順番に収穫。

 

ディルはパセリと同じくらい、いろいろ使えて便利。

魚にも良く合いますね。

あとパン好きにはフェンネンルも育てておくとバターとこれだけでご馳走。

しっかりした味のパンとバターが必須ですが。

 

レタス類を食べやすいサイズにちぎってからサラダスピナーを使ってしっかり水切り。

先日のオリーブオイル講習会で朝倉さんのお話にもありました、

おいしいサラダのコツは1にも2にも「水切り」が大事です。

 

そして水切りができたら、良質のオイル(ウチは、もちろんオルチョのオリーブオイル)

をかけ回し、かるく混ぜて野菜にコーティングします。こうすると野菜の旨みが逃げないそうです。

そして上から自然塩をパラパラ。そのあとツナ缶をほぐして加えます。

原発事故以来、マグロも危なくなってしまいましたが、

ここのツナ缶はちゃんと放射能検査をしているところのもの。

 

野菜がつやつやしてきたのを見届けたら、次にパンをカット。

天然酵母+全粒粉のパンは重いので薄めに切ります。

だいたい5〜6mm厚。

パンをきれいに切るには波刃のパン切り包丁が一番。

(お店では右のナイフを販売中です〜)

そして、ポイントは一回おきに一皮残す感じでカットを入れること。

そうすると具を挟んだ時にパン同士がずれて落ちる、ということが防げます。

 

そして、その間にタヒニ(ごまペースト)を適量はさみます。

「塗る」というより「置く」という感じでOKです。

そして用意したツナサラダをボンボンはさんでいきます。

パンと野菜どっちが主役かわからないくらいおおらかにモリモリと。

あっという間にできて、すごーく簡単ですが満足感は意外におっきいですよ。

で、合わせる飲み物は紅茶。なぜか、この時だけはとにかく紅茶。

 

蒸したり、茹でたりした野菜を使っても大丈夫。

今なら塩ゆでしたスナップエンドウがぴったりです。

あと動物性ナシでいくときは、タヒニに麦味噌を1割くらい混ぜるか、

スライスしたアボガドを一緒にはさむ、というのもよく作ります。

アボガド、大好きー!(もしも温室を作ったらまずアボガドを育てたい・・・)

 

このレシピにはもっと簡単(というか横着)編もあって、それはスライスしたパンの間に

好きなものを挟んでから、お皿のオリーブオイルと塩を付けながら食べる、というもの。

大きな口開けて豪快にいきます、笑。

 

 

お試しください〜。

 

 

 

 

 

 

遠足

いくつかのイベントと次のイベントの合間ということで、今後の活動のミーティングを兼ねて

くぬぎ舎で遠足へ行ってきました。クルマだけど。

 

この写真だけで場所がわかる人いるかもしれませんね。

福岡県うきは市の山の方です。

この辺りも二年前の水害の爪痕がまだかなり残っていましたが、

でも、ちゃんと古い建物がきれいに保存されている地域で感心してしまいました。

 

茅葺き屋根も健在だし、建具も木のままという家が多くて、

しかも小学校はトトロにネコバス。ふつうだったらキャラクター取り入れれば

いいってもんじゃないよ、とか言いたくなるけど、ここは・・・合ってる!似合ってる!

素直にそう思える風景でした。

うきは市、いいなぁ。

 

町の方もひさしぶりでした。

震災で食器棚が崩壊して以来、ずっと揃っていなかったそば猪口を

最近、また探しはじめていたところなーんと「山下カバン」さんで発見。

つるつる過ぎない素材感、少し青みがかっている色味、縦横のサイズのバランス、

そのすべてに一目惚れ♪ 

なかなかこういう無地ってないんですよね。

どうも絵付けをする前のものらしいです。

こういうものに出合うと今は封印?している血が騒ぐ感じがします、笑。

かなり嬉しいお買い物でした。

山下カバンはすごい! 

子どもたちもいっちょまえに「これ、いいねぇ!」とすぐに反応。

小さな手にも持ちやすい大きさです。

湯のみにしても、デザート入れでも、なんでも感じよし!

 

 

 

 

 

オリーブオイルとか精製とか

報告がおそくなりましたが、5月12日に開いたオリーブオイルの講習会。

当日は恵みの雨が降る中、約3時間にわたって朝倉玲子さんによるレクチャーと

料理のデモストレーション。おいしくて、ためになる充実の時間でした。

すでに次回を期待する声もたくさん届いているので、

第2回もまた季節を変えてできたら、と思っています。

 

豆岳珈琲とおくなが屋で組んだユニットくぬぎ舎でなければなかなかこういうカタチでの

開催はむずかしいので、まずはそれがよかったのと、朝倉さんが遠路はるばるこの地まで足を

伸ばしてくださらなければもちろん実現しなかったので、そうやって成り立った時間です。

 

参加してくださった方たちからも驚きと感動?の感想がたくさん聞くことができて、

気持ちのよい疲れがじんわり〜、でした。

参加していただいた皆さま、ありがとうございました。

 

内容は

エキストラバージンと表示があっても、その多くは「混ぜ物」がされていること。

油は薬品を使って絞った精製油と、圧搾してしぼった油があること。

(食用油全般でいえば、薬品を使わず精製したものもあります)

だしを使わないイタリア料理と使う日本料理の話。

玉ねぎの切り方。

油は210℃以上に熱すると酸化してしまうので、調理の仕方にコツがある。

サラダをおいしくするコツ。

本物のオイルの見分け方。

などなど、どれもこれも頭にしっかり録音したくなる話が満載でしたが、

その先は「自分の五感を鍛えよう」ということですので、しっかり全身で

受け止めていきたいものです。それにしても動物性ゼロでこの満足感。

そんなことも今後のヒントになりそうですね!

 

そして、

「混ぜ物をしているオリーブオイル」は実に8割を超えるらしいのですが(エ〜!)

この割合を聞いて、どのカテゴリーでも同じかも、と思いました。

油だけでなく醤油も味噌も酢もみりんも。

そして調味料だけでなく、お米、パン、野菜、食材しかり。

本物は10%台という衝撃の事実。

人は食べるものでできているとしたら、人もすでにそうということ。

ちょっと怖いというか、大丈夫?私たち。ドキッとしますね。

ちゃんと、自然に循環するものを選びたいものです。

 

 

朝倉さんがさらりと話すことの中にも掘り下げたらそれだけで1、2時間だね、って

いうこともいっぱいあって、まだまだ聞きたいこと満載!でした。

 

しかし、朝倉さんはもうほとんどソウルメイト!と感じてしまうような方でした。

こんなこというとヘンな人に思われるかも知れませんが、べつに気にしなーい。

むかし(前世、という意味です)南ヨーロッパで繋がっていた魂だな、うん。

 

いつか一緒にイタリアに、と誘っていただいたけど、行っちゃうとなにか扉が開いて

しまいそう、笑。でも行くイメージがすごく湧く〜。

運勢とかも近いんじゃないだろうか。この世に誕生したのも2日違いという方でした(光栄です)。

 

話は完全に脱線してますが、オルチョのオリーブオイルは本当に美味しいです。

(ここを強調しなくては!)

美味しいというのは自分の五感が YES! と言っている感覚。

SAY YES のミュージシャンの方は残念でしたけどね。

あれも、ナチュラルなもの止まりにしておけば良かったのに・・・。

覚せい剤やコカインは精製度が高すぎて、効果は早くて大きいけど副作用の害もまた大きすぎるのです。

砂糖や穀物など食べ物と一緒で、クスリの世界もそこの点においては同じ。

 

ホント「精製度」が高いものには気をつけなくちゃいけません。

一つの有効成分を取り出して効き目を高くするやり方は即効性のある分、危険で、コインの裏表。

大なり小なり中毒性もあります。白砂糖なんかも食べれば食べるほど、また欲しくなる(でしょ?)

副原料があることが大事です。

というか、主原料、副原料と分けて考えているのも人為的な行為ですよね。

 

クスリの世界でいえば漢方の生薬なんかはそれを残して丸ごと服用するので、いわゆる穏やかな効き目に

感じる分、副作用の害もまた少ない。一方、西洋医学で使われる薬は有効成分だけ、もしくはそれを

さらにいじったもので、もし使うとしたら急性の症状に対して、命に関わる時というイメージ。

慢性病やアレルギー、風邪などにはよくよく注意しないと、

根本的に治しているのではなく、症状を抑圧しているだけなので。

抑圧されたものがどこへ向かうか考えないと。

 

「病気で亡くなるより、その処置でなくなっている人の方が多い」という(信じられない)

状態は実は200年前から憂いていた良心的な治療家はたくさんいたそうです。それでも

その現状を支えているのは誰かといえば「病気は専門家に治してもらうもの」、

しかも「早く簡単に治したい(除去したい)」と思っている私たちなわけで、

そこが変わっていけば自然とその統計も変わっていくことでしょう。

 

精製した小麦、白米、薬、覚せい剤、そして薬品を使った精製油。

すべて副原料を取り除いている、という点で同じ。

取りのぞくにはどうしても不自然な行程を経るわけで、からだ的には全然良くないのです。

逮捕されるのは覚せい剤だけですけど。

 

話を広げると「教育」の世界も似ている気がします。

(広げる前に掘り下げてよ?)

点数を取ることばかりに特化して育てるのは自然界のものを精製しているのとそっくりと思います。

答えの決まった問題を時間内に解くことに長けている人をたくさんつくろうとするのは怖いことと思う。

遊んでいる時間、一見何もしていないように見える時間、田んぼや畑の手伝いや動物の世話、

本を読んだり、音楽に触れたり、自由に絵を描いたり、そういう「副原料」的なものを、

成績に関係ないから?どんどん切り捨てていったことの弊害(副作用)を

私たちの世代(いわゆる偏差値が登場した頃からの)は学習してきたはず。

 

いくらいい点数を取れていても、そこに気がついていない、というのは何をしていても

なにか大きく欠けている感が否めません。だから「頭がいい」という表現も疑問・・・。

とか、書くとまた家内検閲に引っかかりそうですが、笑。

 

本物を感知できる「感覚」を養っていきたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

MoMAの傘

持ち物としてなじみになじんでいた傘が突然、崩壊するように壊れた!

さびていたところがホロホロと朽ちるようになって、とうとうさせなくなった。

 

乗り物で移動することが多い生活で傘を使うことはめっきり減ったけど、

それでもこの傘は11年のあいだ活躍してくれた。しかも全然、買うつもりもなく

ニューヨークのMuseum of Modern Art(美術館)に行った時の突然の大雨に急場をしのぐため、

ギフトショップで間にあわせに買った傘で、たぶん日本円にしても3000円くらいだった気がする。

 

その傘を3人でさして美術館を出て、タクシーを拾ったんだった。

今、そのうちの2人は結婚して、もう一人の当時セントラルパークを

見渡せるマンションに住んでいた友人は今、お隣の豊前市に住んでいて、

地元のお祭りの練習なんか参加している、アメリカ人なのに〜。

 

なんか人の縁を結びつける強力なエネルギーが宿っていんじゃないだろうか?笑

と思える不思議な傘です。

 

重心具合も程よくて、たまたま買ったものにしてはかなり優秀。

しかも失くさず盗まれず。

ずーっと傍らにいるのがいつしかあたりまえになっていた。

 

このジェットコースターに乗ったような怒濤の11年を共にいてくれたと思うと情が移って?

「なんとか修理・・・いや、どう見ても無理!」と逡巡を繰り返してます。

で、MOMAの通販サイトなんか見つけたりして同じものがまだあったりして?と探しみたり。

でも、なんだか派手な傘ばかりで、2代目を買うというアイデアの実現はむすかしそう。

 

 

あー、でもあの頃は今よりもっとのん気で楽しかったなぁ!

今もあの時に増して楽しいことはあるけれど、あの年齢あの時代の楽しさはまた別の味。

しかも、場所がNYだったし、シチュエーションがドラマみたいで今思うとかなりおかしい。

夏休みに友だちのところに滞在していたら、突然、ただの同僚だったヤツが現れて、

わけもわからない時差ぼけのまま夜中にチャイニーズを食べに行ったり、

ツインタワーの跡を見に行ったり(これは楽しい部類じゃなかったけど、見てみようと思ったんです当時は)

美術館もかなりゆっくり堪能して、DEAN&DELUCAやバルドッチで食器やパンや吊り下げられたハムや

フルーツを買ったり、奥に長い長いカフェで3人でいろんな話をしたり。

その時のスプーンがあまりにも可愛かったのでチップを多めにあげてもらってきたり。

 でも、そうやって不健康な暗黒時代から回復していったんだなー、と思えば必要な時間だったのよね。

 

そして今、同じことができるかというと、もうできない。

美術館もD&Dもあのカフェもまだきっとあるけど、もう何かが(というより、すべてが)変わってしまっていて。

あの頃はその後に出てくる911についての話も、自分が子どもを産むことも、日本の原発が爆発することも、

那須や福岡に住むことも、ましてや憲法の解釈が勝手に変えられてしまうなんて、未来をなにひとつ知らなかった。

バカバカしいこともちゃんとやっておくものですね(?)

その時にできた私のノンキで楽天的な細胞がその後のタイヘンな時間を支えてくれたと思うからー。

 

今日は一本の傘がその生を終えていったお話でした。

モノとの突然のお別れもなんかいろいろ思い出しますねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11年間、お疲れさまでした。

 

赤峰さんの講演会

明日ですが!

前売券があと少しあります。

電話で予約していただければ現地渡しもOKです。

全国をまわっている赤峰さんの話がこんな近くで聞けるチャンスをお見逃しなく〜。

 

化学肥料・農薬を一切使わない循環農法の話。

アレルギーや病気と食べ物の関係。

広くて深い話が詰まっている講演会です。

 

⇒売り切れました。ありがとうございます!

 

 

 

 

 

 

オリーブオイル講習会

おくなが屋オープンの時から販売している本物のオリーブオイル〈オルチョ・サンニータ〉の

輸入販売しているアサクラオイルの代表・朝倉玲子さんを招いての講習会を開催します。

 

内容は⇩くぬぎ舎facebookをご覧下さい。

 

5月12日(月)オリーブオイル講習会

 

見れない方のために下記にも同じ内容をUPしています。

 

 

⇒満員になりました。ありがとうございます。

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event no.0002 オリーブオイル講習会 5月12日(月)

くぬぎ舎の次のイベントのお知らせです。
日にちが迫っています。お申し込みはおくなが屋まで
(5月6日12時より受付開始)
詳しくは以下をご覧ください。
オリーブオイルはもちろんのこと、食材もこだわり抜いたものばかりです。
この機会を、ぜひお見逃しなく。
そして、当日はお腹をすかせてきた方が良さそうです。
おくなが屋のパン、豆岳のコーヒーも付きますよ。


オリーブオイル講習会 
〜五感を呼び覚ます料理教室。オリーブオイルの使い方。非加熱・加熱で素材の味、再発見。

本物ならではの美味しさ、オルチョサンニータ(http://www.orcio.jp/)の
オリーブオイルを使った料理講習会です。
オリーブオイルについて、食材の話・調理のコツ等のお話を聞きます。
そして、パスタと野菜中心の献立5品ほどのデモストレーションを見学した後、試食します。
食材はすべて無化学肥料・無農薬のものを使う予定です。

メニュー(収穫された野菜によって変更することもあります)
●トマトのブルスケッタ
●ごぼうのベルベットスープ
●オルチョでホワイトソース
●古代小麦カムットのゴミティ トマトと玉ねぎのケッパー風味
●グリーンサラダ・ケッパー風味
天然酵母のパン(おくなが屋)とコーヒー・デザート(豆岳珈琲)付き

講師:朝倉玲子さん プロフィールはこちらを http://www.orcio.jp/presen.html

日時:2014年5月12日(月) 午前11時~午後2時頃

場所:ゆいきらら(旧・西友枝小学校)*おくなが屋から4~5分です。
   築上郡上毛町大字西友枝1520番地  tel.0979-72-3939

参加費:3000円  
*会場や食材等の準備の都合上、キャンセルされた場合、原則として返金できないことをご了承ください。

持ってくるもの:ノートと筆記用具など
        エプロンは特に必要ありません

申込み:おくなが屋(5月6日(火)12時より申込み受付開始) 
    参加費3000円をご持参の上、お申し込みください。


みなさまのご参加、お待ちいたしております!

駐車場のできあがり!

2月から始めた駐車場づくり。

4000個以上のブロックを真砂土の上にレベル出しをしながら置いていく作業が本日で終了〜。

おつかれでした!

 

最後は、必要なブロックの数は娘に計算してもらいました。

そうしたら登校前に買ってきたブロックを軍手をはめてクルマから運んでおいてくれた。

しかもブロックの数はピッタリ。頼りになるねー。

 

 

早朝のこの作業のあと、夫くんはシャワーを浴びて今度はパン屋さんに変身。

発酵させたパン生地の分割中。

「まだ、食べられないよ!」と息子に言い聞かせ・・・。

「じゃ、チュコーン(スコーン)ぱべる(食べる)!」

 

パン屋だった頃はこの作業も抱っこやおんぶしながらしてたことを思うと

こんな食いしん坊でも楽になりました。

 

今日も一日が始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京から戻って

3匹のクマが同じかっこうで寝ている!笑

保育園用の新しいズボンをお土産に買ってきたら、なんと自分で名前を書くという。

親はまったく何も教えないのに、こうやってどこかで学んでくる・・・。

一応、鏡文字にならないように丸はどっち?とか聞きながら

「ほら、かけたやろ?」と披露。

娘の方は今年からお弁当の割合を増やすことになって、

毎日、給食のメニューに近づけたものを、家にあるもので用意してます。

今日の給食は卵オムレツとミルクパンとハムサラダ。

 

ということで、放し飼いで輸入or遺伝子組み換え飼料なしの卵の野菜オムレツ、

添加物と砂糖なしの自家製全粒粉の天然酵母パン、海藻サラダ(野菜は畑から)を。

お節介ながら、ほんとうは全員の子どもに作ってあげたいと思うよ。

 

 

帰ってきた途端、福島第一周辺でとれた奇形の野菜や魚の多くが九州へ送られている

というニュースを聞いた。加工品の材料用に業者が安く大量に買うんだって。

回転寿司には相当、使われているという話。

そういう事実はあまり公にならないまま。

農水省が関東で売れないものは給食、社食、外食産業に売るって決めたんだもんね。

そういう国で生きていく以上、若い人ほど影響を受けるわけだから気をつけなきゃ。

特に子どもは自分で選べないわけだし。

 

 

夫くんは作付け、田植えを控えて毎日、草刈り。

この作業があっての循環農法&オーガニックなのでがんばる、がんばる。

そうしたら田んぼにこんなものを発見!

ひばりかな?

 

娘が学校に持っていったら、鳥インフルエンザが流行しているから校内には

置けないんだそうです。でも優しい教頭先生の計らいで先生の家のちゃぼに

代わりに温めてもらうことになったそうです。

 

 

余談ですが、鳥インフルエンザは飼料が輸入穀物中心になって

草を食べなくなったためのカルシウム不足が原因で起こるので、

「感染」を防ごうと離したり殺したりは意味のない解決方法だそうです。

なぜ、根本原因を考えずにその場しのぎの無惨な行動に出てしまう政府や自治体?

すべては自然の循環を無視して、効率を優先した人間の犯した行動がイケナイのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Tokyo + Chiba

初めてうわさのジェットスターに乗って行ってきました。

羽田に行くより飛行時間が30分くらい長いのね、知らなかった!

しかも北九州空港でなく福岡空港発なので特急ソニックにも乗ったり。

さらに飛行機も30分以上遅れて、思ったより所要時間長し。

ま、そんなに急いでないので構わないんですが。

 

でも飛行機会社は1分でも搭乗ゲートに来るのが遅かったら

その便に乗せてくれないのに(経験者だよ)、

飛行機が遅れたら「乗務員一同心よりお詫び申し上げます」というマニュアルブックを

読み上げるアナウンスで終わらせてしまうっていうのがなんか腑に落ちない、笑。

不公平じゃ?

 

東京へ行く時のお守りー息子くんの描いたクマちゃんが

「のんびりイコウヨ!」と言うのでここは流しますが〜。

 

 

今回は駅でいうと、千葉県の勝田台と東京の代々木上原にだけ行ったような旅でした。

千葉県の花見川区に4月にオープンしたiijima coffee(飯島珈琲)は那須にいた時、

shozo cafeで働いていた飯島くんと村上さんが結婚してできたお店。

突然、行ったら「なんでココにいるんですか〜?」と期待通りにビックリしてくれて、

ふだん自分のお店にいるとビックリさせられる側なので、

たまに逆の役割ができて嬉しかったです!笑

 

赤いタイルのテーブルはshozo cafe→Brown Mountain Bakery→iijima coffeeと

譲られていったもので、懐かしの再会。あの頃から、将来使いたい、って

話していたものねぇ。ちゃんと実現して、ほんとうにかっこいい店内でした。

 

関東にいた頃、実はほとんど千葉県に行ったことがなかったけど、イトコが家を建てたり、

その駅の反対側に私の師匠が住んでいたりで、今や拠点のひとつになってしまった。

そこにまたiijima coffeeが加わった。縁がつながる、つながる。

美味しいお鮨屋さんもあるしなぁ。

今回もひっさしぶりに戴きました。

岡村先生、いつもごちそうさまです。

と、なんて悪い生徒なんだろう、いつまでも私は!

先生の体調が戻るのを祈りつつ、呼び出してごちそうまでさせて、買い物にも

つき合わせて、帰ってきてよく考えたら信じられない!ありえない!

 

いつもいつも先生の知識や教養や優しさのレベルの高さに圧倒されて、前にいくと

ほとんどしゃべれないんだけど、聞いているだけで、不思議と解決していくんだな。

ふだんはいつも、こんな時、先生だったらなんて言うだろう?とよく思ってます。

 

今回は、いい授業を一人で受けているみたいで、それを自分だけが聞いているのが

もったいないからいつか九州へ来てもらおう、と心に決めて帰ってきました。

いつか、くぬぎ舎のNo.Xのイベントにするよ(断言!)

 

 

ホームスパンの秋冬物の展示会へも行ってきました。

開催期日外の日にも関わらず、会場には原さん、甲斐さんがいらっしゃって、

あいかわらずの自然体で迎えていただきましたー。

ホームスパンができたころ小さな男の子だった甲斐さんの息子さんも高校生に

なるくらい時間が経っていますが、甲斐さんのデザインするホームスパンの服は

その頃と変わらず、ずーっと普遍的に魅力を維持しているのがほんと、凄い。

歳を重ねても自分が着たい!とおもう服があって良かったぁ〜、といつも思う。

頼りになります。

なんか自分の代わりに作ってもらっているような錯覚さえ、笑。

 

大人になると世間の空気を読んで服を選ぶ回数が増えてくるように思うけど、

幸いそういう立場には生きていないので好きなものが選べるというのは

私の小さな自由、小さな幸せ!

 

「服」というのは薬の一服、とおなじ「服」で、本来はその人の暮らし方や職種などに

よって傾きがちな体調、体癖などを治す役割を考えて選んだ時代があったそうです。

草木の効能によって生地を染めて身につけたり。色や素材の効果も実は大きかったり。

心理効果も兼ねた立派な自然療法のひとつで、服をあなどってはいけないのだ。

そして、歳をとったら素材命。食べ物と一緒。

 

でも。

もう50代が見えてくる年齢になると、同世代の人との話題は「喪服」・・・・。

って、ふつうはもっと早く考えてますね、たぶん。

私の調査によると40代後半くらいから、もうごまかし(?)が効かないって

感じ始めて、黒い服ならいいってものじゃなくなるみたいです。

特にここに越してきて知ったのは地方はとにかく横並びにクロ!クロ!クロ!

お通夜からしっかりクロ!というのもあって、その中で、

ふだんから服が好きで大事に考えている人ほど悩むことになるわけです。

人のために装う場とはいえ、型にはまった弔辞用スタイルの中に納得できるものを探すのは

実際タイヘンだし、型にはまっていればそれが礼儀なのか?とか思考がループに陥ってしまう

テーマです。考え過ぎ?

 

社会的通念をその人の存在感で突き抜けることができたなら、その時には

普段着でも赤い服でも、もう何を着てもOKなんでしょうけどねぇ。

私はまだまだ、です。

 

最後の写真は、最初から黒い毛皮のハジメくん。

喪服なんて悩むことなーいっ!

今回、泊まっていたイトコの家の長男?です。

シェルターにいたところを縁あって引き取られて家族になりました。

末っ子でみんなにかわいがられてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電柱

節分の頃から始まったお店の外回りの工事の第一章めが終盤になってきました。

電柱が空に上がっています!

 

電柱の中って空洞なんですね。

 

 

抜いた、というか切った電柱を道路に寝かせているの図。

 

 

元あった場所を平らにしています。

 

しばらく2本あった電柱が1本になって

これで新しい駐車スペースにクルマを停めやすくなりました。

 

電柱が移動しただけで、こんなに風景が変わるとは。

街灯の位置も移動したので、夜でもいい感じで駐車場がほんのり明るくて

これは計算外の良かったこと。

やってみてわかることの連続で、手間はかかりますが、少ーしずつ

こうなったらいいかも?がカタチになっていくのはおもしろいですね。

まだまだ先は長そうですが。

 

同じ時期、いくつか植えたバラの苗。

クリーム色の子はもう咲き始めました。

 

こんな本が出たよ!

ぜひぜひ読んでみてー、という本です。

21項目あって、それぞれが1冊の本になるくらいの内容なので、あくまで「さわり」では

あるけれど、それでも今までの常識がひっくり返るかも。

 

「子どもを病気にする親 健康にする親」内海聡著 マキノ出版 ¥1300+税

 

私は16.17項目については調べたことがあったので知っていましたが

他にもまあいろんな問題があふれているんだなぁ、(しかも、知られていないだけで

おそらくほんとうの話)と思って読みました。でも、そのまま鵜呑みにせず、

必ず自分でも勉強して確認していくのがこのテの本の取説かと思います。

 

子どもと接するすべての大人に読んで欲しいよ。

 

とくに仕事で接する方々に・・・。

ワクチンをすすめる行政担当者や保険師さん。

フッ素を塗りましょう、と簡単にいう歯医者さん。

牛乳を給食で全員に出す栄養士さん、または教育委員会。

そして、今でもマックやコンビニ食を子どもにしょっちゅう与えてしまう大人。

放射能には敏感でも食事や電磁波やゲーム機に無頓着な大人。

みんなで一緒に考えようよ!

 

今まで、ワクチンを打たないとアメリカに入国できないとか(そんなことないです)、

小学校入学までに打っておかないと問題になるとか(同上)、マニュアル通りなんだか、

脅しなんだか、そんな指示を耳タコになりながら子育てしてきたので〜。

当時はさんざん勉強したので、東京でもアメリカでも栃木でも、困った親扱いされながら

知識+考えを説明してきたさ!

ま、時間が経つと、あのとき何て言ったのかほとんど忘れているけど!笑

そして今年も小学校に給食について話に行く時期がやってきたさ!

 

それにしても、こういう本が出版されるようになったんだなぁ。しみじみ…。

 

この場所でお店を開いてから、人の相談にのることが増えました。

少しは人の役に立てているのかもしれないと思えてある意味、ありがたいことです。

 

ただ私のキャパシティでは、お店の仕事をしながら個人的な相談の回答をいつも100%の

エネルギーでできるわけでもなく(ごめんね!)、代わりに解決してあげられるわけでも当然なく、

結局、その人のモンダイはその人が自ら動いて乗り越えていくしかない、というのもまた思うところ。

ただ、本気の人にはできるだけの応援をしたいだけです。

 

いくらいい本を読んだり、話を聞いたところで、ラクをしたまま治したい、都合のいいところだけを

取り入れてなんとかうまく済ませたいとどこかで考えている限り、現実はあんまり変わらない。

 

例えばアトピーを治したいと思っていても、一方で化学肥料や農薬、添加物を使った食材を安いから

手に入りやすいからと使い続けたり、調理がラクだからと電子レンジを使っていたり、

白砂糖や乳製品や小麦製品が好きだからと毎日、食べていたら決して治らない(ことがほとんど)。

 

何ごともピンときたら最低1ヶ月くらいはきっちり試してみないとね。

健康に多少の不都合があっても社会生活上、どこかで折り合いをつけながら生きるのも生き方だし

完治を目指すのもその人の選択だし、結局は本人次第です。

 

 

話を本に戻すと内容にびっくりして、いくらなんでもウソだろ?と思ってもいい。

ワクチン、フッ素、牛乳、遺伝子組み換え食品、アレルギーの原因、放射能対策等について

すべて御用学者や懐疑を知らない専門家では決して辿り着けない(書けない)話がいっぱいです。

私のまわりでは常識なことが多いけど。

 

ただ多岐にわたる(でもすべて繋がっている)内容のエッセンスが詰まった本なので、

各テーマについて懇切丁寧なデータ等がすべて載っているわけではありません。

え?と思ったら、もっと詳しい情報を探して自分で調べて勉強しましょう。

 

それでも、すぐに変われない自分(の暮らし方)をあきらめないことも大事。

変化はじわじわゆっくりでもいいんです。

 

一瞬で変われた、というのはそれ以前に見えない所で準備が進んでいたからで、

機が熟していたのが最後の一押しでパッと目に見える変化につながった現象と思うので。

それぞれのペースとタイミングで成長して行くのだ!

 

 

 

 

 

出店者募集!

4月28日(月)に豆岳珈琲のまわりで開くリサイクルマーケットですが、あと少しブースに空きがあります。

再利用可能な不要品をお持ちの方、出店してみませんか?出店スペースは1ブース約1.5×3.0m。

11:00 〜 15:00、小雨決行。

 

出品物は衣食住に関するものでしたら特に問いません。

服やバッグ、キッチン雑貨、食器、家具、文具、おもちゃ、店舗用品 etc. 

できればすぐにはゴミにならないようなモノがいいと思います。

興味のある方がいらっしゃいましたら、豆岳珈琲かおくなが屋まで声をかけてください。

 

 

今回のリサイクルマーケットは、くぬぎ舎としての活動の第一歩です。

パタゴニアの創始者イヴォン・シュイナードの書いたエッセイを読んだ時に業種やビジネスの規模が違えど、

経済活動がもたらす環境への負担についての同じようなジレンマを抱えていることに気づき、私たちが日々、

行っている仕事や消費活動を補完するような気持ちで何かできないか、というところからスタートしました。

 

いろいろなアイデアはありますが、まずできるところから始めてみようということで、

テーマは「再利用・再活用」。要は購入する時にそのモノの行く末をちゃんと考えて購入しているか、

という問いかけを含めて、良質なモノであれば自分に不要になったものでも、

再利用というカタチであらたな資源になるのでは、という試みです。

そして売る側もモノの消費のゆくえを考えられる機会になればと思っています。

 

街に住んでいればたびたびフリマやファーマーズ・マーケットのようなものに出合うことができますが、

この辺りで、そういう類いの催しがまだまだ少ないと感じたこともきっかけです。

 

最終的な目的は「循環してゆくこと」なので、もしこのイベントをいいカタチで続けることができたなら、

手段を広げて、安全な農作物や食品、また良質なクラフト作品などを生産者・制作者から直接、購入できる

ようなスペースを増やしてもいいし、それを定期的に開催するなど可能性もふくらんできます。

(妄想で終わるかも知れませんが…)

さらにお金でなく、モノとモノの交換の場になってもいい。

花火のような派手なイベントでなく、一人一人の暮らしに地味に?役立つ、そして

普段の生活をちょっと見直すきっかけになるような、そんなイベントを目指しています。

 

今回は安心な材料で手作りされたお弁当やパン、サモサなどの販売も予定しています。

ぜひ味わってみてくださいね。

 

自分たちの住む場所は自分たちで居心地よくしていこう、できるところからーという趣旨の

ほんとうに一歩目のイベントです。参加をお待ちしています〜。

 

詳しい内容はくぬぎ舎のfacebook、または各店まで。

 

 

*今回の出店者募集は終わりました。また秋冬での開催日程が決まったらアップします。 

 

 

お父さんのお仕事

はなあに?と聞かれたら、何て言えばいいの?と娘。

うーん、なんて言ったらいいんでしょう?

 

例えば今は駐車場のブロック敷き。

 

 

あとは庭にバーゴラのようなものを建てるための基礎もつくっていたり。

穴を掘って、最低限のセメントで固定するために40cm角の穴を掘っていたら

中から50cmはある石!重〜い石を、あるもので取り出す工夫中・・・。

知恵と体力を使ってます〜。

 

 

そんな様子を木の上から見ていたシロさん。

降りてきたと思ったら、記念の足形。

セメントを埋めたカタチも偶然ネコ型? トトロ型?

 

でも、すぐ退散!

春休み中の娘は一日、パパの土木工事のお手伝い。

「友だちはみんな習い事に忙しいのに、あやは毎日、お手伝い!べつにいいけど〜」

そういう親を選んできたのはあなたです〜。

 

 

そうこうして、なんとかめでたく基礎工事完了!

 

 

一方では野菜の苗づくりも進行中。

 

 

時間になったら保育園に息子くんのお迎えにー。

保育園から帰ってきた人は、とりあえず店の前から東側の山を眺め今日一日を振り返る…。

 

と思ったら、突然、エアギターで歌いだし、

 

それが済んだら、摘んだ花の蜜を吸いながら玄関へ。

 

家に入ったとたん「お腹、すいたぁ〜!」

蜜だけじゃ、足りなかったらしい。

 

お父さんは夕食のあと、お店の経理と明日のパンの仕込みもします。

その前にお皿も洗います。

どれがほんとうの仕事?いったいなに屋なのか?

なんでもしてみる屋さんと化しています。

 

友人の働き方研究家の西村佳哲氏も「シゴト」って取材を重ねていくと区分けがだんだんできなくなって

暮らしをつくっていくことすべてが「生業(なりわい)」だって意味の事を言ってたもんね。

 

「いやぁ、それを友だちに説明するのがむずかしいのよね〜」と今年4年生になる娘は申しています。

 

 

 

 

 

お金の使い方

もうすぐ消費税が8%に上がります。

その上がった税金分が何に使われるのか、本当のところがさっぱりわからないというのが一番、

腑に落ちないところ。あと一律8%じゃなくて、基本的な食材や出産に関わる出費などには

かけずに贅沢品みたいなものは割合を高くするとかしてもいいと思うし。

今の政府には疑問がいっぱいでなんとも不可解な気分の残る増税です。

何に使うつもりなんだよ〜! 

 

それでも考えようによっては、お金の使い方を考える機会ですね。

今までと同じように買い物をしていたら確実に3%分の出費が増えるわけです。

大きい買い物から順番に見直すのもいいかも知れないですね。

家・保険・車・学費・食費など。

 

たとえば家。

大きな住宅メーカーに建ててもらうとかなりの割合が東京や大阪にある本社の利益になります。

つまりその地域にお金は落ちないし、建材や実際の人件費以外にも払っていることになります。

例えばそうやって建てた家が100年200年以上もつ家なのか、

それとも最近の家の平均寿命25年を切っているような家なのか。

25年後の産業廃棄物にしかならない家に収入の多くを費やしていないか?

ローンの利率よりもそっちの方が重要かも、です。

 

あと医療保険。

病気になった時に払われるわけですが、それはほとんどの場合、現代医療(西洋医学)に対してだけです。

病気になった時、自分が選ぶ治療法によってはその分、貯金していた方がいいかも知れない・・・。

そして社会情勢をみていると保険会社に大金を毎月払うこともまたリスクかも知れません。

個人的にはがん保険が一番もったいない、と思ってます。

 

 

さて、ここに総務省がとった家計調査があります。

1995年から2011年まで、つまりバブルがすっかり終わってデフレといわれる時代に

なってからのもので、それによると家計の支出は収入とともにどの項目も全般的に減っています。

 

でもその中で3つだけ増えたものがあります。

それは通信費と保険医療費と光熱水道費。

特に通信費はインターネットや携帯電話の普及で実に70%以上も上がっています。

また国の医療費なんて、今や国家予算の半分に迫っています。

もしどこかの家庭が収入の半分が医療費に使われている、と聞いたらそう思うか?

それが国になったのが、今の日本です。

3歳までは保険がきくからと、ほっておけば治ることでも子どもをやたらに医者に連れて行くとか、

もらった薬を疑いもなく何でも飲ませているとか、そういうことを聞くと本当に悲しくなります。

ワクチンや薬の危険性をもっと勉強しなくちゃ。

副作用や障害が起こっても、国も自治体や病院が一生面倒見てくれるなんてどっこにも書いてない。

ぜんぶ、その選択をした親の責任になるのです。

 

話を戻して、統計の「食費」に光を当てるとこちらも全体的に減っていますが、

飲料(20%)、調理済み食品(12%)、そして油脂・調味料類(3.5%)、そしてパン(1%)

は上がっています。反対にお米は50%近く、魚介類も38%下がっています。

 

極論かもしれませんが、電磁波を浴びる時間が長くなり、栄養のないものにお金を使い、

その結果、医療費の出費が増えている現代人という図が想像できる結果な気がします。

収入の額面を増やすことばかりにウェイトが置かれて、使い方の質は問われていないというか。

 

なんでも自給か物物交換で成り立ってる世の中だったら消費税が上がろうが下がろうか関係なくて、

逆に消費者と呼ばれる人の消費で成り立つ生活の割合が増えるほど一喜一憂しなきゃならないというのも

これから暮らしていく方向を考えるヒントにも思います。

 

パンケーキ

いつも子供たちの朝食はおばあちゃんが用意してくれるごはんとお味噌汁です。

味噌も漬け物も素材から自家製で、海苔も地物の一番海苔が親戚から毎年届いて

今時、ほんとに贅沢な朝ごはん。

 

それでも、たまに「パンケーキが食べたいっ!」などというリクエストがくる。

そうすると母の出番。

今朝も突然のパンケーキ・コール。

しばらくお米が続くと、ふと小麦粉ブームがくるのか、その「食べたい!」は

どうしても食べたいの「食べたい!」らしい。ま、わかる気もするけど。

 

使っている鉄のフライパンはスウェーデンで購入して持ち帰ってきた

パンケーキやクレープ専用にしているもの。

もう10年以上使っているので、油の染み込み具合もいい感じです。

横で三日月のような目をしながら焼けるところを見守る2人。

「お姉ちゃん、学校行くけ、先に食べていいよ!」といいながら

次のはもっと大きいのを焼いてもらおうという魂胆の弟。

しかし「今、春休み!」の一言で撃沈!笑

去年、摘んで冷凍してあるブルーペリーが残っていたのでトッピング。

「なんで、レーズン乗せるん?ゆうま、いらん!」と古いオトコ?な弟に

「これ、ブルーベリーだから!」と言い放つ姉。

 

「じゃあ、ゆうま、もっと大きいの焼いてブルーベリー乗せる」とあくまでサイズに

こだわりを見せる弟を尻目に「じゃ、私が先〜♪」と食べはじめる姉でありました。

「お姉ちゃん、ブルーベリーだけちょうだい?」と言われてます、笑。

 

 

 

 

 

今回の使ったパンケーキの材料。これによつ葉バター。

今日の発見はたまたま残っていたライスドリンクを豆乳と半々にしてみたら

生地がふんわり軽くなったこと。全粒粉入りの生地には全部を豆乳にするより

食べやすくなるようです。

 

 

 

斉藤&和義

大分公演に行ってきました。

良かったです!!!

今回のアルバムの中でひとつだけ、私には?な曲があったのですが、生で聴いたらギターの演奏が

すばらしくて歌詞の内容はどうでもよくなってしまいました。ギターの音を鳴り響かせるための

楽曲なんだ、という勝手な解釈で結局、斉藤くんは総合的にどの曲も良いです。

ギターもハーモニカも演奏して、歌までうたって、ってそれだけで雲の上の芸当だし!

ステージ上がヒョウ柄過多でも許しちゃう、笑。

 

有名な「歌うたいのバラッド」も白いアコースティックギター一本で歌ってくれましたが、

やっぱり名曲名演奏。誰がカヴァーしても作った本人は超えられないな。

 

それにしても、チケットが取りやすくて、渋滞もなく、

クルマでさっと行けてさっと帰って来られるのは地方の利点ですね。

次々と出てくるかっこいいギターもすごい音を出しまくって、あっという間の2時間50分。

内容がぎゅーっと詰まったライブでした。

あー、また行きたい!

 

でも最初のMCでとり天(大分ではポピュラーな料理で鶏肉の天ぷらみたいなものです)の話が

出たところから、一緒に行った人のスイッチは見事にとり天に入ってしまい、ライブ終了後、

会場近くにあった天ぷら屋さんに。そして

これでも半分、食べたあと。量の多さも地方のーーー?!

私も和義くんと一緒で東京にいる時は「とり天」をまったく知りませんでした。

唐揚げのようで、ぜんぜん別物。もっとふわふわしています。

たまに大分出身の母が下郷農協の鶏肉で作ってくれます。

やっぱり作り慣れているせいか本当においしくて、私の中のベスト・ワン。

 

この日は地物の穴子が入ったとかで、その天ぷらもオーダー。

いつも忍ばせているマイソルト(なずなの塩)で戴きましたが美味でした。

 

 

お留守番をしていて、先に寝ていた息子は翌朝、起きてくるなり

「かいちょうかずよし来てたん?ママ、会ったん?・・・ゆうまもママが好きなのに!」

といっちょまえにヤキモチらしき感情を表明。取り繕うように「ママもゆうまが好きよ」

と応えると、にっこりした顔で「じゃあ、もう行かんね♡」と諭されたような。なんで?

そして自家製おもちゃのギターでなんだかわからない歌をうたい、愛を取り戻そうとして

みせるオトコ、ゆうま。その姿は唐揚げととり天以上に、和義くんと違いがあるのでした。

「オレ、かいちょうゆうま♪」だって。会長さん・・・?

 

 

♪そんなの知らなくていいさ〜

ハンパなバカになるからな〜

わかりきった事ばかり

知りたくない事ばかり

人はいう〜

 

という「スナフキン・ソング」好きです。

今回のライブではなかったけど〜。

 

 

 

 

 

 

植樹会

くぬぎ舎、初めてのイベント。

お天気にも恵まれて、気持ちいい気候の中、集まってくれた人たちとの作業は

さくさく進み、あっという間に合計19本のくぬぎの苗を植えることができました。

写真/上段左から

1. 植える位置を決めています。

2. シャベルや杭

3. この地域の植生に合ったくぬぎの苗

4. まずは1本目を元・同級生が植えてみます

5. こんな崖にも3本、植えました(崖崩れ防止に役立つか?)

6. 土を味見している添平くん

7. いい感じに苗がそれぞれの場所に

8. コーヒーとパンとお菓子で休憩中

以下省略、笑。

 

 

そして、こんな感じになりました。

今回の「植樹会」にあたって、森をつくっている人の書いた本を読んだりしてみると、あたりまえですが

木って、ただ持って来てどんどん植えればいいんじゃないんですね。ちゃんと、その地域の植生や気候や

時期を読んで、“自然に沿った” 方法でしないとダメなのです。

 

木を育てるのも、花や野菜を育てるのも、きっと人が育つのも、みんな同じで、

私たちにできることは自然の力をどれだけうまく借りれるか工夫することだけで、

あとはすべてタネの中に設計書に沿って自然がしていること。

なんでも一緒だなぁ、なんて思いました。

 

こんなこと2、3冊の本を読めばすぐわかるのに、なぜこの国はどこも杉ばっかりを増やし

生態系のバランスを崩し、花粉症の人を増やし、森を破壊してしまったのでしょう?

しかも国策としてー(と、やっぱりひと言多くなってしまいました!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.11

そのものズバリのタイトルですが、ちゃんとしたことがまだ書けません。

3年前のあの日、すごい揺れを経験して、見えない放射能に対して突然の判断を求められて

それは今も問い続けながら暮らしている部分があって進行形です。

はっきりしているのは、大きなものを失って、でもまた作って

入れ替わったものがたくさんあったということ。

 

政府や東電などは、3年経って子どもに甲状腺の異常や癌が増えていたって

責任をとる気はなくて、なかったことにしようと逃げてばっかりだし、

過去の水俣病などの時からまったく変わっていない。

だから、やっぱり自分で調べて考えて行動していくしかないのだと思う。

正解はそれぞれ違ってあたりまえ。

デモや投票で表すのも大事だし、実際的のふだんの生活で表現していくのも大事。

観念的になることなく、足を地に着けて行動していきたい。

 

お休みにたまたま近所のホームセンターに行った。

花を植えるための土を探していたら店員のおじさんに

「どんな土がいいの?」と聞かれて

「化学肥料が入っていないもの」と答えたら

「食べるもの育てるの?」

「そのための堆肥はつくってるから、花のための」

「え、木や花にも全然、使ってないの?」

「土にそういうものを撒きたくないので〜」

「そうなの、それはすごいね!食べ物は基本だから大事なことだよ、

で、いつからそうやって食べるもの育ててるの?」

「3.11で移住してから始めました」

「移住・・・?」

そして前に住んでいた場所のことなど聞かれたりして会話が続き、そして最後にそのおじさんは言った。

「・・・それなのに、まだ原発を動かそうとしている。歴史から学べないヤツはダメだな、なあ!」

 

その時、おじさんの健全さになんだか少し救われたような気分になりました。

 

今までの社会は、どこか大きなところに所属して肩書きを与えられた男の人が中心になって作られてきて

「ふつうの感覚」より利益や世間の評価や安定を物差しにコトが進められてきたと思うけど、

まだまだ正常な感覚をもっている人がいるんだなぁ、と思ってしまいました。

 

フツーに考えたらそうでしょ、みたいな感覚って本質をついていたりして大事なのに

その感覚を押し殺して、保身や利権に依存してもっともらしい理由をつけて生きていると

顔がどんどん汚れてくるか、逆にきれいな仮面をつけて生きるようになる。

そして、その理由にいつのまにか自らが支配されている。

 

頭がいい、成績がいい、と学校の中で言われ続けてきた人が陥りやすい罠ですね。

ホントに頭がいいってどういうこと?

勉強ができるって価値があること?

そういうところで優秀だった人たちがリーダーになってこの国のことを決めているのなら

なんで、こんなことになっているんだ?と問いたい。

 

だから3.11以降、仕事の選び方って大事だな、と余計に思うようになりました。

人としての感覚が狂わない、精神の自由さと健全さを保てるシゴトで暮らしていきたいなぁ、と。

 

 

ポルトガル語で “マオ・レゾルビーダ” という言葉があるそうです。

ある地位を得て、ひとかどの人間のように思われているけれども、実際の個人的な生活とか人間的成長を

大事にしていない人、自分では解決したつもりでも本質的には何も解決していない人のことを指します。

社会的な顔は立派に見えても、個人としてつきあってみると幼いというか、相手によって態度を

変えたりする人、そういう人は地位はあっても、どんなに仕事をしていても、ブラジルなんかでは

“マオ・レゾルビーダ” はひとりの人として決して尊敬はされないそうです。

 

英語の直訳だとbadly resolved(=ひどい解決、まずい解決)。

日本語だと?なんかぴったりくる訳語があれば認識しやすくていいのにな。

日本人は本音と建前という精神構造が脈々と伝承されてきている土壌があるせい? 

この “マオ・レゾルビーダ” が実はとても多いんじゃないかと感じます。

そういう人間を生み出す教育や社会はもうバイバイ!といいたい。

 

自然への畏敬を忘れた人間になってしまうから教育を受けるのは8年まで、という戒律で暮らす

アーミッシュの人たちはエネルギーも食べ物も、住む家も着る服も、移動手段も馬車を使って

すべて自給して暮らしている。決して、土壌に毒を撒いたり、空気を汚したり、ゴミを増やしたり、

人よりえらくなろうとしたり、人よりお金持ちになることに重きをおいていない。

質素な、それでいてその風景は素朴な美しさに溢れている暮らしを営んでいる。

 

それから。

震災はともかく、原発事故については被災者であると同時に、大人はみんな加害者でも

あったことも忘れちゃいけない。そんなことを考えつつ3年目を迎えています。

ブルーな気持ちの中にも、光を生みだせる力をつけたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

インフルエンザ?にかかる

オクナガ家有史以来、初めて全員、倒れるという事態に遭遇しました。

始まりは娘のクラスが学級閉鎖になったこと。

「学校、休みになっちゃったよ〜」と最初は時間を持て余して

元気にぴょんぴょん過ごしていた娘が実はすでに感染していたのか、

休み3日目に突然、高熱を出した。

 

「いま熱、計ったらこれ」といって差し出された体温計は39.4℃。

「良かったねー、これで体の悪い細胞が全部、死ぬんだよ。すばらしいね!」

と言って、ベッドに送り出しホメオパシーやフルーツや飲み物を与えて時が経つのを待った。

 

そうしたら翌々日、こんどは息子がやっぱり39.4℃になった。

毎日、一緒に遊んで、同じ部屋に寝ているからあり得る話で、これをきっかけに少し食を減らして

彼の内蔵を休ませるチャンスだと思った。ところが、ベッドの上で熱にうなされながらも

ヤツの考えることは食べ物のことだったようで「ママ、ゆうまのお熱が下がったらピザ食べに行こう!」

などと発言をしている。こんなに体力の落ちている時にピザを思い浮かべるってなんなんだ?

しかも「こんどはちゃんと飾ってあったのと同じの下さいって言おうね!」と、

以前、家族で行ったレストランのショーケースと実際に運ばれて来た実物のサイズの差に

未だ納得していなかったという事実まで判明。

 

「風邪のあとはさ、うどんとかさ、そういう方がいいんじゃない?」と言うと

「ゆうま、うどん、ちゅるちゅるするの、慣れてないもん」

慣れてない・・・?そーですか。

さらに、おばあちゃんが作ってくれたお粥についても「噛めん!」と苦情を訴えていた。

 

そんな時、移住して来て以来、すごく慕っていて、尊敬もしていて、あれこれ教えてもらっていた人が

突然、亡くなった。病気になったことを聞いてから2ヶ月、あまりにもあっけなく。

必ず治るよね、と思っていたから気持ちの準備も全然、出来ていなかった。

今でも現実感がない。

 

死ぬなんて、こっちの部屋からあっちの部屋にいくようなものだよ。

ちょっと服を着替えるのと一緒。

と臨死体験者の赤峰さんにいつも聞いていて、たぶんその通りなんだろうと思っていたけど

やっぱりまだ肉体を持っている身としては受け入れるのに体力も時間もかかる。

あー、こういう時って免疫力下がるよなぁ、と思った途端、子どもたちと同じように高熱の人になった。

 

と思ったら夫くんまで。

と思ったらおばあちゃんまで。

まるで家族みんなで将棋倒しのように全滅!

 

たまに風邪をひいたり、調子を崩しても、仕事が始まる日の朝には必ず治るのが私のスバラシイところで

(←誰も褒めてくれないから自分で言うよ)内心、私ってプロ!と自負していたのに、

今回は宇宙のどこかで別の力が働いていたのか?、仕事のスケジュールはあっさり無視された。

 

火曜日の朝になっても起きられす「臨時休業」の文字が頭をチラチラしている。

うそ、そんなことあってはならーん!と思ってみても熱はさらに上がって40℃を振り切っている。

よし、こうなったら半身浴でがーっと汗を出そう、とぼろぼろの状態でお風呂を掃除して

なんとかお湯に浸かった。が、温度調節がわからない。ぬるめのお湯に長ーく浸かるのがいいのだけど、

自分が40℃あるので感覚が狂って、たぶん相当、熱いお湯に30分以上入っていたんだと思う。

(みなさんも気をつけましょう、笑)その後、お風呂から上がってから記憶がなくなった!

 

幸い、38℃台でも日常生活が送れる(!)夫くんがお店に立ってくれて最悪の事態は免れた。

そうこうしているうち、子どもたちは回復してきた。

また、ひとまわりパワーアップしたようで、うるさい、うるさい。

ケンカしたり、お腹がすいたーっなどと大人の体調も顧みず好き勝手なことを言っている。

 

おばあちゃん(母)が体力を振り絞って食事の用意をしてくれて、それをパクパク平らげる子どもたち。

私もなんとか食器を洗ったり、洗濯したり。でも干すのがやっとで取り込む元気はなし。

そんなこんなで家の中も微妙にすることが溜まってきて、なにがなんだか。

 

そして、とうとう母がぽつりと言った。

「こんなことになるんなら、来年からは大人だけでも予防接種、受けた方がいいんじゃない?」

「意味、ないよ。逆に悪くなる。体も環境も。」と、この期に及んでも主義は曲げない頑固者の嫁。

すると母は「やっぱり、そうなん?今朝、進一郎にも言ったら『ワクチンに何が入っているのか

知ってるのか!』って、また怒られちゃった!」やっぱりウチではその案は採用されないね、

という表情をしてお茶を飲んでいた・・・・・そう、あり得ません。

 

そもそも、家族の誰も病院で診察を受けていないからインフルエンザなのか、風邪なのか、

気管支炎なのか、なんなのか、わからない。そしてわからなくて構わない、と思っているのだ。

 

母は孫のためなら何でもする。

多少、自分がワクチンで不自然な状態になっても孫の辛い状態が回避できるならそれでいい、

というようなフシがあり、今回も「だって、子どもがかわいそう」という主張だ。

でも親の方は本当にかわいそうなのは「本来の、内在する自然の力を潰してしまうこと」と考えている。

子どもから自然治癒力が備わっていることを知るチャンスを取り上げてしまうことの方がかわいそうじゃない?と。

母も本当はわかっているんだと思う。

ただ、今回は家族全員があまりにもひどかったから血迷った発言?になって息子に怒られただけー。

(この光景はたびたび我が家で見られます)

これ、最初のお産の時に助産院での自然分娩を選んだくせに、いざ陣痛が始まってみると、

あまりの痛さに圧倒されて「モルヒネとか、ないの〜?」と口走った私にはわかります。

ほんとうはわかってる、でも言うだけでも逃避したい気分なのよね。

 

でも、ホントからだ的にはたまに高熱を出した方がいいみたい。
それがなくなると大病につながるし。

今回も仕事はストップしてしまったけど、恩恵がいくつかあった。

ひとつは何年か前、癌があるよと言われた箇所が一日すごく痛んで翌日にはそれがすっかり治ってたこと。

39.3℃だったかの熱で癌細胞は死滅する(逆に34〜35℃台で繁殖する)ので、

たぶん、また出来ていた癌を熱が消してくれたのかも知れない。それで体は熱を出したのかも。

もう、なにも効かない!という勢いの40℃近い状態が4日も続いた理由も、それならわかる。

 

同じような状態になったのは20年以上昔にロスで気管支炎になった時。

その時は、かかりきる覚悟が今ほどなかったのか、それとも一週間後に行くことになっていた

NYにどうしても行きたかったのか、5日目にして抗生物質の注射を一本打って熱を下げ、

その翌々日には、まだ寒い3月のNYの道を歩いていた。

無謀・・・。

が、1ヶ月後、その副作用に苦しむことになる。

一緒に完全治癒したかのようになったアトピーが3倍くらいになって戻ってきたのだ。

それには相当、気が滅入った。

 

今回はなんだか、その時のやり残した宿題をしているような感覚もあった。

あまりに咳が止まらないので肺炎の疑いまでかけられた。が、たぶん違う。

きっと20年前の未解消のカルマ?だ。

ならば、今回はとことんかかり切ろうと思ったら2週間もかかってしまいました。

 

お仕事関連、くぬぎ舎関連、外構工事、各方面にあれこれ遅れが出てご迷惑おかけしました。

それでもまわりが、まるで白血球のように私という傷をカバーしてくれました、アリガトウ。

 

あと、学んだこと。

笑いが飛躍的に免疫力をあげることは知られていますね。なので、今回もさくらももこさんとか

清水ミチコさんとかに頼ってみましたが、この方法、気管支がやられている時には向きません。

笑いすぎて、咳き込んで大変なことになります。

そして、あの口調だけが残り、夢の中ではナレーターがあの口調でずっとしゃべっていた。

お願い!今だけはやめてー、と夢の中で強く思いました、笑。

 

そして以前、先に結婚していた友人たちの「結婚も10年経つといろいろあるよー」

「うん、あるある」という会話を聞いていて、未知の世界だ〜と思っていましたが、

こうやって10年を迎える直前に一家全滅という事態に遭遇して、

遅ればせながら友人たちの会話にも参加できそうで、なんだか大人の仲間入りした気分

(え、理解がちょっと違う?笑)

 

それでも、治る時がきたら自然に治る。

病院も薬もワクチンも使わずに。

そして、インフルエンザだったとしたら、その取り扱いも少しわかった気がする。

なにごとも経験してみないとです。

 

頼りにしていた人が突然、あっちに逝ってしまったこともあって、

そして自分までかなり弱ったこともあり「死」についてもあらためて考えてみたり。

 

生きがいの創造 飯田史彦

 

赤峰さんはこの本に出会って、自らの体験も話そうと思ったそうです。

生まれる前の世界、死後の世界、生まれ変わりのしくみ、そういうことが考察されています。

死を考えることは生き方を考えること、生きる意味も見えてきて元気が湧いてくる本です。

 

 

 

 

 

 

くぬぎ舎のfacebook

今朝、子どもたちが2階の窓から庭を見ていて

「わぁー、わぁー、見てーーーーっ!」と叫んでいるので何かと思ったら

曇り空の下、うすいピンクの梅の花が満開になっていました。

 

我が家は今週、全員ダウンして全滅状態。

子どもたちも学校、保育園を休み、窓の外を眺めることもなく、完全室内の生き物と化していました。

そのあいだにも季節はどんどんめぐっていて、ぐんと春に近づいていました。

自然の辞書にはサボるという単語がないですね、笑。

 

 

さて、先日お知らせした「くぬぎ舎」ですが、本日facebookがUPされました。

こちらです。https://www.facebook.com/kunugisha?fref=ts

facebookされている方がいましたら、どうぞご覧下さい。

良かったら登録も。

 

くぬぎ舎の活動(イベントなど)の情報はこちらで随時UPしていきます。

もちろん豆岳珈琲、おくなが屋各店でもご案内いたします。

興味のあるものから是非、ご参加ください。

 

ひとつ、お断わりしておきたいのは、くぬぎ舎のイベントは基本的に「月曜日」が多くなります。

おそらくほとんどが月曜日です。

それは豆岳珈琲もおくなが屋も定休日なので、くぬぎ舎としての活動ができることもあるのですが、

平日だからこそ参加してもらえる、という側面もあるのでは、とも思っています。

週末は家族と一緒にのんびり過ごしたりする時間、

平日は一人になって(または友人と)(または配偶者と)何かを学んだり吸収する日

ーそんなイメージもあっての「月曜日」です。

 

参加希望の皆さんがうまく月曜日に時間をつくれることを祈っております!

お仕事の都合などで早めにスケジュールを知りたい!という場合は、各店で直接お尋ねください。

ほぼ決定、というものがある時はお伝えできると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地方で暮らす

今ではすっかり、あたりまえのようにこの場所で暮らしているけれど、

東京にいた頃は「田舎で生活する」という想像はほとんどしたことがなかった。

親戚も遠くて神奈川県まで。

一度、神奈川から益子に移住した親戚のところへ遊びに行ったことがあって

カエルの大合唱とか、いつもの環境とあまりに違っておもしろかった。

 

自然がいっぱいの中で暮らすというイメージはもっぱら本の中で、

小学生の頃、よく読んだリンド・グレーンの「やかまし村のこどもたち」や、

TVで観た「大草原の小さな家」が原(疑似)体験だ。

 

だから、ここで「雑貨屋を!」と思いついた時も、まず浮かんだのが、

その記憶の中に残っているオルソン家営むオルソン商店。

19世紀のアメリカ開拓時代の村にあったグロッサリーストア。

そこへ行けば、穀物やパンやお菓子などの食料や生活雑貨やなんやら必要なものが揃って、

ないものはカタログを見て取り寄せてくれる、家族で営む個人商店。

それを現代の日本の田舎町に移したら、どんな店がいいか?と思ってできたのが

「おくなが屋」です。オルソン商店→オクナガ商店、笑。

 

いろいろな国を旅行した時にも、気がつけば必ずそういう田舎道にぽつんとある、

中は宝探し?みたいな雰囲気の食料&雑貨店は必ず入ってしまう。

ま、それが今、少しは役立っているのかな。

「好き」とか「どうしても気になる」ことって、自分の鉱脈を見つけるヒント。

ただ「好き」や「気になる」があちこちに多いので他にも興味のあることが

多すぎて寿命が足りるのか?というのが最近の心配、笑。

すべてが中途半端にならなきゃいいけどー。

 

よく「田舎暮らし大変じゃない?」と心配されたりしますが、先の心配と比べたらなんでもない。

那須時代の方がよほど不便な住んでいたし(でもSHOZO CAFE 那須店が近くて良かった)、

その前に住んでいたコネチカットの方が積雪も多くて冬が厳しかったし(でも近くに

PATAGONIAがあったり、食事もできるオーガニックマーケットがあったり良い環境だった)。

 

で、さあいよいよ限界集落とも言われる日本の田舎に実際に移住してみると少しずつ

現実的なモンダイや課題が見えてくる。また視点を変えれば実は「豊か」なんだともわかってくる。

 

それから地方をテーマにした本をあれこれ読んでみると、結局、地方の問題って

都会の問題でもあることがわかったり、政治のしくみや、人の営み、

仕事の仕方や農の問題にも行き着くことがわかる。

 

森まゆみさんのこの2冊はその中でもとても光を与えてくれた。

自分に縁のあった土地とのつながりを大事にして生きている人たちや、

国や農協に頼らず、農や酪農の営む道を切り開いてきた人たちを取材して書かれた本。

タイトルも「その通り!」という感じで好きだ。

 

都会にコンプレックスを持つ必要もなく、補助金にも頼らず、志をもって生きること。

自分の足でその土地に立っていることが、誇り(プライド)となっている

無名の人たちに希望を感じる。

 

最近では「里山資本主義」もおもしろかった。

「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の

経済システムの横に、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方。

 

すでにマネー資本主義(:これまでの自然を破壊しながら発展してきた経済)には限界が来ているので、

じゃ、そこに頼らず自分たちがまず経済状態が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、

ネットワークをあらかじめ用意しておこうではないか、という実践を案内している。

でも決して江戸時代の暮らしに戻ろう、という話ではない。

著者は「人のつながりという、金銭換算できない価値」や、実は世界でも有数の森林国である

日本に豊富にある自然エネルギーなんかを重視している。

 

田舎の農村に第二の人生をかける人たちに、必要以上に「自然好き」「田舎好き」のレッテルを

貼るのをやめるべきという指摘も、まったくその通りと思う。

 

「世界一の物質的な豊かさを手に入れた成熟社会の経験者が『薪のようにおいしく炊ける炊飯ジャー』

に飽きたらずエコストーブに挑戦したり、『高級スーパーの有機無農薬野菜』に飽きたらず自分で作り

始めたりするのは、そんなにふしぎなことではない。」というところ。

・・・そうなんですよ。

 

私たちもそうだったけど、今、住まいを田舎といわれるエリアへ移している人たちを見ても、

べつに牧歌的に生きたい、というのでもなく、自分たちが暮らしたい方向を考えたときに、

なんにでも「お金」のかかる場所だけっていうのもね、と、ある意味、未開拓地の可能性にワクワクして、

というケースが多いように思う。都会に嫌気がさして、というネガティブな感情よりは卒業という感じかな。

 

これだけ物流やインターネットが細かく行き渡っている日本で、

街じゃなきゃという必然性はむかしほど切実でないしね。

 

一生懸命働いてどんなにお給料もらっても、食事がコンビニや外食ばかりじゃ満足できない。

会社の都合で、本来プライベートな時間まで通勤時間や残業時間に変わってしまうのはかなわない。

そんな価値観に気づく人もどんどん増えそう。

 

街と田舎と2カ所の拠点を持って生活する人も増えている。

それも別荘、という感じではなく。

 

ずいぶん前に読んだ宮崎県の綾町(有機農家が多くて有名)に移住してぶどう農家になった人が

書いた本(タイトルは忘れました、)の中で、そこに住む人たちが自前のごちそうを持ち寄って、

愉しく語り合いながら夜を過ごすシーンが印象的で、こういうのがいいなぁ!と思っていたけど、

今ではそれと同じことがすぐにできるようになって本当にうれしい。

まわりには田畑を持っていたり、食関係にたずさわる友人が多いので、ファストフードの

デリバリーなんかとは違って、ちゃんとエネルギーのある食べ物が並ぶ。

これを天国と言わず、どこが天国じゃ。

 

「里山資本主義」を著者には「デフレの正体」という著書もあってこれもおすすめ。

お隣の市が、日本の地方によくある風景と同じようにシャッター通りが増えるのはよほど人口が減ったのか?

と思って調べてみると、実は40年前とほとんど変わってなく、年代別の人口分布が大きく変化しただけ、

という発見にもびっくりしたものですが、この本はそれをもっと大規模に詳しく分析して解決策もあげている。

 

もうホント、経済至上の考えが破綻しないと覚醒も起こらないみたいですしね。 

 

 

 

 

 

いろんな変化

この1月2月頃から、いろいろな変化が起こり始めているようです。

「変化」ということを成長ととらえれば、要は脱皮。

 

気の流れの変化も、農業政策の変化も、身体の変化もすべてはつながっています。

こういうときこそ、からだの声を聞く練習をする。

直感を鈍らせない。

 

からだにはインディケータ・マッスルという筋肉があって、その筋肉は決して嘘がつけないそうです。

ウソ発見器なんかもその筋肉の動きを器械で読み取ろうとしたものらしいですが、

でももうそんな器械すら必要ないくらい、その人の思い込みや頭では知らないはずのことまで

判断できる筋肉なので、間違うということがなく、自然や宇宙の法則とも矛盾しないのです。

 

どんなに筋肉を鍛えたマッチョな人でも、質問によってその筋肉に力が入らない時はもう完全に入らない。

肯定or否定、からだにいいものor悪いもの、という判断もすぐにわかって

しかも、それは誰のインディケータ・マッスルでも同じ答えになる、というのもおもしろいところ。

 

 

もう20年以上前(昔?)にアメリカのビバリーヒルズにあったオルタナティブ療法ではちょっと

有名な治療院で、アレルギーが最高潮にひどかった私はそのテストを受けたことがありました。

施術者は体に向かってイエスorノーで答えられる質問を私の筋肉にしていって、その質問によって

腕に力が入る時と、まったくおかしなくらい入らない時とがあって、そうやってアレルゲンと、

それがなぜアレルゲンとなったのか理由まで探り当てた。

でも、それは2歳半の時に体験したある出来事が原因といわれたので、体がそういう反応を

示したところで、私の頭の方には記憶がなく、帰国してから母に確かめました。

そうしたら母もなんでそれがわかったの?という、それがほんとうにあった事実だったことが

わかって(かなりの時差つきで)親子で驚いたものです。

 

そして、それがインディケータ・マッスルの反応を診ていたテストだと判明したのは実はつい最近。

長く生きてみるものですね・・・笑。ずっと不思議で、あれはなんだったんだろう状態だったけど

「とにかく体は何でも知っている」ということだけは当時でもわかって、それだけでも充分な

体験だったのですが。

 

Oリングテストなんかも、やっぱり体の反応で正解を出すもので、できるようになるとほんとうに便利!

ちゃんと研修を受けて認可されて臨床で使えるプロのお医者さんまでいかなくても、

練習するとわりとすぐできるようになって、たいがいのことはわかるようになります。

 

だから例えばパッと目にはいって「これ食べたい!」と思うものでも、体の方は拒否というものが

実は結構あって、その声を無視し続けると、やっぱりそれなりに不調が起こる。

頭で考えて選んだものでも同じ。

食べ物だけでなく、人生の選択ひとつひとつ、体は頭より本当の答えを知っている、ということがわかります。

だけど、はずれてみて遠回りして、そこで痛い思いをして学ぶ、という自由も一方であって、

私自身はその自由をかなり謳歌してきました、笑。

 

それはそれでオツなものですが?でも、この歳になると筋肉や直感の正しさやすごさもわかるし、

どう考えてもそっちに従う方が最終的に気持ちいい。なので、その言いなりになることに決めています。

 

もう化学物質(添加物、白砂糖、化学塩、合成薬、化学肥料、農薬など)を体にぶち込んだり

まわりにまき散らして呑気にしている場合じゃないですよ。

合成甘味料や化学肥料なんか、近づけただけで体の力が弱くなります。

 

今や体も地球も、人間が犯してきたことに対する浄化機能がもうぎりぎりのところに来ています。

今、癌は3人に1人とか言われていますが、放射能も蔓延しているこの世の中で

これからは2人に1人、3人に2人、という時代になってきます。

もちろん癌だけの話じゃありません。

 

いつかは誰でも死にます。

その中で最後まで健康でいる(寿命を延ばす、というより、寿命まで健康でいる、という意味ね)、

死んだ後も今世を後悔しない、ということを実現したかったら、

今の生活習慣や心の在り方を見直すしかないじゃないですか。

 

今、日本の統計で平均6年間、寝たきりになってから亡くなるそうです。

寿命が延びたとか世界で何番目だとか、マスコミではそこばかり強調されがちですが、

大事なのは健康度をあげて最後まで、できるだけ覚醒して暮らせることではないですか?

家族や友人を支えるためにも、まずは丈夫な自分のからだと心をつくりたいよね!

 

年間の国家予算の半分以上が医療費に使われているという事実もどうしてもっと

深く考えていかないのか、まったくわからない・・・。異常です。

自分のお給料の半分が医療費、と思ったら何のために働いているのか?と思いますよねぇ。

 

生命保険に加入しても健康になれないよ。

がん保険に入っても、癌にならないわけじゃない。

(加入したことによって「癌」という概念をかえって呼び寄せている気もする・・・

といった知り合いがいますが、確かに、)

 

信頼できるお医者さんも言っていましたが、逆さ仏もここ数年どんどん増えているそうです。

今のお年寄りよりはるかに汚染された環境で生きる世代はもっともっと真剣に考えなくては!

 

ケータイやテレビや新聞をしばらく脇に置いておいて、体の声に耳を傾けてみる時間をつくりましょう。

無自覚に行動するのではなく、ひとつひとつ吟味して歩いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石積み

お伝えしている通り、ただ今、お店のまわりは工事中です。

働くクルマが大好きな息子は毎日、自分ちの庭で動いているユンボに大喜び。

自分のおもちゃのそっち系のものを集めて作業してくれているおじさんたちに

両手を広げて「ゆうまも持ってるよ!」(仕事の邪魔だってば・・・)

 

そして、とうとう思いは通じて?休憩時間に実物に乗せてもらってご満悦。

調子に乗って「お姉ちゃんも乗る〜?」と声をかけてますが、

きみのクルマじゃないでしょ。

 

 

すべての作業に興味津々。

測量器を覗きながらレベル出しをしているのを見れば自分も覗いてみたくなり

「次、ゆうまの番?」(保育園のおもちゃじゃないよ)

 

そうしたら、こんなものが作られていました、笑。

 

 

ちなみに本物はこちら。

 

 

「これ、ゆうまの望遠鏡!」

(に見えたわけね・・・笑)

 

 

 

駐車スペース部分のブロックもレベル出しをしながら少しずつ敷き詰めています。

(こちらは夫くんとレンガの美しい国、イギリスからの友人アレックスくんのお仕事)

ブロックとブロックの間を開けることによって、緑化率アップと雨の浸透効果を狙ってます。

今はかちっとしてるけど、何年かすると洗い出されて草も増えてもっと自然な感じになるはず。

 

 

そして翌朝、玄関を出ると、まがい物が・・・。

「こっちはゆうまが作っといたけ!あいだに砂、入れると動かんのよ!」

と昨日、聞いたセリフを自分のものに、笑。

でも、それ「あいだ」じゃなくて「うえ」なんですけど?

 

「それ、壊さんように気をつけてね、並べるの大変なんよ!」

と言い残して保育園に行きました、やれやれ。

 

 

本物の現場では今日から新たな石積み作業に入りました。

先週、解体した石垣に使っていた石を再利用してもらっています。

まるで壮大なパズル。合計数百トンの石を組み立てています。

ご苦労様です・・・。

現場で頭と体を使って真剣に働く姿は理屈抜きにすばらしい!!!

頭がさがります。

 

 

 

そして午後。

ポストの中を覗いたら西村佳哲氏からお便りが。

さっそく開封してみると、こんな冊子が同封されていて、

 

・・・・・・・なぬ?

 

あまりのシンクロニシティにびっくり。

「石積み」って人の知恵が凝縮している。

 

あのターシャ・チューダーも「バカにはできないのよ・・・」と孫に説明していた。

その場面が妙に印象的で、それ以来石積みを見ると、その言葉がリフレインしてしまう私です。

 

夫くんはこの冊子の存在を知っていたらしく、どこで手に入るのかなー、と

思っていたそうです。ありがとう、西やん!(つながってるね、)

この場を借りて、お礼を申し上げます(ペコリ)

 

 

 

 

くぬぎ舎

旧暦によると今日がほんとうの元旦で、新しい春の始まりです。

 

今年は耶馬渓の山の上にある豆岳珈琲とユニットを組んで、

お店以外の活動を形態問わずやっていこう!という計画が進んでいます。

 

豆岳珈琲の店主、大岳くんと夫くんは高校時代のクラスメイトでした。

当時はあんまり話したことがなかったらしいけど、3.11のあと、

Uターンして20年ぶりに偶然、再会。最初はお互い気づかず、

2度目でやっとわかって、それ以来、いろいろ話をするようになると、

生まれ故郷を離れて経験してきたこと、街にある大学にいって、

大きな会社でも働いて、東京や自分の故郷以外の地方でも暮らしてみて、

最後は地元に帰ってくることに決めて、そこで自分の仕事をつくって、

という経緯が似ていたことがわかった。

高校時代には本人たちも気づかなかった不思議な縁が繋がりはじめた。

 

会うといつもいつも話が長くなる。自然エネルギーの活かし方、仕事の仕方、

田畑のこと、山のこと、地域の未来のこと、考えていることを話しだすと、

泊まりにいっても終わらない。

 

10代の時は出たい出たいと思って飛び出した場所だけど、大人になって

新しい視点をもって戻って来たら、実はそこが宝の山だったことに気づく。

「アルケミスト」の話みたいだ、と夫くんは言う。そして、

それを活かしていくと、どんどん暮らしが楽しく、ほんとうの豊かさって

こういうことなんじゃないか、というところに近づいている感触もする。

 

今まで知らない間に染み込んでいたモノの見方、価値観。

そういう「あたりまえ」ってほんとうに正しかった?

そんな気持ちも芽生えはじめた。

いろんな場所に住んだからこそ、気づいたこと、見つけられたこと。

 

そういう発見をもとにふだん話し合ってきたことが基盤になっての活動。

どれだけのことができるかわからないけど、でもなにかしなくちゃ身の回りの違和感は変わらない。

 

あと2人の共通点はもうひとつ、東京の人と結婚したこと。

豆岳の若奈ちゃんとは同じ時期の世田谷界隈、昔の二子玉川とかマック(昔は行ってた!)とか、

FOB-COOPとかを知っている間柄(でも、それは今回、役に立つのか?) 

なんというか同じ時期の同じ場所の空気を吸っていたという感覚は昔の友だちに会ったような。

 

お互いのお店は大分県と福岡県にまたがっていてクルマで50分位。

それでも田舎では隣町。

この地域でなにかできないか?去年から会っては4人でアイデアを話し合った。

 

日々の軸は仕事(お店)に置きつつ、クラブ活動みたいなカタチで無理はせずの活動。

新年会で集まった友人たちに活動宣言?をして、協力もお願いした。

嬉しいことにやろうやろうと言ってくれた仲間が多かった。

そういう気持ちがなにか小さなカタチとなって、地域に何かを残し

100年後、この地に生きている人たち虫たち動物たちも、それぞれに合ったペースで

豊かに暮らせることになったらうれしい。

 

ユニット名は「くぬぎ舎」。

たのしい種まきをしていきます。

 

コンセプトは「今までのあたりまえを見直して、その地域の豊かさを活かし、

自然の循環にそった暮らしを」・・・・・すばらしいね!笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祖先とその先

言葉にして書くと何かが足りていないのか過剰なのか、どうしても正確に伝わっていない感が残る。

それでも書かないことには何も伝わらない。

語彙&教養不足の頭では後になって、もっと違う書き方の方が良かったかな、とグルグルしそうに

なるけど、キリがないしプロではないのでまあいいか、と思い直したり。

でも、いちばん大切なのは技術じゃ、ないよね。ね?

 

今日は祖母の命日で、そんな時期は自分の存在のたてのラインが気になる。

たて:祖先、祖父母、両親、子ども、孫、過去と未来

よこ:友だち、知り合い、地域、仕事つながり、現在

 

このタテとヨコが織り物みたいになって、その真ん中に自分がいるイメージ。

若い頃はヨコばかりが心を占めていた。

それが、たぶん子どもを産んでから変わってきた。

今は両方に想いがいく。

 

去年はなぜか、2人の祖父の人生があれこれ新しくわかった一年だった。

今まで意外に何も知らなかった、ということがわかった。

生きた時代背景もあまりに違うし、おじいちゃん、おばあちゃんが幼い孫に話してもむずかしいよね。

 

遠い親戚が何年か前に出版した本を初めて読んだ。

それで、なぜ家族で突然、那須に縁ができて住んだのかもわかった気がした。

だって祖父も、そのお父さんも那須の生まれだったのだ。

曾お爺ちゃんが手掛けた那珂川に掛かる橋を毎日のように通ってたのだ、偶然にも。

(偶然はない、とはよくいったもの!)

両親の新婚旅行も那須だったらしく、なんか時々呼ばれてるんじゃ?

あのあたりは私の旧姓の苗字もとても多い。

 

ジブリの映画でモデルになったことがきっかけでもう片方の祖父にまつわる情報も増えた。

祖父の長男である伯父と宮崎駿さんの文通の内容とか。

 

伯父の手紙は戦前・戦中・戦後の体験を甥や姪にも残そうとしてくれたもので、

あらためて知ったことばかりだった。まったく事実は小説より奇なり!である。

祖先よ、大変な時代を生き抜いてくれてありがとう・・・!

それがなかったら今の私は居ない、というのが具体的にわかった。

まったくタテのラインでさえ知らないことばっかりなんだな。

 

宮崎駿さんから直筆の手紙には祖父が最後に設計したグライダーのイラストも描いてあって、

そのマニアぶりと記憶力に驚いた。

私はといえば、その設計図のテレフォンカード(懐かしい響き!)捨てちゃってるし。

なのに「風立ちぬ」上映後、すごいお宝扱いされてるし。

遅ーい!

価値観、人それぞれ〜〜!

 

駿さんにとって、祖父は明晰、快活、ゆるぎない設計者魂、はっきりものを言う都会人、

合理的な思考、という人物像だそうで、本当に良い面をクローズアップしてくれたんだな、笑。

でも半藤さんとの対談で「堀越さんとはほんとうは仲良くなかったけど、映画では・・・」という

くだり、それはちょっと違うみたいです。だって当時は家も近所で家族で行き来していて

子供同士も仲良かったんだから。

 

ま、それはともかく、その2人の祖父のキャラクターが、今になって妙にリアルにわかるのだ。

血ってやっぱり何か記憶を伝える物質かエネルギーみたいなものが含まれているのかなぁ。

「わかる」というのは、自分の中にハッキリ「感じる」ことができるということで、

それを遺伝というのか。

 

わがまま、無鉄砲、楽天的、アイデアで生きていく、世間とずれていて、ひどい目にもあうけれど蘇る。

そして、どうも波乱万丈が嫌いじゃないみたい・・・。そんなDNAがかけ合わさっているんだから

この根本的な性格、私の責任じゃないじゃーん!と発表したくなる。

 

逆に未来の自分の孫や曾孫が自分を後年、どんなふうに思うか?という考えてみると

根本の性格は素数みたいなもので変えようがないけれど、行動としては

ある部族のインディアンのように7代先がむずかしくても、

せめて2、3代先が生きる世の中が今よりも良くなるよう、持続できるよう、考えたいなぁ、と思う。

目先の利益じゃなく、100年後に「ありがとっ!」と思われるようなバトンを渡したいよなぁ、

どうせなら、と。さすが、人生も後半に入ってくると心がけが変わりますね、笑。

 

 

 

 

 

 

望み

こうしたいなぁ!こうなるといいなぁ!と望んでいることは、忘れたころに叶う。

力を入れすぎると(どんなことでも)ろくな結果を生まない気がするので、

いつもは忘れているくらいがちょうどいい気がする。

 

昔から欲しいものはノートに書いて、書いた後はほっておくというのをよくした。

それが数年経ってみて見るとけっこう叶っていたりする。

時々、なんで自分がそんなことを望んでいたのかも思い出せないほど

すっかり忘れていたお願いもあったりする。

でも叶えるコツは「欲」に走らず「運命」を信じていることかな。 

 

この場所でお店を始める時、実はないものだらけだった。

その一つが充分な駐車スペース。でも、いったいどのくらいの人が

来てくれるのかまったく見通しが立たなかったこともあって

前に2、3台停められるからと、とりあえずそのままスタートした。

 

そうして2年が過ぎた昨年末、なんだか駐車場をつくらねば、という話になった。

通学路がふさがれて子どもが車道を歩いていることを見かけたことがきっかけで。

なんとかしたいね、というところから始まって、話がとんとん拍子に進んで、

いい業者さんにも巡り会えた。なんかタイミングがきた、という感じ。

こっちで、こうしたいああしたいと話したり絵を描いたりしたのを

プロがまとめるとこんなふうになって、

そこにまた変更を加えたり、ここのところダンナくんは土木工事関連、

自然エネルギー関連の本を読み漁っている。一カ所いじると、いろんなテーマに

つながって、将来的なことまで想定しつつ判断していかなきゃならないんですね。

行き当たりばったりがあんまり通用しない、というか。

 

私はそんな時、思いっきり感覚的なので意見を言ってはダンナや打ち合わせに

来てくれた業者の優しいおじさんをを苦笑いさせている(ようです)。

 

ほんとう男の人って理屈をしっかりさせるよねぇ。

いいじゃん、出来てみてこうしたいなぁ、と思ったようにすれば!といえば

でも、そうしたら何かが間にあわなくて仕上がりにも影響がでる、とかで

もうあれこれ注文をしておかないといけないらしい。

頭の中で工事途中の風景を想像をするのは結構、集中力+想像力が要るものです。

 

あとイメージ先走りで、こういう石を敷きたいんだな!といえば

つまづく人がいて危ない、ヒールも引っかかる、とか言われたり。

そうしたら人が「気」をつけるようになっていいと思うんだけど?笑

 

と、まあコトが進んでおります。

 

そんな時、2年前のノートを開いたらその中のメモに

◯駐車場(殺風景でないもの)

◯柑橘類の実のなる木(マーマレードの作れるもの)

 

と元気な字で書かれているのを発見しました。

ほら、叶った!ということで、

只今、柑橘類の何を植えるか考えているとこです。

この辺りは金柑、レモンから晩白柚までいろんな種類の柑橘類があるからね。

たのしい悩みはまだまだ続きます。

 

新暦と旧暦

ぽかぽか陽気のなか新しい一年が始まりました。

無事に新年を迎えられた方、おめでとうございます。

そしてそうでもない方もそれが意味ある時間になりますよう。

(いつかきっとわかる日がくるので大丈夫ですよー)

 

カレンダーも新しくなりました。

お店では新暦のものを使っていますが、家の中では数年前から旧暦カレンダーも併用しています。

それによると今年の始まりは新暦でいう1月31日が元旦。

そして2014年は閏月が9月に入るので、秋の気候がやや長くなる一年のようです。

 

新暦は地球が太陽をまわる周期を元にできているので別名を太陽暦、

旧暦では月の動きも重視されているから太陰太陽歴といい、実はかなり違いのある暦になります。

もともと日本なんかは農業でも漁業でも旧暦をもとに暮らしていた歴史が長いので、

旧暦には自然の中で生きる知恵がつまっているといわれます。

 

田舎に暮らしはじめて、花の咲く時期、実る時期、そして種をまくタイミング。

そういうものはまさに旧暦の通りだ!ということがだんだんわかってきたので

逆になぜ日本は明治になって突然、新暦にしてしまったんだろう?と最近は思ったりします。

中津藩の福澤諭吉も新暦を後押ししたそうで、福澤さんは何を目指していたんだろう?

 

新暦に慣れてしまった頭には旧暦ははじめややこしく映りますが知りだすとおもしろい。

いろいろ本が出ていますが、私の中にすっと入ってきたのは

「旧暦と暮らすースローライフの知恵ごよみ」松村賢治著 

 

ただ、旧暦に親しんでいると日々がダブルスタンダードになってしまいそうなのが困りもの。

例えば、七草がゆだって、ひな祭りだって、七夕だって、旧暦ですれば、七草も桃の花も青い笹も

その時に(旬のものが)手に入るのに、新暦ではズレているので世間の行事を横目で見ながら

家庭ではもう一回、旧暦の時期にして、それを子供に説明して、でもなんかどっちがズレているの?

みたいになったりね。まあ、いいのだ。元々、世間とズレている我が家、なにを今さらではあります。

今年もズレを楽しんで暮らしていこう。

 

さて、新しい年に「産まれる」話題。

少し前に月経血コントロールでも話題になった三砂ちづる先生の対談本が超おもしろくてもはや快感!

 

女子の遺伝子

身体知

 

三砂先生はオニババ論でかなり誤解や反論を受けたようで、どうも正しく伝わっていない感があるようですが

これ、わかる人にはわかる、っていうか、とてもまっとうなメッセージだと思う。

この時代、空気を読み過ぎて、何の意味もないのにもっともらしいコトをいう人はゴマンといるけど

先生のように、葬られかけている本来の知恵を伝えてくれる人は貴重です。

 

私は先生のような学者ではないので、自分の経験からしか学んでないけど、それでも2度の出産と

授乳期間を含めた子どもとの時間を通して、それまでなんとなくもっていた主観がかなり変わった時に、

これは本当に自分勝手な話なんだけど、こんなことをどうして誰も私に伝えてくれなかったの?!と

突然、前の世代からの伝達のなさを不思議に思いはじめていたけど、その理由の考察にもとても納得できて、

つっかえがとれて、これで前に進めるぞと、この本に出合えて心から良かったと思いました。

(次の世代は常に前の世代の調整役、これは宿命ですね・・・!)

 

で、その掴んだものを説明しろ、と言われたらどうしても断片的、表層的になってしまいそうだけど、

例えて言えば最近、臨死体験で人生観が変わったという話を続けて聞く機会があって、

その時に妊娠・出産って、もしかして臨死体験とそっくり?と思いました。

陣痛の頂点で、きっとどこかに一回行ってしまっていませんか?経験者の方。

そして意識が戻ってきた時にはなんだか、目に見える景色が一変してしまって、我が無くなっていたみたいな。

 

そうそう、武道で何年もかかって会得する極意が女性は出産でショートカットできる可能性もあるそうです。

なるほど、そんなところかも。

 

まるで誤解してと言わんばかりに「とにかくだまって(若いうちに)結婚して子ども産みなさい」

的なことが至る所に出てきます。

こんなこと言うのは雇用均等法や経済がイケイケの時代にはしばらくタブーな雰囲気だったと思う。

でも先生はブラジルとイギリスが長くて、日本のバブル時代も知らずに、そこで結婚や出産を経験して、

その上昔の女性の暮らし方生き方の知恵をすごく研究していて、それを外国帰りの空気読めなさが

あったからこそ言えてしまったのが痛快なところ。日本に長かったらとても言えない気がする。

 

それでも、この真意はどっぷり新暦モードで生きている若い人にはなかなか伝わりにくいんじゃないかなぁ、

と思ったりするのは、かつての自分がそうだったから。

「伝える」というのはどうしても受け手の能力に委ねられている部分があるので、時間も必要です。

 

そもそも先生自身、自然分娩を経験できたわけじゃないそうです。ブラジルでの帝王切開、

イギリスでの促進剤使いまくりのお産。でも、詳しくは本にありますが、それでダメなわけじゃない。

その後のフォローでいくらでも欠けた経験の補充はできるようになっているのです。

 

対談相手の方にしたって理想的な体験をしているわけじゃ、ない。

そして私も決して若くして出産を経験できたわけでなく、心身ともに成熟できたのが非常に遅く(!)

40代になってからの滑り込みセーフ的な体験でした。

 

それでも遺伝子に組み込まれた、つまり自然に授かっている機能をうまく使うと気持ちいいよ、という話です。

最近、子どもを持つことを悩む方たちからの相談も増えていますが、たぶんその答えはまさに案ずるより産むが易し。

大切なのは考えることじゃなくて、受け入れる力=楽天的にいられる心と思います。

たまには無鉄砲にいってみましょうー(無責任!笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レモンと味噌、そしてモチ

柑橘類の豊富な上毛町。

これは頂きもののレモン。

輸入レモンとちがってTBZなどというわからない名まえの猛毒な防カビ剤など

かかっていないピカピカに健康なレモンです。

 

ウチのレモンの木は移住してきてから植えたものなので、まだ実はなりません。

きっと忘れた頃になるのかなー。

桃栗3年、レモンは何年?

 

家で野菜や果物が収穫できるなんて夢のような生活!と思って暮らしています。

まわりから頂くことも多くて、ほんとうに幸せ〜。

 

昔、友だちとパリ校外(ベルサイユあたりだったっけ?)に遊びに行って会った人に、

「卵はね、近所の友だちのところで鶏が産むから、それをもらいに行くんだ」という話を聞いて、

猛烈に羨ましいと思った東京暮らし+仕事ばっかりだった20世紀の私が見たら

2013年の暮らしはそれさえ実現しているじゃないか!とびっくりすることでしょう。

(ベルサイユじゃなく、上毛町だけどね!笑)

 

さらに、育てたお米を近所の麹屋さんで麹にしてもらって、田植えを手伝ってくれた人に分けたら、

それで味噌づくりをそれぞれが始めたりして、それがまた美味しくて「手前味噌」の言葉どおりになった、笑。

 

ウチも今朝、瓶を開封〜♪

なんともふくよかな甘くも塩分しっかりの味噌に仕上がっていました。

放射能の被害を食い止める食品としてナンバーワンにもあげられる味噌、大事です、

 

なずなの塩(大分産の日本一ミネラル検出量の多い自然海塩です)と大豆で仕込んでいるので

ミネラル類も80種類近く(!)、しかも無化肥無農薬非遺伝子組み換え、国産大豆のタンパク質がたっぷり。

それが発酵しているから、もう善玉菌は天文学的数?!

 

しかしなぜ本来普通であるはずそういう大豆を「無化肥無農薬非遺伝子組み換え」などと長い形容詞をつけなければ

表現できなくなっているのかを考えると世の中の食料事情はホント末期状態ですね。

 

あと、もうひとついっていいかな。

最近、見た本にいろんな方面でそれなりの活躍をしている人の朝食が紹介されていたんだけど

ヨーグルト+フルーツ、ナッツの組み合わせが相変わらず多い。

ヨーグルトを今でも健康食品と思っている人が多いんでしょうね。

 

原料の生乳を提供してくれている乳牛がどこでどういうものを食べてどういう育てられ方をしたのか。

(Where,What,Howみたいな、笑)

そして、牛の乳が自分の体に合っているのかも考えた方がいいですね。

動物性食品の生体濃縮の濃度も知って、それでも食べると判断したらそれはそれでいいけど。

 

90%以上の日本人は乳糖不耐症ともいわれてますが、これ、あたりまえですから。

治療法なんていうけど、そんな必要ないですから。

歴史的に他の哺乳類の乳を飲む必要などなく暮らしてきた民族に、なぜ戦後になって牛乳が推奨されたのか?

 

ちなみにアメリカのスリーマイルで起こったレベル3の原発事故の後、全米で子供の骨肉腫が増えたのは

汚染された飼料を食べっていた乳牛の牛乳を原料としていたお菓子に含まれていたから、と言われています。

今の日本で、それが起こらない保証はどっこにもないのです。

ほんとう、みんな注意した方がいいよー。

 

そして、言いたかったのはヨーグルトじゃなくて本物の味噌を食べる方がいろんな意味でずっといいってこと。

ま、雑誌なんかの写真付きの記事なんかだと、毎朝ヨーグルトにフルーツをのせて、の方が絵になるんだろうけど。

ヨーグルトは年に数回のお楽しみくらいの要領で。

 

 

豆岳珈琲をしている若奈ちゃんから届いた写真。

山の上は雪が積もって、モチ(犬の名まえ)大はしゃぎの図。

か・わ・い・い〜〜〜。

牛頭天王公園

最近、お休みの日には近所の公園見学(?)

紅葉を眺めつつ、冷たい風に頭をきゅっとさせながら来年のことを考えたりしています。

 

ここは上毛町の高台にある牛頭天王公園(ゴズテンノウ公園)。

大分県との県境を流れる山国川と中津の市街を一望できるロケーション。

 

遊具もあって、お弁当を食べられるようなテーブルとベンチもあります。

桜の時期もきれいだそうですが、こんな誰もいない時に来るのもオツなものです。

 

福岡県築上郡垂水(たるみ)646−2

おくなが屋からクルマで5分位です。

 

というわけでヘッダーの写真も堆肥づくりの写真から変えてみました!笑

ここはどこなんだろう?会議

 

友人の西村佳哲氏に誘ってもらった「ここはどこなんだろう?会議」at 博多に

出席してきました。トータル7〜8時間、4名の話し手+ファシリテーター

(ま、案内役ですね)の西やんを中心に、百数十名のあちこちで活躍している、

そして福岡に関わりがあったりする方たちが集いました。

 

地形からみえる福岡、世界的な統計からみえる福岡、里親支援など福祉の面からみえる福岡、そしてアクロス福岡や、現代の町家の設計をされた田瀬理夫さんの地方で生きていくことのお話など。いろんな視点と考察を交え、政治経済のモノサシではないもっと生物学的で実際的な尺度で福岡というエリアをみてみることができた時間でした。

 

デザインに関わる人たちの企画だけあって、イベント全体の雰囲気がスマート!

勘違いな気負いや過剰演出や顕示欲がどこかにあると、会場の空気を狂うけど、

そういうのがなく(お祭り、じゃないしね)落ち着いた有意義な一日でした。

 

それは関わった人たちが日常的な問題意識をちゃんと消化しているからだと思う。

不要なものを判断できて、ちゃんと棄てているから、きれい。ああいう切り口で

あの一日をつくれること自体に、まだ希望が残されている、と思いました。

 

 

 

 

プロローグで引用された宮崎駿の言葉。

「知識や教養は力じゃないって思っているやつはずいぶん増えたけど、結局、無知なものはやっぱり無知ですからね。

どんなに気が良くても、どんなに一生懸命でも、ものを知らないっていうのは自分がどこにいるのか知らないってことですから。」

 

繰り返し放送させて頂きます♪

「どんなに気が良くても、どんなに一生懸命でも、ものを知らないっていうのは自分がどこにいるのか知らないってことですから。」

 

どんな文脈での言葉なのか調べてみると、その文の前には「学生時代に本を読まないのは勝手だけど、そのつけは全部自分が払うんだから。」というがあった。そう、本ですよ、本!本を読むと、端的にいって「言葉」を知りますね。そうすると自分の頭を使って考えるときの新しい血管のようなものが生まれるように思います。2行要っていた説明が一言で言えるようになると考えが進みますよね、そんな感じ。で、その本全体を自分のものにするには受け皿としての「経験」が欠かせないわけですが、その経験の元になるのは、個人的経験に飛び込んでみる好奇心と勇気。そして時間(年齢)も。例えば20代の人は今、山の2合目を歩いているとすると、50代の人は5合目、90代の人は9合目、みたいなものってあると思うんです。見てきた景色の量や高さの違い。個人差はありますよ、でもものごとを俯瞰できたり、洞察出来たり、意識的に想像できたりする範囲の広さや視点の高さは年齢を重ねるとそれなりに身に付いているんだな、と思うのです。その物理的な時間と、あとは質的なもの。これは年齢関係なく、辛い経験とか、大失敗に見えることとか、日常を超越するような体験とか、あたりまえの日々の中にどれだけの感受性でものを見れるか、そういうことを経た時に自分の意識ひとつでそれが畑の完熟堆肥のように積み重なっていった意識の土壌的なもの。土がいいと立派な作物が自然に育つように、それは大きな財産と思う。決して誰にも盗むことができない宝物。そこに種(言葉や情報)を蒔けばなんでも育つ!

 

 

本といえば、コネチカットで知り合った上海出身の聡明な友人が教えてくれたこと「読んだ本の册数を吹聴する人、本棚に並べた沢山の本を見せびらかす人は実際には何も読んではいないし、教養人でもない」という意味のことわざが中国にあるそうです(日本にもなかったっけ?)

また、かのユーミンがあるインタビューで「自分の本棚を見られることは自分の裸を見られるようなもの」だったか、「見られるより嫌だ」と語っていて、ああ本当に感受性が強い人なんだなぁ、と思ったことがあります。要するに読書という行為はとても内面的なことなのでしょう。数を読んでみえてくるものもありますが、どれだけ深く出合うか、が大切ですよね。

 

メインストリームの流れに同調する技術だけ学んでも生きていることにはならない。

それは脇に置いといて、自分の感覚を掘り下げていった方がはるかにおもしろい人生が展開するんだと思います。

掘って、掘って、各々の鉱脈に辿り着こう!

 

と、かなり話が脱線事故を起こしていますが、そうして始まった「ここはどこなんだろう?会議」、

近々、その模様がYOU TUBEでアップされるそうなので、興味のある方は(長いと思いますが)ぜひそちらをご覧下さい。

 

そして、この会議のもとになった西やんの、うつくしいたたずまいの新しい著書はこちら。

 

「ひとの居場所をつくる」

 

これからどこで、どんなふうに生きよう?ということを考える時に光の見える一冊。

「じぶんの仕事」という視点から「ひとの営み」に広がった、スマートなインテリ西やんの新境地、

ぜひ、手にとってご覧下さい。言葉の的確さ、インタビューの才能にはいつも感心、尊敬します。

 

まえがきとあとがきにでてくるよく柿食う家族はどこの家族だろう?笑

こんなすてきな本に書いてもらって光栄の行ったり来たりです。

 

 

 

 

本の中にある田瀬理夫さんの言葉。

「地方の風景をなんとかしたかったら、その地域の農業のあり方を見直す必要がある」

 

 

 

 

 

 

 

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