2017年

7月

18日

お話会のことなど

講座のお問い合わせ、いろいろいただいています。

ありがとうございます。

 

アトピーでない方に聞いていただいても、もちろん大丈夫です。

他のアレルギー、癌などにも共通している内容です。

 

平日のため、お仕事や他の予定が入っている方、また夏休み前で忙しい方も

今後も(できれば1〜2ヶ月に1回)開きたいと思っていますので、

タイミングのあった時にご参加ください。

 

時間に余裕があれば質問にもできるだけお答えしたいと思っています。

堅苦しい会ではないので、どうぞ、お気軽にお越しください。

 

まだ少し残席あります。

スペースの都合上、10〜15名ほどの会になりますので、

ご都合のついた方は事前予約をおすすめします。

 

 

+ + +

もうひとつ、駐車場のお願いがあります。

営業日でもあるため、お話会に参加される方は

 

① 店を右手に少し過ぎた左側、店からも見える自販機のある場所

 

② またはさらに少し山に向かうと「たいへい支所」の看板があります。

    そこの駐車場も広く、店までは歩いても2分ほどです。

 

このどちらかを利用していただけると助かります。

暑い中、申し訳ありませんが、ご協力よろしくお願いいたします。

 

 

+ + +

さて昨晩。

連休の終わりはジブリの「レッドタートル」を家族で鑑賞。

無人島に流れ着いた人の一生を描いているアニメ。

フランス、ベルギー、日本の合作だそうです。

そのせいか、内容のせいか、今までのジブリ映画とは違った印象。

人物の顔もキラキラしていなくて、息子は「目が点だよ・・・?」

 

言葉のあるセリフもなし。

余分なものを削ぎ落とした中で残るものをこちらから掴みにいくような、

生きている場所、年齢、経験、価値観など、観た人によって感想の幅も広そうな、

シンプルだけど奥が深い、それでいてシュールなところもある、そんな映画でした。

 

 

 

 

 

 

 

2017年

7月

07日

七夕豪雨

今年は、あまいビワをたくさんもらった。

ビワが豊作だと空梅雨と云われていることも初めて知った。

 

なるほどね。ずっと雨が降らなくて、庭木も井戸の水もカラカラで、

田んぼにも水が足りなくて、と思っていたら、九州北部に突然の豪雨。

しかも空梅雨だった分を1日で上回ってしまう雨量。

 

地球だったか、日本だったか、とにかく7月から浄化が始まる、という話を

あちこちで目にしたり耳にしたりしていたのはこういうことなのでしょうか?

だとしたら、なるべく穏やかに最小限の被害ですむように祈るばかりです。

 

上毛町(コウゲマチ)も洪水警報などが出たりして、あちこちの知り合い親戚から

「だいじょうぶ?」の連絡がきて、おとといはその返信に夜中までかかった。

久しぶりの友だちと話題が広がったから、ですが。

 

幸いウチのまわりはまったく被害がないです。

みなさん、ご心配ありがとうございました。

むしろ、庭木はうるうる、田んぼもひたひた。

 

でも耶馬溪にも日田にも朝倉方面にも知り合いがいます。

どうか、みなさんが無事でありますよう。

復活できる被害で済みますよう。

 

天候もそうですが、「明日にはもう何が起こるかわからない」とあらためて実感する

出来事が多かった一週間。今日を無事に幸せに生かされていることの奇跡をしみじみ。

 

元気な家族と話のわかる友だちが居てくれるだけで本当にじゅうぶん。

そんなことを想いながら、窓の外を眺めて、たまった資料の整理をしています。

 

晴耕雨読。

身に危険が迫らないなら、たまにこんな日があってもいいんですけどねぇ。

 

 

 

 

 

 

2017年

6月

30日

パンとナイフ

農繁期になってパン焼きをお休みしていると、家族もだんだんパンが恋しくなってきていて、

そんな時、先に田植えを終えた知り合いから道具を借りたお礼!と行橋の「ここや」さんの

食パンをいただいた。

 

さあ、ライオンの檻に投げ込まれた生肉状態!笑

 

早朝から「ママー、サンドウィッチ作って〜〜〜っ!!!」

家を出る前にどうしても食べていきたいという娘の時間に合わせて、

ガーッと作ったサンドウィッチ。

 

ひさしぶりにやわらかいパンを薄く切ってみたら、

3本あるパン包丁もそろそろ切れが悪くなってきたことに気づく。

もう一本あるんだけれど、これはちょっと特別の一本。

 

もう何年、使っているんだろう?

娘が生まれた頃からだから、どれも10年以上だな。

波刃を研ぐのは難しそうだからなぁ。

 

シャープナーは使えず、研ぎ石で研ぐと波刃は傷つく。

どうしようか。

 

 

捨てるのももったいなし、新調したらそっちばかり使うことになるだろうし、

かといって、切れ味がイマイチのナイフを使い続けるというのもなぁ。

 

で、調べてみたら、今は波刃が研げるシャープナーがあるらしい。

値段も1000円くらい。

そんな値段で?

 

試してみて、ダメになるということはないのかしら?

うーん、迷うなぁ。

 

でも、ここは進むしかないか。

 

やってみよう。

そして成功したら、特別のも研いでみよう。

 

 またAmazonで買い物してしまった。

 

 

 

 

 

2017年

6月

27日

がん検診

この前に「悪魔が微笑んでいる」という恐ろしい?ブログをアップしたのですが、

その過激な内容に規制が入ったので(笑)

 

代わりに!

 

おもしろいブロガーの方の記事を貼っておきます。

知っている方も多そうですが。

 

「がん検診 早期発見で早期死亡 早く見つけるほど早く死にやすい!」

 

個人的には近藤誠さんとまったく同じ考え方ではないのですが、

まあ人は「まったく同じ考え」なんて相手はそうそういないですからね。

それでも、がん検診についてはよくよく考えて、と言うしかありません。

 

 

ほんとう、がん細胞なんて、毎日できたり消えたりしているのですから、

小さくても敵を見つけて、早撃ち、みたいな方法はあまりにも野蛮。

 

がん細胞はすぐに死なないようにするための体の防御作用です。

それを原因も考えす、悪者扱いして殺してしまえば、転移するのは自然の理。

病名を聞いた恐怖心で、自分を見失わないようにして、

身体、心、全体で診ていくことが大事とおもいます。

 

ケミカルなファーストフード、乳製品、白砂糖、畜産肉など。

その人の体質によって摂り過ぎればがん細胞が生まれて体を守ります。

 

みなさんもくれぐれも気をつけてくださいね!

 

 

って、今夜のうちのメニューはトンカツです、笑。

あまりガチガチ考えず、お肉を食べたい家族がいるときは下郷農協さんに

お世話になって、手作りすれば、リスクはかなり下がりますからね!

豚さん、ありがとう!

家族みんなで食べれて嬉しいね!美味しいね!って戴きます。

 

最後は自分の直感で食べる時も量も内容も選び取れるようになるのがベスト。

理屈を超えて、何を食べても大丈夫!なのがいいですね。

 

 

 

 

 

2017年

6月

25日

地図

地図を眺めるのが好き。

どうして?と考えてみると、全体を俯瞰している感じがおもしろいんだと思う。

学生だった頃、一番後ろの席からクラス全体を眺めているのが好きだった感覚に似ている。

 

休み時間もよく一番うしろの棚に寄りかかって、クラス全体を眺めていて、

小さな箱の中にも「世界」があって、それを少し引きながら観察しているのが楽しかった。

 

 

ところでよく目にする世界地図は「メルカトル図法」という方法で描かれている。

それは元々、海図や航路用地図としてわかりやすくするために横に広がる経路を平行にして、

縦の緯線を直角にして、わかりやすくした図法。

 

他にはモルワイデ図法、

グード図法、

などもある。

けれど、航路を把握するには球体を平面に、しかも縦横直角になる「メルカトル」の地図が見やすかった。

ただ、この図法だとりんごの皮をタテに剥いて平らにしたのと同じで、

球体のものを平面に移すとどうしても隙間ができる。

 

そこを広げて面にしているため、北極や南極に近い場所ほど比率が大きくなって、

例えば北極に近いグリーンランドは実際よりも17倍も(!)拡大されてしまう。

そうなると日本は地球全体で見た場合、わりと真ん中(赤道)寄りなので、

拡大される端っこの国と比べ小さく描かれていることになる。

 

細かくいえば、日本の中でも北海道よりも九州の方が小さく描かれていることになる。

 

 

こういう地図をずーっと見せられていると、今まで信じていた世界の国のサイズが

実はとても不公平というか、とにかく印象がまるで変わる。

 

日本は小国で資源がない、とよく言われるけれど、

それもこのメルカトルの地図がイメージの源になっていなかっただろうか?

 

本当の国のサイズがわかるサイト、面白いです→ http://thetruesize.com/

 

 

これを見ると日本はそれほど小さくないし、むかしは貿易をしなくても

ゆたかな資源を生かして平和に暮らしていた縄文時代とかもあるのだから、

小国で云々なんて話には真実味がなくなってくる。

 

そこで、また思うのである。

与えられた知識や情報の不確かさを。

 

無意識のうちに私たちは「与えられている」。

それは、無条件の愛のように、その人を育み自由にしてくれるものもあれば、

ものの見方を限定してしまうものもある。

 

だからどんなことでも常識と言われるものでも少し俯瞰して見てみたい。

鵜呑みにせず、権威にすがらず、本当にそうなのかな?と考えてみることによって

思いつかなかった道が見つかることもある。

 

可能性は常に私たちの思考のサイズより、ずっと大きい。

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年

6月

16日

ディック・ブルーナ

「ちいさなうさこちゃん」などの作者のディック・ブルーナさんが今年2月に亡くなった。

幼い頃、いつも母が読んでくれて、こんどは自分が母親になったらやっぱり娘にもなんどもなんども読んであげた絵本。

 

今、博多のイムズで小さな展覧会をしていますね。

 

 

ポストカードにかわいいのがいっぱいあって、娘と買いまくってしまった。

 

改装の工事をしているあいだ、ここはもしかしたら自分が死んでも残るのかも・・・と思ったりして

生きている間に作ったものがその人が亡くなっても残る、ということを近頃よく想像する。

デザイナーや作家だけでなく、誰でもそうなのだなぁ、と。

 

それはなんだか不思議でもあるし、死んだらおしまいにならないぶん、

先のことを考えて判断しなきゃ、とすこし身が引き締まるようにも思う。

 

おかしな法律を無理やり通してしまうおじさんたちや、

なんとか学園の問題を隠そうと画策している人たちは死んだ後も後悔しないのかなぁ、

と同じように気になる。っていうか、いい加減にしろよ?

 

少しでも人を明るくするものや美しいものを残せた方が自分もしあわせだろうに。

あまりにも「今だけ」「自分たちだけ」「お金と地位だけ」に固執しすぎに見える。

 

ブルーナにあやかりたいのと、哀悼の気持ちを込めて、ヘッダーの写真にお借りしました。

お店、どんな風に変わったの?と見ているうさこちゃんたち(もちろん勝手な想像・・・)

 

 

 

 

 

2017年

5月

30日

5周年

今年1月からスタートした改修工事も、すでに5ヶ月。

 

HPの商品紹介もブログもあまり更新できず、すみません。

紹介したいものも、書きたいことも、いっぱいあるのですが、

今は「溜め込む」時期のようです・・・あしからず。

 

これまでは工事中も休まず、なんとか営業を続けてきましたが

今月は最終行程になるので、おそらくどこかで臨時休業が入ります。

ご来店前にはHPをチェックしていただければと思います。

とりあえず、6月3日(土)までは通常どおり開けています。

よろしくお願いします。

 

それにしても長丁場。

住みながら工事をするというのは、新築とまたちがった趣がありますね。

もう職人さんたちが親戚のような?笑

いつも家に入れ替わり立ち代わり作業にくる人がいるので、

朝8時には「今日は何人?」みたいな会話がふつうになりました。

 

それに合わせて、こちらでも希望や意図を伝えるべく、調べたり、

サンプル取り寄せたり、想像したり、考えたり、掛け合ったり・・・。

 

あー、そろそろ、温泉とか、海水浴とか、海外旅行とか、

なんか、ふぁ〜〜〜と羽をのびのび広げたい気分です!

 

に、しても。

解体、廃棄物の処理、地面の転圧、その上の土台、大工シゴト、

電気工事、水道工事、左官シゴト、足場組み、建具・・・。

ひとつのスペースができるまでにいったいどれくらいの職人さんにお世話になったことでしょう。

離れた場所でできあがるのを待つだけだったら、こんなに間近に職人さんのシゴトぶりを

見ることもなかったのかもしれないけれど、なんたっていつも目の前でしているので、

まあああ、関心することしきり、でした。見ていてほんと気持ちよかった。

職人はかっこいい。

 

・・・いい職業だなぁ。

途中で東京に行った時も先々でなぜかシンクロする左官屋さんの話題。

戻って来てみたら、やっぱり繋がって!

そうそう、世の中には高校に行ってちゃ、大学に進んでちゃ、もう遅いという職業もいーっぱいあるのだ。

 

今回、自分たちで手がけたのは主に塗装作業。

なーんだ、ペンキ塗り?ってこれが結構、たいへんだったのでした。

でした、ってうか、未だ進行中。

2mくらいの足場を組んでもらって天井を塗るの図。

塗る面積が大きくて、そこに下塗り、ペンキ①、ペンキ②となぜか4〜5回も塗ることに。

ペンキ筋がかなり鍛えられています。

しかし、この方も田んぼの季節になり、半分離脱。

半日農夫、半日塗装業。

 

 

で、8割方できて眺めてみると、一見なーんでもない空間で。

このきわめてシンプルな容れ物をつくるのに、なぜこんなにエネルギーが要ったのか、ふしぎなほど。

古家の躯体を生かした中で、これからの使い方に一番いいような「箱」をつくれたわけだから、まあいいんですが。

 

家づくりに関するノウハウが素人なりに少し蓄積されたのが収穫です。

2年くらいかけて、他になにもせず家だけをつくれたら楽しいだろうなぁ!

 

というわけで来月、おくなが屋は5周年を迎えます。

もうすぐ6歳。まだまだ未就学児です。

 

 

   

 

2017年

5月

15日

母の日

母の日。娘は、母の日と誕生日が重なる友だちのお母さんを祝いに友だちの家に行くという。

前々日から友だちとそのプロジェクト?を立ち上げ、生ハムを使ったカーネーションサラダにパスタ、

2段重ねのフルーツケーキの準備をし、プレゼントもアクセサリーを作る計画を立てていた。

 

当日は学校に行く日よりも早く起きて、段取りを確認して出掛けていった。

おいしいものが食べれそうな気配に息子もしっぽを降って着いて行く。

 

お陰でこちらは日曜日なのに子ども不在という、ここ数年はありえなかった一日をプレゼントされた。

子どもが小さいうちは日曜日は休もう、と決めて定休日にしていたのに状況が少しずつ動いている感じ。

 

さて、どうしよう。

大分の美術館で魯山人の展覧会をしていたので、まずそれを見に行くことにした。

展示物が少しでもいいや、と思ったら広いスペースに100点も並んでいた。

しかも日曜日なのに空いていて、とても贅沢な気分でゆっくり見れた。

 

アーケード街を歩いていたらジュンク堂が再オープンしていたので入った。

5階まであって、近所にはない品揃えにしばらく滞在。

夫は探していた本があった!と両腕に数冊、抱えて戻ってきた。

私はジョージア・オキーフの住んでいた家を取材していた雑誌を見つけてしまい購入。

 

ジョージア・オキーフは海外を旅行していた時に、偶然2度も大きな展覧会に出くわしたことがある。

どちらも見応えがあって圧倒されたことはよく覚えている。

なのに、それがどこの国のどの町だったのか思い出せない(歳?)

展覧会だけが切り取られて、それ以外の記憶が抜け落ちている。

まるで夢の中の出来事みたい。

 

家の写真を見ていたら、オキーフの絵を見た時の匂いや気持ちが、もう15年以上前のことなのに突然、

蘇ってきて不思議な感覚に襲われた。本屋さんの中で誰にもわからず一人だけ瞬間移動してきたみたい。

こういう時って、時間てどんなふうに動いているんだろう?

 

ほんとうは実際に旅に出るのが自分にはあっているのだろうけど、それができない時、

本や写真や音楽や映画があるってありがたいなぁ。

 

前々から行きたかったカモシカ書店にも行った。

地方にこんな本屋があるなんて、もうなんといって良いやら、ずっと在り続けてね!!!と思うお店だった。

新刊本と古本と喫茶が一緒になっていて、しかも地元の商店街にも違和感なく馴染んでいる。

ここでこういうお店をしよう、という人の発想や志が地方を救う!というお手本のよう。

 

今は大きな街に行けば、雑貨屋のようなパン屋や、ブティックのようなコーヒー屋があちこちにあって、

どこもおしゃれで、隙のないくらい作り込まれているのをいっぱい見るけど、その根っこになるのは

やっぱりその店のオーナーの志。それがないと見た目だけのお店になってしまう。

 

それにしても最近は定規で引いたようなカッコイイ店が増えたと思う。悪くはない。

だけど私はなんというか、どこか手描きでつくっちゃった、なのに実はよく考えられていて、

センスいいなぁ、という空間が好き。

 

お店って深いのだ。

この一生のあいだに、自分が納得できるお店ができたらいいなぁ。

 

帰り道。

夫の両手には合計10冊の本が下がっていた。

もう暗くなってから友人宅に子どもを迎えにいくと、明かりの残った部屋の中に、色紙で作った輪っかのくさりが

飾られているのが見えて祭りの後感が漂っていた。そこで残っていた手作りのケーキを戴いておしゃべりして帰宅。

 

良い母の日でした。

 

 

 

 

 

 

 

2017年

5月

10日

ペンキ

 

また改修ネタです。

(お店は営業しています)

 

今度はペンキ。

サンプルを壁に貼って、晴れの日、曇りの日、朝・昼・晩と眺めてみる。

結局この方法がいちばんで、その場所が選んでいるみたいに、馴染む色がすっと決まる。

 

FARROW&BALLというイギリスのペンキは発色も質感もとても良くて、おまけに匂いまで、食べ物みたいな香り。

こんなペンキ初めて。

 

イギリスの家は壁や窓枠にペンキを塗っているところが多いけど、一年中、曇りの日が多いから、

きれいな色、明るい色が求められて、それに応えるいいペンキがいっぱいあるんだろうなぁ、と想像してみたり。

 

 

お店を造った時は半分、外みたいなイメージで主役は商品だったので、ホームセンターにある

使い慣れたメーカーのペンキで、画用紙みたいになればいいと思って選んだけど、こんどの場所は「部屋」。

より天井や壁が目立つので、ちょっと贅沢してみた。

ペンキの概念が変わって、いろんなところを塗ってみたくなっています、笑。

 

 

 

 

2017年

5月

08日

東京に里帰り

忙しいといいつつ東京へ。

東京で育ったのに、両親まで田舎に移住してしまうものだから今は実家という実態がないのだけど。

どこかに遊牧民の血が流れている?

 

今やルヴァンが実家のようになってしまって、またすっかり甘えて帰ってきた。

ルヴァンの食事は、やっぱり胃の底からすき。

小麦がカラダに悪くても、ルヴァンのパンは大丈夫で、これもある意味量子学だな。

 

homspunの展示会に行くと、いつも体がもう一つくらい欲しくなる。

homspunを着られるというのはとりあえず半径何キロかは平和で、それから自由なあかし。

この時代にhomspunがあってほんとうに良かった。

きっと、おばあちゃんになっても着ていることでしょう。

 

よく自然食品屋ならフェアトレード、という図式があるけれど、貿易で他の国をサポートする方法もあれば、

まず国内で誰も搾取されない循環ー作る喜びが感じられて、それが誰かに買われて喜びを持って着られる

ということも大事な基本だと思う。デザインと品質は譲れない。そこが良くて初めて長く着られるんだから。

 

時間が少し余ったので話題のお店にも行ってみた。

店員さんがたくさんいてびっくりした。

時代を背負っているお店。

私の小さな買い物に4人の店員さんが関わってくれて申し訳ないやらなんやら。

 

 

田舎暮らしは、遠くからいいものをあれこれ取り寄せるより、

身近にあるものから価値を見つけ出すということを無意識にしているように思う。

見立て次第でモノになりそうなものや美しいものを発掘していないと、

資本力のある大型店のセンスに圧死してしまう、笑。

 

街はブランドや作家名が記号のようなあふれていて、とくに発掘力を発揮してなくて

ある程度ステキなものに辿り着くように道が用意されている感じ。

 

あまりに違うからどちらが良い悪いではなく、ただその違いをいつも感じる。

 

お金があれば、東京はすごく楽しいところなのだ。

以前は想像もしなかったが、流れで田舎に暮らすようになって、おいしくて安心できるお米や野菜を育てられること、

樹木や花をどんどん地植えできること、そして時間に余裕が生まれたことが個人的には住んで良かったことベスト3だ。

 

これをお金に換算するのはむつかしい。

これからもできれば田畑があって、海や山のきれいな場所に住みたい。

そして、少しでもいいから気の利いたカフェやレストランや本屋さんやギャラリーもあって、というのが理想。

 

勉強したかったことを家族の協力もあって、3年間できたのも田舎だったから。

海外か田舎でないと、なぜかこういう時間は私の場合つくれない。

東京はなんというかアウトプットに忙しくなる場所なのだ。

 

むかしは庭でふくろうが鳴いたり、田んぼでカエルが合唱してたり、前の道路を突然、サルが横断してたり、

友人宅からの帰り道にシカやイノシシに遭遇するところに住むなんて思ってもみなかったけど、

人って順応していくもので、帰ってくるとホッとしているのが不思議です。

 

 

 

 

 

 

 

2017年

5月

05日

あたらしい場所

さいきん世の中の動きが早くなっているような気がします。

「早い」というのは、今ちゃんと判断して進む方向を選ばないと後戻りできない、そんな感じ。

にもかかわらず、まわりの状況はどんどん進んでいる。

悶々としていうるちに、降りる駅は過ぎてしまうような。

あわてず、頭をクリアに、魂の声を聞き逃さないようにしたいものです。

 

私自身、仕事と平行して改修工事の細かい一つ一つを日々、決断していかねばならず脳内慢性疲労気味ですが、

それでも、これからのことを考えると、ここはがんばりどころ!よく寝て、がんばりまーす。

 

 

 

近頃のザワついている世界情勢がある一方で、こんなお店をしていると表にはあまりでない話題があちこちから

もたらされたりして、それはそれでおもしろいのですが、個人的には現実と目に見えない世界のことなどもふまえつつ、

Down to earth 現実の世界を歩いていきたい、つくっていきたいと思います。

今、目の前にあることに集中して、観念的になることなく、スピリチュアルに偏るのでもなく。

 

おくなが屋は、この6月でおかげさまで5周年を迎えます。

この僻地?に毎週、毎月、ご来店してくれる一人一人の方のお陰で5年が経ちました。

感謝、感激です。

 

6年目からは、今改修しているスペースを使って、そういう方たちともう少しゆっくりできる時間を作りたい

と考えています。それは開店以来、いろいろな相談にみえる方が多いのも関わらず十分な時間もとれず、

中途半端なことがずっと気がかりだったこともあります。

身体のこと、自然療法、農業のこと、教育問題、移住、仕事etc.

そういう内容の、経験に基づいた情報を提供したりシェアできる場所にしたい。

 

そして、もうひとつのテーマは「ものづくり」。

もともと、自分でなにかをつくるのが好きで、お店の片隅にも最初はミシンを置いて、店番しながら

カタカタ縫い物をしていたのです。産休?の時は授乳時間の合間に織り物をしていたり。

いつのまにか、そんな暇がなくなりましたが、手でつくることも少し復活させたいと思っています。

 

ここ数年、人は消費者としての部分ばかりが増大するとダメになってしまうんじゃないか、ということを

たびたび感じていて、それはどういうことかというと、お金を払えば良い商品、良いサービスを受けてあたりまえ。

それは一見、当然のことのようでも、ともすれば社会に対していつも受け身で、社会参加している責任を忘れがちに

なってしまうのではないか、ということ。その脆さに危機感を感じるのです。

これからは貨幣経済が崩れても生きていける人になるのが大事。

 

社会は一人一人の態度、表情、行動が影響し合しあって成り立っている。

そのことを昨年はなぜか改めて考えさせられるようなことがよく起こりました。

メールで商品の注文が来てメーカーから取り寄せて荷造りも完了しているところで突然のキャンセル。

匿名のままメールで質問が届くことも多く、返信したらそれでおしまい。

そんな関係も多かった。わたしは検索マシーンか?!

メールもケイタイもない時代に育ったものとしては、そんな状態についていけずどうしたものかと頭の中で腕組み状態。

世間はほんとうにいろいろなことを学ばせてくれます。

 

もちろん全員が全員そういうわけではなく、常日頃、お客さんには恵まれていると思ってるので

余計、少数の方の行動が目立ってしまうのもあるのでしょう。

 

でも、そこで思いついたのが上に書いたようなこと。

そんなこともあって、消費するだけでなく自分でできることはしてみる、作れそうなものは作ってみる、

というようなワークショップができたらいいな、と思いました。

消費する分くらい生産しなくちゃ、ね。

衣食住にかかわる「ものづくり」というのは生きることの基本ですし、

貨幣経済や学歴社会が消失しても、技術や経験があれば生きていける、と思えることはいちいち隣の国の

ミサイル云々でビクビクすることがなくなることにもつながりそうな気もする。

 

 

おくなが屋を始めて以来、世の中にあふれている添加物のことや、遺伝子組み換え、医療のこと、健康のこと、

電磁波のこと、いろいろブログで書いてきましたが、最近は私が書かなくても、ほかにたくさん本やブログを

書いている方も増えましたし、実際、もうわかっている人にはわかっている内容になってきて、

そろそろ役目を終えたかなと感じています。

 

なにかを知りたければ、調べたければ、誰でも情報が得られる状況が10年前と比べたら格段に増えてきていて

その中で、それでもあえてそれを食べるのも、治療を受けるのも、それぞれの選択であり「道」。

すべてが過程だとしたら、それも学びの一環だし、自由です。

 

真実はそう簡単に白か黒か答えが言い切れるものではなく、でも案外シンプル。

それを学校教育やマスコミに、恐怖心、優越感、劣等感を植え付けられ目隠しされているだけで、

知りたいのなら、そういう膜をちょっと外してモノを見ればいいだけです。

 

5年経って自分自身の関心も心境も変化してきて、おまけに私は飽きっぽい、笑。

というわけで表現のパターンをこれからはブログであれこれ述べるよりも

新しくできる場での実際の活動に重心を移していこうと思います。

 

新しいスペースでは、【循環農法に学ぶ菜園講座】【ホメオパシーのセルフケア講座】も計画中。

他にも私自身が「!」と感じている方を呼んで講師になってもらったり、小さな展示会も予定していますので、

どうぞ楽しみにしていてください。

 

といいながら、ときにはブログもアップすることもあると思いますが、

ほんとうに肝心なことは、直接伝えるシェアするというスタイルを中心に据えていくつもりです。

 

日程などの詳細は決まり次第、お知らせさせていただきます。

この夏頃から、すこし新しくなる予定のおくなが屋を今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

2017年

4月

03日

中間報告

1月後半から始まった改修工事。

気がつけばもう4月に入りました。

 

「何ができるの?」

「いつ完成?」

 

よく聞かれるのですが、とりあえず今はまだお店のトナリはこんな感じ。

現場を見ていると、むかし、私がちょうど今の娘の歳だった頃、

当時住んでいた団地から数キロ離れた土地に両親が家を新築していて

小学校から帰ってくると自転車に乗って大工さんの仕事を見に行っていたのを思い出します。

 

道具を使って、どんどん大きなものができてくる様子がたまらなくおもしろかった。

家が完成してしまった時には、もう見れないのか・・・と悲しくなってしまったほどに、笑。

 

その家の設計は父が考えていたので、その様子をみていたら自分にもできそうな気がして

小学生だったのに、家の図面を来る日も来る日も描いていた。楽しかったなー。

全然、飽きるということがなかった。

 

そして今もその延長線上にいるような日々。

幼い頃に夢中になることって、なにか将来を暗示していたりしするものですね。

娘はまた私と違って、作業を見学するよりは、大工さんたちに出す(そして自分のおやつでもある)

お茶菓子作りに夢中。抹茶クッキー、どら焼き、小豆寒天など。

 

 

そして当時、図面を描いていただけの頃と違うのは、それが「本当に」できあがっていくこと。

 

それは幸せなことでもあるけれど、いろんな意味でドキドキする。

ひとつは今、考えている図面でホントにいいのか、みたいなことだけど、

そういうのはつきものなので、考えられる範囲で判断していくしかないとして、

 

もう一つは6年前に原発事故でお店や、そこでの暮らしを失った経験をしているので

また同じようなことが起こったら嫌だなぁ、というトラウマ的なドキドキ。

 

経験してしまうと、そこの記憶から起こる感覚を乗り越えるのは、ほんとむずかしい。

無視するのも変だし、報道されない事実がいっぱいあることも知ってしまっているし、

でも経験したからこそ見える景色が財産だったりもするわけで。

 

此の期に及んで伊方原発も稼働させるらしいし、自分だけではどうにもならない要素を含んでいるので本当に困る。

まだまだ、この世の浄化には時間が必要みたいだ。

 

それもあって、新しいことをすることを決めるのに2年も要してしまった。

そんなこと言ってたら何もできないよ、ということなのだが、これから予想される乱世を想像してみたり、

自分の役割を考えたり、アタマの中の憶測や妄想はキリがない。

結局は腹をくくって、できることをするしかないんだけど。

 

というわけで、もう少し先になりますが「トナリの部屋」を使って新しいことが始められたら、と考えています。

 

 

 

 

 

 

2017年

4月

02日

ドライブ

最近は一日の中で天気がくるくる変わる。

 

今日は春休み中の子どものために家族でお出掛け。

家を出る時は曇り空だったのに、少し走ったら晴れ間が広がりだした。

まずは小倉方面へ。

 

中央フリーウェイ沿いで生まれ、首都高=渋滞で育った私にとって、東九州フリーウェイはいつも貸切気分です!

遠くに見えるのはロッキー山脈でなく、北九州方面の山々。というか台地?

ぐんぐんどこかに向かっている気分になれる風景。

 

 

こちらは本当のロッキー。

 

小倉では開店と同時に無印良品で買い物をして、そのまま次は久しぶりのIKEAへ。

途中、すごい土砂降をくぐり抜けたと思ったら、ヒョウまで降ってきた模様。

 

到着したら晴れ。

日曜日&春休みだったけど、大混雑前に買い物を済ませて脱出して、博多に移動。

 

博多ではいつものスリランカカレーを食べて、本屋さんへ。

18歳で故郷を離れた浦島太郎(夫)に紀伊国屋があるからと連れて行かれたのはTUTAYA。

新本と中古本が一緒が棚に並んでいる、という合理的な売り方にカルチャーショック?を受けつつも

本を10冊ほど買い込む。駐車場に戻る途中、DEAN&DELUCAに寄って浦島太郎がチーズとパンチェッタをゲット。

「無添加ってありますけど・・・・」という会話が聞こえる。ったく、うるさいお客です、笑。

でも買ってるってことは合格だったらしい。

さっきカレーを2人前食べたのに、もう次の美味しいものを考えているところが頼もしいというか、なんというか。

 

 

帰りの高速からの景色。

手前に小値賀島に行くフェリー太古も見えた。

 

そしてサンセット。

空が大きいから迫力がある。

 

一日のドライブから無事に帰ってきました。

子どもたちはIKEAで手に入れたぬいぐるみをウチの猫たちに見せてその反応に大はしゃぎ。

ワンワン、にゃんにゃん、ブーブー、忙しい。

 

大人は明日からまた改修工事にまつわるあれこれをします。

 

 

 

 

 

 

2017年

3月

16日

くぬぎ舎マーケット

くぬぎ舎マーケット
3月27日(月)11時から14時
場所 ゆいきらら

恒例となりました「くぬぎ舎マーケット」。
今回は、春休み中の3月27日(月)となりました。休み中の子供たちも一緒に、いつもと違う雰囲気の中でのマーケットとなりそうです。いつも通りの美味しいもの、まだまだ使えるイイもの・ステキなもの、たくさんご用意してお待ちしています。会場はいつもと同じ「ゆいきらら」です。チラシも出来ております。豆岳珈琲かおくなが屋などに置いてあります。

 

 

 

 

2017年

3月

04日

フィンランドの教育

10分くらいの映像なので、ぜひ観てください!

アメリカの映画監督マイケル・ムーアがフィンランドで教育について取材をしています。

 

我が意を得たりのこの考え方を日本で実践していると逆風の中を歩いている感じだけど、

フィンランドだとあたりまえなのがうらやましい。移住しちゃおうかなー、笑。

 

宿題なんて時代遅れ。

学力テストなんてナンセンス。

すぐに答えを出せる訓練は教育でもなんでもない。

学校をどこにするか迷う必要なんてない、一番近い公立へ行けばいい。

 

そういうことが常識になる日が日本にも早く来ますように!

 

 

 

 

 

 

2017年

2月

18日

つくる人たち

改装中の続き。

床下の基礎を転圧する前日に排水溝をチェックしていたら戦後すぐに作られたらしい木製蓋を発見!

このまま上から押されたら土砂が入ってしまうので、慌ててコンクリート蓋を製作。

苦心の跡も見えますか、夫作。

 

 

「魔女の宅急便」のジジのクッキー。3種類の味をミックスした迷彩クッキー。こっちは偶然。娘作。

 

「紅の豚」のポルコも。

 

 

 

そして真田丸の影響を受けた人。左は1日目。右は2日目。

この格好で遊んでいる人がいたら、それはウチの息子です。

名前が書いてあるので、すぐわかるか、笑。

 

 

 

 

 

 

2017年

2月

14日

改装中

お店は通常通りの営業を続けていますが、となりの空間は今こんな状態。

連日、力持ちの面々がやってきて、さくさくと作業を進めてくれています。

作業中はあたりまえに方言が飛び交うので、まるで外国人に囲まれているような気分ですが、

長く生きているので慣れている、こういう状況、の自分が頼もしいです、笑。

 

古民家カフェを始めるわけでなく(念のため)、今回はフリースペースとなる部屋を作っています。
小さな場所でも、できること、したいことがいっぱいあって、その計画が動き出したのがうれしい。

 

春頃からこの場所で、ワクワク、賢く、実用的なあれこれを企画しています。

それまではトンカントンカン、そして図面とのにらめっこが続くのだ。

 

それにしても、やっぱり職人さんていいなぁ。

 

 

 

 

 

 

2017年

1月

31日

新しい年

1月28日から暦上では春、そして本当の新しい年が始まりました。春を実感するにはもう少し地上に反映するのを

待たなくてはならず、まだまだ冷たい空気ですが、それでも!すこーしずつ春の気配が漂っているような気がします。

 

そして、今日は息子8歳の誕生日。

8年前、朝7時に破水して、それから2時間半後に家族と一緒に自宅で助産師さんに支えられながら

無事、新しい命を迎えました。アメリカで妊娠に気づいた時に告げられた予定日は12月26日。

それが帰国後、結局は1ヶ月以上も延長したことは、今でも解けぬ謎の一つ。

受胎されたと計算できる日、夫はコネチカット州、私は娘とオハイオ州に滞在中だったのも不思議。

遠距離恋愛を超えた遠距離妊娠?

 

最近は「妊活」という言葉が横行しているけど、当時は聞いたことがなく、今でもその概念てなに?

妊娠は計画的にするものという風潮がベースになったのか、それだけ妊娠しづらくなってるということなのか。

それとも他に意味があるのでしょうか?なんとなく違和感・・・。

 

とにかく計算外で不思議なことだらけ(=自然?)を引っさげてやってきた息子は、そのまま現在に至ります。

学校に馴染めず、家で退屈するかと思えば、毎日自分で過ごし方を決めて、楽しく過ごしている。

 

畑には小麦を巻き、収穫したらチーズ入りのパンを焼いて、ぜんぶひとりで食べる計画を立ててる。

大豆も父親と一緒に畑に撒き、収穫もし、脱穀も手伝い、それを焚き火で炒って「おいしい〜」。

今年初めての味噌づくりも大豆を茹でるところから潰す作業、丸めて容器に投げ入れる最後まで

家族の誰よりも張り切ってやっていた。

 

別の日は刀をつくると木の皮を道具を取り出し剥きはじめ、ひたすら続けて夕食前に完成。

それを悦に入りながら眺めてご飯を食べる。寝るときも一緒、笑。

 

レゴもかなり好きだけど、決められた通りに作るより、自分流で組み立てる方がおもしろいというわけで

パーツはあっちこっちに散らばり部屋はたちまちカオスになる。

ベッドの横には自分とぬいぐるみたちのダンボールの家が建ち並び、小さな村状態。

 

そして毎日とにかく、その日にあったこと、今興味のあることを絵に描く。

毎日、大量に紙を使うので、こちらはその為にA3のコピー用紙をまとめ買いしている。

字で書くより映像の感覚が強いらしい。習ったり、制約されたりがないので完全オリジナル。

その絵を見ていると、彼の頭の中を覗いているみたいでおもしろい。

 

You TubeやDVDで何かを観るのもかなり好き。

定番の動物ものに、職人が出てくる番組も好き。

最近は「真田丸」も観て、忍者に憧れている。

本屋で忍者の本を見つけて、真剣に見て、夢の中では毎晩、忍者の修行に励んでいるらしく、

朝起きると何を練習してきたか話してくれる。

 

「これ履いてね、水の上を歩いたんだけど、溺れた〜」←微妙に理解が違うようですが、笑。

「屋根から落ちそうになって捕まってたら、これ(ベッドのヘッド部分)を持って起きた!」

 

眠りに落ちる前にも「ああ、早く忍者になりたいなぁ・・・」

次の日には「忍者になれなかったら中華料理屋さんになろう・・・」

おもしろいなぁ、子どもって!

 

彼の魂がよろこんでいれば親としては構わないので、なるべく何かを強制(矯正)することはしていない。

学校では字が書けず、計算問題が解けず、宿題もやっていかない日が多かったので、散々バカだとからかわれたらしい。

お店に来てくれる子どもにも「学校に来ないとアタマ、悪くなるぜ」と親が言われたりする。

子どもは社会の影響を隠さず表すことがあるから仕方がない。

ある方からは「高学年になるまでに間違いなく落ちこぼれます」という烙印もいただいた。

 

だけど家族は毎日一緒にいるので、彼の反応や切り返し、人への気遣いや、動物との付き合い方や、

器用なところも、不器用なところも、甘いところも、厳しいところも、賢いところも、アホなところも

いっぱい見てきているので、集団に馴染めず、いくら学校での受けが良くなくても、

ユニークで、優しいところもあって、いいところもいっぱいあるのがわかっているので、気にしない。

 

それに人は「好きなこと」と「健康」と「集中力」があれば大丈夫だと思うので、

その3つを害することをできるだけ避けてあげさえすれば、なんとか生きていけるのでは?と。

 

そして、この世への現れ方同様、なんだかどこかで自分たちの観念、想定を超えた部分を感じていて、

どうしても一方的に評価したりする気になれない。これは娘に対してもおなじ。

逆にこちらが試されている部分、教えてもらっている部分もあって、

子どもとは多かれ少なかれそういう存在なのだと思う。

 

息子はよく誰も尋ねていないのに「ボク、しあわせ〜」とニコニコしている。

それを聞くと、こちらとしてはとりあえず合格をもらった気になる。

 

今年はどんな一年になるのか。

頼りない親ではあるけれど、ちゃんと子どもを幸福にしてあげられる大人でいたい。

 

 

 

 

 

 

2016年

12月

31日

今年もありがとうございました。

自然にそった暮らしをするならば、1月27日が旧暦での一年最後の日ですが、

先に新暦の大晦日が来るので、一応ごあいさつ・・・。

 

この一年、おくなが屋に足を運んでいただいた一人一人の方へ、

ほんとうにありがとうございました。

 

もうすでに世の中は深いところで変わり始めていますが、

2017年からはそれがもっとわかりやすい目にも見えるところで現れてくると思います。

 

地球の上で生きていることを忘れず、今までの価値観にしがみつかず、変化を恐れず、

自分の本能と直感を信じて、絶えずバランスをとる生き方がますます大切になってくるでしょう。

 

そういう時代に、どんなお店のあり方がいいのか。

おくなが屋も、それを常に考えながら新しい年を歩んでいこうと思います。

 

たんに売りやすいモノを扱うのではなく、その流通によっていい影響(循環)が起こるモノを選ぶ。

今の時代を生きるための知恵や楽しみをシェアする場をつくったり、

食の基本である安全で美味しいお米と野菜も定期的に販売できるようにもしたい。

あいかわらず夢だけはいっぱいです。

 

そして、そんな私たちの夢がみなさまの暮らしや人生に寄り添えることを願います。

 

新年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

おくなが屋 奥永 進一郎・奥永 牧

 

 

 

 

 

2016年

12月

18日

カゼイン

カゼインはcaseinと書いて、牛乳に含まれているタンパク質です。

 

娘が公立小学校にいた頃は、毎年、校長室まで給食についての話をしに行っていて、

その内容の半分は給食で出される牛乳についてだったので、その頃、勉強して少し詳しくなったまま

娘の転校後、しばらく遠ざかっていた「カゼイン」が最近またクローズアップ!

 

きっかけは夫がシュトレンで使う澄ましバターを作っている時に「グラスフェッドバターにはカゼインが少ない」と

気づいたこと。バターを温めた時に成分が分離して、その割合が普通のグレインフェッドのバターと違ったのです。

 

グラスフェッド  grass fed :草(牧草)を与えられた

グレインフェッド grain fed : 穀物(輸入飼料)を与えられた

 

料理って、やっぱり実験の要素が濃いなぁ。

そして自然の摂理に沿った食性には意味があるのですね、やはり。

 

日本では知りませんが、アメリカなど海外では動物実験で体内に癌細胞を作る時に、このカゼインを使います。

確実に癌にしたい時に使う。動物実験という言葉だけでもヤですが、とにかくそんなカゼイン。

 

このタンパク質はカルシウムとくっつきやすいのが特徴です。

体内のカルシウムとくっついてしまうと、それだけ骨からカルシウムが抜けていき骨が脆くなる。

「牛乳でカルシウムをとる」っていうのは、本当は逆で「吸い取られている」のです。

骨折をよくする子は牛乳が好きでよく飲んでいたり。そこにカゼインが関っているのです。

 

だから牛乳を消費している国ほど、骨粗しょう症の割合が多い。

確か、長年、フィンランドが一位。日照時間が少ないこともあるかもしれませんが、

アメリカも同じく多いので、やはり原因はカゼインにありそう。

牛乳を飲む習慣がなかった頃の日本には「骨粗しょう症」という病名はなかったとか。

 

カゼインは牛乳のタンパク質の約8割と言われています。

粘り気のあって、固まりやすい性質。

 

でも日本人の多く(70〜95%と諸説あり)はこれを分解する酵素をもっていない、いわゆる乳糖不耐症です。

そうするとどうなるか。腸の中で腐敗しやすい。しかも、日本で販売されている牛乳のほとんどはホモジナイズ

という脂肪を分解して商品として長持ちのする加工をしています(昔の牛乳はびんに入っていて、上の方に脂肪が

浮いていて、日持ちもしなかった)。そのせいもあって、カゼインは腸壁を通り抜け血管内に入り血液を汚します。

 

ちなみに病気になる2大条件は

①血液の汚れ

②冷え(低体温)

  

血中に侵入したカゼインは体から異物と見なされ、そこで自然治癒力が働き外に押し出そうとする。

 

この排出が皮膚から起こるとアトピーや湿疹。

気管支からだと喘息。

+塩不足だと花粉症とか。

副鼻腔炎という例もすごーく多い。

ニキビの原因にもなる。

 

では、それがもし排出されず、体内に蓄積された場合はどうなるか。

女性だと乳房に、男性は前立腺に溜まるケースがもっとも多く(ホルモン系だから)そこに癌細胞ができます。

マクガバンレポートでも、乳製品を摂っていない国、地域にはそれらの癌にかかる人はほとんどいないことがわかった。

 

*マクガバンレポートとは、増大する医療費で国家経済が破綻しそうになったアメリカが、その対策として行った

 当時では世界最大の調査による「食生活と病気の関係」についての報告書で、1975年にアメリカの特別委員会によって

 まとめられたもの。その代表委員がマクガバン氏。が、その真実が知られることが不都合だった団体・個人からの

 圧力でマクガバン氏は次の選挙で落選。乳業・食肉業界というのはアメリカで大きな権力をもっていて、

 議員の7、8人に一人はその団体から支援で当選し、政治活動をしているとも言われています。

 日本でも安倍首相の奥さんは森永乳業の娘さん。当人同士はともかく乳業と行政のつながりは深い・・・。

 

イギリス人の女性(化学者だったかな)の書いた本もわかりやすい。

乳癌で余命を宣告されたことから、持ち前の探究心で原因を突き止め、癌を克服したノンフィクションです。

 

だから癌で入院したのに病院食で乳製品、というのはもってのほかなのですが、ふつーに出されたりしてます。

そういう病院だったらすぐ退院したほうがいいかもしれないですね。

 

カゼインは乳化剤といって食品添加物としても使われています。

増粘剤や保水力アップのための安定剤、粘着材としても。

または筋力アップのためのプロテインとか。

 

弊害が精神面に出るケースもあります。

言葉の発達が遅い、意欲が出ない、ウツなど。

妊娠中、牛乳をたくさん飲んだお母さんから生まれた子にも影響していきます。

 

でも牛乳信仰(洗脳)は根深いですから、すぐに信じられないかもしれません。

確かに本来の牛乳を乳首から子牛が飲んでいることにはなんの問題もありません。

問題は、人間が行っている飼育方法、搾乳方法、加工方法。

 

 

哺乳類には4000種以上いると言われていますが、その中に日常的、積極的に、他の種の母乳を飲んで

成長する種はいません。自然に反したことをしているのは人間だけ、しかも(繰り返しますが)加工乳です。

 

牛を病気にさせないために打つ抗生物質やワクチン。

授乳期でなくても乳が出るように投与されるホルモン剤。

 

それらが混ざった脂肪が撹拌で分離されて何日も腐ることなく保存できるという、すごく不自然な飲み物。

それが「牛乳」という食品名で、カルシウム摂取という名目で広まり、子どもには毎日、給食で200ml与えられる。

加工乳を子牛に飲ませたら半年で全頭、死亡だったという実験結果もあるのに

しかも和食でも中華でもプルコギでもパエリアでも、どんなメニューにも必ずつけるのもすごくヘン。

 

どう考えても、病気にならない方がふしぎ。

 

牛乳のもう一面。

アメリカで1979年に起きたスリーマイル島原子力発電所の炉心溶融事故(レベル5)で、周辺の地域だけでなく

全米中の子どもに甲状腺がんが増えた原因は汚染された牛乳を原料にしたハーシーチョコレートでした。

それを毎日、食べてた子どもに癌が多かった。有名な話です。

スリーマイル島もハーシーの工場もペンシルバニア州。

事故で被爆した乳牛の乳を原料に使ったのはたぶん安かったのでしょう(想像ですが)。

 

その昔、一人でペンシルバニア州をドライブしていて、そこで偶然みつけたハーシーチョコレートの工場を

時間もあったので見学したことがあります。でも印象的だったのは工場の中よりも、街の街灯のデザインが

ぜーんぶキスチョコだったこと。アメリカっぽいなぁ、と思いました。

通りの名前もチョコにちなんだものも多くて。

漂っている空気になんとなくチョコっぽい香りもしていた記憶。

 

画像、探したらあったので、お借りしました。

こんなふうです。

あまい夢を売っているようで、その歴史にはそんな事実もあり。

まあ、「あまい夢」も結局は白砂糖の夢で、どっちにしても極陰性という共通点。

 

アメリカのもっともポピュラーなチョコレートなので誰でも知ってるし、みんな食べたことあると思います。

 

日本でも5年前にレベル7の原子力事故がありました。

ハーシーの例でもわかるように、あれは全然、遠い土地の出来事ではありません。

これだけ流通が発達していれば1〜3日で日本全国どこにでも運べる。

 

国内にいたら、どこに住んでいても同じ危険度。自分で気をつけるしかありません。

給食にでても、社員食堂にでても、外食産業に出回っていても、加工食品に混ぜられていても国は守ってくれません。

端的にいって、安さを売りにしているものには注意が必要。

同じく予算が低く抑えられているものには、どうしたって訳アリの安いものが使われる可能性大。

 

5年経った今でも日本産の食品に輸入規制をかけている国も多いのです。

 

そういう面でもカゼインを含んだ牛乳は“もっとも気をつけなければならない加工食品”の一つ。

 

もう乳製品を健康食品と思って毎日、体に入れることはやめた方がいい。

選ぶなら、グラスフェッドで、ノンホモの、クスリ漬けでない牛のもの。

そういうものを嗜好品として、子牛から少し分けてもらう感覚で。

 

まあ、大人は自分で選択できるから好きにしたらいいのですが、選択権のない子どもにはとくに気をつけてあげたい。

でも「禁止」するのでなく、なんとなーく目につかないようにするとか、わかる範囲で理由を説明してあげるとか。

 

娘は前の学校で「なんで牛乳、飲まないの?」と聞かれると「だって子牛の飲み物だから」と答えていたそうです。

まあ、あまり理解されなかったみたいですが。

 

子どもに指示したり命令したりすることは極力、避けたい。

だったら、大人が自分でそうしろよってことです。

ダメ!と言われたら、してみたくなる。これ、好奇心があったら正常な反応ですからね。

 

あまり厳しくすると、いつか反動がくる。

抑えるとよけいややこしくなる、というのは症状をクスリで抑え込んでいるのと同じ。

 

だからウチでも禁止はせず、自分で決めな、と言います。

たまには「選んだ」チーズやヨーグルトを食べることもありますし、家族の誕生日などはケーキも作る。

で、レシピのお砂糖の分量とか、材料選びとか、一緒に考える。

市販のケーキと味や値段を比べてみたり。

そうこうしているうちに、子どもの方がアイデアを出してきたり、賢い判断をするようになっている。

 

あとは豆乳や米乳(ライスミルク)、オーツ麦やアーモンドのミルクなんかもオーガニックのものが

今はありますから、必要なときはそういうものを使のもテです。 

おくなが屋でも、その時によっていろいろ置いています。

 

とにかく、アレルギーや癌、骨粗しょう症の原因をつくるカゼインを含む牛乳が健康食品だ、

という思い込み(洗脳)からは早く解放された方が元気になれます。

 

奇妙な飲み物を手放しても、この世の中には美味しいものがたくさんあふれています。

 

 

 

 

 

 

 

2016年

12月

11日

病気へのアプローチにはいろいろある

世界的に病気へのアプローチには大きく分けて5つあるといわれている。

      

◎ナチュロパシー(Naturopathy)自然療法;食事療法をはじめ、冷えとりや砂浴、温泉療法など      

◎オステオパシー(Osteopathy)整体療法;鍼灸、指圧、カイロプラクティック、ロルフィング、

                      ヨガ、呼吸法もこれに含まれる      

◎ホメオパシー(Homeopathy) 同種療法;症状と似たもののエネルギーを取り入れ自然治癒力を促す      

◎サイコパシー(Psychotherapy)心理療法;対話療法、箱庭療法、グループセラピー、ヒプノセラピーなど

◎アロパシー(Allopathy) 逆症療法、薬物療法;クスリの毒で症状を抑える、手術など

 

19世紀のヨーロッパや、日本でも江戸時代などでは、この5大療法が適材適所という感じで、

お互い補完しあって存在していた。つまり、どれかひとつが万能なのではなく、心身の問題に応じて、

それにいちばん効果のありそうな療法を選んできた。

 

それが今や、この5大療法の中で唯一、自然治癒力を抑えてしまうアロパシーが主流になってしまっている。

即効性があり、もっともお金が動き、石油メジャーとのつながりが一番あるからだ。

クスリ、ワクチン、抗がん剤、手術、輸血。さらに、保険、とくにガン保険。

お金が動けば動くだけ、どこに収奪されていくのか、調べてみると結構、こわいです。

 

他の療法はアプローチこそ異なるものの、どれも自然治癒力を発動させることを主眼にしている。

健康保険が効かないと高いイメージがあるけれど、長い目でみればそちらの方が命を削らずにすむのだから

天命が完う(まっとう)できないことの方が魂レベルでみたらずっと大きな損害である。

 

現代医学(アロパシー)が悪いとか不要なのではなく、本当に必要な時に、最小限の処置をすればいいのです。

アロパシーにかかるのは主に命にかかわる緊急時。救急医療以外のほとんどは専門外なのだ。

一生の間になんど命に関わる事態になるのかを想像してみると、今、病院に行っている理由の

9割は不要、無駄、向かう先が間違っている、ということになる。

 

とくに慢性病(なるまでに時間がかかり、根が深く症状も長引くもの)や、

アレルギーでアロパシーを選ぶ、という間違いがいちばん多いように思う。

 

そこでされる処置は、自然治癒力が発動している証である症状を抑え込むこと。

それは内部に問題を押し込めて、近い将来にもっと大きな症状を出すか、

もしくは自然治癒力の元になる力を殺すかのどちらかの結果を招くものなのに。

 

もともと戦場で発展してきた医療なので「とりあえず“今”、戦える兵士を手当する技術」に長けているのが現代医学。

仕事が休めない、辞められない、人に迷惑がかかる、という一見もっともな理由も、

もしかしたら戦場時代の名残が私たちの記憶の中にあるのかもしれない。

 

バブルの頃、CMのコピーで「24時間戦えますか」というのがあったけど、あんなケミカルな飲み物を飲ませて

仕事に励めなんて、今思えば人をなんだと思っているんだ?と思うけれど、そこにいるとなかなか

違和感を感じず、麻痺していたり、自分を責めたり、周囲に気を遣ったり、悲しいサガです。

 

今日から心で決意してみる「私の体の声に従います」。

その声について、頭で考えたり、否定したり、聞こえないふりを続けていると病気になる。

 

とにかく。

慢性病やアレルギーの時に向かうべきは、アロパシーではない。その他4つのどれかが正解です。

もしくは西洋医学の病院だけれども、その資格を持ちながらも国家資格を取るための学校で教えてくれること以外の

アプローチもちゃんと勉強しているお医者さんのいる病院です。

 

いったい食生活の大切さ、本質を患者さんに説明できる西洋医学系のお医者さんは何パーセントいるのかな。

今でも減塩とか言っている栄養士や医者はどっさりいて、マジメにそれを守っている人も多くて、

たとえばお店で不良品を販売したら、返品か交換なところ、病院では間違った指導で人が健康を損なっても

診察料や治療費は返ってこないのは、ズルいとうものです。

 

自分の直観を磨いて、もっと他の方法に目を向けましょう。

東洋医学やアーユルベーダもあるし、アメリカではイメージ療法、クリスタル療法、キレーション療法、

サプリメント療法、音楽療法などを利用する人も増えている。

 

そして、最近では結局「量子医学」という視点でほとんど解決することがわかってきている。

非常に喜ばしいことだ。

たとえば、ホメオパシー(同種療法)も量子医学のひとつである。

要は人の細胞をどんどん細かくしていった物理でいうところの最小単位、量子を診て、

そこを変換すればなんでも治る、ということが証明されてきているのだ。

 

これは、誰でもどこかで気づいていたり、すでに知っている世界が含まれている。

イメージしていたことが叶う、真剣になにかを祈る、以心伝心、ある音楽を聴くと気持ちがいい、とか。

こういうことは肉眼でなにかが見えるわけではないけれど、実在していて、すべて「量子」に関係している。

「氣」のつく言葉もすべて量子で説明できると思う。

 

また有機素材なのに、マズい食べ物があること、

ジャンクっぽいのに、なんだかおいしいぞ、みたいな出来事も「量子」が関係している。

そこに人の心が量子としてのるのですね。

 

そんな新しい時代に、わざわざ自然治癒力を殺しかねない療法を選んでいるのは

情報隔離されて、気の毒な、狭い世界で生かされている、どこかの国の国民と変わらない。

 

量子は波動だ。波動を高めればいいのである。

波動の高いものに、なにがあるか考えてみよう。

どんな食べ物?どんな音?どんな心の状態?どんな行動をしている時?

なんだか楽しくなってくる。

 

そのかわり、ごまかしは効かない。「ふり」とか通用しない。

ホンモノの世界だから、厳しいかもしれないけれど、慣れてきたらきっと気持ちがいい気がする。

 

筋肉反射テストと量子医学があれば、石油合成薬や手術のほとんどは不要でお金もかからず病気はなくなる。

国家予算の半分にあたる額が医療費で、次が防衛費、なんていうお金の遣い方は

未来の人にどんな時代と思われるのだろう?

 

信じられないかもしれないが病気というものは本来ない。自然の摂理から外れてますよー、という

点滅サインがあるだけで、その症状に対してアロパシーの世界で「病名」が作られているだけなのである。

 

 

 

 

 

 

 

2016年

12月

05日

千島学説

「千島(ちしま)学説」のことを話すたびに、つい「千鳥(ちどり)学説」と言ってしまう私に「千島学説」を

語る資格はあるのか?1899年生まれの生物学の教授だった千島喜久男博士の亡き後、この学説を支える方たちが

聞いたら「ない」といわれるかもしれない、笑。

 

生地好きの私の頭には(と書いただけで言い訳がましい)、「千島」という文字のシルエットは、

自動的に「千鳥(とどり)格子」に変換されてしまうのです。

こちらが千鳥格子の柄。

 

チシマガクセツ。チドリゴウシ。まぎらわしい。え、しくない? 

 

なんど家族から笑われても、刻み込まれたものはなかなか改まらないのですが、

こんな人が伝えることで少しでも広まればうれしい、目からウロコのすばらしい学説なのは確かです。

 

祖父が1901年生まれだったので、千島博士の生きていた時代をなんとなく想像することができる。

おじいちゃん時代の学説など、まるで別世界みたいに思われそうだけど、これを知ると知らぬでは

例えば癌の受け止め方が180度までいかなくても120度から160度、変わってしまう。

0−157や鳥インフルエンザや牛の口蹄疫も同じように見方が正される。

と書いてて、口蹄疫(こうていえき)=タモリのユンケル皇帝液のイメージが出てきて、くじけそう。

 

現代は2人に一人が癌になる時代である。

そして、そのうちの半分が「癌」が理由で亡くなっているらしい。

 

それだけに、検査結果で「癌です」と告げられた瞬間から「不治の病」を想像する人が多いらしいが、

この千島学説を知ったならば、癌に対しての恐怖心が感謝に変わる、そのくらいの違いだ。

 

癌だけではない。

細菌でうつる、といわれている病気の原因も現在のマスコミや病院等でいわれていることと違う観点で解決する。

 

ところで、なんでも病気に対して恐怖心、または逆に各方面に大手を降ってエクスキューズができるなどという

内心の喜びをもったらいけない。なぜなら、どちらも依存の始まりだから。

そうならないためには正しい知識と強い心を支える知恵が必要になる。

 

症状にあらわれたメッセージを解読して、自然との共生をたのしむ生き方に変えれば治るものは治るし、

人生コンプリートしていれば、あの世にすんなり行けて、どちらにしてもハッピーだ。

 

病名や病院、医者に依存すればするほど、いつまでも改善しない生き方や習慣を続けることになって、

魂の成長のチャンスを逃して、憂鬱な状態をひきずり、どんどん人工的な手を加えられ、

生きていても苦しく、死ぬときも苦しみを味わうことになる。

 

前者になりたければ、千鳥格子柄を!でなく千島学説である。

 

千島博士はたくさんのことを発見したが、中でも決定的なのは血液が小腸の絨毛(植物では根にあたる部分)

でつくられるという事実だ。定説であった血液が骨髄でできるという、1925年にアメリカの3人の血液学者たちが

唱えた学説は実験動物に絶食させて腸に食物がなくなった異常時に起きた現象を切り取った説であり、

通常は小腸でつくられているということを、実験を繰り返して突き止めたのだ。

 

それで九州大学の教授をしていた時に「鶏胚子生殖腺の組織発生並びに血球分化に関する研究」と題した論文を

発表する準備をしていたが、そこで述べられている小腸造血説が正しく、根強く信じられていた骨髄増結説が

間違いだとすると、生物学界をはじめ遺伝学、血液学、細胞学などの定説も崩れることになるわけで、

慌てた各方面から相当の強い圧力がかかリ、陽の目を見る事がなかったという。

 

新しい説にまちがいがあれば、実験証拠を出しながら真実を探求するのが学問だろうに、

都合の悪いことはもみ消す不思議な学界。勇気ある正義の味方ウルトラマンはいなかったのだろうか?

 

しかし、そんな理不尽ワールドをよそに、千島博士はさらには細胞が赤血球から生まれることも発見する。

赤血球分化説の誕生である。その千島博士の発見は医学、農学、薬学にも当然、影響を与えることになる。 

 

学問の細分化のメリットもあるのかもしれないが、気をつけないと弊害も生む。

医学も同様で、眼科、歯科、脳外科、内科などひとつの体を切り刻んで、「部分」だけを虫眼鏡で見て

そこだけに手を施そうとする療法にも限界がある。

 

モグラたたきのように、現れた症状に対処しているだけでは、いつまでも解決しない問題が残るばかりか、

そこには利子がすこしずつ溜まり、体の中で複雑化していき、解決にますます時間がかかる。

だから「病名」が年々、増加する。

そして、それだけ医療費は増大する。誰がいちばん損して得しているのか、よーく考えてみよう。

 

「骨髄造血説」は、すでに1世紀ちかい昔に唱えられた説である。

現代医学(西洋医学)の歴史は200年とも400年ともいわれるが、その途中でその説を疑い

再考する人はいなかったのか、というと海外には何人かいて、千島博士とも交流があったようだ。

 

 

その点、数千年の歴史のあるアーユルベーダや東洋医学などはもっと全体を観る医学である。

だから千島学説は当時から東洋医学を学んだ人には理解しやすく受け入れられ支持されてきた。

素人が考えた方が先入観なしに感覚的にわかることもあって、シンプルに考えて小腸説は自然だと思う。

 

千島学説をざっくり解釈すれば、病気の原因はただ一つ。血液の汚れだ。

汚れた血液である「異常赤血球」が集まった臓器に「◯◯癌」と病名がつけられてるわけである。

 

つまり癌とは、その人が致命的な状態にならないために、安全な場所(臓器)に、

とりいそぎ異常赤血球が集められている「状態」のことなのである。

 

人には全部で約60兆個の細胞があるといわれる。

千島博士の唱えた通り、細胞が血液から生まれるとしたら一日でおよそ6000億の赤血球ができて、

それが人体細胞に変わる。だから(小腸がきれいなで正常に働いていれば)6000億×100日で

すべて細胞が入れ替わり、基本的に100日あれば本来、病気は治るように人体は設計されているのである。

 

これ、すばらしい学説でしょう。

病気と闘わず、いい血液を作り出す生活をすれば治る、という考え方。

断食して腸をきれいにリセットして、正常な血液がつくられる生活習慣に変えれば病気は治ってしまう。

症状は抑え込まず、出し切る、通過させる、のが正しい。

 

野生の生き物はこのことをすでに知っている。

動物は調子が悪くなると、食べるのを止め、じっと土の上に横たわって回復を待つ。

人間に飼われている動物でなければ病院にも行かないし、クスリも飲まない(薬草は食べるかもしれないけれど)。

まして、自覚症状もないのに病院に行ってお金を払って、危ない検査など受けたりしない。

よほど賢い。

 

だから私たちも見習って、調子が悪くなったら、食べるのをちょっと止めて

(そうすると消化にまわる血液が体の浄化にまわる)、仕事も休んで(または辞めて?)、

土に触れる作業をしたり、砂浴でもすれば回復する。

 

そもそもという字をよく見ると、やまいだれの中に品の山とある。

 

Q. 品とはなんでしょう?

 

答えは石油からできた化学合成物質。

つまり体のなかで山のように積み上げられた石油化学合成品。

それが血液を汚し、癌をつくる。

 

化学肥料、農薬、化学調味料、合成甘味料、石油のおむつ、ナプキン、シャンプー、洗剤などなど、

石油文明によって生み出された物質は体内に取り込まれてもヒトの消化酵素では分解不能だ。

それが肝臓の処理能力を超えてしまうと毒素となる。それを一カ所に溜める自然の浄化作用が癌。

ようするに、自然本来の循環から逸れた生き物がかかってしまう現在病のひとつが癌なのである。

 

だから、その原因に気づかぬまま、放射線や抗がん剤でやっつけようとすると、

その散らされた異常赤血球は行き場所の求めて、体内の別の場所へ移動する。

ウィルスとワクチンのような永遠の追いかけっこだ。

追いかけっこしているうちに、体力のなくなった方が(小腸が働かなくなると血液ができなくなり)倒れる。

 

カナダなどではそれらの医療行為を受けた人の方が寿命が短いという統計が公開されているので、

癌にかかっても放置か、自然療法を選択して生きる道を選ぶ人が圧倒的に多い。 

 

日本でテレビや新聞ばかり見ていると、そういう情報は出てこないので(だって製薬会社は大切な

スポンサーですもの)いつまでも世界の中では時代遅れになっている治療を高額な費用を払って

受け続けることになるーまるで、それしか方法がないかのように。

 

東京に行ってみるとよくわかる。

大きなビルには保険会社や製薬会社が多い。

あれはみんな私たちの恐怖心が建てている。

どうしたらいいかわからない不安と恐怖をお金で解消しようしている。

どちらにお金を支払っても、自然の循環に沿った健康に向かう暮らしは買えない。

 

 

同じく建設会社と土建屋のビルも多い。

あれはみんな私たちの勘違いで建てられている。

ハウスシックの原因になる耐久年数20〜30年の住宅。

そのコストの内訳、2〜3割は大手ハウスメーカーの本社にいく。

環境を壊す公共事業には税金がたっぷり投入される。

そして自然は遠のき病人は増える。

 

雇用を生むために自然破壊をするのも、医療産業を維持するために健康を破壊するのも同じ構図。

 

石油製品を使った加工食品や日用品が安価なのも落とし穴だ。

安い毒入り食品はスーパーにあふれているし、「今だけ」平気なのをいいことに

自分や子どもの健康と引き換えに病気への貯金を日々、増やしているようなものである。

みんなで食べれば怖くない?みんなで使えばこわくない?

 

それも生き方だけど、もっとハッピーな生き方があるはず。

収入の問題にすり替えて、思考を停止している場合でない。

 

ちなみにアトピーや喘息も癌とおなじ原因です。

アトピーや喘息の症状が出ているうちは、それが浄化作用になっているので癌にはならない。

生活改善しないまま、その症状をクスリで長く抑え込むことで、重症化、複雑化するのです。

 

今は次々と、千島学説が正しいことを証明するような事実があちこちででてきている。

断食や、少食、微食で回復するのも千島学説が正しいからである。

 

というわけで、今日はここまで。

 

終わりまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

2016年

12月

03日

臨癌体験

今までに前段階も含めると3回、癌といわれたことがある。

3回も?って感じだけど、癌細胞なんて誰でも何千という数ができたり消えたりを繰り返しているので

自覚症状がなくても、たまたま検査した時にみつかれば「ある」ことになる。

 

最初に宣告されたときは今ほど知識もなかったので「もしかして私は死ぬ?」と空の方に問うてみた。

「まだまだ、これから。やり残してることがいっぱいあるでしょう」という声が聞こえた気がして、

これでは死なないな、と思って、そのまま仕事に行った。正直、まったく実感がわかなかったけど

内視鏡カメラで映された内蔵には小さな粒粒の、癌細胞といわれるのものが確かに写っていた。

手術の日も決められて、入院に必要な書類や持ち物が書かれた紙も渡されていたので、

私は担当のお医者さんに訊いてみた。

 

「癌になる原因って、なんなんですか?」

「手術をすれば治るんですか?もう一生、癌にならないんですか?」

 

お医者さんからは明確な答えはなく「してみなきゃわからない。再発したらまた(手術)すればいい」と

言われて、それじゃ手術する意味ないじゃんと思って、自分で考えてみた。

 

原因でまず思いあたったのは過去の「ストレス」。

大きなストレスの下で生きていたのが、体に現れるのは時差があるのかなと思った。

あとは「食事」。

仕事が忙しいという言い訳で、おろそかにしていたけれど、化学肥料や農薬を使っていない

野菜を宅配してもらうようにして、できるだけ自分で調理したものを食べるようにした。

そして「冷え」。

その頃は体温が35℃台だった。それがどんなに危険かということが書かれていた「冷えとり」の

最初に出版された本をもらったら、思い当たること満載だったので、すぐ実行した。

 

とにかく手術までの2週間でなんとしても治したい!!!と願っていたら、あれやこれや

いろんな出会いや助言もあって、ピンときたものすべて実行してみたら、なんと再検査のときには消えていた。

 

担当医はびっくりしてカルテを持って「えー、おかしいな!」と椅子から急に立ち上がった。

キャスター付きの椅子がバーンと後ろに少し飛び、その横では研修生が先生を見上げていた(マンガみたいな光景)。

 

「もう手術したんだっけ?」

「いいえ、してません」

「じゃあ、もう一回検査してみよう、ぜったいあるはずだから!」

「いえ、もういいです。原因がなんとなくわかったので、あとは自分で気をつけます」

「いや、そんなことは誰にもわからないよ」

 

わからない、という人に判断されてもなぁ~、と思ったけど、こちらとしては消えていた、

ということで「やった!」だった。これも天の計らい的な出来事だったのかも、と今では思う。

導かれたというか、少し何かがわかりかけたよい経験だった。

 

だけど、天はさらに伝えたいことがあったようで、2回目は思いもよらない形で告げられた。

母親の治った乳癌が娘の私にきてるという。母のことも自分のことも何も説明していないのに、

ぴたりと当てるというか、その人にとっては普通に見えるらしい。

その人曰く、8~9割の病気は霊障で起こるそうだ。

 

目に見えない世界のことだけど、むかしから人はそういうことをなんとなくわかっていたんじゃないだろうか。

明治以後、不思議な事象はないものとして「科学優位」の世界にされたけれど、

それでも中には、そういうことがわかってしまう人が世の中に配置されている。

なぜ霊が憑いてしまうのかは本人のせいだけとは限らず、先祖とか、過ごしている場とか、いろいろ関係している。

このときも新しい、有意義な経験をさせてもらった。そして、それが「わかった」時に癌は消えた。

 

3回目は前にもブログにも書いた1〜2年前。

このときの収穫はOリングテスト体験と、電磁波の侮れない悪影響を身をもって知ったこと。

Oリングテストは筋肉反射テストの一種で、利き手でない方の手の指でOの字をつくり、

その輪を外そうとする力をかけることで、心身の状態を診断するテストでアメリカで特許も取っている。

 

世界の医療現場では、その患者さんに合う麻酔薬の選択や、合うクスリの量などを調べるのに使われている。

もちろん、食べる物、住む家、人の相性など「自分に合うもの」や「ホンモノ」がすぐわかる。

前から自分で試してはいたものの、医療現場で使われているのを見たことがなかったので体験したかったのだ。

 

体や潜在意識の声まで調べられる不思議だけど確かな方法は知れば知るほど、役に立つ。

だから人間ドッグなど、医療「産業」のためにはなれど、本来なくても大丈夫で、

バルウム飲んだり、CTスキャンしたり、造影剤飲んだり、マンモグラフィーしたり、というのは

おそらく、近い将来「むかしはそんな方法しかなかったんだねぇ」と語られることにことになるだろう。

 

それは1700年代に、ふつうに医療という名の元で行われていた治療法が、病気の原因は「悪い血」のせいだと

血を無理矢理、抜く瀉血(しゃけつ)だったりしていることと変わらない気がしなくもない。

アメリカの初代大統領のジョージ・ワシントンも治療中の瀉血によるショック死で亡くなった記録も

あるくらいなので、一般人も相当の数の人が間違った医療の犠牲になっていただろう。

 

きっと、それと変わらない過去の気の毒な話になりかねない現代医療ではないのか。

 

人間ドッグがあるのは日本くらいだそうで、悪くもないのにわざわざ病院で体に負担のある検査をするのは

世界的に見たら奇習なのだ。だからか、MRIやCTなどの機械の保有率が人口当たり世界最高の日本。

なのに、医療費、薬品代も増加しているという矛盾。

Oリングで観ればすむ話なのに、それでわかっちゃったらお金にならない、目に見えないことは広まりにくい。

 

と、ここまで書いてWikiでOリングテストを調べたら、最後に「学術論文として、検証可能な根拠が

示されていないため、似非化学の範疇にあると考えてよい。」という記述があった。

でたぞ、でたぞ、学術論文。これが世の中を牛耳るツールだ。そのツールをよりどころにしたい人はすればいいが、

でも、そんなところで道草しない。考えるな感じろ!直感で動け!こっちに来た方がハッピーだよ、といいたい。

 

電磁波については何度も書いたので省略しますが、病気をつくる大きな原因なのでとにかく気をつけた方がいい。

寝る時に部屋のコンセントは全部、抜く、とかね。

 

筋肉反射テストも、電磁波も、放射能も、氣も、魂も、ぜーんぶ見えないし、ニオイも嗅げない。

なら存在しないのか?そうじゃないでしょ。だから「考えず感じる」ことが大事なのだ。

 

さて、そういうわけで3回も臨死体験ならぬ臨癌体験をしたお陰でさまざまなことを知ることができた。

しかも、すぐに生活習慣や生き方を軌道修正をしたので大事にはいたらず、手術や治療は一切受けずに今に至る。

 

なにより最大の収穫は「千島学説」を感覚的にも理解できたこと。

(これについては、またあらためて書きたい)

理屈だけでなく「それはそうだろう、そうでなければ自分の体験が証明できないし」という実感を

得れたことは「癌さん、ありがとう!」と思わずにはいられない。

病気や死に対して、ほとんど恐怖心を持つこともなくなった、好奇心はあるけど。

もうこれは使命だろう。これからもこの体験を活かしていきたい私の人生です。

 

おわりまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

2016年

11月

30日

雨の湯布院へ

早朝は人もまばらでぜんぜん観光地っぽくない。

そんな中を家族で散歩。

 

雨の日の紅葉もいいものです。

混んでいない時間帯にのんびり歩いてみるとやっぱり湯布院はいいなぁ。

 

高速道路ができて30分で別府、45分あれば湯布院に来れるようになったけど、昔は2〜3時間くらいかかったらしい。

便利になったけれど、見過ごしていることや感じなくなってしまったこともあるんだろうなぁ。

 

早朝や夕暮れ時の湯布院が味わえるのも高速のお陰だけど、

移動時間と実際の距離の関係について、ぼんやり思いを巡らす日でした。

 

 

 

 

 

2016年

4月

23日

非常時にそろえておきたいモノ

熊本や大分を中心に、大きな地震が起こりました。

この一週間、毎日揺れています。

そんな地震が起こったばかりなのですが今回の地震は

まだ「はじまり」の可能性が高いということも言われています。

 

大きな角度から見れば、地球ごと浄化される時期にきているのかもしれません。

なにも起こらなければそれでいいのですが、ただ不安になっていても仕方ないので、

一応、心とモノの準備をしておこうと、自分たちの経験とネットで調べた情報を元にリストを作ってみました。

 

《食料編》

3日分を目安に

◯水+あれば水汲み用ポリタンク

◯塩・味噌(醤油)・梅干・はちみつ

◯お米

◯缶詰、レトルト食品

◯賞味期限の長いもの(そのまま、またはお湯があればできるもの)

◯嗜好品(少しあるとホッとできる)

 

《日用品》

◯ウェットティッシュ

◯毛布

◯ビニール袋

◯割れないお皿やコップ

◯箸、スプーン、フォークなど

◯サランラップ

◯カイロ

◯携帯電話と予備電池

◯ライターまたはマッチ

◯ゴーグル・マスク

◯歯ブラシ(使えるか?だけど石けん・シャンプーなど)

◯手ぬぐい(または薄めのタオル)

◯あれば簡易トイレ

◯トイレットペーパー

◯ホメオパシーのキット(または健康補助食品・必要な薬など)

◯貴重品

 

 《さらに必要な場合は》

△おむつ等、赤ちゃん用品

△生理用品

△めがね、補聴器など

△子どものおもちゃ

△動物(ペット)の名札・写真・ゲージ・餌・水など

 

《着替え》

3日分を目安に

◯下着

◯動きやすいモノ

◯靴下

◯上着

◯雨具・防寒具

 

《その他》

何かあったらすぐ使える場所に置いておくといいもの

◯バール、ジャッキ・ハンマー・ノコギリ・ロープ(救助活動に)

◯テント

◯ブルーシート

◯七輪・炭

◯簡易コンロ・薪

◯鍋・フライパンなど

 

《枕元に》

◯くつ

◯軍手

◯懐中電灯(アウトドア用ヘッドライトでも両手が使えて便利!)

◯あればヘルメット

◯あればホイッスル

 

だいたい3日間を野外キャンプして過ごす、というイメージをするといいかも知れません。

あと心構えとして大事とおもうのは、被災しても依存心で心を満たさず、自力でできることをしよう!と思うこと。

 

人は水と塩があれば空腹感はあってもしばらく生きられます。

でも体温を下げないような方法を考えておくことは大切と思います。

低体温になると免疫力・抵抗力が極度に下がり、サバイバルする気力にも影響が出てくるので

夜の気温、天気の変化にも対応できるようにしておきましょう。

 

問題はこれらのモノを何に入れて、どこに置いておけばいいのか?ということ。

 

家屋が倒壊することも考えると、住んでいる建物とは別のところの置いておいた方がいいのでは?

ということで物置(またはそれに代わるもの)を探してみたりしています。

でも気に入ったものが見つからない・・・。

国産のメーカーは性能はいいのかも知れないけど、デザインに欲しい!と思えるものがない。

唯一これなら妥協できるかな、と思ったらサイズがない。でも、あきらめずに探し続けなければ!

 

「防災用」ってペイントしているものも、もう少しいいデザインがあってもいいのにね。

 

 

 

2016年

3月

03日

花粉症の治し方

この季節になると花粉症の相談が増えてくる。

敏感な人によると上毛町は花粉が多いらしい。

お客さんにもマスクをして鼻をぐすんぐすんさせている人が増えた。

それでもお店に足を運んでくれるのだから、すこしでも改善する方法をお伝えできればとおもう。

 

この方法はとりあえず症状を抑える対処療法ではなく、根本的な原因をなくそうとするものなので

人によってかかる時間が変わるかも知れませんが、でもこの方法でなにも変わらなかったという人は

今のところいないので是非、試してみてください。

 

かんたんです。

 

◎乳製品を絶つ。

 乳製品の過剰摂取は鼻まわりの機能をなぜか停滞させます。

 やめると顔のなかの鼻の両サイドが腫れぼったさがとれて平らに戻るケースも多いです。

 

 乳製品とは牛乳、チーズ、バター、ヨーグルト、そしてこれらを使用した加工食品、調理品も含みます。

 「ヨーグルトは健康食品だから」と例外的に食べている人が多いのですが、考えてみてください。

 10人のうち9人以上が乳糖不耐症といわれるアジア人であること。

 現在、流通しているヨーグルトにどれだけ自然に作られたものがあるか。

 

 大手の乳業メーカーに供給される乳牛の多くは人工乳や輸入飼料を与えられ、抗生物質やホルモン剤を

 投与されています。通常分娩ができずに帝王切開になる牛、アトピーの牛も増えているそうです。

 人の手で不健康にされた牛の乳からできた発酵食品をあえてとらなくても、

 日本にはすばらしい発酵食品が、伝統製法でつくられた味噌、醤油、漬け物をはじめたくさんあります。

 

 ヨーグルトを食べないからといって不健康になったり便秘になったりすることは本来、ありません。

 世界で1万人以上の腸を診てきたドクター新谷先生いわく、

 ヨーグルトを日常的に食べている人できれいな腸だった人は一人もいないと著書でも述べています。

 発酵しているヨーグルトですらそうなので、他の乳製品も推して知るべし。

 

 どうしても牛乳のようなものが欲しかったらオーガニックのライスミルク、豆乳にしましょう。

 

◎自然塩をしっかり取る。

 鼻水が多く出るのは体液に塩分が足りていないからです。その調整機能として体内から水を減らそうと

 体から水を出しているので、本物の自然塩をしっかり取ることです。

 

 「減塩思想」はナトリウム99%以上の精製塩に対して生まれたものです。

 自然塩と精製塩ではまったく逆の働きが起こるので、自然塩を減塩することはむしろ害。

  

 自然塩をちゃんと取ると高血圧が正常な血圧に戻り、風邪をひきにくくなり、足がつることもなくなり、

 血液にミネラルが補給されるのであらゆる病気のリスクが減ります。毛穴もひきしまって肌のきめも整いますよ。

 

この2つが基本の治し方です。

 

この方法で治らなかったら、合成甘味料、白砂糖、添加物、化学肥料農薬を使った農作物もできるだけやめましょう。

これら「石油化学合成物質」はすべての不健康の根本原因になります。

ここを理解していないと、すべては枝葉抹消的な、その場しのぎの解決方法。

 

今朝もたまたま届いたフリーペーパーをぱらぱら見ていたら、芥川賞も受賞した作家のエッセイが載っていました。

高齢化社会に向けて人の迷惑にならないように健康長寿への努力をしているという内容。

 

で、実行していることのひとつが果物の皮をなるべく向かないで食べる、というもの。

手間もかからず、皮についている栄養も取れ、咀嚼により唾液も多く分泌されて一石二鳥とTVデやっていたから、と。

 

いや待てよ、と思う。

 

それは化学肥料や農薬を使っていない果物なのか。そうでない場合、

アトピー、喘息という神さまからのセンサーを与えられた人であればすぐに発疹か咳が出始めるだろう。

玄米だって同じ。玄米を食べるのは良いことだと言われても肥料農薬を使ったものだとダメ、もしくはプラマイゼロ。

だから、この方法は条件付きだ。そこを書かないと被害も増える。

 

しかも、その先に柑橘類を皮ごと食べるのははたいへんなので、九州産の品種改良されて大きくなった金柑がいい。

この「健康フルーツ」を一年中食べたいからハウス栽培を期待しているようなことが書いてある。

原稿料をくれる会社の地元を褒めるのは大人社会の礼儀かもしれないが、このくだりはどうなのだ。

 

品種改良って遺伝子操作じゃないのか。

化学肥料農薬も丸ごと食べることになるのじゃないのか。

旬を無視して栄養があるのか。

 

一読すれば、さわやかなエッセイなのかもしれないし、この作家はこの他にも10個以上の健康への努力を

実行しているそうなので、数打ちゃ当たる的にもしかしたら長生きもできるかもしれない。

でも根本を押さえたら、することはもっとシンプルになるのになー、と思う。

 

そして、この並べられた項目を見ると

 

問題の根っこは触れない&考えない。

常識を変換、変更する行動は起こさない。

 

という今の社会の構図を朝から見てしまった思いがするのです。

こういう世の中では、まだまだ花粉症は減らないのですが、でも2016年は「気づく」人が増えてくるらしい。

ここに書いた話も受け入れ態勢ができている人にはきっと届くし、効果もあるはず!と信じています。

 

 

  

 

 

2015年

2月

23日

矛盾のないシゴト

今しあわせだな、と思うのは好きなシゴトが矛盾なく成立していることだ。

若い頃からのアルバイト的なものも含めて、振り返ってみるとホントにいろいろなバイトやシゴトをしてきたけれど、

慣れてくるとどうしても気になることが出てきて、これでいいのかな?と思い始めるとずーっと気になって

改善策を講じてみたりしても、自分ひとりじゃ解決できなかったり、その仕組みが成立している中では

「長いものには巻かれろ」という見えない空気とひとり相撲しているみたいで、そんな環境は心を曇らせ、

慢性的なストレスでもあった。

 

ストレスは良くない。

ストレスは体温を下げる大きな原因で、それで免疫力も数倍、下がっていってしまう。

身体の弱い、というと見ためにも語弊があるので、敏感と言い換えた方がいいのか(?)、

とにかくこの身体で生きていかなければならない私には、そういうストレスはもっとも避けたいことの一つである。

どんなにお金を稼げるシゴトだろうが、どんなに人から羨ましがられるシゴトだろうが矛盾を感じてしまうシゴトは、

二度としたくない(できない)。贅沢でわがままで恵まれているといわれても、ここだけは譲れない。

 

私が感じていた「矛盾」とは

「これを売って○○を増やしているんじゃないか」という気持ちの○○のところに

ゴミとか、病気とか、搾取とかの言葉が入るようなことや、

「このシゴトに携わってほんとうに○○にとっていいことなのか」という気持ちのところに

生命とか、人とか、健康とか、環境とか、社会とかが入るようなこととか、そういうこと。

 

そしてそういうことがあっても世の中では不思議と「とりあえず」そのシゴトは成立していて、

そこだけ経済的にまわっていれば、それはまるで正しいことのように存在している、ということも気になった。

 

だからといって、ボランティア的なもの、イデオロギー的な行動も正直、苦手な自分もいる。

たしかに助けられる人が助ける、というのはいいに決まっている。

ただ、それでまた矛盾を作っていないか考えることも必要な気がする。

いいシゴトを続けるためには適正な報酬があって当然だし、その行為がまた新しい歪みを生んでいないか、

矛盾を作っていないか時々、吟味するのも大事なこと。

 

自然環境というか、宇宙全体というか、大きな循環の中でバランスをとりながら命が存在しているとしたら

人間の行動もどこか、そういうものと調和していた方が着地がうまくいくように思う。

個人のゆがみは宇宙のゆがみにつながる。

 

これは戦争反対とか原発反対とかにも通じるし、デリケートな問題で誤解されたくないのであまり言いたくないが、

なにかを声高に主張したり、抵抗するには相当なエネルギーが必要で、それは無限にあるわけじゃない。

エネルギー過多な若いときなどはなんでもすればいいと思うが、今世では有限な命(エネルギー)のもっとも

有効な使い方を考えると(こういうところが合理的っていわれるんですけど)、もっと人が全体的に今日の生活を

そっちにもっていくようなことに使った方がいいのでは?と思うことが多い。そうすれば一部の人が自分の生活を

犠牲にしてまで、世の中の歪みや矛盾に反対することを続けなければならないという現象も減るのではないだろうか。

私たちはつい枝葉末梢的な「見える」出来事に右往左往してしまうが、その根っこの原因をなくさない限り

問題はまたカタチを変えて現れてくる。


日々のなかで一番時間を費やすシゴトの選び方、家族と過ごす時間、暮らしの中の選択一つ一つを

少しでも矛盾のないものにしていくことの方がもしかして平和に近づく波動を起こせるんじゃないか、と思うのだ。

ここに至るまでさんざん寄り道した私は最近、そう思う。

 

ダブルスタンダードで生きていると、なんというか魂がピカピカしないような気分に襲われる。

余計な因果をつくるな!そのツケがどこにまわるか考えよう!とどこからか声が聞こえる気がする。

「好きではない」という感情の中になにか本能的に関わりたくないというものがあるかも知れないし、

それを辿っていくと見えないところで人を傷つけていたり、不幸の元を作っていたり、環境破壊や

社会悪に手を貸しているのかも知れない。と考えるのはいい歳して青いですかね?笑

 

だけど「好き」とか「なんだか嫌い」という気持ちは案外、根があるものだと思う。

好きなものに囲まれると心が元気になるし。

 

おくなが屋ではしたいことの10%もまだできていないという現実もあるけど、それと同時に、

この規模で矛盾のない店づくりができなければ、この先する意味がない!という気持ちでやっている。

 

矛盾がない、ということはお店に関わるすべてのものがいい循環している、ということ。

どこかの誰かが虐げられているような商品や、環境を壊していくことで利益を生むような商品や、

買ってもすぐゴミになってしまったり、不健康になってしまう質のものとか、利益がよくないことに

使われていたりとか、そういうものは今が良くても結局はダメ、全体の首を絞めていく。

毒は極微量だから効くのであって。ありすぎたら死にます!笑

 

今、おくなが屋で仕入れをさせてもらっているところ(会社でも個人でも)はすべて、

こちらから見て、どこか尊敬の気持ちをもてるところばかりで、これはすごくありがたいこと。

「尊敬とは人間関係の塩分である」そうですよ!

そういうところばかりのモノを集めるとたとえジャンルがいろいろでも、なにか沸点が一致するかのような

不思議な調和が起こる(気がしている)。だからそういう「好き」と深くわかっているものしか置かない。

目下の悩みはそういうモノとの出合いが増えてきて、でもお店の面積は決まっているということです。

 


話は飛びますが、最近すごく気になるのはホームセンターや包装資材屋さんの店内音楽。

若い歌手の恋愛系の歌を大音量でBGMにしている状況にたびたび遭遇するけれど、

お客さんは私を含めてほとんど中年なので、なんかそれだけでも場違い感あふれてるし、

それにああいう店って、みんなそれぞれが頭の中であれこれ思考を巡らせて必要なものを選ぼうとしていると思うんですよね。

いつも静かに買い物させて欲しい〜、と思うし、いったいなんの効果を狙ってかけているのか疑問です。

 

それに、そこで働いている人は一日中、そのBGMが耳から入ってくる環境ですよ?

蛍光灯たくさんとか、電磁波たくさんとか、音量の大きいBGMとか。

シゴトする場所がそんなものであふれていたら耐えられるのか?と勝手に心配しています。


さて本題に戻ると、そんなわけでおくなが屋にかかわって下さっている一人一人に

ほんとうにありがたいなぁと思う今日この頃です。